学習通信040827
◎──世界観の「背骨をかたちづくるものがつねにその社会的・階級的・政治的意識だということ」……と。

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だから私は政治を好まない

「まつりごと」の変容

 総理大臣が卒中で倒れて、代替わりをした。そうしたら、今度は選挙だという。通勤時間に駅に行くと、演説が連日やかましい。
 以前から私は政治が苦手である。それはなぜか、ときどき考えるが、よくわからない。駅前がやかましいからという理由だけではないと思う。

 政治の大切な一面は「まつりごと」であろう。まつりごとなら、いってみれば儀式である。ところがそれがある時期から実質化したらしい。政治は自分の利害に関わる具体的な問題だ。いまでは多くの人がそう思っているにちがいない。

 ところがその意味でいうなら、政治は私個人の人生に本質的影響を与えたとは思えない。政権が替わったからといって、研究費がもらえる状況になったわけではない。大学からもらう給料は、働いた月も働かない月も、いつでも標準並みだった。いろいろ考えてみても、政治に「おかげさまで」と申し上げるべき理由が見当たらない。

 政治家にいいたいことといったら、戦後の長い経済成長のあいだに、昆虫採集のできる環境がどんどん減ったことくらいであろうか。これが政治のおかげであるとすれば、政治に恨みこそあれ、感謝の念はない。その怨念をわかってくれるのは、ひょっとすると鳩山邦夫氏か。鳩山氏の蝶好きは有名である。

 石原都知事は人気がある。しかしその理由の一つは銀行への課税、もう一つはディーゼルの排ガス規制である。一方はじつは経済の問題、他方は技術の問題ではないか。結論を先にいうなら、現代社会を動かしているのは、本質的には経済と科学技術であって、政治ではない。政治は要するに両者の邪魔をしているだけのことである。

 五月はヴェトナムに行っていた。ホテルもない田舎町で、飯屋の二階に寝起きしていた。それでもときどきハノイの街に出なければならない。ハノイ市内に新たに日航ホテルができていたから、そこに泊まってみた。飯屋の二階よりはるかに高級である。飯屋からホテルまで送ってきてくれたタクシーの運転手が、なぜこんな高いところに泊まるのかと訊く。私を金持ちと見なすか、貧乏人と見なすか、決めかねているらしい。その判断によって、運転手もチップの要求額を考えなくてはならない。

 ホテルのレストランで食事をしていると、隣のテーブルの話が聞こえてくる。
 「うちの事務所は二十六人いるが、お前が経費の半分を使っていると、いつも本社からいわれている」
 日本人一人の給与が、ヴェトナム人二十五人分に相当するらしい。

 国境があるからこういうことになる。これも政治が経済を妨害している典型であろう。共産国家は政治思想が優先である。そんなことをいったって、共産主義思想とは、アジア諸国が目の敵にする植民地主義旺盛なりしころの、つまりは十九世紀西欧に発するイデオロギーではないか。そんな時代遅れの考え方を、中国もヴェトナムも北朝鮮も後生大事に抱えているから、社会がおかしくなる。日本の政治家もメディアも、はっきりそういってやればいい。

 国境に自動小銃を持って張りついている兵士の頭の上を越えて、チェルノブイリの放射性物質が飛んでいった。これはほとんどマンガだったが、政治はそれをマンガとは思わなかったらしい。だれも笑わなかったらしいからである。笑った政治家がいたとすれば、なかなかの大物であろう。

──略──

 ハノイの街で大学生と話をした。道で話し掛けてくるから、しばらく相手をしていた。気になる咳をするから、結核だといけないから医者に行けといった。そうしたら、医者代をくれという。ここは共産主義国家だろうが。国民の健康と福祉は政府が守るはずじゃあないか。資本主義国家の手先に医者代をくれとはなんだ。そういったら、友達ともども鼻の先で笑っている。この国では医者は腐敗している。そういうのである。

