学習通信040810
◎「おかねは、なぜ必要か」……。
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お金は、生命の次に大切なもの。紙切れのお札自体に「価値」はない。
「人間みな平等」というが、お金を平等に持っているわけではない。お金がキライだという人はおそらくいないが、しかし「お金大好き」と公言するのは、何故かはばかれる。お金儲けについてあれこれ語るのは卑しいことであり、子どもが知らなくてもいい話題だという雰囲気が、どこかしらある。けれど現実問題として、お金がないと現代人は生きていけないし、お金は生命の次に大切なものである。「お金のことは考えない」のではなく、「お金のことも大切に考える」ことが重要なのだ。
幸か不幸か、これまで日本は高度経済成長に乗り給料が少しずつ上昇してきたので、お金について深く考えることがないまま、その結果お金については多くの誤解が生まれてしまった。
たとえば一万円札に「価値」があるように思うのは、大きな錯覚である。福沢諭吉の顔が印刷された紙切れを、日本国政府が「一万円の価値がある」と保証しているだけで、紙切れ自体に一万円の価値があるわけではない。海外では一万円札を受け取ってくれないところもある。福沢諭吉の紙切れがありがたくみえるのは、あくまで日本の経済力が及ぶ狭い範囲内の話である。
だから、どんなに一生懸命お金を貯めたとしても、お金のルールが崩れたり、ルールそのものがなくなってしまうと、お金の価値は一夜にして紙クズ同然になってしまうことがある。これを「貨幣の信用崩壊」という。
まさかと思うかもしれないが、先進国でもつい数十年前までは実際にあったことである。日本でも戦中から戦後にかけての混乱期には、こうしたことが本当に起きた。新興国ではいまも潜在的な不安としてそれがあり、「自分の国の通貨は信用できない。米ドル紙幣で払ってくれ」という国がある。
日本のお金も、これからずっと安泰だとは限らない(これがお金に対する最大の誤解である)。日本国内で「このお金は受け取れません」と、日本円での支払いを拒否される可能性が未来永劫ないとはいえない。
いうまでもなく、日本のお札を発行しているのは日本銀行で、お札の正式名称は「日本銀行券」という。この日本銀行は四割が民間株主である。新聞の証券面に載っている店頭登録株の金融欄を見ると、ちゃんと「日銀」という名前が出ている。もちろん値段がつけられていて、いまは一株一二万円くらい(九九年八月現在)で取引されている。一〇年ほど前の株価は七〇万円くらいだったが、九七年の山一證券自主廃業の際に日銀特融を三兆円大放出したときは、九万五〇〇〇円まで値が下がった。
日銀といえども勤務評定をされているわけで、日銀特融をたくさん出して経営状態が危うくなれば、当然株価が下がる。それと同じで、日銀が発行している日本銀行券の信用がなくなっても不思議はない。一般の企業にたとえれば、会社の信用不安が高まってくると手形を受け取ってもらえなくなるようなものだ。
法的には、日銀法のなかで日本銀行券の無制限強制通用力が認められており、日本国内で日銀券の受け取りを拒否することはできない。けれど「もしも」のときはどうか。民間の場合は取引そのものを拒否できるから、日本のお金はいつも安全で安心だとはいえない。納税や国立大学の授業料には使えるだろうが……。
まあ実際にそうなるかどうかは別として、お金と上手につきあうには、ここまで頭を柔らかくして想像力を広げておく必要がある。
(日下公人著「お金の本」竹村出版 p10-13)
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おかねは、なぜ必要か
わたしたちは、ふだん、おかねがなぜ必要なのか、とくに考えることもなく、おかねを使っています。世の中におかねが存在することは当然だと思っています。
けれども、人類の歴史上、おかねというものが使われるようになったのは、ごく最近のことなのです。原始人、たとえば石器時代までの人類は、木の実、草の実を採集したり、獣や魚をとって生きていました。いわゆる「自給自足」経済の時代です。自分でとって自分で食べ、自分で着るのです。
そのころは、食べものや身につけるものもほとんどあまるということがありません。かりにあまったものがあっても、これを他の集団の人たちと交換しようという気がありません。よその集団の人間を忌避し、警戒するのが彼らの風習でした。
しかし、人類の知恵がすすみ、生産の技術が進歩してくると、自然、あまったもの、つまり余剰生産物がふえてきます。それを他人あるいは他の集団にやって、かわりに自分の必要なものを手に入れたいと思うのは当然の成り行きです。こうして、物と物との交換がはじまります。いわゆる「物々交換」経済の時代に入ったのです。
