学習通信041222
◎「だれが命令するでもなく計画したのでもないのに、世界じゅうの人が一生懸命になって他人のために働くという今日のしくみは、不思議なほどに巧妙をきわめたもので、とても人知をもって考え出すあたわざる」
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僕は一つの発見をしました。それは、たしかに、叔父さんから聞いたニュートンの話のおかげです。でも、僕が自分で、ある発見をしたなんていうと、みんなはひやかすにきまってます。だから、僕は、これを叔父さんにだけお話しすることにします。お母さんにも、当分のうち言わないで下さい。
僕は、こんどの発見に、「人間分子の関係、網目の法則」という名をつけました。はじめ、「粉ミルクの秘密」という名を考えたんですが、なんだか少年雑誌の探偵小説みたいなので、やめにしました。叔父さんが、もっといい名を考えて下さったら、うれしく思います。
その発見をどう説明したらいいか、僕には、まだうまくいえないんですけれど、考えていった順序をお話しすれば、叔父さんは、わかってくれるだろうと思います。
最初、頭に浮かんだのは粉ミルクでした。だから僕は、この話をしたら、きっとみんながひやかすだろうと思うんです。僕だって、もっと立派なものを考えたかったんですが、自然に粉ミルクが出て来てしまったんだから、仕方がありません。
月曜日の晩に、僕は夜中に眼がさめました。なにか夢を見て眼がさめたのですけれど、なんの夢だったか忘れました。眼がさめたら、どうしたんだか、僕は粉ミルクのかんのことを考えていました。うちで、おせんべいやビスケットをいれておく、あのラクトーゲンの大きなかんです。そうしたら、お母さんのいったことを思い出しました。僕が赤ん坊のとき、お母さんの乳がたりなかったので、僕は、毎日ラクトーゲンを飲んで育ったのだと、いつかお母さんはいいました。
今のラクトーゲンのかんは、その時の記念だそうです。僕は、その話を聞いたとき、じゃあ、オーストラリアの牛も僕のお母さんかな、といいました。だって、ラクトーゲンはオーストラリアで出来て、かんにも、オーストラリアの地図がかいてあるからです。僕はそのことを床の中で思い出しました。そして、オーストラリアのことを、いろいろ想像しました。牧場や、牛や、土人や、粉ミルクの大工場や、港や、汽船や、そのほか、あとからあとから、いろんなものを考えました。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p83-85)
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生きてゆくための人の輪
労働によって、自然へ働きかけること、そしてそこから何かをつくりだすことを、生産というが、これがまず生きてゆくことの基本である。それでは生産はひとりでできるのかどうか、このことをつぎに考えてみよう。
海や川へいって魚をつかまえたり、野生の果物をとったりすることも、自然への働きかけの一種であり、ひろい意味では生産といってもよいが、これは物をつくりだすわけではないから、厳密には生産ではなく採取という。もっとも原始的な時代には人間は野生のものを採取して生活していた。この段階ではほかの動物とのあいだにあまり区別はない。熊も魚をとるし、猿も木に登って木の実をとる。しかしこの段階ですでに人間はほかの動物とちがって、道具を使うようになり、また集団で行動するようになっていた。
採取経済がもう一歩すすんで物をつくる生産経済になってくると、動物と人間のちがいはもっとはっきりしてくる。生産活動のもっとも代表的なものは農業だが、土地を耕やし、種子をまき、刈りとりをするという作業は、すべて集団でおこなわれた。いまの農業をみていると、広い畑で農民がひとりで働いている姿をよく見かけるけれども、農民がひとりあるいは一家族だけで自分の畑の耕作ができるようになったのは、農機具がかなり発達してからのものことであり、農業は非常に長いあいだ集団労働であった。道具が未発達であった時代には、集団で力をあわせなければ自然へ働きかけることはできなかったのである。
いまでも台風や地震のように、自然はときどき猛威をふるうことがある。台風や地震のような一時的な災害以外にも、いま地球の砂漠化が進行しているといわれ、これにたいする有効な対策はまだ見つかっていない。人間が自然を破壊しすぎて自然保護の必要が叫ばれている現代においてさえ、人間が自然の力に圧倒されることはしばしばあるのである。ましていまから数千年、あるいは数万年前には、人間は自然のなかのほんとうにちっぽけな存在でしかなかったのだ。自然の猛威の前に身をよせあい、皆の力をひとつにあわせることによって、人類はようやく生きのびてこられたのである。
