学習通信050409
◎「技術主義はそのまま出世主義に」……

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「赤ひげ」礼賛  若月俊一

 NHKテレビドラマ「赤ひげ」もそろそろ終わりだというが、私も毎週金曜日機会あるごとにみてきた。卒直にいって、田舎の公的病院をあずかる身の私としては、似ている境遇のせいか、「赤ひげ」こと新出去定先生が好きなのである。これを江戸時代の単なる市井の物語、面白おかしいフィクションと受けとりたくない気持ちがある。──今も昔も変わらぬ医者のモラルみたいなものが、そのなかにあふれているではないか。「赤ひげ」から受ける感動。それはいったい何なのか。それを追求し確認することが、今日の私どもの任務なのではないか。そこにこそ原作者山本周五郎の意図があったのではないか。──

 ところが、こんなことをいうのは、そもそも私が旧式の考えにとらわれている証拠であり、今の時代と若い世代を解せぬ動脈硬化症的頭脳のせいであるらしい。げんに私の娘は「赤ひげ」のドラマに見入っている私を評して、「父ちゃんはやっぱり浪花節が好きなのねえ」といった。

 若い医者の技術主義的傾向に対するきびしい批判こそ、山本周五郎がこれを書いた主なるモチーフなのである。──長崎で蘭学を勉強してきた新進気鋭の保本登。彼の行くてには、江戸城に勤める御典医の最高の身分が待っていた。やがては御番医から典薬頭にものぼれる身の上。それゆえにこのうす汚い施療院、小石川療養所はもちろん、そこで働く俗称「赤ひげ」なる人物など、最初は彼の眼中にはなかった。朝から晩まで、汗と垢まみれの行きだおれか、あるいはそれに近いぼろをまとった貧乏人を相手にして、上等ならざる医療技術をほどこしている、名もなき町医者。そんなところに、一時にもせよ見習医として身を寄せていなければならぬことじたいに、彼の大きな不満があったのである。

 その保本が次第に、いくつもの自分の技術上の若さの失敗をくりかえすうちに、「人間」を診療することのむずかしさをいやというほど知らされる。身の程知らずの思い上がりではあったけれども、がんらいは純粋な若い心は、「赤ひげ」の傍にいて、いつとはなしに彼から多くのものを学ぶようになる。いや、正しくいうならば、彼からではない。彼をとり囲む庶民の生活から、その暮らしの哀歓からである。

 伝通院の裏の木賃族籍にいた六助は膵臓ガンで死に、「むじな長屋」の佐八は重い労咳(肺結核)である。しかし「赤ひげ」は病気だけでなく、たしかに「病人」を診ようとしていた。病人にからまるさまざまな人生模様を恐れ気もなく追いかける。原作によると──去定は自嘲とかなしみを表白するように、「……現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ。それに勝っていくことで、医術の不足を補うほかはない。……それは政治の問題だというだろう。誰でもそういって済ましている。だが、これまでかつて政治が貧困や無知に対して何かしたことがあるか」と嘆く。

 ──やがて保本は謙虚になり、従順になる。いや、ここを取りまく人々に、つまり庶民に深い愛情を抱くようになる。それは単なる「赤ひげ」に対する屈服などというものではない。技術や学問の向う側にきびしく実存する「人間性」「社会性」の認識であり、それによる開眼である。もう一度長崎へいって勉強してきたらという上役(幕府の表御番医、法印天野原伯──保本はその後になって原伯の娘まさをと結婚することになるのだが)の厚意をさえ辞退してしまう。

 ここに医者のモラルを見出してはいけないであろうか。「医は算術」になり下がった今日の医者というより、今日の医療のシステムの批判の根拠を求めてはいけないであろうか。なぜならば、今日の若い医者(この場合も、個人というよりは、今日の医学教育をいうべきであろう)の専門技術主義の驕りとその弊害も、全く保本の場合と似たものがあるのではないか。技術主義はそのまま出世主義に通じ、転じて金儲け主義にもなる。

