学習通信041227
◎「日本の経済と自民党政治の現実の分析から引き出してきた結論」……。
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だが、ミハイローフスキイ氏に立ち返ろう。マルクスが、資本主義の発展の法則そのものによって社会主義体制が不可避であるとして、その根拠とした、諸々の事実や考察にたいして、氏はなんと反論したであろうか?
現実には──社会経済の商品的組織のもとでは──労働の社会的過程の専門化の成長や、資本家や企業の集積、労働の全過程の社会化が起こっていないことを、氏は示したであろうか? いや、氏は、これらの事実の反駁のために一つとして指摘はしなかった。
氏は、労働の社会化とは相いれない無政府性が資本主義社会には本来備わっているという立場を揺るがしたであろうか? 彼はこのことについてはなにも言わなかった。
氏は、すべての資本家の労働過程が単一の社会的労働過程に統一されることが、私的所有と両立しうると証明したであろうか?
また、マルクスが指摘した以外の、この矛盾からの別の出口が可能であり、考えられると、証明したであろうか? いや、氏はこのことについて一言も言っていない。
彼の批判は、なにによっているのか? ごまかしや、すり替えや、そしてこけおどしにほかならない空文句の洪水によっているのである。
この批評家が──歴史の三段階法的連続した歩みについて前もってさんざんしゃべり立てたあとで──まじめな顔をしてこう質問する、「で、それから先はどうなるか?」と。
つまり、マルクスの描いた、過程の最後の段階ののちに歴史がどう進んでいくのかと言うのであるが、こんなことを言うとき、そのようなやり方を、実際、他にどんな呼び方ができよう。
いいですか、マルクスは、その文筆および革命活動のそもそものはじめから、社会学の理論にたいする彼自身の要求をきわめて明瞭に表明していた。社会学の理論は、現実の過程を正確に描き出さねばならず、それ以上であってはならない、と言うのである(たとえば、『共産党宣言』が共産主義者の理論の基準について述べているところを参照されたい)。
マルクスはその『資本論』のなかで、きわめて厳しくこの要求を守った。彼は、資本主義的社会構成体を科学的に分折することを課題として、われわれの眼前で現実に起こりつつあるこの組織の発展が、その組織が不可避的に滅亡し、別のより高度な組織に転化するべき傾向をもっていることを立証したとき、そこで終わりにしたのである。
ところが、ミハイローフスキイ氏は、マルクスの学説の本質全体を回避して、そのもっとも愚かな質問を発するのである。「で、それから先はどうなるか?」と。そして思慮深くつけ加えるのである。「私は、エンゲルスがどう答えるか完全に判然とは心に描けないことを、率直に告白せねばならない」。しかし、そのかわり、ミハイローフスキイ氏よ、われわれは、貴下のそのような「批評」の精神と手法を完全にはっきりと心に描きうると、率直に告白せねばならない!
(レーニン著「「人民の友」とはなにか」新日本出版社 p92-94)
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変革の精神と科学の目を受け継いで
庄子……科学的社会主義の大きな流れのなかで、日本共産党が科学的社会主義を理論的基礎とすることの意味が、あらためて注目されていると思います。
日本共産党がいまの綱領を採択してから来年(二〇〇一年)でちょうど四〇年ということになります。四〇年を経て古くなるどころか、今日的で新鮮な生命力を発揮していますが、そのことにも関連して、科学的社会主義を理論的基礎とするということの意味について、うかがいたいのですが……。
不破……私たちの党が科学的社会主義の党だということは、マルクスらの先輩から、変革の精神と科学の目を受け継いだ、ということ、その変革の精神と科学の目で、現代の日本を見る、現代の世界を見る、そして実りある将来を展望し探究する、こういう立場に立つことだと思うんです。
そこをとりちがえて、一九世紀にマルクスやエンゲルスが語り、あるいは二〇世紀初頭にレーニンが語った個々の命題にとらわれて、その命題に現実をあわせるような立場をとったとしたら、それは、科学的社会主義の精神に根本からそむくことで、それでは、マルクスの事業の現代的な受け継ぎ手にはなりえなかったでしょう。
くりかえしになりますが、一番大事なことは、変革の精神と科学の目を受け継いだということです。だから、私たちは、現代の日本、現代の世界を見るときに、どんな場合でも、事実を科学の目で見る努力をつくし、それにもとづいて、合理的な解決策をたて、積極的な展望を開く努力をします。そして、それが、現実の発展で試され、裏づけられれば、より確信的に前進できるし、現実の展開が自分たちが出した結論と違ってくれば、どこに誤りがあったかをまた研究して、現実によりせまる方向で認識と方針を前進させる努カをする−科学的社会主義の党であるためには、どんな場合でも、こういう態度が求められると思います。