生きるためには生産が必要であり、生産のためには集団が必要だった。集団というのは人の集まりであり、人と人との関係によって支えられるものである。この生産のために結びあう人と人との関係を生産関係とよぶが、このようにして社会のもっとも基礎的な関係がつくられる。人類はその誕生のときからこういう関係のなかで生存してきたのだった。
人類の存続というもうすこし大きな目でみてみると、もうひとつ大切なことがある。それは子どもを生み、育てるということであって、このことがなければ、どんなに生産力が発展しても、人類は滅亡する。生産と生殖は人類が生きつづけるためにはどうしてもやめることのできない基本的な営みであり、それは原始社会であろうと資本主義社会であろうと、あるいは未来の共産主義社会においてであろうと、永遠に変わらない営みである。そしてこの永遠に変わらない人類の営みが社会という集団のなかでうけつがれてゆくということにも、変わりはない。人間はそのはじまりのときから永遠の未来にいたるまでひとりでは生きてゆけない存在なのだ。
いまの世の中でも私たちの生活が集団的な労働に支えられていることに、まったく変わりない。ただこの集団は身近なところに目にみえて存在しないことが多くなり、むしろ生活に必要な品物をつうじて結びつくようになっている。私たち日本人が食べているパンの材料はアメリカ産の小麦であり、牛肉もまたアメリカ産かもしれない。暖房用のストーブの石油はたぶんイランやイラクなどからはこばれてきたものだろうし、私がいま原稿を書いている原稿用紙もカナダ産の木材が原料であるかもしれないし、着ている洋服の原料はオーストラリア産の羊毛であろう。
私たちは日本中の人びとだけでなく、世界中の人びとと、品物をつうじて結びついているのであり、世界全体が分業と交換によって結びつくひとつの集団になっているのである。それだけ、直接のつながりはうすくなったけれども、間接のつながりはひろがったのだ。いまの世の中では、「ひとりでは生きてゆけない」どころか、「ひとつの国だけでは生きてゆけない」ほどに、世界が結びあわされているのである。「世界をつなげ花の輪に」という歌があるが、じっさいに世界をつないでいるのは「花の輪」ではなくて生産物の取引の輪なのだ。
(浜林正夫著「社会を科学する」学習の友社 p19-22)
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九の一
「経済学は英国の学問にして、英国は経済学の祖国なること、たれ人も否むあたわざるの事実なり」(福田博士の言)。今その英国に育ちたる経済学なるものの根底に横たわりおる社会観を一言にしておおわば、現時の経済組織の下における利己心の作用をもって経済社会進歩の根本動力と見なし、経済上における個々人の利己心の最も自由なる活動をもって、社会公共の最大福利を増進するゆえんの最善の手段なりとなすにある。
しかるに、元来人は教えずして自己の利益を追求するの性能を有する者なるがゆえに、ひっきょうこの派の思想に従わば、自由放任はすなわち政治の最大秘訣であって、また個人をしてほしいままに各自の利益を追求せしめおかば、これにより期せずして社会全体の福利を増進しうるということが、現時の経済組織の最も巧妙なるゆえんであるというのである。
すなわち現時の経済組織を謳歌し、その組織の下における利己心の妙用を嘆美し、自由放任ないし個人主義をもって政治の原則とすということが、いわゆる英国正統学派の宗旨とするところである。さればいやしくも現時の経済組織の下において、多少にても国家の保護干渉を是認し、利己心の自由なる発動になんらかの制御を加えんとするかの国家主義、社会政策のごときは、これを正統学派より見れば、すなわちいずれも皆異端である。
個人主義者はすなわち説いていう。「試みにヨーロッパの世界的都市にきたりて見よ。そこには幾百万の人々が毎朝種々雑多の欲望をもって目ざめる。しかるに大部分の人々はなお深き眠りをむさぼりつつある時、はや郊外からは新鮮なる野菜を戴せた重い車をひいて都門に入りきたる者があるかと思えば、他方には肥えたる牛を屠場に引き入れつつある者がある。
パン屋ははや竈(かまど)をまっかにして忙しそうに立ち働いているし、乳屋は車を駆って戸々に牛乳を配達しつつある。かしこには馬車屋が見も知らぬ客を乗せて疾走しているかと見れば、ここには来るか来ぬか確かでもない顧客を当てにして、各種の商店が次第次第に店を開き始める。かくて市街はようやく眠りよりさめ、ここにその日の雑踏が始まる。
