学習通信041217
◎「子供の体力の低下……憂慮すべき事態だ」と
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ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニクが剰余労働にたいする渇望の積極的表現であり、その各条項がそれを合法化したものであるとすれば、イギリスの工場諸法は同じ渇望の消極的表現である。これらの渋柿は、国家の名によって!──しかも資本家と地主との支配する国家の側から──労働日を強制的に制限することにより、労働力を無制限にしぼり取ろうとする資本家の熱望を取り締まる。
日々ますます威嚇的にふくれ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノを注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行なわれたのである。この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。ここでは、周期的な流行病が、ドイツおよびフランスにおける兵士の身長低下(※)と同じように、そのことを明瞭に語ったのである。
※「一般的には、有機体がその種の平均的大きさを超えることは、ある一定の限界内では、その有機体の繁栄を証明する。〔……〕人間については、自然的事情によるにせよ社会的事情によるにせよ、その繁栄がさまたげられるときは、その身長が低下する。〔……〕徴兵制がしかれているすべてのヨーロッパ諸国では、その実施以来、成年男子たちの平均身長が、また全体的に見て彼らの兵役適格性が低下した。
革命(一七八九年)以前には、フランスでの歩兵の合格最低限は一八五センチメートルであった。一八一八年には(三月一〇日の法律では)一五七センチメートル、一八三二年三月二一日の法律によれば一五六センチメートルであった。フランスでは、平均して、半数以上が身長の不足および身体的欠陥のために不合格となった。ザクセンでは徴兵の合格身長は一七八〇年には一七八センチメートルであったが、いまでは一五五センチメートルである。
プロイセンでは、それは一五七センチメートルである。一八六二年五月九日付の『バイエルン新聞』におけるマイアー博士の報告によれば、九年間の平均で、プロイセンでは一〇〇〇人の徴募兵のうち七一六人が兵役に不適格──三一七人は身長不足のため、三九九人は身体的欠陥のため──であることが判明した。………ベルリンは、一八五八年に補充兵の応召兵員を提供することができず、一五六人が不足であった」(J・v・リービヒ『化学の農業および生理学への応用』、一八六二年、第七版、第一巻、一一七、一一八ページ)。
(マルクス著「資本論A」新日本新書 p406-407)
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体力・運動能力
中高年「若返り」
子どもの低下続く
日ごろからよく運動やスポーツをする小学生と、あまりしない小学生では、年齢が進むにつれて体力の差が開くことが十日、文部科学省の体力・運動能力調査で分かった。中高生では睡眠時間の長さや朝食を毎日取るかなど、生活習慣が体力に影響していることも判明。中高年は五年前に比べて体カが向上し、元気な中高年と体力が低下し続ける子供という構図が浮かび上がった。
調査は昨年五--十月、六歳から七十九歳までの男女約七万四干人を対象に実施。約七万二千人の調査票を回収した。
小学生が運動やスポーツをする頻度と体カや運動能力との関係では、八項目について記録を得点化。六、八、十一歳の時点で週に平均一日以上運動する子供と、週に一日未満かまたは全く運動しない子供を比較した。
その結果、男女とも、六歳時点では運動やスポーツを週にどの程度するかによって得点差はほとんどないが、八歳、十一歳と年齢が進むにつれ、八項目すべてで、よく運動する子供があまりしない子供を引き離している。特に、十一歳時点の二十bシャトルランでは男女とも得点差が大きい。
調査に協力した順天堂大の青本純一郎副学長(運動生理学)は「運動やスポーツをする頻度と体力の格差は、子供の発育とともにはっきりしてくる」と指摘する。
また中高生(一二--十七歳)の体力や運動能力と生活習慣との関係も調査。八項目の得点を睡眠時間別にみると、一日の睡眠時間が「六時間未満」と「六時間以上八時間未満」の生徒の得点が「八時間以上」の得点を上回った。朝食に関して、中学生では明確な差はないが、高校生は男女とも「毎日食べる」の得点が「時々欠く」「全く食べない」を上回った。
