学習通信040801
◎「世間体と見栄だけで環境をつくる」……文化って。
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「八の字」文化
符丁の魔術
近ごろは、あまり見られなくなってきたようですが、それでも料理屋とか古風な家などにいくと、ついたて、ふすま、のれん、タバコぼん、うちわなど、ちょっとした工芸品のすみにまで、よく八の字のような形が描かれたり彫ってあったりします。
やや突拍子もないことを言いだしたようですが──なんだかおわかりですか?
この八の字は、富士山です。おそらく、これを見てわからないなどと、首をかしげる人はいないでしょう。「あたりまえだ、あれは昔っから富士山にきまっている、いまさらそんなことは問題にならないじゃないか」と言われるかもしれません。だが、考えてみれば奇妙なことです。
この八の字からは、自然の富士山のなにものも感じとることはできません。大きな山の実感をとらえてあるわけでもなければ、富士の独特な美しさが写されているわけでもない。新しい絵は何が描いてあるのかサッパリわからないと言いますが、八の字だって似たようなものです。しかし、これだと安心して、どこからも文句が出ない。だれも変に思わないのは、この約束ごとをみなが知っているからにすぎません。
つまり、絵ではなく、一種の符丁、合言葉です。「八の字」──富士山──結構なもの、と文字のようにすらすら読めて、納得がいくだけの話です。なるほど、なにもわからないことはない。が、しかしいったい、なにがわかったというのでしょう。
この無内容なものにたいしては、いまさら、だれも憤慨したりはしません。形式的に、型どおりの場所に、たんにあるというだけのものだからです。新しい絵のように、現実生活にするどく働きかけてくる、切実なものにたいしてこそ疑問をもったり、理解する・しないという問題がおこるのです。もちろん、お料理屋の廊下などで、やたらに芸術的感動に打たれたりする必要もないので、それはそれでよいのかもしれませんが、こういうものがとかく芸術と混同される傾向があるから困ります。
これは象徴的な例ですが、八の字的形式は、意外にひろく絵画の世界にはびこっているのです。
たとえば、「鯉の滝のぼり」にしても、「竹に雀」にしても、そのほか松だの虎だの達磨だの、私たちがしょっちゅう床の間でお目にかかっている画材は、形式はずっと複雑化していますが、やはり八の字に毛がはえた程度の符丁にすぎません。
家を建てれば、要不要にかかわらず、かならず床の間という型どおりの場所をもうけます。そこにまた同じように型どおりの、この類の符丁を、掛けものとしてブラさげる。そうしておけば格好がついた気になるというわけです。はじめから鑑賞などということはどうでもよいらしい。
自分が好きだから、とか、ほしいから、とかいうのではなく、世間体と見栄だけで環境をつくる。生活自体が、おのれ自身の生きた現実を土台にしていないのです。この惰性的な、実質をぬいた約束ごと、符丁だけで安心している雰囲気は封建日本の絶望的な形式主義です。それが、どれほど生活を貧しくしてしまっているかわかりません。私は、これを「八の字文化」と、さげすんで名づけるのです。床の間式の日本画などは、このよい例です。
もちろん、これは今日積極的に生きつつある、明朗な近代人の生活感情ではありえません。さいわい、近ごろは一般も、このような書画はもう過去のものだとかたづけているようです。それでは「八の字」の問題は、このようにして解消していくのでしょうか。それなら、話はまことに簡単ですが、どっこい、そうはいきません。まだまだ、とんでもないところに、ながながと尾を引いています。いかにも芸術品のように思われている油絵にしても、じつはまったく同様のことが言えるのです。
(岡本太郎著「今日の芸術」知恵の森文庫 p27-29)
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文化としてのカルピス
日本でコカ・コーラに匹敵する飲料として知られているものにカルピスがあろう。「初恋の味」というキャッチフレーズのもと、水玉模様の包装紙にくるまれたボトルに入って売り出されたこの甘い濃縮の発酵飲料は、八〇年以上の歴史を刻んでいる。子供の頃、水で薄めて飲んだことのある人は単にその甘酸っぱい味を思い出すのではなく、それを飲んだ時の思い出をまざまざとよみがえらせてくれるはずだ。そのような懐かしい思いを綴った珠玉の小品集を、文庫本として読むことができる。
書店でたまたま目にし、たまたま最初に読んだのが湯山秀男氏の「私のカルピスの思い出」と題した作品であった。