私たちは、三九年前(一九六一年)の第八回党大会で、いまの党綱領を決めたのですが、この綱領もそういう立場で決定したものです。また、その後の約四〇年間、そういう立場で、たえず現実の発展にてらしてその内容を点検しながら、また認識の発展に応じて、必要な部分的な改定をおこないながら、今日の発展の道を切り開いてきました。この綱領の路線が、大局的に言って、現在の日本の情勢と世界の進歩と発展の方向を変革の精神と科学の目≠ナ正しく見たものであることについては、四〇年間の実績をふまえて、確信をもっていますよ。
庄子……日本共産党にたいして、自分で科学的と名乗ること自体が非科学的だ≠ネんて批判をする人がいますね。しかし、日本共産党の場合、自分たちの主張やいろいろな問題を分折しての結論が、最初から科学的なものだと自慢しているわけではなく、どうすれば社会の発展法則をつかみ、社会のさまざまな矛盾を法則にかなったやり方で解決することができるかを探究する、その探究の仕方を科学的にやってゆくという立場だと思うんですね。
不破……そうですね。科学的社会主義の党と名乗りさえすれば、いつも科学的な答えが出せるというのだったら、だれも苦労はいりません(笑い)。また、科学的社会主義とは、そんな便利な、というか、怠け者に都合のよいものではないんですね(笑い)。
山ロ……マルクスは、自分たちの立場を、物事を真剣に、具体的に研究することだと述べていました。私もいま、衆議院選挙の予定候補者(二〇〇〇年六月の総選挙で当選)として、いろいろな方がたに、日本共産党は日本の現状をどのように見て、どう変えようとしているかについてお話しする機会が多いのですが、私たちの見方や提案が、ほんとうに違和感なく、なんだ、そういうことを考えていたのかと、これまであまり縁のなかった方がたのあいだにも、スーッと入っていける条件があることを感じています。事実にしっかりたって、しかも発展的に物事を見ていく姿勢だからこそ、対話もはずむんですね。
不破……三九年前に党綱領を決めたとき、日本の現状をよく分析した結論として、民族の主権・独立と民主主義の立場で、アメリカヘの従属関係をなくしてゆく、また日本の独占資本の横暴な支配をおさえ、なくしてゆく、これが日本の社会のまともな発展の方向だという結論を出しました。社会科学の言葉で言えば、「反帝・反独占の民主主義革命」ですが、その内容を分かりやすく言えば、「資本主義の枠内での民主的改革」ということです。
綱領の討論を始めたのは、ちょうど、保守合同で自民党ができて間もないころで、その討論の最中に、安保改定で、日米軍事同盟の本格的な体制ができあがる、経済面でも大企業中心の「高度成長政策」が始まるというときでしたから、綱領でうちだした社会発展の方向と、安保堅持・大企業中心という自民党政治の方向というのは、まさに日本社会の発展の、正面から対決しあった二つの道だったんですね。
そして、それから約四〇年たって、日本社会の発展の道をどうするかという問題で、いま日本はたいへん重大な曲がり角にたっている、と思うんですよ。四〇年以上もつづいた自民党政治のもとで、日本の経済・政治・社会のゆがみは、もう一日もほうっておけないところまできました。
そのゆがみの異常な根っこがどこにあるかも、しだいに明らかになってきました。経済面で言いますと、一つは、ルールなき資本主義≠アれは、一九九一年の「赤旗まつり」で指摘したんですが、ヨーロッパなど他の資本主義国では、国民の長いたたかいのなかで確立してきているルール、国民の権利や生活をまもる世間なみのルールが、日本では確立していない、それが、大企業の横暴を外国に例を見ないような野放図なものにしているんですね。
もう一つは、予算の使い方の逆立ちぶりです。これは、一九九七年の「赤旗まつり」で提起した問題ですが、いまでは、公共事業に五〇兆円、社会保障に二〇兆円、世界に逆行するこの逆立ちした税金の使い方が、悪政の最大の根源だということは、天下にかくれもない話になりました。
私たちの「日本改革」の提案は、この二つを桂にして、いちだんと具体的な説得力をもってきましたが、これは、私たちが頭のなかで考えだしたことではなく、日本の経済と自民党政治の現実の分析から引き出してきた結論ですから、説得力をもち、政策的実効性をもてるんですね。
山ロ……四〇年というと、自分の年とあまり変わらないので(笑い)、子どものころから経てきた日本社会の変貌とそのなかで日本共産党がかかげてきた路線の発展というのは、特別に肌身で分かる思いがあるんです(笑い)。
庄子……国会での不破委員長と首相のやりとりとか、志位書記局長の予算委での質問をテレビで見た方から、「どちらが政権党か分からない」という声が寄せられることが、最近とくに多くなりました。自民党が政権党であるというならば、二一世紀はこの道を進みましょう≠ニいうことを、国民にはっきりしめすのが、本来の姿だと思うのですが、政権党はそれができないで、そういう方向と展望を大いに展開しているのは、日本共産党の側だという状況になっています。日本社会の現状と今後をとらえる視点と構えの違いが、四〇年たって、くっきりした違いとして出てきているんですね。
(不破哲三著「世紀の転換点に立って」新日本出版社 p16-21)
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◎「マルクスは、その文筆および革命活動のそもそものはじめから、社会学の理論にたいする彼自身の要求をきわめて明瞭に表明していた。社会学の理論は、現実の過程を正確に描き出さねばならず、それ以上であってはならない」と。