睡眠時間について青本氏は「八時間以上の中高生には夜更かしをして朝起きられないなど不規則な生活をしている子供が含まれているのでは」と推測。朝食については「食物の栄養は食後に活動することで吸収がよくなり、筋肉などの発達につながる」と説明する。
一方、中高年(四十--七十九歳)の得点を五年前と比べると、ほとんどの年代で現在の得点の方が高かった。
また四十--八十四歳について、個人の体力の充実度を年齢ごとの平均値に当てはめて表す「体力年齢」を五年前と比べたところ、実際の年齢より体力年齢が若い人の割合が多くなっていた。青本氏は「運動しなければならない、という意識が中高年の生活に根付いている」と分析する。
全体を通じては「子供の体力の低下に歯止めがかからず、憂慮すべき事態だ。子供任せにするのではなく、大人が子供に運動するように導くべきだ」と指摘している。
(日経新聞 041011)
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三の三
ちょうど南ア戦争の終わる少し前、一九〇二年の初めに英国の陸軍少将フレデリァク・モーリス氏は『コンテンポラリー・レガヴェウ』という雑誌に「国民の健康」と題する論文を公にし、その中において、今日英国の陸軍における志願者はだんだん体格が悪くなりて、五人の中でやっと二人だけの合格者を得るにとどまるありさまであるが、「この五と二との間に横たわる意味を研究するということは実に今日国家死活の問題である。
そは陸軍軍人の大部分を供給すべき階級の人々の体格が、今日かくのごとき割合において退化しおるということを意味するのであるか。もししかりとすれば、この恐るべき事態の原因はそもそもなんであるか。それははたして救済しうべき事がらであるか」という意味のことを論じたことがある。
この論文は当時大いに朝野識者の注意を喚起し、これがためまず第一に問題にされたのは、学校の体育に何か不充分な点があるのではないかということであった。そこで国王は直ちに委員を任命して大学以下各種の学校に通じ、体育上いかなる改良が必要であるかを調査さすことにしたのである。
ところがその委員会でだんだん調査してみた結果、ついに発見された事がらは、少なくとも小学教育の範囲では、問題は学校における体育上の訓練が足りぬという点にあるのではなくて、全く児童の食事が足りておらぬという点にあることがわかった。
たとえばエディンバラ市のある区のごときは、児童の約三割のものが営養不足の状態にあるが、こういう子供に学校で過激な体操をさすのは、児童の発育上ただによい結果をもたらさぬのみか、かえって害を生じつつあることがわかった。すなわち軍人の体格が次第に悪くなるというおもな原因は、次の時代の国民を形造るべき児童の多数が貧乏線以下に落ちておるためだという事がわかったのである。
この一例でもわかるように、一見すればほとんど経済問題となんらの関係なきがごとく見ゆる問題でも、よく研究調査してその根原にさかのぼってみると、大概の問題が皆経済という事と密接な関係をもっておるのである。今日の世の中には、いろいろむつかしい社会上の問題が起こっているけれども、その大部分は、われわれの目から見ると、社会の多数の人が貧乏しているがために起こるのである。
ホランダー氏は一昨年(一九一四年)公にしたる『貧乏根絶論』の巻首に「社会的不安は二十世紀の生活の基調音である。この不安はいろいろの方面に明らかに現われて来ている。産業上の諸階級間の不平、政党各派の紛擾(ふんじょう)、輿論(よろん)の神経過敏、経済上の諸調査の専心に行なわれつつあること等はすなわちそれである。……しかしながら、その根本の原因はどこでも同じことなので、すなわち貧乏の存在とその痛苦にほかならぬ。これが社会的騒擾(そうじょう)の中心であり中核である」と述べているが、余も全く同感である。
昔孔子は「足食、足兵、使民信之矣<食を足し、兵を足し、民をして之を信ぜしむ〉」と言われたが、考えてみるとまことに食を足すということは政治の第一要件である。食を足してしかる後始めて強い軍人を養成して兵を足すこともできれば、また教育道徳を盛んにして民をしてこれを信ぜしむということもできるのである。世には教育万能論者があって、何か社会におもしろくない事が起こると、すぐに教育者を責めるけれども、教育の力にもおのずから限りがある。