母親の反対で捨て犬を飼うことを断念し、その犬との別れ際に「せめて彼に何かおいしいものをお腹一杯ご馳走してあげよう」とカルピスを与えたらゴクゴクとおいしそうに飲んだこと、ところが捨てたはずの犬を、父親が母親を説得して「ちゃんと面倒みるんだぞ」と言って飼うことを許してくれたことなどが書かれた後、最後に「私はお酒を飲んで泣いたことはないけど、カルピスを飲むとなんだか泣けてしまいます」というしめくくりのところを読んで共感し、思わずジーンときてしまった。
実は私の家でも子供の頃にシロという同名の犬(スピッツ)を飼って可愛がっていた。その思いがよぎったせいかもしれない。
幸いなことに、一時期カルピスウォーターが大ヒットし、現在も定着しているようである。これは、濃縮ものではなく、五倍程に希釈したものであるが、希釈しても水と分離しない新技術の開発によるものである。飲むたびに薄める必要がないことは、本来のカルピスのイメージとは異なるが、喫茶店や家でしか飲めなかったものが店頭で手軽に飲めるという利点は大きい。それと、やはりカルピスの味は日本人好みの味なのであろう。いずれにしても、コカ・コーラの味を米国人が守ったように、カルピスの味は我々が守っていきたいものである。
おいしさは薬になる
生きるためには食べなくてはならない。すなわち、食べることは生きることである。先のカルピスの思い出募集入賞作品集の中に、まさに、事実は小説より奇なり、食欲をなくして死の淵にいた人がカルピスを飲んで元気になった奇跡的な逸話が数編収められている。
宗丈生氏の「二本のカルピス」という最優秀賞作品の中に、腸チブスにかかり、餓死寸前、血便ばかりで何も食べようとしないある上等兵に「せめて最後の飲み物を飲ませてやりたい」とカルピスを湯呑みに溶いて与える場面が描かれている。彼は「うまかですね」とうまそうに一口飲んだ。さらに一口一口ゆっくりアルミのコップ七分目のカルピスを全部飲み干した。
そして、何の薬もないのに重湯に混ぜたカルピスを飲み、血便が止まり、カルピスを混ぜた粥を食べ始めた。三ヵ月後、この上等兵は「もう勤務につけます」と元気に申し出たのである。宗氏は「あの腸チブスにかかった瀕死の状態からなぜ立ち直ったのか全くわからない。素人判断では乳酸と糖分との複合作用であろう……」と推察している。
確かに、この回復はカルピスの滋養強壮作用の力に負うところが大きいのは間違いないだろう。しかし、私はむしろその「おいしさ」に秘訣があるような気がしてならない。他の作品でも、共通して述べられているのは、体調が悪く食欲が低下していた人が「おいしい、おいしい」と言いながらカルピスを飲む場面である。
「シニモドシ」という草がある。死んだ人の口に入れると思わず生き返る(この世に引き戻す)ほどの苦さをもっているとして名づけられたという。しかし、この生き返らせる作用は一種の気付け薬、電気ショックのようなものであり、びっくりさせて目を覚まさせようとするものである。カルピスの作用とは全く別のものである。
「おいしさ」は単に食欲を増進させるだけではない。生きる意欲を与える。先のカルピスの話を読みながら、釈迦がスジャータから食べさせてもらった乳がゆ(ミルクとご飯で作ったお粥)の話を思い出した。
シャカ族の王子として生まれた若き釈迦は、解脱を得るために筆舌につくし難い難行苦行を行った。命がけの苦行を六年間続けたと伝えられるが、この苦行によっても悟りを開けないと結論した釈迦は苦行を放棄する決心をし、沐浴をして心身を洗い清めた。そして岸に上がると村の娘スジャータが、乳がゆを差し出したのである。
苦行と長い間の絶食で痩せ衰えた釈迦はそれを一気に飲み干し、体に活力が戻ってくるのを覚え、血色も良くなっていったといわれている。この時、半死半生の釈迦が活力を取り戻したのも、差し出された乳がゆが滋養強壮作用を持つとともに、それが「とてもおいしかった」からに違いないと私は思う。
笑いが免疫能を高めるのと同様に……
おいしいという快感は、楽しいとき、愉快なとき、面白いときなどの快感と本質的なところでつながっているのではないだろうか。
私の勤める大阪大学人間科学部は、きわめて特色のある、学際的でユニークな学部である。この学部では、心理学、教育学、社会学を基本として、人が生まれ、育ち、社会と交わりながら成長する上での諸問題を取り扱っている。ボランティア活動の実践と科学的裏付けを視野に入れて教育と研究を行う我国で唯一の講座もあり、臨床心理士を育てる拠点校でもある。ユニークな学部にはユニークな先生が集まる。
