学習通信040808
◎芸術……「失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み」と。
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だが、どうやって?
それをこれからお話ししようと思います。私はそこに、芸術の意味があると思うのです。それは現代社会においてこそ、とくに必要な、大きな役割として、クローズアップされています。
それは一言でいってしまえば、失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出といっていいでしょう。現代の人間の不幸、空虚、疎外、すべてのマイナスが、このポイントにおいて逆にエネルギーとなってふきだすのです。力、才能の問題ではない。たとえ非力でも、その瞬間に非力のままで、全体性をあらわす感動、その表現。それによって、見る者に生きがいを触発させるのです。
失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。
(岡本太郎著「今日の芸術」知恵の森文庫」p21)
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芸術と哲学
もちろん、哲学だけがそうした眼鏡なのではない。すぐれた芸術もまた、私たちにとってのこうした眼鏡となりうる。すぐれた芸術に接したあとは、ものごとの見かたが変わる。国木田独歩や徳富蘆花の文章は、明治の日本人の自然を見る目を変えた。多喜二や百合子の作品は、社会と人生についての新しい目を人に与える。宮沢賢治の作品のあるものは、一種の宇宙感覚といったようなものを読者にひらくであろう。
すぐれた芸術にあっては、ただ一本の手、一本のヒマワリが描かれているだけの場合にも、それをつうじて示されるものは全世界である。
しかし、芸術と哲学とは同じではない。芸術の生命は、その形象性にある。音をもってするにせよ、色、もしくは肉体の動作によってするにせよ、あるいはたんに言葉をもってするにせよ、芸術は感性的な形象をもって世界をとらえ、それをもってじかに人の感性に働きかける。形象をはなれて芸術はない。芸術も思考であり認識であるが、芸術においてはそもそものはじめから、人は形象をつうじて思考し認識するのである。「作曲家の意識には、はじめっから音が襲ってくるのだ。」
このように人は、芸術においては、じかに論理をたどって概念的に思考し認識するのではない。もちろんこれは、芸術が非論理的なものだということではない。芸術も論理をもつ。ただし、芸術における論理は形象をつうじて運動し、その形象が享受者にひきおこす感性の運動としてあらわれるのである。
したがって芸術においては、作者の鋭い感性が、作者自身の理性をものりこえる、ということがまれではない。そこに芸術の力がある。たとえば、バルザックのリアルな感性の目は、彼が政治的には正統王朝派の立場に立ち、滅亡を宣告された階級にあらゆる同情をそそいでいたにもかかわらず、その『人間喜劇』においてこれらの階級の人間的にみじめな姿と、これにもっとも鋭く対立した党派の人間的に尊敬すべき姿とをふくめて、「フランス社会の完全な歴史」を描きだすことができた。
それゆえにこそバルザックは「過去、現在、未来のすべてのゾラを一括したよりもさらにはるかに偉大なリアリズムの巨匠」と呼ばれうる。それはエンゲルスが「私はこれらの作品から、こまかな経済的な事実(たとえば革命後における動産・不動産の再分配)についてさえ、当時の専門の歴史学者、経済学者、統計学者のすべてを束にしたものからよりもさらに多くのことを教えられた」と告白したほどのものであった。
同様にレーニンは、トルストイの偉大さを、彼の作品、見解、教説がふくんでいる巨大な矛盾にもかかわらず、まさにそれらの諸矛盾がロシア革命の矛盾にみちた諸条件の「真の鏡」をなしているというところにみいだしている。
だから、どんな矛盾をふくんでいようとも、それが現実の諸矛盾の生きた反映であるかぎり、芸術はホイットマンとともにつぎのようにいうことができる──
「私が矛盾しているって?
