学習通信040818
◎「外に現れないものはないに等しい……」と

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■「見せかけ」の勧め

 では、もっと論理性を身につけるために、日本人はどうすればよいのか。私は手っ取り早い方法として、二項対立思考と型思考と背伸び思考という欧米人の思考法をとりあえずまねて、人前で「知的に見せる」ことだと考える。もっとはっきり言えば、知的に見えるように振舞うことだ。

 まずは欧米の論理を見習って、違いを把握し、二項対立を明確にする。イエス・ノーをはっきりと答え、物事を二項対立に分けて思考する。同時に、欧米人の口調もまねて型思考をしてみる。「理由は三つある。第一に──」といった口ぐせをまね、一見知的に見せる。そして、友人や会社、家庭の人々の前で背伸びをし、自分が知的だということをアピールするように努力するわけだ。

 こう言うと、多くの方が反対するに違いない。まず、「日本人が欧米人のまねをする必要はない。何でも欧米を手本にするのは、欧米かぶれのすることだ」と感じる人が多いだろう。

 だが、思考法だけ欧米人のまねをしたところで、日本人の心を失うことはないと、私は確信している。日本はすでに豊かな文化をもっている。文化弱小国ではない。日本人が心の底から欧米かぶれになることなどありえない。明治時代でさえ、日本は欧米から文化を学びながら、必要なところは欧米を手本にし、それ以外は日本人らしさを守った。これからも、思考法だけまねをすることによって、徐々に、日本人の思考は論理的になるに違いないのだ。そして、日本人は欧米的な論理性を身につけながらも、必要のない部分は上手に加工して、時代に即した思考法を手に入れるだろう。

 もう一つ、私の提言に対して、「表面だけまねて、知的に見せたところで、本当に知的になるわけではない。本当に知的になるためには、しっかりしたホンモノの思考力を身につけるべきであって、知的に見せかけようなどもっとも唾棄すべきことだ。人間、外見よりも内面が大事だから、心を磨け」と反論する人も多いだろう。

 もちろん、そのように言う人の気持ちは私にもよくわかる。外見ばかり気にするのは、人間としてさもしいかぎりだ。

 だが、私は、「表面でなく、ホンモノの思考力を身につけるべきだ。内面を磨くべきだ」という言い方に、かなりの疑問を感じる。どこに「ホンモノの思考力」があるのか、どこに「内面」があると言うのか、形のない「内面」や「心」を、まるでツボや茶器を磨くように、どうやって磨けると言うのか。

 外に現れないものはないに等しい。内面は外に現れてこそ、意味がある。いや、もっと正確に言えば、外に現れてこそ、内面は存在するのだ。外に現れるから、人々は、内面に見えない力が潜んでいると仮定するにすぎない。内面があるから外面があるのではない。内面と外面はつながっている。

 内面を充実させようと思うのなら、具体的には外面を磨くしかないはずだ。外面を磨くことによって内面が充実してくる。したがって、内面を磨くことを教えるのなら、その具体的方法として、外面を磨く方法を教えるべきなのだ。

 外面を磨くことを否定して内面のみを磨くように教えるということは、単に抽象的な精神論の説教にしかならない。日本人を引っ込み思案にし、外国人に理解してもらえなくしているのは、このような外面性を否定する態度だと言ってもいいだろう。

 他者に評価され、「あの人は知的だ」「あの人は思考力がある」と思われるようになってこそ、本当に知的になり、思考力がつく。他者の評価がなければ、自分の思考力に自信がもてない。人に評価され、感心されて、自分の思考力に自信をもてば、もっと思考力をつけることができる。もし、誰にも評価されることを求めず、一人で思考力を磨こうとしても、そもそも長続きするはずがない。

人から評価され、うれしくなってもっと思考力を伸ばそうとする。もっと感心してもらえるようなことを言おうとする。そうすることによって、ホンモノの思考力が養われる。しかも、こう考えることで、誰でも知的になる努力をすることができる。