 なぜ国民のためのはずの政治が、現に共産国家で見るような、おかしな形になってしまうのか。これはあまりにも素朴な疑問だが、これだけ歴史を積み重ねてきた人類が、人民のための政治くらい、本気でできないはずがなかろう。人間の考え方のなにかが、それを妨害しているのである。

 たかが虫捕りだって、政府の方針が変われば、すぐにやかましくなる。たとえば虫を捕ってはいけないといい出す。現にヴェトナムがそうなりつつある。その一方で、平気で森を伐採する。ヴェトナムに残っている森なんて、もはや国土のほんのわずかに過ぎない。だから虫を保護しようと思うのであろうが、森さえ残っていれば、虫なんて人間が捕りきれるものではない。

 ヴェトナムの医者で思い出した。日本では、政治家に二代目が多いのは周知の事実だが、選挙に立候補する医者も多くなった。私の選挙区では、大学の後輩の医師が立候補したし、隣の選挙区でも同じことが起こった。

 昔は「下医は病をいやし、中医は人をいやし、上医は国をいやす」といった。医者の立候補が多いということは、「国手」(名医をさしていうことば)が増えたということであろうか。

 ところが私の卒業した大学の医学部では、国家試験合格者がついに八割を割ったという。医療事故は頻々と伝えられて止まるところを知らないという勢いである。医師たるもの、片々たる患者の診療よりは、国家社会の診療に尽くしたいということらしい。日本のロケットが飛ばないわけである。

──略──

 今度はロマンで思い出した。『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク著、新潮社)というドイツの小説である。ドイツ語では小説はロマンだが、これは久しぶりにロマンを読んだという気がした。主人公の恋人は年上の女で、じつは強制収容所の看守だったのである。だれかが、いつか書かねばならなかった小説である。強制収容所の看守もまた人間だった。それを文章でただこう書いても、だれも納得しない。小説にすれば、みごとに納得できるのである。

 ナチの悪業を告発する話はいくらもある。それがいけないというのではない。しかしそれだけでは人間のことはわからない。アウシュヴィッツを生き延びた精神科医ヴィクトル・フランクルヘのインタヴューを、かつてテレビで見たことがある。インタヴュアは若い人だった。ナチヘの告発が順にあるから、プランクルヘの質問が的が外れてしまう。フランクルはだれかを告発しようなどとは、むろん考えていない。私はイライラしてテレビを消した。

 フランクルはもっと深く、人間を考えた人だった。私はそう思う。ナチの行為もまた、人間の行なった行為である。それならどういうときに、どういう人が、どういう状況でああいうことをするのか。そもそも人はそれを「理解」できるのか。『朗読者』という小説は、そうしたことを考えさせる。だからだれかが書くべき小説だった。社会が殺人を禁止していったい何世紀になるか。禁止し非難し告発したら、そういうことはなくなる、そんな簡単なものではないことは、わかりきっている。

 ホロコーストも同じであろう。最近でいうなら、大虐殺を行なったポル・ポト政権を背後から支えたのは、中国ではなかったか。それが「政治」であろう。その政府が、他方では南京大虐殺について、あれこれなにかをいう。政治とはそういうものだ。そう思うから、私は政治を好まない。それは私個人の勝手である。(二〇〇〇年八月)
(養老孟司著「「都市主義」の限界」中公叢書 201-208)

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政治と哲学

 ところで、マルクスがプルードンについて指摘している道徳的無節操とは、その実態において政治的無節操と別のことではなかった。そしてこれは、プルードンの場合がたまたまそうであったという性質のものではない。道徳・倫理の問題の現実の重心をなしているのは、事実上、政治の問題なのである。──階級社会において社会生活を現実に統率しているのが政治である以上、そうならざるをえないのだ。

 このことは、世界観の「背骨をかたちづくるものがつねにその社会的・階級的・政治的意識だということ」をも意味するものである。

 道徳といい、倫理といい、それはもともと社会、政治からきりはなされたものとしてのたんなる個人道徳、個人倫理を意味するものではなかった。何よりもそれは、社会的・政治的な行為規範を中軸とするものであった。古くはすでにソクラテスにおいてそうであり、もっとも典型的にはヘーゲルの倫理学説においてそうであった。