けっこうだ、私は矛盾だらけだ、
私は大きく、複雑なのだ」(「私自身の歌」)
そしてまた、つぎのようにも──
「論理学や説教など、人を心服させうるものではない」(同)
しかし、まさにそこから哲学の課題は具体的にはじまる。現実が通常の「論理学」をはみだすとすれば、そうした現実をとらえることのできる新しい「論理学」が精錬されねばならず、それこそが伝統的に哲学の中心課題となってきたのであった。
(高田求著「人間の未来への哲学」青木書店 p6-8)
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ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ
この大芸術家の名を、彼があきらかに理解しなかった、また彼があきらかに回避した革命と対置することは、一見奇異な、わざとらしいこととおもわれるであろう。あきらかに現象を正しく反映していないものを鏡と呼ぶことができようか? しかし、わが革命はきわめて複雑な現象である。
その直接の遂行者であり、参加者である大衆のあいだには、おこっていることを同じようにあきらかに理解せず、事件の進展によって彼らのまえに提起された真の歴史的任務を回避した多くの社会的要素がある。そしてもしわれわれをまえにしているのがほんとうに偉大な芸術家であるなら、彼は、革命の本質的な面のいくつかをでも、その作品のなかに反映したはずである。
トルストイの〔生誕〕八十年記念にかんして論文、書簡、覚え書を満載したロシアの合法的な定期刊行物は、ロシア革命とその推進力の性格という見地から彼の作品を分析することにはちっとも関心をよせていない。これらすべての定期刊行物は、偽善に、官庁的偽善と自由主義的偽善という二様の偽善に、はきけをもよおすほどみちみちている。前者はきのうはエリ・トルストイを罵倒するように命じられたが、きょうは彼のうちに愛国主義を探しだして、ヨーロッパにたいして体裁をつくろうように命じられている金しだいの三文文士の粗野な偽善である。
この種の三文文士が彼らの書いたものにたいして支払いをうけていることは周知のことであって、彼らはだれを欺くこともできない。これよりもはるかに洗練されていて、したがってこれよりもはるかに有害で危険なのは自由主義的な偽善である。『レーチ』によるカデット的バラライキンらの言うことを聞け──トルストイにたいする彼らの共感はこのうえなく完全でこのうえなく熱烈である。
しかし実際には、「偉大な求神者」についての当てこみの駄ぼらと大げさな空文句とはまったくのいつわりにすぎない、というのはロシアの自由主義者はトルストイの神を信じてもいなければ、現存の制度にたいするトルストイの批判に共感してもいないからである。彼は自分の小さな政治的な元手をふやすために、全国民的な政府派の首領の役割を演ずるために、人気のある名にこびているのであり、また「トルストイ主義」のはなはだしい矛盾がどこからきているか、わが革命のどんな欠陥と弱点とをこの矛盾が表現しているか、という問題にたいする簡単明瞭な答を、騒々しい空文句で消してしまおうとつとめているのである。
トルストイの作品、見解、教えにおける、またその流派における矛盾は実際はなはだしい。一方では、ロシアの生活の比類ない画像を提供したばかりでなく、世界文学の第一級の作品を提供した天才的な芸術家。他方では、キリストにつかれた地主。
一方では、社会的な虚偽といつわりにたいするすばらしく力強い、直接的で心からの抗議、他方では、「トルストイ主義者」、すなわち公衆の面前で自分の胸をたたきながら「私は醜悪だ、私は齢らわしい、しかし私は道徳的自己完成に従っている、私はもう肉を食わず、いまは揚餅を食っている」と言っている、ロシア・インテリゲンツィアと呼ばれる、生活につかれたヒステリックな意気地なし。
一方では、資本主義的搾取の仮借のない批判、政府の暴力、裁判と国家行政の茶番劇の暴露、冨の増大や文明の成果と労働者大衆の貧困、野性化および苦悩の増大とのきわめて深刻な矛盾の暴露。他方では、暴力による「悪にたいする無抵抗」の神がかり的説教。
一方では、このうえなくきびしいレアリズム、ありとあらゆる仮面の剥奪、他方では、およそこの世に存在するもののなかでもっとも忌まわしいものの一つである宗教の説教、官職による僧侶をのぞいて道徳的信念にもとづく僧侶をおこうとする努力、すなわちもっとも洗練された、したがってとくに嫌悪すべき坊牛主義の培養。まことに、
汝貧しくもあれば、豊かにてもある、
汝力強くもあれば、無力にてもある、
−母なるロシアよ!