 「赤ひげ」も決して技術を軽視していたのではない。テレビドラマでは華岡青洲の開発した麻薬を使って乳ガンの手術さえ試みている。それは結局失敗に終わるが、それに際しておこるさまざまな人間の波紋に対して、それを受けとめる医者たちの姿勢は、ヒューマニスチックである。今日の「和田心臓手術事件」に対するきびしき批判といえないことはない。その他、往診をさぼる問題、あるいはまた、施療院としてお上から受ける法的、経済的規制に対する「医者としての」抵抗。将軍家に御慶事があって、御入用がかさむから養生所の経費を三分一に削減すると与力から言いわたされ、怒る「赤ひげ」。──これらは、具体的内容こそ違うが、いずれも医学や医療の今日的テーマを彷彿させるものがあるではないか。

 しかし、NHKのテレビ番組としては、そうかたいことばかりいってるわけにもいかない。時には、捕り物帖的になったり、世話物風にもせざるをえなかったのであろう。ただ、「おせん泣かすな」の章で「赤ひげ」とおせんがあいびきするシーンを設定するなどは、いくらおせんの亭主の浮気をこらす手段のためとはいいながら、ちと脚本のいたずらが過ぎたような気がした。これも「赤ひげ」礼賛の時代錯誤者、わが輩の、ひいきの引き倒しであろうか。

 原作の終章「氷の下の芽」の最後を抜き書きしてみよう。
 ──「私はここにとどまるつもりです」と登ははっきり言った。
 去定は眼を細めた。「──誰が許した、だめだ、おれは許さぬ、おまえ保本登が幕府の目見医にあがる、それはもう決まっていることだ」
 「この養生所にこそ、もっとも医者らしい医者が必要だ、──初めに先生はそういわれました」と登はねばり強くいった、「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを知りました」

 「なにをいうか」と去定がいきなり、烈しい声でさえぎった、「医が仁術だと」、自分の激昂していることに気づいて大きく呼吸をしずめ、「──医が仁術だなどというのは、金儲けめあての似而非(えせ)医者どものたわ言だ。医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない。病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力にたよって、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ」

 「それなのになお私を出そうと仰しゃるのですか、はっきり申し上げますが、私は力ずくでもここにいます」
 「おまえはばかなやつだ」
 「先生のおかげなのです」
 去定は立ちあがった、「若気でそんなことをいっているが、いまにきっと後悔するぞ」
 「ためしてみましょう」登は頭をさげていった、「御承諾頂けたのですね、有難うございました」
 去定はだまってゆっくりと出ていった。
 ──原作はこれで終わっている。

 「技術のための技術」よりも「大衆のための技術」が優先されねばならぬことを、原作者はいっているのだ。今日の技術論は枝葉末節のみにはしり、そこのところの詰めが欠けている。ことに医学のような、病気の人間を直接対象とするような技術が、同時代の人びとに奉仕することを優先させるのは当然のことではないか。

 もちろん医者も技術者である以上、技術の修得に力を尽すのはいい。しかし、相手の弱点を握るこの商売は、しばしば社会の中であぐらをかきやすい。がんらい、社会や大衆のためにあるべき技術が、いつのまにか自分のため、自分の利益のためのものになっている。そして、結局は権力や金持ちに奉仕している。──原作者は医者という技術者がいかに人間的に生きねばならぬかを教えているのだ。(昭和四十八年)
(斉藤茂太編「日本の名随筆(43)「名医」」作品社 p16-21)

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保育者の役割

人間的な生活と親子関係を創る国民の努力を支える

 普通、保育あるいは保育者は、婦人の働く権利を保障し、乳幼児の発達を保障する役割をもっているといわれる。たしかにそのとおりではあるが、ここでは、さらに、おおきく、以上にみてきたような、仕事と子育てを両立して人間らしく生きよう、心の通う親子関係を創ろうという国民の努力を支え、励ましていくことを、保育者の役割と考えたい。

 もちろん、きれいごとでことがすむような事態ではない。さきにふれたように、一人の人間が仕事と子育てを両立するのがまことに難しい生活・労働条件があり、さらに、この二つのことを意図的に対立させ、とくに三歳までの子をもつ母親を家庭に帰らせる政策がとられており、それを支持する見解がさまざまなルートで国民に伝えられている。そうした現状のなかで、働いてはいるが、それは子どもにすまないことであり、子どもを保育園にあずけているのもやむをえずそうしているのだと感じている親が少なからずいる。

