学習通信041207
◎「まねはまねのために必要なのではない」と。

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 まちがえたからということではなく、稽古ではうまくできていたものなのに、なぜ本番では力が出せないのだ、ということだったと思います。自信があったのにうまくいかなかった、という自分自身への悔しさもあって、つい殴ってしまったのではないかと思います。泣いた私を、祖父がなぐさめてくれました。

 以後も、高校生ぐらいまでは、殴られることもよくありました。扇でさんざんに殴られて、扇が折れてしまったこともあったぐらいです。

 母親はそんな状況でも、芸のことにはロを出さないのが鉄則です。子どもをかばうこともありません。それでも、私は、つらいと感じるというよりは、しつけが厳しいようなものだと受け止めていました。ほかの親子関係は知りませんから、比べようもありません。

 子どものころに父からいわれたことで、もっとも印象に残っているのは、「とにかく一生懸命、萎縮せずに大きな声でやれ」ということです。繰り返し練習することで型はできるようになっている、本番ではその型に自分というものを注入する、ということでしょう。

型のために型に忠実であるのではなく、型を身につけてしまえば、型はむしろ自分に忠実なものとなり、自然にできるはずだという考えだと思います。

 思い返してみると、稽古は強制されるものにすぎず、伝承されてきた基本の型にはめこまれる狂言を、窮屈なものだと感じていました。ただ、舞台で演じること自体は、小さいころから窮屈だと感じたことがなかったように思います。

稽古は厳しくて、型以外のことをやったらものすごく叱られる。けれども、舞台の上では、詰め込まれたものを一気に発散させるような爽快さを感じられたからです。

 子ども時代から、お客さまが笑ったなら、じゃあ、もっと笑わせてやろう、と考えるようなところがありました。稽古のときには型にがんじがらめになっていて、舞台ではどういうことになるのか、まるでわからない。予測もできないし、予測するほど熱心にやる気もないし、といったところです。それが本番になると、しょうがねえゃと思いながらやってきたものに、客席から生の反応が返ってくる。そこから楽しさや快感を得るようになっていったのです。(p32-33)

 『三番曳』は、「舞う」とはいわず「踏む」というぐらい、激しい足拍子の多いエネルギッシュな曲です。近代スポーツ、たとえば私のしていたバスケットボールなどでは、ジャンプしたりシュートしたりするためには、膝がやわらかくなければいけません。

しかし、狂言では、膝がやわらかいと、舞台上での基本的な歩き方である摺り足をするのに、膝のちょうつがいがぶれてしまって身体がゆれてしまうのです。『三番曳』はたいへん武闘的な要素が強く、身体のぶれをもっとも嫌う曲のひとつです。このときには、数ヵ月の間、「バスケット禁止令」が出ていました。

 舞台は国立能楽堂だったのですが、当時はまだ新しくて、木がよく枯れていなかったため、音があまり鳴りませんでした。それでも家の稽古場と同じぐらいの音が返ってくるように、無理やり強く足拍子したため、かかとが真っ青に内出血して、次の日には歩けなくなってしまいました。

しかし、この曲は理屈抜きに躍動する、神事ともいえる舞なので、何かに踊らされているともいうような、身体が勝手に躍動していくような感覚を得ました。体内のエネルギーを発散しつくしたような爽快さも感じました。

 『三番曳』を抜くということは、身体を完全にコントロールできるようになるまで訓練するということです。技術的にも飛躍的に伸びました。ちょうど、運転免許を取って世界が広がるような感じでしょうか。技術が伸びていくことが実感できるのは、自分としても楽しいことです。

押しつけられるものにすぎなかった型にも、やり方がいろいろあるということ、また、型というもの自体の深さ、奥がわからないくらいのブラックボックス的なところなどもわかってきました。受け継がれてきたものに、現代人である自分が交信してゆくような手応えを感じるようになったのです。

