学習通信050407
◎「人民と主権者とが同じ人間」……。

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 もしも自分の生まれる場所を選ばなければならなかったとしたら、わたしは人間の能力の範囲によって限られた、すなわちりっばに統治される可能性によって限られた大きさの社会、そして各人がその仕事を十分に行なえ、だれも自分が負わされた職務を他の人々にまかせる必要のないような社会を選んだことでしょう。

つまりそのような国家ならば、すべての個人が互いに知り合いなのですから、悪徳がひそかに行なわれたり、美徳が目立たないでいるというようなことは、公衆の視線と判断の前では起こりえないし、そしてこのお互いが会ったり知ったりするというここちよい習慣によって、祖国愛は、土地に対する愛というより、むしろ市民に対する愛となるのであります。

 わたしは、国家の機関のすべての動きが共通の幸福以外にはけっして向かわないようにするために、主権者と人民とがただ一つの同じ利害しかもつことができないような国に生まれるのを望んだでしょう。ですが、そのようなことは、人民と主権者とが同じ人間でなければ行なわれえないのですから、結果としてわたしは、賢明にも穏健で、民主的な政府のもとに生まれるのを望んだろうということになります。
(ルソー著「人間不平等起源論」世界の名著 第30巻 中央公論社 p100)

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 拡大する貧富の格差

 人間は人間であるかぎり地球上どの地域においても、人間らしく生きる権利がある。ところがその当然の権利がこの10年、大きく踏みにじられた。

 国連開発計画の「人間開発報告書2003年」を見てみよう。「1990年代は絶望の10年だった。54カ国で1990年に比べ現在のほうが貧しくなっている。21カ国で飢えている人々の割合が増え、14ヵ国ではより多くの子どもが5歳になる前に死亡している。12ヵ国では小学校の就学率が低下している。34ヵ国では、平均寿命が下落した。以前はこうした生存状況の後退はほとんどなかった。」と報告している。

 貧富の格差はますます拡大し、不況と大量失業を繰り返し、広大な地域で餓死が……もう人類は資本主義とは共存できるものではない。
 生産手段が社会化され人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会(コミューン)になれば、労働時間は短縮され、社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台がつくられる。人間はだれでも自分でも気がつかない多くの潜在的な能力をもっている。しかしそれがいまは開花せずに生涯を終えねばならない。なんと無念なことか。搾取のない社会では、すべての人間の全面発達が社会の大きな目標になるのだ。

 人類の未来への旅

 私たちはこれから、人類が長い歴史のなかで築いてきた価値ある成果である国民主権、基本的人権、議会制民主主義、複数政党制などの自由と民主主義を豊かに発展させ、すべての段階で選挙による国民の合意で、一歩一歩、社会を改革し社会主義・共産主義へと、国民が主人公になって歴史をつくっていくことになるだろう。

 この大きな人類の未来への旅と、自らの生きがいを重ねてみよう。
 人間は気の遠くなるほど長い時間をかけて「人間らしさ」を身につけてきた。

 科学や芸術、そして自由と民主主義などのこの価値ある遺産を、一人ひとりがしっかりと自分のものにしたとき、ほんとうの「自分らしさ」が身につくのではないだろうか。

 社会に役立ちたい、生きがいある人生をおくりたい──そんな一人ひとりの善意と積極性を基礎に、共通の課題にむけて集団の力を発揮できればすばらしい。
 歴史は動きはじめ、大きな時代のかわり目がきている。
 歴史をつくる運動のなかで、そして仲間のなかできっと、新しい「自分らしさ」が発見できるだろう。
(中田進著「人間らしく自分らしく」学習の友社 p121-123)

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◎「社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台がつくられる。人間はだれでも自分でも気がつかない多くの潜在的な能力をもっている。しかしそれがいまは開花せずに生涯を終えねばならない」と。