学習通信040527
◎科学的社会主義を学ぼう。 学習通信≠P周年。
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この歴史的状況には、社会主義の創始者たちも支配された。資本主義的生産の未熟な状態に、未熟な階級状況に見あって、理論も未熟であった。社会的諸課題の解決は、未発展な経済関係のなかにまだ隠されていたので、頭のなかからつくりださなければならないことになった。
社会は不都合な状態を示すばかりで、これを取り除くのはものを考える理性の任務であった。肝心なのは、<一つの新しいもっと完全な・社会制度の体系を考え出し、これを、宣伝によって、できれば模範的な実験の実例によって、外から社会に押しつける〉、ということであった。
こうした新しい社会体系は、そもそものはじめから、ユートピア〔夢物語〕になる運命にあった、細部にわたって詳しく仕上げられれば仕上げられるほど、ますますまったくの空想に迷い込んでいくほかはなかった。
いったんこのことを確認したら、これ以上は一瞬間でも、いまではまったく過去のものになったこの側面にとどまることはやめよう。
こんにちではただ人をおもしろがらせるだけのこうした空想について、もったいぶってあれこれ詮索し、〈このような「狂気の沙汰」に比べれば、自分たちの醒めた考えかたのほうがすぐれている〉、と主張することは、デューリング流の文筆上のけちな小売商人たちにまかせておけばよい。
われわれはむしろ、空想的な外被の下からいたるところで姿をのぞかせている天才的な思想の萌芽と思想とのほうをよろこぶものである。こういうものは、あの俗物どもの目にははいらないのである。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p123-124)
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まず、マルクス理論が新しい世紀に向けてなお歴史を切り拓く先導理論たりえるかだ。降旗は先述したように、マルクス経済学の役割を理論的分析、唯物史観をもとにしたイデオロギー仮説、政治的運動と三区分している。降旗はこのうち唯物史観がイデオロギー的仮説ではあるものの、歴史の方向や今後の資本主義の行方をとらえ、探っていくうえで「有効なことが一挙に証明された」と強調する。
唯物史観とは簡単にいえば、ある社会の生産力がそれまでの社会構造で処理し切れないまでに発展しないと、次の社会への移行が起こらないという仮説だ。
降旗はこう断定する。
「生産力が未成熟な段階にあったロシアや中国の社会主義革命は唯物史観の立場からはもともと無理があった。だから、ソ連型社会主義の破綻は唯物史観の正しさを証明した」
降旗によれば、唯物史観に立てば資本主義の未来をクリアカットに展望できる。つまり、資本主義が過剰な生産力を処理できない段階に達すると、その生産力が引き起こす諸矛盾(疎外とか文明的類廃とか環境など)を処理するために、「新しい社会」の輪郭がみえてくる。人間が主体的に諸矛盾をコントロールする「新しい社会」、これが社会主義なのだ。
たしかに、ある社会はその内部で生み出される矛盾をそれ自体で処理できなくなる。この点で唯物史観は根本問題の所在をわれわれにクリアに提示してくれる。しかし、問題の核心は次の点だ。そうした「資本主義の矛盾」をクリアに指摘するだけではマルクス経済学の存在理由は薄弱だということだ。
誰にとってもこの世の常識だが、問題を発掘あるいは指摘しておいて、その解決はご免だと逃げ出せば、卑怯者呼ばわりはされないまでも信頼はされまい。子供や若者ならば「よくぞ問題点を見つけ出した」と褒められもしようが、一家の主人ともなれば問題点の指摘や文句だけでは家人にも見放される。
まさに、これと同様なことがマルクス経済学にもいえるのではないのか。たしかに唯物史観は資本主義が本質的に持つであろう矛盾をかなり客観的に示しうる点で、鶴田が強調するように「導きの糸」といえる。
だが、その矛盾を解決すべく必然的に登板してくる社会主義がどうやって矛盾や問題を人間主体のもとに解きうるか、マルクス経済学はまったくといっていいほど説得的な理論やプランを提示しないのだ。ソ連型社会主義の破綻も実はこの点と不可分に関係している。伊藤や山口が指摘するように、マルクス経済学には社会主義の青写真がないのだ。