 この『三番曳』で狂言のおもしろさに目覚め、以後は稽古にも積極的に取り組むようになっていきました。狂言師として、大きなステップアップのきっかけとなった曲です。いまでも『三番曳』は、自分のキャラクターに合った得意な曲として、たびたび踏んでいますし、今後も踏みつづけていきたいと思っています。(p42-43)
(野村萬斎著「萬斎でござる」朝日文庫)

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「まね」について

問題の発端

 「かっこうばかりまねたって、だめなんだ」とA君がいった。みんながB君のほうをむいて笑い、B君が口をとがらせた。
 A君は知らなかったが、ついさっきまで、みんなでB君のことをからかっていたのだった。B君は、サークルの先輩C君をたいへんに尊敬している。そのせいか、B君のもののいいかたが、さいきんはC君そっくりになってきたというのだ。歩きかたや字までが似てきたという人もいた。
 「そういえば、ほんとにそうね」

 そこへA君がやってきて、話は全然べつのことだったが、問題の発言をしたのだった。
 「ごめん、君のことをいったわけじゃないんだよ」と、事情をきいたA君があわてていったが、
いっそうみんなは笑い、B君はいっそう口をとがらせた。

 A君からその話をきいて、私も笑ってしまった。しかし、A君は笑わなかった。「B君にわるいことをいってしまったんじゃないだろうか」というのだ。
 B君のことは、私も知っている。私の大好きな青年の一人だ。C君のことも、ある程度知っている。B君が尊敬するのはもっともだと思う。そしてA君のまじめさは、私をふくめてA君を知るすべての人が一致して認めるところだ。
 そのまじめさをむきだしにして、A君がいった。
 「まねるって、いったいどういうことなんでしょうね」

ニセモノの弁

 そこで辞書をひいてみた。「まね」とは漢字で「真似」と書く。ホンモノそっくりに似せること、とある。
 それでは「似せる」とはなにか、とつづけて辞書をひいてみると、まず「似る」とは「ものの形や性質が見た目にそっくり同じである」ということで、「似せる」とは「似るようにすること」をいうのだが、そこから「ホンモノのように見せかけること」という意味にもなる、とある。
 「ニセモノ」というのは、これだろう。「ニセモノ」は「マガイモノ」ともいう。「マガイ」とは、本来、目がチラチラするほどに入りみだれる、という意味で、つまり「マガイモノ」とは、ついホンモノと見ちがえるようなもののこと。

 似せかたに不足があるばあいには「モドキ」という。植物の名まえなんかによくある。たとえば、ウメモドキ、サフランモドキ。動物にもある。たとえば、ハラビロカマキリモドキ。要するに「モドキ」とは「うまくマネできないながらマネをすること」「似て非なるマネをすること」だ。
 「とにかくそうすると」とA君がいった。「やっぱりマネというのは形の上だけのことになるんでしょうか」
 「そうだろうなあ、たとえばニセ札や真珠のイミテーション……」といいかけて、ふと気がついた。

 いや、かならずしもそうとばかりはかぎるまい。たとえば、新選組の近藤勇が愛用した刀。あれはたしか、虎徹といった。ところが、その虎徹は、じつはニセモノであったらしいのだ。そこで、新選組の保護をうけたある豪商が、お礼にホンモノの虎徹を近藤におくった。けれども、そのホンモノの切れ味はニセモノにおよばず、近藤はさいごまでニセモノのほうを愛用しつづけたという話がある……。

学習の弁

 思いだした。また『徒然草』の一節だが。
 「狂人のマネとて大路を走らば、すなわち狂人なり。悪人のマネとて人を殺さば、悪人なり。……
いつわりても賢を学ばんを、賢というべし」(第八十五段)
 兼好法師のころにもストリーキングがあったのかな、とふと思ったが、それはともかく、兼好法師のこのことばは、深い真理をいいあてていると思う。

 「いつわりても」というのは「自分の心をいつわっても」すなわち「無理をしても」という意味にとりたい。ほんとうは、なまけたいのだ。それを無理して賢いもののマネをする。そうして自分を成長させる。それが賢いもののやりかただ、というのだろう。