その中でも、日本で初めてホスピスを開設し、ホスピスをはじめとするターミナルケアの分野で第一人者の柏木哲夫教授がいる。川柳もたしなみ、その句作は新聞の川柳欄で何度も入選されている。柏木先生は、日頃の医療の中でユーモアの大切さを主張し、その笑いの効能を紹介している。ユーモアをうまく使うと、人々の緊張を和らげたり、良い人間関係を作ったり、何らかのプラスの結果を生む非常に強い力を持っているようである。
笑いが免疫能を高めることは精神神経免疫学という学問で示されている。たとえば漫才を楽しむ前後で採血して、ナチュラルキラー(NK)活性を測定すると、漫才の後のNK活性が上昇しているのである。NKとはリンパ球の一種で、人間の体に何か異物が入ってきたとき攻撃し、それを殺す働きをする。笑うことでガンを治すという療法があるが、これは笑うことによってNKの活性が上昇し、体にとって異物であるガン細胞をやっつけることをねらったものである。
笑うことに限らず、いろんな意味で快感を味わったときは、体のしくみのどこかで共通した作用を引き起こすものと思われる。「おいしい」と思うとき、自律神経の最高中枢である視床下部の副交感神経系が活性化する。そして、もっと食べたいと体を鼓舞するとき交感神経系も働く。免疫能も高まる。おいしさを実感させる脳内麻薬様物質、前向き志向ややる気をひきおこすドーパミンも出る。おいしさを実感したとき、各種脳内物質の動員と相まって、まさに、体は生き生きと活動を始める。
「今日はお父さんの好きなあれを作ろう」
料理研究室でエッセイストの本田桂子さんは、もう一〇〇歳近い作家丹羽文雄氏の長女で、アルツハイマーを患う父を一五年以上にわたって介護し、父のために愛を込めて日々の食事を作っておられた。というのも本書の原稿執筆中の二〇〇一年四月一五日に本田さんの悲報に接したのである。絶筆本ともいえる『父・丹波文雄 老いの食卓』(主婦の友社、二〇〇〇年)に次のような素晴らしい本質をつく文章が書かれている。
父がこれほどの高齢になっても、病気らしい病気もせず元気でいられるのはなぜだろうと私は考えるのですが、それは、食欲があって毎日好きなものをおいしく食べられるからではないかと思います。自宅でお手伝いさんの介護を受けながら単調な毎日を過ごす今の父にとって、食事はきっと唯一の楽しみに違いありません。だからこそ、毎日の食事は、おいしいもの、父の好きなものを食べさせてあげたいのです。父の喜ぶ顔が見たくて、「今日はお父さんの好きなあれを作ろう」と私も料理に精を出します。
高齢化社会である。年をとると生理的に種々の生体機能が低下する。視力、聴力、運動能、そして、学習、記憶、判断など脳機能も低下する。体調を崩して入院生活を余儀なくされると一気に体力・気力が低下する。そして、ついには介護を必要とするようになる。長生きすれば、人は遅かれ早かれこのような流れに乗らざるを得ない。生きることは食べることであり、事実、他の感覚機能に比べて、食べることに関わる味覚機能は年をとってもよく保たれている。
このことを考えれば、楽しく生き生きとした人生を送れるかどうかは、食生活に大きく依存すると考えざるを得ない。生きていく上で必要な栄養素、エネルギー源などを摂取する場合、エサとして与えられる動物と違って、人にとって、それをおいしく食べるかまずく食べるかは死活問題なのである。粗食であっていい、贅沢する必要はない。だしの取り方、ごはんの炊き方など工夫しておいしく食べることが大切である。特に、お風呂以外に楽しみが少ないといわれるお年寄りにとって、おいしく食べることは生き甲斐である。
今さら新しいおいしさを開拓する余裕のないお年寄りには、もっとも好きな食べ物、一番食べたいものを定期的に食べさせてあげることが大切である。おいしさは脳を活性化し、心身を健康にする源である。若い人はもちろんお年寄りも含めて、すべての人が生き生きと元気に暮らす社会であって欲しい。これが筆者の願いであり、それが可能であるというのが本書の結論である。
(山本隆著「美味の構造」講談社選書メチエ p227-233)
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人間をつくるものとしての文化
田辺聖子さんの『浜辺先生町を行く』(文春文庫)のなかに、次のようなくだりがあります。
「食べものの材料がおびただしくて、人々が人波うって買物にざわめき、目を近づけたり、指で押したり、なめたりして、値段の交渉をし、売り手は声からして応酬する、ドジョウ屋の男は両手を血まみれにして、わき目もふらずドジョウを割き、隣りの牛肉屋の男は幅広いダンビラをふりかざして牛肉を削いでいる、あるいは羽根をむしられた鶏のぶらさがる下で、やりとりされる紙幣や硬貨、そういう、喧騒と怒号とさまざまなにおいや色彩こそ、文化というものだ。食物に賭ける情熱が文化である」