である。
このような矛盾のうちにあってトルストイが、労働者運動をも、社会主義のための闘争における彼の役割をも、またロシア革命をも絶対に理解できなかったということ、このことは自明である。しかし、トルストイの見解と教えにおける矛盾は偶然ではなくて、十九世紀の最後の三分の一のロシアの生活がおかれていた矛盾にみちた諸条件の表現である。
きのう農奴制度から解放されたばかりの家父長制的農村は文字どおり資本と国庫の略奪にゆだねられた。農民経済と農民生活との古い基柱、実際に幾世紀ものあいだ維持されていた基柱は異常な速さで崩壊しはじめた。したがってトルストイの見解における矛盾の評価も、現代の労働運動と現代の社会主義との見地からではなく(このような評価はいうまでもなく必要であるが、それだけでは不十分である)、せまりくる資本主義、大衆の零落と土地喪失にたいする抗議、家父長制的なロシアの農村によって生みだされざるをえなかったその抗議の見地からしなければならない。
人類救済の新しい処方箋を発見した予言者としてのトルストイはこっけいである、──だから彼の教えのまさにもっとも弱い面をドグマに転化しようとのぞんだ内外の「トルストイ主義者」はまったく哀れである。トルストイは、ロシアにおけるブルジョア革命の開始期に幾百千万のロシア農民のあいだに形づくられた思想と気分の表現者としては偉大である。トルストイは独創的である。なぜなら、全体としてみた彼の見解の総体が、農民的ブルジョア革命としてのわが革命の特殊性をまさに表現しているからである。
トルストイの見解にある予盾は、この見地からすれば、わが革命における農民の歴史的活動がそのもとにおかれていた矛盾にみちた諸条件の真の鏡である。一方では、農奴制的圧迫の数世紀と改革後の急速な零落の数十年とは、山なす憎悪と敵意と絶望的な決意を蓄積した。
国教会と地主と地主的政府とをすっかり一掃し、土地所有の古い形態と秩序とをすべて廃絶し、土地を清掃し、警察的階級国家のかわりに自由で平等な権利をもつ小農民の共同生活をつくりだそうとする志向、──この志向こそわが革命における農民の歴史的な歩みの一歩一歩を赤い糸となって貫いており、そして疑いもなく、トルストイの書いたものの思想的内容は、彼の見解の「体系」がしばしばそう評価されているような、抽象的な、「キリスト数的無政府主義」よりも、はるかにこの農民的志向に合致しているのである。
他方では、農民は共同生活の新しい形態をめざしながらも、この共同生活はどんなものでなければならないか、どんな闘争によって自由を獲得しなければならないか、この闘争において彼らにはどんな指導者がありうるか、ブルジョアジーとブルジョア・インテリゲンツィアとは農民革命の利益にどんな態度をとっているか、地主的土地所有を廃絶するためにはなぜツアーリ権力の暴力的打倒が必要なのかということに、きわめて無自覚な、家父長制的な、神がかり的な態度をとった。
農民の過去の全生活は旦那と官吏とを憎悪することを彼におしえはしたが、これらすべての問題の回答をどこにもとむべきであるかをおしえなかったし、おしえることもできなかった。わが革命では、農民の小部分が、この目的のためにいくらかでも組織されて、実際にたたかったし、まったくわずかな一部が自分の敵を掃滅するために、ツアーリの従僕と地主の擁護者とを絶滅するために、武器を手にして立ちあがった。
だが農民の大部分は号泣し、祈り、空論をならべ、夢想し、歎願書を書き、「請願者」をおくった、−まったくレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ流に! そしてこういう場合にいつもそうであるように、トルストイ的な政治放棄、トルストイ的な政治拒否、政治にたいする無関心と無理解は、自覚した革命的なプロレタリアートにしたがったのは少数者で、大多数のものは、トルドヴィキの会合から逃げだしてストルィピンの玄関に行き、兵隊靴で蹴ちらされるまで、懇願し、取引し、妥協し、また妥協を約束した、カデットと呼ばれる、無原則で卑屈なブルジョア・インテリゲンツィアのえじきとなる結果をもたらした。
