学習通信040123
◎「男ぶりのいいのは運の賜物だが、読み書きは自然にそなわるものだ」
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「つら」の凄味
話を一般庶民の祖母に戻そう。
明治・大正という時代には、女学校では「卒業面」ということばがあったらしい。
「そつぎょうめん」ではない。それでは「ワンタンメソ」みたいではないか。「そつぎょうづら」と読む。
「づら」というところになんともいえない凄味がある。
福原麟太郎氏が「顔について」の中で次のように書いている。
いいツラの皮だと、吐き出すように言わねば気がすまぬ時を除いて、ツラというのは、顔に対して残酷無慚(ざんこくむざん)である。人間の尊厳をそこなう言葉だ。人間の顔は大切にしなければならない。顔が立たない、などいう時に、ツラが立たない、と言うかも知れないが、そういう時、顔とツラとは、立てるべきものの種類がすこし違っているようだ。ツラの方には、すこし横車の趣きがある。(『福原麟太郎集』、彌生書房、一九八一年)
「つら」ということばに内包されるものは善意とは遠い。
だから「卒業顔」ではなく「卒業面」だったということが凄いのだ。
語感からの印象は、女学生にふさわしくないという感じだ。ふさわしくないというだけではなく、そのことばを冠せられた女学生はその尊厳をも損なわれていたのかもしれない…。などという深刻さは祖母からはまったく察せられなかった。祖母のもっともよいところは、たいへんにおおらかなこと。
このことば、もちろんおおやけにされていたわけではない。主に、先生方が陰でささやいておられたようだ。
入学してきた女学生たちを見て「卒業面」とそうでないものにこっそり分けてみたりしていたに違いない。もちろん「卒業面」と認定されるのはごく僅かであったことは容易に想像がつく。現在ならば学園美人コンテストの逆パターンのようなものだ。というのは教職に就かれたことのある、祖母の女学校の先輩からうかがったことであるから間違いなかろう。これは、知る人ぞ知るといった類のことばであることだけは確かだ。
祖母は、にこにこしてこういった。
「私が卒業面の代表ってことよ。まあ、智子も私とそっくりだからそういうことかしらねえ……」
(なにっ。なんなのよ。卒業面って)
大学三年生の私は心の中で叫んでいた。
実はなかばその答えがわかっていながら、というよりはそのことばの意味するところをほぼ完全に理解していながらも、聞かずにはいられなかった。聞くというよりは、詰問に近い心理状態であったことが今でもはっきりと記憶にある。
祖母はにこにこして答えた。
曰く、絶対に勉学の途中で結婚退学をすることのない器量の悪さをさして「卒業面」なのだ。
(陶知子著「不美人論」平凡社新書 P28-31)
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顔と手の役割
顔と手は、人のからだのなかで、いちばんよく動く部分である。足もわりあいに動くほうだが、下のほうにあって目立ちにくい。顔のなかでは、目がいちばんよく動く。女の人では、口のほうがよく動く場合もあるが、まばたきにはかなわない。まばたきは、目をつぶらないかぎり、決して止まらないからである。手もまた、たいへんよく動く。なにをするにしても、なにかする限り、手が動かないことはめったにない。
動いている手や顔、顔のなかでも目、こうした部分は、相手が注目する部分でもある。そこに注目して、なにをするのか。「表情を読む」のである。こういう働きを、コミュニケーションという。すなわち情報を伝える。私たちはふだん、情報を伝えるのは、ことばの働きだと思っていることが多い。しかし、ことばだけではない。私たちのからだは、よく「情報を伝える」のである。ジェスチュア・ゲームというのを、やったことがあるのではないだろうか。「食べる」ことくらいなら、ジェスチュアで簡単に伝えられる。
もっとも、ことばが伝えるような「意識的な」情報を、からだにやらせることは、うまいやりかたではない。耳が聞こえない人が手話を使ったり、外国でことばが通じないときに、身ぶり手ぶりを使う。これはあくまで、ことばの代用、やむをえないときに利用する手段である。
私の先輩が、外国に行った。ことばができないので、「朝の六時に起こしてください」という簡単なことが言えない。そこでまず、腕をパタパタさせて飛ぶまねをし、コケコッコーと鳴いた。それから指を使って、「六」を何度も見せた。そうしたらボーイが「わかった、わかった」というふうにニコニコと大きくうなずいて、向こうに行った。しばらくしたら、ゆで卵を六個、運んできた。
からだが伝えるのは、こういう情報ではない。「無意識の」情報なのである。口をきかなくても、からだやその表情を見ればわかることは、じつはたくさんある。たとえば、お父さんが相手なら、