(文藝春秋社編「マルクスの誤算」──マルクスは死んだのか──斉藤精一郎 p78-79)
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第六章 ユートピアのすすめ
はじめに理想と願望あり
あらゆる思想は理想を携えてこそ意味があり、人びとに訴えかける力を持つことができる。人間や社会について語る思想家がもっとも説得力を発揮するのは、理想の人間や社会についてのイメージをつかんだときである。理想という大きな尺度があってこそ、はじめて現実を測ることができるのである。
マルクスの思想がこの百年間、世界の多くの人びとを惹きつけ魅了したのも、ひとえにその遠大な理想のゆえであり、大きな尺度によって現実の世界の矛盾をあばいたからにほかならない。といっても、彼はみずからの思想を語るにあたって、理想ということばを使ったことはほとんどなかった。
彼の語る共産主義社会は、私には百年や二百年ではなかなか実現されそうもない理想としか思えないが、マルクスにとっては、歴史の必然であった。彼が『資本論』で資本主義経済について生涯の大半をかけて詳細に分析したのも、やがては資本主義経済は内在する矛盾によって崩壊し、それにかわる新しい体制の社会が到来することを確信していたからである。
「共産主義はもっとも近い将来の必然的形態である」と、『資本論』よりも二十年以上も前にマルクスは『経・哲草稿』に書いたが、彼には理想を語っているという気持はなかったにちがいない。いわば既定の事実を語るように確信するところを語ったのである。
『ライン新聞』の検閲官はマルクスについて、「彼は自分の見解の真実性を絶対に確信していたので、その見解のためには命をも捨てるであろう」と記している。確信は時には狂信にもなりかねないが、彼は資本主義社会から共産主義社会への移行は空想や理想という頼りない次元の話ではなく、科学的に立証された確かな話なのだと太鼓判を押したのである。
エンゲルスは『空想より科学へ』によって、マルクスの歴史観に科学という装いをあたえようとしたが、自然科学とはちがって、人間と社会の成り行きについては、自然現象にあてはまるような法則などありうるはずがない。
早い話が、遠くはなれた惑星の運動は数千年間にわたって予測できても、たったひとりの隣人の行動は一時間たりとも予測も記述も不可能であり、経済現象についても同様である。現象についての正確なデータのないところに科学はありえない。
それでは、マルクスが考えていたことはいったい何なのか。それは願望なのである。「共産主義はもっとも近い将来の必然的形態である」という断定を、「共産主義はもっとも近い将来の必然的形態であってほしい」と読みかえてみてはいかがであろうか。こんなふうにマルクスの断定調を「願望調」に読みかえてみたほうがむしろマルクスからのメッセージが伝わってくるようだ。
マルクスに限らず、思想を語る人びとは理想や願望を内に秘めながら、そこから放射するイメージを普遍の事実のように仕立てあげるものである。われわれの目にふれるテキストには整理され、理路整然と組み立てられた「思想」が叙述されることになるが、しかし、それを支え、それに生気と力をあたえているのは理想と願望なのである。
はじめに理想と願望があったのである。マルクスのばあいも、近い将来にどのような社会がありうるだろうかといろいろ調べあげたすえに、共産主義社会が到来するという結論にたどりついたわけではなかろう。結論ははじめからきまっていたのである。こうであってほしいという願望、あるいは、こうでなければならないという理想は、はじめからわかっていたのである。
もともと願望や理想とはそういうものである。それが確信にみちた断定調で記されているのが『経済学・哲学草稿』であり、それを論証するために書いたのが『ドイツ・イデオロギー』であり『資本論』なのである。
マルクス研究家のあいだでは、『経済学・哲学草稿』で労働の疎外論を展開したマルクスを「初期マルクス」、『資本論』その他で、資本主義社会を分析し、共産主義革命を構想したマルクスを「後期マルクス」と分けて、両者の違いというか断絶を指摘する論法がある。