これは、じつは台湾の台北のある市場の光景で、次のようにつづくのです──
「何を、どのように食べようかと人々が籠を手に舌なめずりして、ゆき戻りし、人波にぶつかって押しもどされ、口早な抑揚のつよい、喧嘩しているような台湾語が嵐のように群衆を巻きこむとき、ほんとうに、人間が生きているなあ、と実感する」
ものを味わって食べる動物は、人間だけです。少なくとも本格的には人間だけです。人間の食事は、ただ飢えをみたすためだけのものではありません。人間の食事と動物のエサとのちがいはそこにあります。ところで、人間の味覚はけっして生まれながらにして生理的にそなわっているものではありません。
文化としての料理によって開発され、育てられるものです。刺身の味を味わいわける味覚が、刺身文化に親しむなかではじめて育てられるように。同じ日本人でも、ナットウをよろこんで食べる人と、ナットウなんて気もち悪くて食べられないという人とがいます。これは主として、その人が(もしくはその人の親が)ナットウ文化圏にぞくする地域で育ったか、ナットウ文化圏外の地域で育ったかのちがいによるものです。
さらにつけ加えていえば、文化としての食事とは、何をどのように加工して食べるかということに限られるものではありません。茨木のり子さんに「箸」という詩がありますが、そのなかに「箸文化圏のどんづまり/弓なりの島々に また 秋が きて」というくだりがあります。「里芋ころころ/子供はあわてて箸つきたてる/軽わざのように至難のことを/毎日くりかえしているうちに/いつとはなしに修得する/二本の棒を操ってすべてのもの食(は)む術を」──このような「箸文化」も「食文化」の重要な構成要素です。
さて、食が文化なら、衣も、住も、文化です。この意味では、衣・食・住にかかわる仕事に専門的に従事している人びとこそ、もっとも基本的な、ほんとうの文化人、ということができるでしょう。
味覚が文化の所産なら、聴覚、視覚、その他の諸感覚も、みな文化の所産です。聴覚と文化との関係については、すでにマルクスが「音楽的な耳は音楽によってのみ育てられる」と書いています(『経済学、哲学手稿』)。視覚(とくに色彩感覚)と文化との関連については、やはり茨木のり子さんの「色の名」と題する詩をあげることができるでしょう。
胡桃いろ 象牙いろ すすきいろ
栗いろ 栗鼠いろ 煙草いろ
色の和名のよろしさに うっとりする
柿いろ 杏いろ 珊瑚いろ
山吹 薊 桔梗いろ 青竹 小豆 萌黄いろ
自然になぞらえた つつましさ 確かさ
朱鷺いろ 鶸いろ 鷺いろ
かつては親しい鳥だった 身近にふれる鳥だった鬱金 縹 納戸いろ 利休茶 浅黄 蘇芳いろ
字書ひいて なんとかわかった色とりどり
辛子いろ 蓬いろ 蕨いろ ああ わらび!
早春くるりと照れながら
すくすく伸びる くすんだみどり
オリーブいろなんて言うのは もうやめた
もちろん、これは日本だけのことではありません。
タイの人たちの色彩表現には、ココナツ椰子の内皮いろ、マンゴーの実の核子(さね)いろ、無花果(いちじく)の熟した実いろ、小亀の甲羅いろ、山鳩の首根いろ、仔牛の背中いろ、あかてつ樹の梢いろ、万年青(おもと)の葉茎いろ、芭焦の葉軸いろ、無患樹(むくろじゅ)のみどり葉いろ、菩提樹のみどり葉いろ、閻浮提樹(えんぶだいじゅ)のみどり葉いろ、沙羅樹(さらじゅ)のみどり葉いろ、それから天女の薄紗いろ、地獄の業火いろ、そよかぜいろ、なんていうのもあるそうです。
──これは森幹男さんという方がある雑誌に「タイ国色彩考」と題して書かれた文章を谷川俊太郎さんが切りぬいて川崎洋さんに渡し、それを川崎さんが『母の友』という雑誌で紹介した、その文章が川崎さんの著書(『言葉あそびたがり』新潮社)に収録されているのを読んで、ここで私がまた紹介しているのですが。
こんなのが文化です。それが人間的な諸感覚を──つまり人間そのものをつくるのです。「文化的な生活」とは、このような衣・食・住の文化、音や色、形、ことば、等々の文化にうらうちされた、感性ゆたかな生活をいうのだ、と思います。そしてそういう生活をこそ「人間らしい生活」というのだろうと思います。
(高田求著「学習のある生活」学習の友社 p64-69)
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◎「すべての人が生き生きと元気に暮らす社会」、「「文化的な生活」とは、このような衣・食・住の文化、音や色、形、ことば、等々の文化にうらうちされた、感性ゆたかな生活をいうのだ」と。
「生活自体が、おのれ自身の生きた現実を土台にしていない──これを「八の字文化」と、さげすんで名づける」と……。「人間らしい生活」こそ文化……。