トルストイの思想、それはわが農民蜂起の弱点と欠陥の鏡であり、家父長制的農村の意気地なさと「経営上手な農民」の頑迷固陋な臆病さの反映である。
一九〇五年─〇六年の兵士の反乱をとってみよう。わが革命のこれらの闘士たちの社会的顔ぶれは、一部は農民であり、一部はプロレタリアートである。後者は少数である、だから、軍隊内の運動は、まるで手で合図されでもしたかのように社会民主主義的になったプロレタリアートのしめしたような、全国的結束や党派的自覚を近似的にすらしめさないのである。
しかし他方では、兵士の反乱の失敗の原因が将校出の指導者がいなかったことにある、といった意見ほどまちがったものはない。それどころか、「人民の意志」の時代以来なしとげた革命の巨大な前進は自由主義的地主と自由主義的将校とをあれほど仰天させた自主性をしめした「灰色の家畜」が、上官にむかって銃をとったという、まさにそのことに現れている。兵士は、農民の事業にたいする共感に満ちていた。彼の目は土鳩のことに言及しただけで燃えあがった。一度ならず軍隊内では権力が兵士大衆の手にうつった、──しかしこの権力を断固として利用することはほとんどなかった。
兵士たちは動揺した。ある憎い上官をころした二日後には、ときには数時間後には、彼らは他の上官を釈放し、当局と交渉をはじめ、それから銃殺され笞刑をうけ、ふたたび軛をかけられた、−まったくレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ流に!
トルストイが反映したのは、わきたつ憎悪、より良いものをめざす成然した志向、過去から脱しようとする願望であり、──また未成熟な夢想性、政治的未訓練、革命的意気地なさである。歴史的・経済的諸条件は、大衆の革命的闘争の発生する必然性をも、闘争にたいする彼らの無準備をも、最初の革命的戦役の敗北のもっとも重大な原因であった、トルストイ的な悪への無抵抗をも説明している。
敗北した軍隊はよくまなぶと言われている。もちろん、革命的階級と軍隊との比較は、きわめてかぎられた意味でだけ正しい。資本主義の発展は、農奴主的地主とその政府とにたいする憎悪によって結束した幾百万農民を革命的=民主主義的闘争にかりたてたその諸条件を、時々刻々に変貌させ、尖鋭化している。農民自身のあいだでも、交換と市場の支配と貨幣の権力との増大が、家父長制的旧習と家父長制的なトルストイ的イデオロギーをますま駆逐しつつある。
しかし革命の最初の数年と大衆の革命闘争における最初の敗北とからえられた一つの収穫だけは疑いない、──それは大衆のこれまでの脆弱さと無気力にくわえられた致命的な打撃である。境界線はいっそうはっきりとなった。もろもろの階級と党とは分界した。
ストルィピンの教訓という鉄槌のもとに、革命的社会民主主義者の不授不屈の煽動をうけて、社会主義的プロレタリアートばかりでなく、民主主義的農民大衆もまた、トルストイ主義というわれわれの歴史的過誤におちいる恐れのますますすくない、ますます鍛錬された闘士を、必然的におくりだすであろう!
(レーニン全集第15巻 大月書店 p189-194)
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◎「トルストイの見解にある予盾は、この見地からすれば、わが革命における農民の歴史的活動かそのもとにおかれていた矛盾にみちた諸条件の真の鏡である。」と。
◎「敗北した軍隊はよくまなぶと言われている。もちろん、革命的階級と軍隊との比較は、きわめてかぎられた意味でだけ正しい。」と。