しかし、ひとつの思想や理想あるいは願望の提示と、その実現へ向けての分析と論証という流れのなかで見れば、そのような区別をする意味はなくなる。
(木原武一著「ぼくたちのマルクス」筑摩書房 p153-157)
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まず「科学的社会主義」とはそもそも何なのか、というところから、話をはじめましょう。
「社会主義」というのは、一口に言えば、私たちの「未来社会」論です。今日の社会形態である資本主義社会をのりこえて、もっと新しい、より高度でより合理的な、人間にとってより豊かなすばらしい社会をつくる、これが私たちの目標です。
この未来社会が社会主義あるいは共産主義の社会と呼ばれてきたのですが、この未来社会論というのは、科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルスにはじまったものではなく、彼らに先立つ先達たちがいたのです。
歴史をさかのぼりますと、十八世紀の末に、ヨーロッパでフランス大革命がおこりました。ヨーロッパにはじめて「主権在民」の民主共和国をつくりだした民主主義革命でしたが、この革命が旗印にしたのは「自由・平等・友愛」──
つまり、すべての人びとが自由で平等な社会をつくりあげることでした。
ところが、この革命が、実際にやりとげたことは、封建的な障害を取り払って、資本主義の体制に発展の道をひらくことでした。労働者をはじめ、はたらく民衆はいちばんの重荷を背負わされ、貧しい人びとと富んだ人びととの対立はいよいよ大きくなりました。
革命の理想に燃えた人びとのあいだに、目の前のこの社会を見て、これがいったい「自由・平等・友愛」の社会なのか、理性が支配する合理的な社会なのか、そういう深刻な疑問をもった思想家たちが現れました。
その代表的な人物として、フランス人のサン・シモン(一七六〇〜一八二五年)とフーリエ(一七七二〜一八三七年)、イギリス人のオーエン(一七七一一一八五八年)の三人があげられます。
エンゲルスは、『空想から科学へ』(一八八○年)という書物のなかで、この三人を「空想的社会主義」の代表者としてえがきだしましたが、この人たちが、未来社会論、社会主義論の歴史上の大先達なのです。
この人たちは、自分たちが生きている現在の社会が、いかに不合理であるか、人間にとっていかに害悪と矛盾に満ちたものであるかを、生き生きと分析しました。そしてそういう矛盾や害悪のない社会を追い求めるという形で、未来社会についての自分たちの考えをまとめたのです。
そのなかには、私たちが人間社会の将来を考える場合に、参考になることは確かにずいぶんありますし、マルクス、エンゲルスも彼らの考えを大いに参考にしました。
しかし、そこには、共通する大きな問題点がありました。それは、この人たちが、理想とする未来社会──現実にある矛盾や不合理をのりこえた社会を、こういう社会があったらいいじゃないかという形で、自分の主観的な願望から出発して描きだしたことです。
ですから、彼らは、この理想社会を生みだす条件がどこにあるかについても、またこの社会を誰がつくるのかについても、思いつき的な考えをしめすことしかできませんでした。
サン-シモンは、資本主義の害悪から解放された社会をめざしながら、それは、産業者、なかでも銀行家と、科学者、芸術家が管理する社会になるだろう、と予想しました。オーエンは、自分自身がかなり大きな資本家、企業家でした。そして、自分で資金をだして、自分の理想とする工場──資本家ぬきで、労働者が協同で管理する紡績工場をつくったのです。こういう企てを広げれば理想社会ができると考えて、社会、とくに富んだ人たちに呼びかけてそのための資金を募集しようとしました。
一言で言えば、頭のなかで合理的な社会を考えだして、これが理想社会だということを世間が納得すれば、それで未来社会への道が開ける──空想的社会主義者たちの考えは、そういう域を出ませんでした。