ダントンの言ったことばに「パンののちには、教育が国民にとって最もたいせつなものである」ということがあるが、このパンののちにはという一句は予約の重みがある。教育はまことに国民にとってたいせつなものではあるが、しかしその教育の効果をあげるためには、まず教わる者に腹一杯飯を食わしてかからねばならぬ。いくら教育を普及したからとて、まずパンを普及させなければだめである。(九月二十五日)
三の四
今より十年前すなわち一九〇六年、かの英国において「食事公給条例」なるものが議会を通過するに至ったのも、ひっきょうは前回に述べたるごとく、モーリスの論文が世間の注意をひいて以来、種々の調査研究の行なわれた結果、食物の良否が国民の健康に及ぼす影響のきわめて甚大なるものなることが、次第に発見されたためである。
この条例は、貧乏な小学児童に公の費用をもって食事を給与するということを各地において実行するがために設けられた法律である。今その規定の詳細に至っては、私はここにこれを説くの必要を認めぬが、ただそのだいたいの精神を伝えることは、この物語を進める上にすこぶる便利だと考える。
試みにこの法律案が議会に提出された時の議事録を見るに、一九〇六年三月二日下院の議場においてウィルソン氏の試みたる原案賛成演説には、次のごとき一節がある。
「諸君の中には、今日児童の大多数が食物なしに、または営養不足の状態の下に、通学しつつある事を否認さるるかたはあるまい。今この法律案の目的とするところは、すなわちかかる児童に向かって食事を給与せんとするにある。けだし児童養育の責任を有する者の何人なるべきかについては、もちろん諸君の中に種々の異説があるであろう。すなわち諸君のうちある者は、自分の子供を養うのは親たる者の義務ではないかと言うかたもあろう。しかしながら、もしかくのごとき論者にして、これら両親のある者の現に得つつある賃銭の高を考えられたならば、彼らがその家族に適当なる衣食を供給すという事の、絶対に不可能事たることを承認さるるであろう。……」
「私は諸君がこれをば単に計算上の損得問題として考えられてもさしつかえないと思う。これは必ずしも人道、慈悲ということに訴える必要のない問題だと考える。けだしいろいろな肉体上及び精神上の病気や堕落は、子供の時代に充分に飯を食べなかったという事が、その大部分の原因になっているのである。さればもし国家の力で、飢えつつ育ったという人間をなくすることができたならば、次の時代の国民は皆国家社会のため相当の働きをなしうるだけの人間になって来るので、そうなれば今日国家が監獄とか救貧院とか感化院とか慈善病院とかいろいろな設備や事業に投じている費用はいらなくなって来るのであって、かえってそのほうが算盤の上から言っても利益になるのである。」
「人あるいは、かかる事業はよろしくこれを私人の慈善事業に委(い)すべしと主張するかもしれないが、私は、このたいせつな事業を私人の慈善事業に一任せしこと、業(すで)に已(すで)に長きに失したと考える者である。私は満場の諸君が、人道及びキリスト教の名においてこの案を可決されん事を希望する。」
もちろんこの案に対しては反対演説も行なわれたが、煩わしいからそれは略して、今一つ時の教育院総裁ビレル氏が同じ日の下院議場で述べた演説の一節だけついでに次に書きしるす。
「私は考える、諸君の大多数は人の親であり、諸君のすべてはかつて子供であり、また諸君のある者は教師であった事もあろう。そうして、そういう境遇を経られた以上、諸君は、飢えた子供のやせ衰えた者に宗教上または学問上の事がらを教えようとする事の、いかに残酷な所業であるかを承知されているはずだと思う。かくのごとき児童に物を教えるため租税で取り立てた金を使うのは、公金を無益に浪費するというものである。……だから今ここに飢えたる児童がいるとすれば、まずそれに物を食わしてやるか、しからずんばその者の教育を断わるかのほかに道はない。しかし私は文部の当局者としてのちの方法を採るわけにはゆかぬ。……」
原案提出者及び賛成者の意見はだいたい上述のごとくであるが、その趣旨は議会において多数の是認するところとなり、さらに国王の裁可を得て、同年(一九〇六年)の十二月二十一日にいよいよ法律として公布さるるに至ったものである。
(河上肇著「貧乏物語」岩波文庫 p42-47)
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◎「この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。」