しかし、困ったことには、自分も相手も満足するような交換の相手はなかなかみつかりません。
それは当然でしょう。今日のように情報の発達した社会でも、たとえば、いまあなたが自分の不要になったレコードと読みたい本とを交換したい、と思って相手を探してもそう簡単にはみつからないはずです。まして原始社会で、ぴったりした交換の相手を探すのは容易なことではありません。長い長い物々交換の時代をへて、人類は、ひとつのことを発見するのです。
それは、自分の余剰生産物を、まず「だれでも欲しがるようなもの」と交換しておいて、それから、自分の欲しいものの所有者を探せば、交換がスムーズにいく、という事実です。
この場合の「だれでも欲しがるようなもの」それが「おかね」なのです。今日の用語では「通貨」とか「貨幣」とかいいますが、こうした用語の意味は、あとで論ずることにしましょう。
とにかく、こうして人類の歴史のなかでわずか数千年前に、人類は「おかね」という偉大な発明に到達するのです。動物の世界には決して存在しないもの、それがおかねです。おかねと文字は、人類の二大発明といわれています。
貝のつく字を調べてみると……
交換につかうために必要な「だれでも欲しがるようなもの」は、当初は自然に存在するものでした。
地球上の寒い地方では「獣の皮」であったり、温暖な地方では「オリーブ油」であったり、熱帯の島々では「サンゴ」であったりしました。こういうものを、学者によっては「自然貨幣」と呼んでいます。「家畜」とか「穀類」とか「塩」とか「貝」などもその一種です。
そのうちに、まったくの自然ではないかなり加工度の高い「織物」や「装身具」、金属製の「武器」などが交換の媒介物として使われるようになります。
これらのすべてを「物品貨幣」(「自然貨幣」を含む)と呼びます。ドイツの経済学者マックス・ウェーバーは、物品貨幣を第1図のように分類しています。この分類にあげられている実例には、米、麦、小麦のような重要な物品貨幣があげられていないのが欠点ですが、分類それ自体は面白いので紹介しておきます。
ところで、ここに「装飾貨幣」の一種としてあげられている「たから貝」は、世界の物品貨幣の代表的なものです。綺麗な色つやが愛されて装身具として用いられたのです。中国やエジプトでは、いまから三千年以上も前に貝類が盛んに貨幣として使われました。
殷王朝時代に、中国では黄河下流地域で農耕文明がおこりつつあったのです。そして殷代の遺跡からは交換用に使われた貝類が多数出土しています。紀元前十五世紀の時代のものです。興味深いことには、中国で漢字のもとになる象形文字が生まれたのも、この時代でした。
そのせいかどうか、貝のつく漢字を調べてみますと、おかねと関係のあるものが大変多いのです。
賣買の賣と買。貴賤の貴と賤。賃貸の賃と貸。賄賂の賄と賂。賠償の賠と償。財貨の財と貨。贈与の贈。資本の資。賓物の賓。貯金の貯。賞品の賞。貧乏の貧。貪欲の貪。盗賊の賊。貢物の貢。貫禄の貫。費用の費。月賦の賦。購入の購。賭博の賭。貿易の貿。價値の價。
実は、まだまだあるのです。貝のつく字を思い出し、何かおかねとかかわりがあるのではないか、と考えてみるのも面白いでしょう。
(坂本藤良著「「円」の誕生」PHP新書 p10-14)
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しかし、商品生産と商品交換とは、それにもとづいている社会に、このような回り道をすることを強制しながら、同様にこの回り道をできるだけ短縮するように強制する。
並みの庶民格の商品のうちから、他のすべての商品の価値がそのなかできっぱり表現できる一つの王侯格の商品を、つまり、社会的労働をじかに体現したものと見なされていて、したがって、〔他の〕すべての商品と直接にまた無条件に交換できる、そういう一商品を、選別する。
──これが貨幣である。貨幣は、価値概念のなかにすでに萌芽のうちに含まれている。それは、価値が展開されたものにすぎない。
しかし、商品価値が諸商品そのものを向こうに回して貨幣というかたちで自立することによって、商品を生産し交換する社会のなかヘーつの新しい要因が、新しい社会的な諸機能と諸結果とをともなった一要因が、はいってくる。われわれは、さしあたっては、このことを確認しておきさえすればよく、それに詳しく立ち入るにはおよばない。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p192-193)
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◎「貨幣というかたちで自立することによって、商品を生産し交換する社会のなかヘーつの新しい要因が、新しい社会的な諸機能と諸結果とをともなった一要因が、はいってくる」と。
資本論講座受講生は、第1章 第3節……。