矛盾と害悪に満ちた資本主義社会を批判し、これに未来社会の青写真を対置した点では、社会主義論の大先輩だったのですが、それを主観的な願望として描いただけで、より高度な社会を生み出すよりどころが、いったい現在の社会のどこにあるのか、社会のなかのどういう勢力が中心になるのか、そういう問題への科学的な見通しはなに一つしめせなかったところに、この人たちの共通の弱点がありました。
だから、この人たちは、あとで「空想的社会主義者」と呼ばれるようになったのです。
「科学的社会主義」というのは、この「空想的社会主義」に対応する言葉です。いわば先達たちの未来社会論を、科学の基礎のうえにすえなおした、そこに、科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルスの画期的な業績がありました。
──略──
では、マルクス、エンゲルスが未来社会論の基礎にすえた科学とは何か、というと、これはたいへん広範なものです。レーニンはそれが大きく「三つの構成部分」からなっていると指摘しましたが、その三つの部分とは、未来社会論(社会主義論)に、世界観・哲学の問題、社会を分析する要となる経済学をくわえたものです。
これらを勉強するとき、ぜひ頭においてほしいのは、そこでマルクス、エンゲルスが到達し展開した理論的な立場というものは、どの部分をとっても、人間社会の歴史のなかに突如二人の天才が生まれて、その天才の力で、ゼロからつくりだしたものではけっしてない、ということです。
マルクスとエンゲルスは、私たちがいま科学的社会主義と呼んでいる理論的な立場に到達するまでに、ものすごい勉強をしています。
経済学をとっても、それまでに各国で出された経済学の本を、マルクスほどたくさん読んだ経済学者は、当時のヨーロッパでただの一人もいなかったでしょう。毎日のように大英博物館に通って、有名な学者の著作はもちろん、無名の経済学者の著作からパンフレットまで、研究する値打ちのあるものは、すべて読み、吸収する。こうして、人間社会が歴史のなかで生み出したすべての価値あるものを吸収し、批判的に加工し、発展させて、『資本論』を書き上げたのです。
哲学についても、マルクスがいちばん勉強したのは、ヘーゲル(一七七〇〜一八三一年)とかフォイエルバッハ(一八○四〜一八七二年)とか、先立つ時代のドイツのいわゆる古典哲学の代表者たちですが、それにとどまらず、古代のギリシア、ローマの時代の哲学者たちの著作までも広く勉強して、いわばその歴史を総決算しながら、いま弁証法的唯物論と呼ばれている立場を仕上げてゆきました。
このように、科学的社会主義の理論は、(イ)それまでの人間知識の価値ある成果のすべてを受けつぎ、(ロ)その「科学の目」で現実の社会と自然を徹底的に研究する、こうして到達され、仕上げられたものです。
マルクス、エンゲルスが科学的社会主義の創始者だというとき、その意味あいは、宗教の創始者の場合とはまったく違います。
宗教の場合には、キリスト教なら創始者であるキリストの言説、仏教なら釈迦の言説、イスラム教ならマホメットの言説が、最高の原理です。ですから、創始者の言説を研究し、これをいかに正しく解釈するかが、その宗教にとって最大の問題になります。
ところが、科学的社会主義の場合には、創始者であるマルクス、エンゲルスの言説であっても、その値打ちは、それが真理をきちんと反映しているかどうかが、評価の基準です。マルクス、エンゲルスが述べたことであっても、この基準にあわないものは、間違いなのです。
ですから、私たちが、マルクス、エンゲルスから「科学の目」を受けつぐという場合には、そういうことも頭において、受けつぐべきものをきちんと受けつぐ必要があります。
いま述べてきた立場──マルクス、エンゲルスであれ、レーニンであれ、科学的社会主義の先輩たちの個々の言説を絶対化しないということは、日本共産党が早くから明確にしてきた立場でした。
私たちは、いまから二十五年前、一九七六年に開かれた党大会(第十三回臨時党大会)で、この立場を、党の綱領と規約のうえで、より鮮明に規定づけることにしました。それまで、世界で何十年にもわたって使われてきた「マルクス・レーニン主義」という用語をいっさいやめて、日本共産党の理論的な立場を表現する用語は、綱領の上でも規約の上でも、すべて「科学的社会主義」という言葉で統一するようにしたのです。