 「社会、政治からきりはなされたものとしてのたんなる個人道徳、個人倫理」など、じつはありえないのである。そういうものが主張される場合、それはじつは既存の社会的・政治的秩序を暗黙の前提としているものであることが注意されねばならない。

 そこで、政治的な立場と個人生活とが矛盾するという場合も、それは道徳的な矛盾であると同時に、政治的な矛盾そのものともなってくる。政治上革新的な立場に立つものの個人生活における不品行が、それ自身政治的な意味をもって反動勢力のつけこむところとなる、ということもおきてくる。

 世界観における首尾一貫性、すなわち認識の節操と、道徳的節操と、政治的節操とは、事実上三位一体のものだということになる。

 「たとえていえば哲学があるかないかが、彼が転向するかしないかという品行を決定するのだ」と戸板潤はいった。

 中江兆民も『一年有半』(明治三四年)において、同一の認識を示していた。すなわち、そこで兆民は、「政治において主義なく、党争において継続なき」政治家の無節操を痛罵しながら、そのよってきたるところを哲学の欠如に求め、「哲学をもって政治を打破する」ことを遺言として強調したのであった。

 この年、石川啄木は一五歳。彼の短い生涯は、ある意味では「矛盾の化身」としての彷徨そのものであった。この青年は「才気」をも「虚栄心」をもたっぷりもちあわせていた。しかし彼は、「じきに彼自身の矛盾をもてあそぶことをおぼえ」るには、あまりにも自己に誠実であった。すなわち、彼は哲学を求めつづけた。「哲学の実行という以外にわれわれの生存には意義がない」と彼は書いている(「食うべき詩」)。これは兆民の遺言から八年後(明治四二年)に書かれたものであるが、そこで彼は「私は最近数年間の自然主義の運動を、明治の日本人が四十年間の生活から編みだした最初の哲学の萌芽であると思う」とも記していた。

 しかし、同時に啄木は、自然主義の「理論上の矛盾」をもすでに自覚しており、「その矛盾を突っ越し」て「突貫」しようとしていた(「ローマ字日記」同年)。その矛盾とは、自然主義が「旧道徳の虚偽」にたいして「勇敢なたたかい」をいどみながら、そのたたかいのほこ先を「国家」にむけようとはしない、ということだが、これは「ごまかし」であり「きわめて明白な誤謬」であり「卑怯」である、と彼は書いている(「きれぎれに心に浮かんだ感じと回想」同年)。

 こうして啄木は急速に社会主義に傾斜していった。そして、まさにそこのところで、貧窮と病気のために二六歳の生涯を閉じた。

 わが国における科学的社会主義の理論と実践は、兆民や啄木の志をまっすぐにつぐものである。そして、そのようなものとして「哲学の実行」そのものとしての自覚に立つものである。
(高田求著「人間の未来への哲学」青木現代叢書 p10-12)

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政治的天才

 古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。寧(むし)ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅(わず)かに一歩である」と云った。この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

  又

 民衆は大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭(ぜに)をも抛(なげう)たないものである。唯民衆を支配する為には大義の仮面を用いなければならぬ。しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に説することを得ないものである。もし又強いて説そうとすれば、如何なる政治的天才も忽ち非命に仆(たお)れる外はない。つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである。この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとえば昔仁和寺の法師の鼎(かなえ)をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。
(芥川龍之介「侏儒の言葉・西方の人」新潮文庫 p28-29)

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◎小泉という自民党政治家が見えてくるでしょうか。

◎それにしても養老のものの見方と、「社会主義」に対する偏見の矛盾……反共主義者か。ポルポト大虐殺とと南京大虐殺を同列において……「あれこれなにかをいう」この、無節操。……自然観と社会観が一貫していないのだと。