 他方、社会的保育の充実を主張し、そのために努力してきた保育運動には、社会的保育を必要悪とみなす保育政策を批判しなければならなかったという事情もあって、社会的保育の意味を一面的に強調する傾向があったことも否定できない。そういうなかで、「あずけっぱなし」の親の問題を、十分に克服しきれているとはいえない。

 子どもに「申しわけない」と思いながら働き、やむをえず子どもを保育園にあずけている親い仕事が忙しくて「あずけっばなし」になっている親、そうした親の問題的状況を含みながら、今日の保育運動は、実際には展開しているのである。そこで、保育者は日々、そのような親の姿に接して、「自分のことばかり考えて子どものことはほったらかしじゃないの」とか、「もっと仕事に誇りをもてばいいのに。あんな働きかたじゃ、子どものためにならない」など、否定的な印象をもつことがむしろ多いのではないかと思う。

 しかし、一人ひとりの親のそうした否定的な姿も、やはり、今日の親たちが、仕事を通しての社会的生きがいと人間らしい子育てとをどう両立するかという課題に直面しており、それを解決しきれないでいることから生じているととらえる必要がある。そして、きれいごとではすまないことを重々知りながら、親たちの人間らしい生き方を求める努力、人間らしい親子関係をつくろうとする努力を支え励ますことが保育者の役割であると、あえて考えたいと思うわけである。

親の困難、苦悩への共感

 そのように考えてくると、今、保育者に求められているのは、こうした親の困難・苦悩に共感する力であるように思われる。

 仕事を通しての社会的生きがいと、人間的な子育てとを何とか自分の生き方として両立したいともがきながら、両立しきれないでいる親の困難・苦悩は、じつは保育者である自分もかかえている困難・苦悩であり、今日の日本に生きている男女が共通に直面している困難・苦悩であると感じられることが、何よりも必要なのではないか。それさえあれば、親たちにいくら厳しい注文・批判をしても、保育者自身も同じ問題をかかえ苦しみながら、なおともにのりこえようとしている中で出されている注文・批判として、親たちに伝わっていくだろう。しかし、自分はしっかりとしているが親がダメだと感じていては、どんなに正しい指摘でも、親たちのなかに伝わってはいかないのである。

子どもたちの心の声を聞く

 同時に、保育者に求められているのは、子どもの心の声を聞くこと、子どもの表現のなかに成長への本質的要求を読みとるということではないかと思われる。

 たしかに、親の生活が困難をかかえるなかで、子どもたちはさまざまに否定的な現象を示しており、それを外から客観的にみているだけでは、どう働きかけていいかわからなくなってしまうというのが、今日の現実である。しかし、そうであればよけいに、さまざまな問題行動、荒れた表現をとおして子どもが求めているものを、保育者は読みとらねばならない。

 先にあげた三橋の『おもいやりと夢を育てる』のなかには、夏ちゃんという子のことがでてくる。夏ちゃんは、自分の手と話をする癖があり、これをはじめると外からいくら働きかけても通じなくなってしまう。まともな話しことばもない夏ちゃんに、三橋はどう働きかけてよいかわからず困っていた。あるとき、外に連れ出したが、あいかわらずの調子なので、三橋が道端にくたびれてしゃがみこんでいた。すると夏ちゃんが、しゃがんでいる三橋の背中にペタンとくっついてきた。どうしたのかと思いながら、三橋が、夏ちゃんを背なかにのせたまま少し立ち上ると、夏ちゃんは、こわがってあわてて降りてしまった。「ああ、この子は机の上にのぼるのもこわがる子だったな」と思ってまたしゃがんでいると、夏ちゃんは、しばらくして、また背中にひっついてきた。そこで、もう一度もちあげると、またすぐに降りてしまった。

こういうことを何回もくりかえした。三橋は、この夏ちゃんの行動のなかに、「この子は今まで何にも関心を示さなかったが、今はじめて、私とかかわりたいという要求を、こういうかたちで表現しているのではないか」と読みとった。そこから、三橋は、夏ちゃんとのかかわりを広げ深め、夏ちゃんの要求と表現を育んでいった。