今この驚くべき経営により、幾百万の人々が、日々間違いなく、パンや肉類や牛乳や野菜やビールやぶどう酒の供給を受けて、他事にその生活を維持し行くを得るは、そもそも何によるかと考えみよ。ひっきょうは皆利己心のたまものではないか。いかに偉い経常者が出て、あらかじめ計画を立てたとて、数百万の人々の種々雑多の欲望をば、かくのごとく規則正しく満たして行くということは、到底企て及ぶべからざる事である。」(ラング氏『唯物主義史論』中の一節を借る)。
個人主義者はかくのごとく観ずることによりて現代の経済組織を謳歌するのであるが、げに今の世の中は、金ある者にとりてはまことに重宝しごくの世の中である。(十一月十五日)
九の二
げに今の世のしくみは、金ある者にとっては、まことに便利しごくである。現に私のごとき者も、多少ずつの月給をもらっているおかげで、どれだけ世間のお世話になって便利を感じておるかわからぬ。まず手近な食物について考えてみても、何一つ私は自分に手を下して作り出した物はない。
私は春が来ても種子をまく心配もせず、二百十日が近づいても別に晴雨を気にするほどの苦労もしておらぬのに、間違いなく日々米の御飯を食べることができる。その米は、私の何も知らぬうちに、日本のどこかでだれかが少なからぬ苦労を掛けて作り出したものである。それをまただれかがさまざまのめんどうを見て、山を越え海を越え、わざわざ京都に運んで来てくれたものである。また米屋という者があって、それらの米を引き取って精白し、頼みもせぬに毎日用聞きに来てくれるし、電話でもかければ雨降りの日でもすぐ配達してくれる。
かくのごとくにして、私はまた釣りもせずに魚を食い、乳もしぼらずにバタをなめ、食後には遠く南国よりもたらせし熱帯のかおり高き果実やコーヒーを味わうことさえできる。呉服屋も来る、悉皆屋(しつかいや)も来る。たとい妻女に機織りや裁縫の心得はなくとも、私は別に着る物に困りはせぬ。今住んでいる家も、私は一度も頼んだことはないが、いつのまにか家主の建てておいてくれたものである。もちろんわずかにひざを容るに足るだけのものではあるが、それでも庭には多少の植木もあり、窓には戸締まりの用意までしてある。
考えてみると、私は私の一生を送るうちに、否きょうの一日を暮らすにつけても、見も知らぬおおぜいの人々から実に容易ならざるお世話をこうむっているのである。しかしこれは私ばかりではない。私よりももっとよけいの金を持っている者は、広い世間に数限りなくあるが、それらの人々は一生のうち、他人のためには一挙手一投足の労を費やすことなくとも、天下の人々は、争うて彼に対しさらにさらに多くの親切を尽くしつつある。
そこで金のある人は考える。今の世の中ほど都合よくできているものはない。だれが命令するでもなく計画したのでもないのに、世界じゅうの人が一生懸命になって他人のために働くという今日のしくみは、不思議なほどに巧妙をきわめたもので、とても人知をもって考え出すあたわざるところであると。ここにおいてか、いやしくも現代の経済組織を変更し改造せんとする者ある時は、彼らは期せずしていっせいにかつ猛烈にこれを抑圧する。
しかし気の毒なのは金のない連中である。ことわざに地獄の沙汰も金次第というごとく、金さえあれば地獄に落つべきものも極楽に往生ができるが、金がなくては極楽にゆくべきものも地獄に落ちねばならぬのが、今の世の中である。先ほども私は、世界じゅうの人が集まって私を親切にしてくれるとお話ししたが、しかしそれは私が多少ずつなりとも月給をもろうて金を持っているからである。
家賃を滞らせば、ただ今の親切な家主も、おそらく遠からず私を追い出すであろう。一文もなくなったら、私は妻子とともに、この広い世界に枕を置くべき所も得られぬであろう。私の寝ているうちに、毎朝早くから一日も欠かさずに配達してくれた新聞屋も牛乳屋も、もし私が月末にその代価を払わなくなったら、とてもこれまでのように親切にしてくれぬであろう。げに金のある者にとっては、今の世の中ほど便利しごくのしくみはないが、しかし金のない者にとっては、また今の世の中ほど不便しごくのしくみはあるまい。(十一月十六日)
(河上肇著「貧乏物語」岩波文庫 p93-97)
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◎「金のある人は考える。今の世の中ほど都合よくできているものはない。だれが命令するでもなく計画したのでもないのに、世界じゅうの人が一生懸命になって他人のために働くという今日のしくみは、不思議なほどに巧妙をきわめたもので、とても人知をもって考え出すあたわざるところであると。ここにおいてか、いやしくも現代の経済組織を変更し改造せんとする者ある時は、彼らは期せずしていっせいにかつ猛烈にこれを抑圧する。」