それは、マルクスやレーニンの言っていることを絶対化しない、金科玉条にしないという私たちの立場を表すには、この理論を個人の名前と結びつけた「マルクス・レーニン主義」という呼び名は適切でない、と考えたからです。
私たちの党は、この問題を、そこまで徹底して考えてきたのです。
──略──
科学的社会主義の勉強には、ぜひこういう心構えであたってもらいたいのですが、そのうえで、具体的な勉強の仕方としては、やはり古典を読むことをおすすめしたい、と思います。
マルクス、エンゲルスは時代的に古いから、もっと現代的なものを読もうと思って、科学的社会主義のいわゆる解説書とか入門書を勉強の中心にしようとする場合があります。
こういうものは、ああ、科学的社会主義の理論とは、おおよそこういう組み立てになっているのかなど、全体の見取り図をつかんだりするのには役立ちますが、それはあくまで入門書であって、そこから肝心の「科学の目」をつかみとるということは、なかなかむずかしいと思います。
マルクスやエンゲルスの書いたものを読みますと、たしかに時代背景や出てくる題材には一九世紀的な古さがあります。しかし、その時代に、彼らがどういう現実にぶつかったのか、どういう考え方、どういう方法でその現実と取り組んだのか、そしてどのようにして結論を出したのか、「科学の目」で現実と取り組んだ生きた心≠ニいうか。生きた頭≠ニいうか古典からは、それが伝わってきます。
「科学の目」をつかむ勉強をしようと思ったら、本物にあたる必要があります。私は、そういう意味で、科学的社会主義の勉強にあたって、古典を大事にして読むことを、みなさんにぜひおすすめしたいのです。
マルクス、エンゲルスの本はどれも百年以上も前の時代のもの、レーニンにしても七十年から八十年以上も前の時代の本ですから、むずかしさはあります。しかし、むずかしさにも、いろいろあるのです。古典のむずかしさには、そこに出てくる人物や事件になじみがないために、とっつきにくいという要素が、かなり大きくありますが、そういうとっつきにくさは、別に不思議なことではありません。
たとえば、いまの日本では、昨年(二〇〇〇年)の森首相の「神の国」発言とか、KSD疑惑とかは、誰でも知っています。ところが、今から百年とはいわず、二、三十年もたったら、「神の国」発言などといっても、「いったい何の話だ」ということにおそらくなるでしょう。
それと同じことが、古典と私たちのあいだにもあるわけで、当時のヨーロッパの人が読んだら、すぐ「ああ、あのことか」と分かる事がらですが、私たちは、百五十年たって日本でそれを読むのですから、なじみのない事件や言葉に次から次へとぶつかって、とっつきにくくなるのです。
しかし、そういうむずかしさは、何も自分の頭が悪いんだ≠ネどとむずかしく考える必要はありません。むずかしさの性質をよくのみこんで、「注」などを利用したり、分からない人名などは適当に飛ばしてもいいですから、乗り越え乗り越えして読んでほしい。こういうものは、一回で終わりにしないで、何回もあたることが一つのコツです。そうすれば、スルメのように、かめばかむほど味があるということが、きっと分かってくる、と思います。
(不破哲三著「科学的社会主義を学ぶ」新日本出版社 p12-27)
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◎「マルクスの誤算」は1990年に出版されたもの。「ぼくたちのマルクス」は1995年に出版されたものです。
◎京都学習協のホームページは2003年5月27日にプロバイダーの無料サービスHPからはじまりました。それから1年間10日あまりの休刊以外学習通信≠毎日発行することができました。
■第1号 学習通信2003/05/27 20:41
学ぶことは、人間として成長する点から見て大きな意味をもっている。
「科学の目」で世の中の動き、私たちの生活をとらえる視点、科学的社会主義の神髄を学ぶ……などを目標にすすめてきました。これからもさらに視野をひろげて学んでいきたいと思います。
◎いま京都では労働学校の募集をしています。貴方の周りに紹介して下さい。いまほど科学的社会主義を学ぶことが重要な時はないと思います。