 もし、目に見えない力を養うとなると、具体的にどうすればよいのかわからない。思考力を高めるといっても、目に見える指標がなく、どのくらい力がついたのかわからない。
 だが、外見をまねることなら、誰でもできる。努力しやすい。達成度もすぐにわかる。そして、外面をまねするうちに、徐々にホンモノの思考力がついてくる。
(樋口裕一著「ホンモノの思考力」集英社新書 p36-39)

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 さて、ロウソクはどんなふうにして作るのでしょうか。糸心こロウソクのことはもうお話しました。今度は鋳型ロウソクの作り方を申しましょう。ここにあるロウソクは鋳型に注ぐことのできるような物質でできていると仮定いたしましょう。

『どうして鋳型に注ぐことができますか』と諸君は質問なさるでしょう。『ロウソクは融解しうる物です、だからとければ注ぐことができます』と答えられそうですが、実は必ずしもそうではありません。

何か実地の仕事において一定の目的を達するに最善の方法を考究していると、予期しなかった事がきわめてしばしばあらわれてくるというのは驚くべきことです。

どんなロウソクでも鋳型で作れるというわけにはまいりません。たとえばワックスはよく燃えてぞうさなくとけますが、ワックスロウソクらは鋳型では造ることができません。或る特殊な方法で造るのです、それは一分か二分で説明できるのですが、それにあまり時間を費してはなりません。次に、注ぐことのできる物質の話に移りましょう。

ここに鋳型をたくさんとりつけたわくがあります。それからこの中へしんを入れます。ここに一本の細い針金からさがっている編んだしんが見えるでしょう、これは切る必要のないしんです。さがっているしんの下は小さな木釘に固定されており、底は液がもれないように閉じてあります。上の方にはしんを鋳型のなかへ緊張して保持するための小さな棒が渡してあります。

そこで、この型の中へいっぱいに獣脂を注ぎ込みます。しばらくたって型がさめたところで余分の獣脂を平らに落し、きれいにします。それからしんの端を切りますからロウソクだけ型のなかに残ります。それをこうやってぐるぐる回しますと出てきます。ロウソクは円すい形、すなわち下の方より上の方が細くなっていますから、それに冷却すると少し収縮しますから、軽く振るとひとりで取れます。

ステアリンロウソクやパラフィンロウソクも同様にして作ります。ワックスロウソクの製法は独特です。ごらんのとおりたくさんのしんを一つのわくにかけ、端には蝋を受けるための小さな金属の帽子をつけます。これを蝋のとかしてあるかまどの近くへ持って行きます。この台はごらんのように回転できますから、職人はこれを回しながらしんの上へ次から次へととかした蝋を注ぎかけて行きます。

一まわり注いで行くと最初に注いだしんの蝋は固まっていますから、その上へさらに注ぎかけます。このようにして相当の厚みの蝋がつくまでこれをくり返して行きます。ここにありますのはそうして作ったロウソクです、またこれはその工程の途中にあるものです。十分の厚さに蝋がつきますと、これをみがいた石の板の上にころがしてなめらかにします。上の端は特殊の形の管を用いて円すい形にとがらせ、下端は切り落します。これがなかなか規則的に行きますから、この方法で一本幾グラムと言ったように思うとおりの大きさにきちんと仕上げることができます。

 しかし、ロウソクの製造にばかり時を費さないで話を本題にもどしましょう。そのまえにロウソクの加工がいかに精巧をきわめているかちょっとお話しようと思います。これらのロウソクの美しい色をごらんなさい。紅紫色や洋紅色のマジェンタ染料やそれから最近の化学染料がみんなロウソクの着色に用いられます。またここにいろんな形をしたロウソクがあります。これは妙なみぞのついた柱の形をしています。またここにありますピーアスオールさんから贈ってくださったロウソクには模様の飾りがありますので、火をともすと花輪の上に太陽が輝いているように見えます。

しかしこの美々しいのはあまり役に立ちません。たとえばこのみぞのあるロウソクは外観はりっぱですが、だめです。こんな形をしているのが悪いのです。それにもかかわらず方々の友人が私に送ってくださったこれらの標本をお目にかけますのは、こういう細工もできるものだということを示したいからです。

