学習通信040509
◎対話するということ
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すれ違う対話
タクシーに乗ると、私はよく運転手さんとおしゃべりをする。知らないもの同士、せまい密室の中でムッツリと黙っているのがなんとなく気づまりで、つい、
「暑くなったわね」「景気はどうですか」
などと話しかけたりする。あけっ放しの下町女の癖である。ただし、運転している人の注意をそらして、事故でも起こされたら大変だから、相手が熟練した人、つまり、かなりの年輩者の場合が多い。
そういう人との話題はとかく、世相の移り変わりになりやすい。しまいには、先を譲っても道を教えてもひと言の挨拶もない若いドライバーたちへの不満から、年寄りの話はすべて古いのひと言で片づけ、物を粗末にするわが子への嘆きになってしまうこともある。
「まったく……親がどんなに苦労したかも知らないで、なんでも金で買えると思っているんだから、情けないことですよ」
こちらも、あの戦争前後、一枚のシャツ、一升のお米を手に入れるため、散々辛い思いをしているから、その気持ちはよくわかる。
「ほんとに今の人たちは、ねえ」
「罰が当たりますよ、そのうち、きっと」
若い人たちが自由気ままな格好でブラついている東京・原宿の華やかな商店街を走りながら、お互いに溜息をついたこともあった。
ある日、その同じ通りで、若い運転手さんがしきりに私に話しかけた。一年ほどまえ、東北の村から出てきたそうで、きかん気らしく、キリッとしまった顔つきだった。
いつまでもこんな仕事をする気はない。いまにウンと金をもうけて、ここを歩いているヤツらを見返してやる。そのために、歌手になるつもりで休みの日には演歌の稽古をしているという。
「有名になれば一日二百万円もかせげる、って週刊誌で読んだけど、本当でしょうね」
思いつめたような目をしている。
返事に困った。そういう人は何万人に一人ぐらいで、努力のほかに運もあるのだから……などと言っても耳をかさない。ただ、どんなことをしても金をもうける、と繰り返すだけである。なぜ、そんなにお金が欲しいのか、ときいたら、あきれたように笑いだした。
「そりゃあ、しあわせになるためですよ。金さえありゃあ、ホラあすこの店のいかせる服だって、その先のでっかいステレオだって、高級マソションだって、女の子だって……」頬を上気させて果てしない夢を語る青年のせつない気持ちは、私にも伝わってくる。
「わかるけど……お金で買えないものもあるのよ。戦争中、私たちはみんな……」
言いかけたトタンに、ピシッととめられた。
「よしてください、そんな話。僕たちは戦争を知らないんだから……今は、お金で人の気持ちも買えるんです。金さえあれば、みんなついてくるから、日本中、自分の思うように動かすことだって出来るんだから……」
車は議事堂の前を走っていた。それから銀座裏で降りるまで、お互いに黙っていた。青年は昂然(こうぜん)と車を運転し、私は撫然(ぶぜん)と客席に座っているよりしようがなかった。
その夜、なんとなく眠れなかった。
「世代の断絶」「対話の不足」「話せばわかる」などの言い古された言葉が、頭の中に浮かんだり、消えたりするが、どれも皆、はかなく頼りないような気がして心細かった。
生まれ育った環境や、それまでの人生経験がまるで違う人たちの間には、どんな言葉でも理解できないものがあるのではないだろうか。現実に生きてきた社会が違う老人と若者の間には、厚くて高い垣がある。それは「同じ日本人なのだから」とか「血がつながった間柄じゃないか」ということだけでは、どうしても越えられないものらしい。
「私の経験を下敷きにした考え方ややり方を、若い人たちに押しつけないようにしよう。ただ、いつかその人たちが途方にくれたとき、ふと思い出してくれれば、それで結構」
そう思ったら、やっと眠れた。ヤレヤレ。
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p172-174)
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聞き上手は相づち上手
対等な立場を保ちながら話の方向を制御
打ち合わせや商談をうまく進めるには、聞き上手になって相手の話を引き出す、というのが常識だ。ではおとなしく聞いていればいいのかといえば、答えはノー。一段上の聞き上手になるにはどうすればいいか。
「話すと聞くは対等。ハハーとへりくだって聞いていては何も伝わってこない」と話すのはコミュニケーションスクール・とも子塾(東京都渋谷区)を主宰する今井登茂子さん。
相手に話しやすくさせる三つの技術があるという。笑顔で「こんにちは」「初めまして」と挨拶(あいさつ)するのは基本で、問題は次に続ける一言。「第二の挨拶」が気持ちを和らげるのに重要だ。初対面なら会社や業界の前向きな動きについて一言語る。顔見知りなら、お祝い事や趣味に振り「そうなんですよ」と相手が乗ってくるようにしたい。
会うことが決まっていれば、日程確認の事前のファクスに何か話題を添えておき「あのファクスにも書いたのですが」と振るのもいい手だ。この「第三の挨拶」にはうわさ話、政治や宗教、あるいは論争になりがちな話題はふさわしくないので要注意。
第二の技術が「キャッチ&リターン」。相づちの有効活用で、まず「ええ」「はい」と小さなうなずき、安心感を与える。「そうですね」「なるほど」と相手の話を肯定し満足感を高める。さらに相手に意図は伝わっていることを確認してもらえるよう短い感想、質問を挟むことで、信頼感が生まれる。
また必ずしも肯定できない内容には聞き終えてから、それは違うと反論するのでなく、その場で「ほう、OOですか。なぜなんですかね」と質問形でさりげなく、疑義を挟んでおく。この方があとの話が早い。