「今日はきげんが悪そうだ、いまおこづかいをちょうだいと言わないほうがいい」
そんな判断をすることがよくあるのではないか。初めて今う人の場合なら、
「気難しそうだ」
「頭が悪そうだ」
「人がよさそうだ」
といった判断をする。
こうした判断のもとになる「からだの表情」、それは、自分でそう「見せよう」としてこしらえているものではない。見せるほうからいえば、相手に「自然に読まれてしまう」のである。かといって、表情を読んでいるほうも、わぎわざ読もうとしているわけではない。やっぱり、「自然に読めてしまう」。
読むほうも、なぜ読めたか、それが説明できるとは限らない。せっかく嘘をついたのに、顔でバレてしまった。そんな経験はないだろうか。だから、からだの伝える情報は、「無意識」なのである。「意識」のほうは嘘をつくつもりなのだが、「無意識」がそれを裏切る。
さて、死体に戻って、よく動くはずの、その表情がまったく動かなかったら、どうだろうか。解剖の場合には、いま目の前にいるのは、死んだ人である。だから当然、「動かない」。でも、たとえ死んだ人であっても、人間には変わりがない。私たちはふだん人間を見慣れているから、たとえ相手が死んだ人でも、やっぱり人間として見てしまう。
手を見れば、その手の表情を見る。見るというより、無意識に「読む」のである。ところが、その手が動かないとすれば、表情の読みようがない。読めない表情は、とてもぶきみなのである。
人形やお面を、ふと、ぶきみに感じたことはないだろうか。こわい映画で、こういうものが使われることがある。人形の顔もお面も、「動かない表情」を持っているという意味では、案外死体に似ている。フランケンシュタインのぶきみさも、同じである。映画のフランケンシュタインは、ほとんど顔が動かず、表情がない。
私たちは、手や目がよく動くことに、いつのまにか慣れてしまっている。それが「あたりまえ」になっているのである。だからその「あたりまえ」が「あたりまえ」でなくなると、どう考えたらいいか、わからなくなる。どう考えたらいいか、それがわからないということは、よく考えてみると、ぶきみに通じる。よくわかったことなら、特にこわくはないからである。
相手は死んだ人だ。それはよくわかっている。そこで、その人の手や目を見るとする。その日が突然開いたら、どうか。恐怖映画に、そういうシーンがときどきある。手を見ている。それが突然、動いたらどうか。とてもこわい。では、なぜそんなことを考えるのか。
それは人間には想像力があるからだが、それだけではない。死というものが、結局は「よく理解できない」ものだからである。よく理解できないことが起こった以上、その先に「なにが起こってもおかしくはない」。そこから、ぶきみさが生じるらしい。
そういうわけで、おなかのように、ふだんよく見てもいないし、ほとんど動かないところは、生きた人の状態とあまり変わらない。そういう部分は、気味がわるくない。どのみち表情など、はじめからほとんどないからである。
(養老孟司著「解剖学教室へようこそ」筑摩書房 P39-46)
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人間の顔について
顔ってなんだろう、と私は考える。マルクスは『資本論』のなかで、「顔のよしあしは境遇しだいだが、読み書きができるかどうかは生得のものだ」ということばを、シェークスピアの戯曲『むださわぎ』から引用している。
無学なくせに学のあるところを見せたがるお人好しの警官ドッグベリーが得々としてしゃべる文句の一節。もちろんこれは話が逆で、「顔のよしあしは生得のものだが、読み書きができるかどうかは境遇しだいだ」というべきところをいいちがえているわけだ。だが、ひょうたんからコマがでる、ということがある。
この文句の前半にかんするかぎり、ドッグベリーはもしかしたら、案外な真理を無意識のうちにいいあてているのかもしれない、と思う。
というのは、ここでリンカーンのことばが私には思いだされてくるのだ。「人間は、四〇をすぎたら自分の顔に責任をもて」とリンカーンはいった。田中角栄は、まちがいなく四〇をすぎているはず。あの顔は親に責任のある顔だろうか──つまり「生得」のものだろうか? あきらかに「境遇」によるものだと思う。
もちろん、ここでいう「境遇」とは、生まれおちた環境ということではない。自分できりひらき、つくりだしていくものとしての境遇だ。そんなふうに境遇をきりひらきつくりだしていったことを角栄氏はつねに誇っている。あの顔はそんなふうにして彼自身がつくりあげていった顔だ。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 P12-13)