 そうだ、またことばのせんさくになるみたいだが、マナビ(学び)とは、「マネと同根。教えられるとおりをマネて、習得する意」と辞書にある。マナビはまた、マネビともいう。「マネと同根。興味や関心の対象となるものを、そっくりそのまま、マネて再現する意」とやはり辞書にある。

 「学ぶ」ことはまた「ナラウ」(習う)ともいい、「学」と「習」とを重ねて「学習」という。そして「ナラウ」とは、ナレル、ナラス、ナラワシなどと同根で、「ものごとにくりかえしよく接する」ことをいう。これをふまえて、あの兼好法師のことばの意味を改めて考えてみれば、「無理をしても賢い人のマネをしつづけ、ついにそれがならい性となるところまでいく、それが賢い人というものだ」ということになるだろう。

 『イミタチオ・クリスティ』という、中世キリスト教の古典がある。『キリストのまねび』と訳される。「イミタチオ」とは、英語のイミテーション。こんなイミテーションもあるわけだ。

模倣と独創

 「それはわかるけど」とA君がいった。「でも、イミテーションだけでは、自分というものがなくなるんじゃないでしょうか」
 そうだ、また思いだした。大隈言道という人がいた。「江戸末期の歌人。福岡の人。前代模倣の歌風にあきたらず、自ら一派をひらく」と『広辞苑』にある。その大隈言道に、こんな文章があった──

 「わがものをよまんとすれば異体になり、異体ならじとすれば古人のものとなる。歌のかたきところなり。さはれ、古人の歌いくつよみたりとて、よまざるも同じ。生涯歌なくて歌よみなるは悲しむべし」(『こぞのちり』)

 そのとおり、と心から思う。私も、たとえばマルクスをなぞるだけで、一生そこから一歩もふみだせない、そんなマルクスよみには断じてなりたくない、と思う。

 しかし──マルクスのまねびなくして、そういう一歩をふみだすことがはたしてできるだろうか?

 子どもは、おとなの模倣からはじめる。ことばを身につけることだってそうだ。どんなことばの達人も、はじめはおとなの口まねからスタートしたのだ。どんな独創の能力も、模倣の努力のつみ重ねを無視して身についたためしはたえてあるまい。

 まねはまねのために必要なのではない。まねをこえるためにこそ、必要なのだ。

フォームの弁

 まねることができるのは、直接には形だけであるかもしれない。だが、形はなかみとはなれてあるものではない。

 野球の訓練は、フォームの学習からはじまる。極言すれば、それに終始するとさえいえるらしい。内容の訓練は、それをつうじておこなわれるのだ。

 柔道でもそうだ、と『姿三四郎』の富田常雄氏がある随筆で書いていた(「読売新聞」一九六三年四月二十日)。「そのフォームを見ていると、守りと、敵にわざをかけるための作りのタイミングが合っているような熟練者の姿勢はまことに見事であり、わざも切れれば、いわゆるキレイな柔道になっている」と。

 相撲でもそうだ、とも氏はつづけて書いていた。「前ノ山という力士は斜めに構えて仕切り、だれと相撲うのやら、あるいは行司とやるつもりではないかなどといわれ、珍妙を売りものにしていたが、幕にはいったのはつかのまで、消えてしまった」と。

 そこで、B君の場合だが、B君はけっして意識して、C君の口ぶり、歩きぶり、字体をマネしているわけではあるまい。が、おのずからそれらまでが似かよってくるほどに、B君はC君を見ならっているわけだ。C君にうちこんでいる──自分を同化させている、といってもいい。

 「そうやってB君は、新しい自分というものを育てているわけですね」とA君がいった。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p214-219)

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◎「型のために型に忠実であるのではなく、型を身につけてしまえば、型はむしろ自分に忠実なものとなり、自然にできるはずだという考えだと」「受け継がれてきたものに、現代人である自分が交信してゆくような手応えを感じるようになった」……。

「まねはまねのために必要なのではない。まねをこえるためにこそ、必要なのだ」と。