三つめが「感性のしりとり」。ずっと神妙に聞いていたのに、自分が話すとなると、突然らんらんと目を輝かせて身を乗り出すというのでは、今まで我慢して聞いてあげていたのだといわんばかり。聞くときから相手のテンションに合わせておくのが基本だ。
おしゃべり好きの相手の話を止めるノウハウも重要だ。企業の研修などを手がけるマーキュリッチ(川崎市高津区)の西野浩輝社長は「話に割って入り主導権を握る技術を持とう」と提案する。
相手が相談を持ちかけてくるようなときは聞き役に徹すべし。しかし、西野さんが「訓示型」と分類する自慢話など本筋と離れた話を続ける相手には対策を講じなければならない。
まず相づちを打つことから準備を進める。「うんうん」「なるほど」に加え、相手の「××なんだよ」という言葉じりをとらえ「ほう、××なんてすか」とすかさず言葉を返す。さらに 「ということは、△△なんてすね」などと言葉を換えて繰り返す。こちらの発言機会を増やし、聞き手の存在を思い出させよう。
訓示型の話を開き続けていると、例えば営業の場合「話し手(客)は神様、営業マン(聞き手はしもべ」という力関係が固められていく。豊かな相づちは相手との対等な立場を保つために重要だ。
こちらのペースに戻すには質問を発するのが効果的。「……ということは○○なんでしょうね?」。「今のお話は要約すればOOということですね」という、話をまとめる方向や「生意気ながら正直に言いますと、私は○○と思います」という意見でもいい。相手がうなずいたり短い返答で息継ぎをしたりしたらこちらのもの。
「なるほど」と相手の言葉を承認しながら「それに関して言うと、こんな話もあります」「ちょっと別の視点で申し上げると」とつなぎの言葉を添えて、自分の伝えたい話題に転ずる。話の転換は大胆に。論理がかみ合わなくてもいい。意見は理解したと強調しつつ、あなたのための提案をしているという姿勢を保てば問題ない。
(日経新聞 040508)
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語りあいという方法論
本書が青年を理解する方法論として重視したいのは、青年と語りあうことである。青年の語りのなかにあらわれる矛盾や危機、あるいは揺れ、そしてその解決のしかたが青年の理解を促してくれると思うからである。
私たちは話をするとき、自分の思いが相手にきちんと伝わることを意図している。しかし、いつもそうなるとはかぎらない。すれ違ってしまうことも少なくない。これは一種の危機である。もう二度と話すものかと思うこともある。ところが、その危機をとおした意外な展開のなかで、話し手も気がついていなかった新しい何かがつけ加わることもある。
危機とは少し違うが、新しい何かが加わるという点では、こんなことがあった。私はゼミで学生の無気力の問題を検討しているとき、学生に「大学の授業がおもしろくないと思うか」と聞いてみた。すると、ほとんどが「そうだ」と答えた。「授業にまじめに出ていたとしても、身は入っていない」と言う学生もいた。「授業によってはおもしろいものもある」と言う学生もいた。
ところが、ある学生が、ふと、「高校のときは、授業がおもしろいかどうかって、考えなかったんじやないか」と言った。そう言われてみて、みんなも私も「そうだな」と思った。なぜ大学では授業がおもしろいかとか考えるんだろう、そんな方向に関心が向いた。彼の一言で、大学の授業がおもしろいかどうかではなく、そうした問い自体を問うという、より根源的な問いになったのである。学問の問いは根源的な問いである。ここでは、学問への入口に入ったといえるのである。
Aといったことを話したら、受け手がそれを受け止めたうえでAとして返してくれたとする。さらに別の受け手がyとして話を発展させていくというように、話のなかで今までの話をふまえながら、新しいものをつけ加えていく。このことは、対象(ここでは、問い)を前に対等な関係のなかにいるから可能になる。他者の期待を受けながら自分を投げ出し、それをだれかが受け止めて、さらにつけ加えてくれることで、問いが発展していく。
私のゼミのモットーは「一緒に積み本を積んでいこう」である。私が積み本をひとつ置いたら、そのうえにだれかがもうひとつの積み本を置く。さらにそのうえに別のだれかが置いていく。こうしたことで、少しずつ高いところへと議論が発展していく。しかも、その議論をみんなが共有している。これが学びあうことでもある。それを積み本のたとえ話で学生に話している。
私たちの心は自己完結していない。他人の一言がきっかけにならないかぎり、自分の心のなかの箱さえ開けることができないことも多い。箱を開ける鍵は他人がもっている。しかも、その鍵をだれがもっているのかは、本人にはわからない。親友だけがもっているとはかぎらない。自分と似た者どうしがもっているともかぎらない。意外と、価値観が違うひとや年齢や境遇の離れたひとたちの一言のなかに、鍵を開ける秘密が隠されていたりする。
若者が自分のことばで自分を表現することで、社会とかかわり、自分を変えていくきっかけとなる。若者が変わった時点で自分で自分を表現してくれたら、さらに私たちは若者を理解することができる。
語りあいは、大人が青年を知る方法であるばかりでなく、青年が自分を発見するための方法でもある。そして、青年が主体者として社会にたちあらわれ、現代社会を前に共同していくための方法論でもあると考える。
(白井利明著「大人へのなりかた」新日本出版社 p33-35)
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◎対話が無ければはじまらない。自分の思いを説明できても対話にならない場合がたくさんある。対話にもルール(技術でのあり原則でもある)があるのだろう。
学習通信≠フバックナンバーでも取り上げています。