しかし、すでに申しましたように、このような精巧なものをうるには実用ということを少しぎせいにしなければなりません。

 次にロウソクの炎に移りましょう。一本か二本火をともして、どんなふうに燃えるか眺めてみましょう。ロウソクはランプとだいぶ違っています。ランプには油を入れる容器があります、その中へこけかもめんのしんを浸して火をともします。炎が油のところまでくるとそこで消えてしまいますが、それより上のしんの部分では続いて燃えて行きます。

ところで諸君はきっとこう質問するでしょう。──油は油だけでは燃えないのにどうしてしんのさきまで運ばれてそこで燃えるのでしょうか、と。そこでその問題を研究してみましょう。ところがロウソクの燃焼はこれよりもっと不思議です。ロウソクは固体であって容器はありません、炎をあげて燃える場所までどのようにしてこの固体が到達するのでしょうか。

液体でないこの物質がそこまで運ばれて行くということはどうしてできるのでしょうか。あるいはこの物質が液体に変るものとすれば、液体になっても元のロウソクの形をどうして保ちうるのでしょうか。ロウソクというものは何と不思議なものではありませんか。

 ここでは相当に強い空気の流動があります、これは私たちの多くの研究にとって役に立つものですが、またじゃまになることもあります。そこで、より多く規則的にしかつ事がらをかんたんにするために静かな炎を作りましょう。なぜかと申しますと、事物の本性となんらかかわりのないような複雑な事がらが加わっていては問題を研究することができないからです。土曜日の晩に市場で野菜やじゃがいもや魚などを売っている露店商人がすぐれた発見をしているのに驚いたことがたびたびあります。

すなわち彼らは風を防ぐためロウソクにランプのほやをかぶせています、ほやには一種のまるい台をつけて、高くも低くもできるようになっています。このようなほやの助けをかりますと揺れない炎がえられますから、これを観察してくわしく研究することができます。みなさんも家へ帰って一度やってごらんなさい。

 次に火のともっているロウソクには皿の形をしたものができます。ロウソクの熱のため下から上に向って空気の流れを生じますが、これによって外側が冷却されますからロウソクの縁はまん中よりもひえています。内部は炎がしんを伝わって下へはって行きますから融解しますが、外部はとけません。空気の流れを一面だけに当ててみますと、今申しました皿は斜になって液がこぼれ出ます。なぜかというと、この宇宙を結合しているところの重力がやはりこの液体を水平に保持しているのですから、もし皿が水平でなくなれば液はあふれてしたたり落ちるのです。

すなわちこの皿はロウソクの外縁を冷却しているところの、周囲を一様に上昇する空気の流れのために生ずるのです。したがって、燃えるときにこういう皿を作る性質を持たない物質はロウソクの材料になりません。ただアイルランドのロウソクの木だけは例外です、この木はちょうど海綿のような物質で燃料を自身のうちに含んでいるのですから。

そこでさっきお目にかけました美しいロウソクや妙な形をしたのやみぞのあるのはよく燃えないということがこれでおわかりでしょう。このようなロウソクでは完全な皿の縁ができません、また上昇気流が不規則なので皿が不完全なために燃料がしたたり落ちてよく燃えないのです。

このように見た目には美しいがよく燃えないロウソクなんかを見ますと、品物または細工は外観よりも実用の方が大切なことが知られます。

(ファラデー著「ロウソクの科学」岩波文庫 p14-18)
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◎「何か実地の仕事において一定の目的を達するに最善の方法を考究していると、予期しなかった事がきわめてしばしばあらわれてくるというのは驚くべきことです。」

◎「しかし、すでに申しましたように、このような精巧なものをうるには実用ということを少しぎせいにしなければなりません。」

◎「このように見た目には美しいがよく燃えないロウソクなんかを見ますと、品物または細工は外観よりも実用の方が大切なことが知られます。」
◎「ホンモノの思考力」と「ロウソクの科学」……考えて下さい。