学習通信050804
◎「1%の最富裕家庭」……
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「ワシントンの制度」とは、富めるもののルールのことだ
アメリカの「ワシントン・ポスト」とイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」、この二つの新聞に出た二つの論説には、大きな共通点があります。それは、ソ連の崩壊後、アメリカが唯一の超大国だということで、世界の資本主義のいわば総大将になった、そのことが資本主義世界の危機と矛盾のもっとも深刻な根源になっている、こういう自己認識が共通して表明されていることです。
「ワシントン・ポスト」の論説が、世界はすべてアメリカに従えというアメリカの傲慢さを批判していることは、さきほど紹介しました。この論説は、こういう傲慢な認識が危機を生み出す前兆は、「世界の貧しいものたちの不満」だけではなく、「アメリカの同盟諸国の不満」のなかにも現れていると言って、ラテンアメリカの政治家たちはこう言っているじやないか、ヨーロッパの政治家たちはこう言っているじやないかと、矛盾の深刻さを具体的に指摘しています。
そして、続いて経済間題に目を向けます。アメリカが、アメリカの制度を世界に押しつければ押しつけるほど、世界の貧富の格差は広がってゆく、「実際に、世界の多くの国で『ワシントンの制度』をいうことは、富めるもののルールを主張することである」。そういう国ぐにでは、財閥、泥棒政治家、国際金融業界のエリートとその緊密な関係者などなどが、富を増やし、国民はたたきのめされる。
さらに、この論説は、ある国際組織が調査した数字を引いて、「世界の最富裕者三百五十八人の総資産は、世界の最貧人口二十三億人の年間所得の総計にひとしい」と、アメリカ中心主義のもとで、貧富の格差が極限にまで達している資本主義世界の現状を批判します。
クリントン政権の元商務副次官で、企業の最高経営責任者をつとめている人物が、アメリカ中心主義のルールを、政治の面でも経済の面でも、ここまで痛烈に告発しているのです。
少数者への富の集中こそがアメリカ資本主義の特徴
では、イギリスの教授ファーガスン氏は、「フィナンシャル・タイムズ」で、どういう分析をしているのか。
この人が、アメリカ資本主義の最大の特質としてあげるのも社会的な格差の拡大で、アメリカ国内での富の集中について、次のような数字をあげています。
「卓越した資本主義経済であるアメリカ合衆国のなかで、過去二十年間に、不平等の深刻な増大があった。一九八一年に1%の最富裕世帯はアメリカの富の四分の一を保有していた。一九九〇年代末には、この1%が、……38%以上のアメリカの富を保有している」。
「1%の最富裕家庭」ということは、人口の1%にあたる最も金持ちの家族ということですが、この論説が出発点にとった数字(一九八一年)──1%の家庭が「アメリカの富の四分の一」をにぎっているという数字そのものが、すでに不平等の相当な拡大を表しています。
ところが、二十年たった一九九〇年代末には、1%の家族の手に集中した富が「四分の一」(つまり25%)から38%へとさらに大膨張をとげた、というのです。38%というこの集中度は、「一九二〇年代以降もっとも高い」ものだとのことです。
ファーガスン氏は、こういう富の集中が、バブルとその崩壊によって加速されていることに、特別の注意を向けています。
「一九九〇年代のバブル経済がある階級から別の階級への驚くべき富の移転をもたらしたことに、疑問の余地はない。しかし、これは労働者階級からブルジョア階級へ、ではなく、中産階級の一部から他の一部へ、というものであった。正確に言えば、〔株式投資で〕だまされた階級から、CEO〔最高経営責任者〕階級へ、である」。
CEO〔最高経営責任者〕という言葉は、アメリカから持ち込まれて、日本でも、最近よく使われるようになった言葉ですが、ファーガスン氏は、「CEO階級」という言葉を独特の意味で使っています。文字通り「CEO〔最高経営責任者〕」の役職にある者だけでなく、企業の最高機密に属する内部情報を自由に手に入れることができ、株の操作で大もうけにありつける一部の特権的集団のことで、アメリカの上院でのある責任ある証言によれば、企業のトップにつながる「弁護士、内部および外部の監査役、取締役会、ウォール街の証券アナリスト、格付会社および大規模な法人株主」などがそれに属するとのことです。
このグループは、会社がつぶれる瀬戸際になると、ごまかしの決算を発表して株価をつりあげ、ボロが出る前に自分の持ち株を売り払って大もうけをする、ということをやります。自分たちさえ株の操作でもうかれば、企業そのものはどうなっても構わないという特権集団が広がっている、というのです。この論者によると、あるエネルギー会社(ハーケン・エネルギー社)がそういう操作で株価のつりあげをやったとき、その操作で大もうけをしたグループのなかに、ブッシユ現大統領が入っていて、いんちき操作がばれる前に、持ち株二十一万二千百四十株をちやっかり売り払って、八十四万九千ドル(一億円強)を手にいれたとのことです。
アメリカは、アジア諸国などの資本主義にたいして、身内だけの利益をはかる「縁故資本主義」だという非難をよく投げかけますが、イギリスのこの教授は言います。
一九九〇年代には、『縁故資本主義』とはアメリカがアジアのタイガー経済〔三つの虎と呼ばれた諸地域のこと(韓国、シンガポール、香港)〕にはりつけたレッテルだった。しかし、もし『縁故資本主義者』というものがいるとすれば、それは現在の米国大統領である」。