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さっき話したような青年の顔を見ると、落ち着いた人に不快の念をあたえ、やりきれなくなるような、なんとなく生意気なところ、猫をかぶったようなところ、気どったところを感じずにはいられない。
ところが、わたしの生徒の顔には、満足感、ほんとうに朗らかな心を示し、尊敬、信頼感を呼び起こす表情、かれに近づく人々に友情を感じるためにひたすら相手の友情の発露を待っているようにみえる、人をひきつける素直な表情を見ずにはいられない。
容貌というものは、自然によってすでにしるされている線をたんに拡大したものにすぎないと人は考えている。わたしは、そういう拡大ということのほかに、人間の顔の線は、ある種の心の動きのひんぱんな、習慣的な印象によって知らずしらずのうちにできあがってきて、一定の特徴をもつようになると考えたい。
そういう心の動きは顔に示される。これ以上にたしかなことはない。そして、それが習慣になると、そこに永続的な印象を威すことになる。こういうわけで、容貌は性格を示すものとわたしは考える。そして、ときには容貌で性格を判断することができるのであって、それには、わたしたちがもたない知識を予想する神秘的な説明をもとめるようなことをする必要はないとわたしは考えている。
子どもは、喜びと苦しみという、はっきりわかる二つの感情しかもたない。子どもは笑うか泣くかするだけだ。中間的な感情は子どもにはなんの意味もない。子どもはたえずそれら二つの感情の一方から他方へ移っていく。このたえまない交代は、それらの感情が子どもの顔に変わらない印象をあたえることをさまたげ、その顔が特徴をおびることをさまたげる。
ところが、もっと感じやすくなって、もっと強く、あるいはもっと継続的に心を動かされる年ごろになると、いっそう深い印象がもう容易には消しさることのできない跡を残すようになる。そして、習慣的な心の状態から線の配列ができあがり、それは時とともにぬぐいさることのできないものになか。それにしても、時期によって人の容貌が変わるというのはめずらしいことではない。
わたしはそういう例をいくたびか見たことがある。そして、わたしにいつもわかったことは、わたしが十分によく観察して変化の跡をたどることができた人たちは、習慣的な情念も同時に変わっていったことだ。十分に確認されたこの事実だけでも決定的だと思われるし、これは教育論のなかでもちだしてもおかしくないことだと思う。教育においては、外部のしるしによって心の動きを判断することを学ぶのはたいせつなことだ。
世間のしきたりになっているやりかたをまねることを学ばなかったために、そして、感じてもいない感情をよそおうことを学ばなかったために、わたしの青年はそれほど人に好かれないようになるかどうか、わたしにはわからないが、それはここでは問題にしない。
ただ、かれがいっそう人を愛する人間になることだけはわかっている。そして、自分だけを愛している者が、じょうずに自分の感情をいつわって、他人にたいする愛着からあらたな幸福感をひきだす者と同じ程度に、人に気に入られるとはわたしにはとても考えられない。
もっとも、この幸福感がどういうものであるかについては、この点について理性的な読者を導いていけるだけのことは、そして、わたしが矛盾したことを言っているのではないことを証明するにたるだけのことはもう十分に話しておいたと思う。
(ルソー著「エミール -中-」岩波文庫 P46-47)
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これまでまだどの化学者も、真珠やダイヤモンドのなかに交換価値を発見してはいない。
ところが、批判のするどさをとくに自負するこの化学的実体の経済学的発見者たちは、物の使用価値はそれらの物的属性にはかかわりがないが、これにたいして、それらの価値は物としてのそれらに属するということを見いだすのである。
ここで彼らの見解を確証するのは、物の使用価値は人間にとって交換なしに、それゆえ物と人間との直接的関係において実現されるが、反対に物の価値はただ交換においてのみ、すなわち一つの社会的過程においてのみ、実現されるという奇妙な事情である。
ここで、あのお人よしのドッグベリーを思い出さない人があろうか。彼は夜番のシーコウルに教えて語る。
「男ぶりのいいのは運の賜物だが、読み書きは自然にそなわるものだ」。(マルクス著「資本論 @」新日本新書 P142)
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◎時代に生きることで、私たちの顔≠ェ変わるのだろうか。未来へツケ≠つくらない生き方がとわれています。