 また、この本には、澄江ちゃんという子どもが登場する。この子は三歳のときに母を亡くし、父と、時おり上京する祖母の手で、母親がなくて不びんだということで甘やかされて育てられてきた。この澄江ちゃんが、ある日の昼寝の時、さわいで皆をおこし、いくら注意しても聞かないので、三橋は強く叱った。すると、澄江ちゃんは、赤ん坊のように大声で泣き出した。いつまでも泣いているので、三橋が、「そんな子はもう知らない」といってその場を離れようとすると、一歩離れるたびに、澄江ちゃんは、「ワーッ、ワーッ」と声を大きくして泣いた。三橋は、この泣き声のなかに、「澄江ちゃんの心の叫びを感じた」といって、つぎのように書いている。

「三歳という大事な時期に母を失い、父と祖母の盲愛の中で、真剣に叱られた経験もなく育ってきた澄江は、自分と一体となって生きてくれる人が、欲しかったのではないか、真剣に叱られている時にこそ、一体感があったのではないか。あの子の泣き声の中には言葉にできない言葉があり、真の要求が秘められているように思えてならなかった……」

 この例にみられるように、たとえいかにかすかな表現であっても、またいかに問題にみえる表現であっても、そのなかに、子どもが、何を求め、どう伸びようとしているのか、その要求を読みとることが、子どもに意味ある働きかけを行なおうとする場合に、決定的に重要なのである。一見問題にみえる表現のなかに、子どもの成長の要求を読みとっていく、そういう保育者の力量が、求められているのである。そして、そうした読みとりを実際の保育のなかで行ない、それを直接・間接に親たちに伝えていくことが、親の子どものみかたを豊かにし、親子関係を深めていくことを促すのである。

 こうした子どもの表現のなかに本質的要求を読みとる力量を保育者が自らのものとするために、これさえ勉強しておけばよいといった特効薬はない。それはやはり、親の場合と同様に、子どもにむかいながら、自分の現在をみつめ、自分の子ども時代をふりかえり、自分と子どもたちの未来をぎりぎり考える以外に方法はないのである。こうした心の働きを自らの内部で活発に展開しながら、発達の科学の成果を摂取するとき、その知識ははじめて自分のものとして血肉化する。

 親のかかえている問題と苦悩に共感し、子どもが表現している成長への要求を敏感に感じとる、そのような保育者の人間性と力量が、今ほど問われているときはないのではなかろうか。
(田中孝彦著「子育ての思想」新日本新書 p53-59)

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 よい教師の資格についてはいろいろと議論がある。わたしがもとめる第一の資格、この一つの資格はほかにもたくさんの資格を必要としているのだが、それは金で買えない人間であることだ。金のためにということではできない職業、金のためにやるのではそれにふさわしい人間でなくなるような高尚な職業がある。軍人がそうだ。教師がそうだ。ではいったい、だれがわたしの子どもを教育してくれるのか。わたしがさっき言ったとおりだ。それはきみ自身だ。わたしにはできない。きみにはできない……では友人をつくるのだ。そのほかに道はない。

 教師! ああ、なんという崇高な人だろう……じっさい、人間をつくるには、自分が父親であるか、それとも人間以上の者でなければならない。そういう仕事をあなたがたは平気で、金でやとった人間にまかせようというのだ。

 考えれば考えるほど新しい困難に気がつく。教師は生徒にふさわしく教育されていなければならない、召使いは主人にふさわしく仕込まれていなければならない、子どもに近づくすべての人は子どもにあたえてもいいような印象をうけとっていなければならない、ということになる。教育から教育へとさかのぼって、どこかわからないところまで行かなければならない。自分自身よい教育をうけなかった者によって、どうして子どもがよく教育されることがあろう。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p47)

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◎「教師は生徒にふさわしく教育されていなければならない」

◎「親のかかえている問題と苦悩に共感し、子どもが表現している成長への要求を敏感に感じとる、そのような保育者の人間性と力量が……」

◎「相手の弱点を握るこの商売は、しばしば社会の中であぐらをかきやすい。がんらい、社会や大衆のためにあるべき技術が、いつのまにか自分のため、自分の利益のためのものになっている。そして、結局は権力や金持ちに奉仕している」

……科学的社会主義を学ぶこと、ひろげることの意味は明確なのだ。