(不破哲三著「ふたたび「科学の目」を語る」新日本出版社 p28-31)
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ところが、プルドンにとっては、この一〇〇年間の産業革命全体、蒸気力や、手労働を機械でおきかえ労働の生産力を千倍にも高める大規模工場生産は、はなはだいとうべき出来事で、もともと起こってはならなかったことなのである。小ブルジョアのプルドンが望んでいる世界は、そのまま消費でき、また市場で交換できるような別々の、独立の生産物を各人が製造する世界である。
つづいて、各人がその労働の全価値を他の一生産物でとりもどしさえすれば、「永遠の正義」は満足させられ、最善の世界がつくりだされるというわけである。しかし、プルドンのこの最善の世界は、早くもそのつぼみのうちに、前進する工業的発展の足もとにふみにじられてしまった。
この工業的発展は、すべての大きな工業部門でずっとまえに個人労働を滅ぼしたし、いまや小部門や極小部門でも日ごとに滅ぼしつつある。
それは、個人労働を、機械や征服された自然力に支えられた社会的労働とおきかえているが、この社会的労働によってつくりだされた、そのまま交換または消費できる完製品は、できあがるまでにその手をとおってこなければならなかった多くの個人の共同の製品である。
そして、まさにこの産業革命をつうじて人間労働の生産力がいちじるしく高い水準に到達した結果として、人類が生存するようになってからはじめて、次のような可能性が生まれてきた。
すなわち、万人のあいだに合理的な分業がおこなわれさえすれば、社会の全員がたっぷり消費したうえ、豊富な予備フオンドを形成するのに十分なほどの物資をつくりだすことができるだけでなく、歴史的な文化遺産──科学、芸術、社交形態等々──のうちで真に保存する値うちのあるものが、たんに保存されるにとどまらないで、それが支配階級の独占物から全社会の共有財変に変えられて、さらに発展させられるように、各個人に十分な余暇をあたえることができるという可能性である。
これこそが決定的な点である。人間労働の生産力が発展してこういう高い木準に到達するやいなや、支配階級が存在する口実はいっさい消失する。
なぜといって、社会の精神労働にたずさわる時間をもつことのできるよう、毎日の生活のための生息にあくせくせずにすむ階級がなければならないということが、つねに階級差異を弁護するとっておきの理由となってきたのではなかったか。
このむだ話は、以前には大きな歴史的正当性をもっていたが、過去一〇〇年間の産業革命によって決定的にその根拠を奪い去られてしまった。
支配階級の存在は、工業生産力の発展にとっても、同様にまた科学、芸術、ことに文化的な社交形態の発展にとっても、日ごとにますます障害となりつつある。わが現代のブルジョア以上のがさつ者は、これまでにかつて存在したことがない。
これらすべてのことも、わが友プルドンには馬耳東風である。彼が望んでいるのは、「永遠の正義」であり、それだけである。各人は、彼の生産物とひきかえに労働の全収益を、すなわち彼の労働の全価値を、受け取らなければならないといわれる。
しかし、近代工業の生産物についてそれを計算するのは、こみいった仕事である。近代工業のもとでは、総生変物への個々人の個別的な参加分はあいまいである。昔の個別的な手労働では、この参加分は生産された生産物におのずから表現されていた。
近代工業は、そのうえ、プルドンの全体系の基礎になっている個別的交換、つまり、それぞれ消費を目的として相手方の生産物を交換によって獲得する二人の生産者のあいだの直接的交換を、ますます排除しつつある。
だから、プルドン主義全休は一つの反動的な特微でつらぬかれているのである。
それは、産業革命にたいする嫌悪であり、近代工業全体、蒸気機関、紡績機その他いっさいがっさいを追いはらって、古い、堅実な手労働にかえろうとする、ときには公然と、ときには隠密に表明された願望である。そんなことをすれば、生産力の千分の九九九までが失われ、全人類は最悪の労働奴隷制に落ちこみ、飢えの苦しみが常則となるであろうが、──各人が「労働の全収益」を受け取り「永遠の正義」が実現されるような仕方で交換を組織することさえできれば、それくらいのことがなんであろう? Fiat justitia, pereat mundus!
正義をおこなわしめよ、−
たとえ世界が滅びるとも!
じっさい、プルドンのこの反革命がおよそ実行可能なものだとして、それが実行されたならば、世界は滅びるであろう。
ついでにいえば、近代的大工業にもとづく社会的生産のもとでも、各人に「彼の労働の全収益」──このことばに意味があるかぎりで──を確保できることは、いうまでもない。そして、このことばが意味をもつのは、労働者の一人ひとりがこうした「彼の労働の全収益」の所有者になるのではなく、労働者だけからなる全社会が彼らの労働の総生産物の所有者となり、その総生産物の一部を消費のためにその成員のあいだに分配し、一部をその生産手段の補填と増加のために使用し、さらに一部を生産および消費用の予備フオンドとして貯蔵する、というところまで、その内容が拡大される場合だけである。
(エンゲルス著「住宅問題」M・E八巻選集 大月書店 p80-82)
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◎「支配階級の存在は、工業生産力の発展にとっても、同様にまた科学、芸術、ことに文化的な社交形態の発展にとっても、日ごとにますます障害となりつつある」と。