学習通信031217
◎人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことが……
 
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 エミールが生命とはどういうものか知るようになったら、それを保存することを準えるのかわたしの第一に心がけることになる。これまでわたしは身分、地位、財産などの差別をみとめていないが、これからもいままで望にみとめるようなことはほとんどしないだろう。人間はどんな身分の人間でも同じだからだ。富める者は貧しい者よりに大きい胃袋をもっているわけではなく、いっそうよく消化するわけでもない。
 
主人は奴隷よりも長くて強い腕をもっているわけではない。高貴の人は人民に属する人より背が高いわけではない。そして、結局のところ、自然の必要はすべての人にとって同じなのだから、それをみたす手段はすべての人にとって同じであるはずだ。人間の教育を人間にとってふさわしいものにするがいい。人間でないものにふさわしいものにしてはいけない。
 
あなたがたは、ある身分だけにふさわしい人間をつくろうと努力して、その人をほかの身分にあってはぜんぜん役にたたない人間にしていること、そして運命の女神の気が変われば、その人を不幸な人間にするために努力しただけになることがわからないのだろうか。大貴族が乞食になって、みじめな状態におちいりながら、その生まれからくる偏見をもちつづけていることくらいこっけいなことがあろうか。
 
貧しくなった金持ちが、貧しい者にあたえられる軽蔑を思って、このうえないみじめな人間になったとみずから感じることくらい卑しむべきことがあろうか。生活の道としては、一方には公然の悪者という職業があるだけで、他方には「わたしは生きていかなければならない」というすばらしいことばを口にしながら卑屈なことをする下僕の仕事があるだけだ。
 
 あなたがたは社会の現在の秩序に信頼して、それがさけがたい革命におびやかされていることを考えない。そしてあなたがたの子どもが直面することになるかもしれない革命を予見することも、防止することも不可能であることを考えない。高貴の人は卑小な者になり、富める者は貧しい者になり、君主は臣下になる。
 
そういう運命の打撃はまれにしか起こらないから、あなたがたはそういうことはまぬがれられると考えているのだろうか。わたしたちは危機の状態と革命の時代に近づきつつある。その時あなたがたはどうなるか、だれがあなたがたに責任をもつことができよう。
 
人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことができる。自然が押したしるしのほかには消すことのできないしるしはない。
 
そして自然は王侯も金持ちも貴族もつくらないのだ。そこで、もっぱら高い身分にある者として教育されたお大名は低い身分に落ちたときどうするのか。はでな暮らしをしなければ生きていけない金満家は貧乏になったときどうするのか。
 
自分の身をつかうことを知らず、自分の存在を自分の外にあるものにまかせている豪勢な能なしはすべてを失ったときどうするのか。そういうことになったとき、自分から離れていく身分をすすんで捨てることができ、運命の打撃にもかかわらず、人間として生き残れる者はしあわせだ。
 
戦いに敗れ、狂乱のはてに王座の残骸に埋もれようとする王者を賞讃したければ賞讃するがいい。わたしはそういう王者を軽蔑する。わたしの見るところでは、そういう者は王冠のおかげで存在するにすぎず、王でなくなれはまったく何者でもなくなるのだ。
 
ところが、王冠を失ってもそんなものを必要とせずにいられる者は王者よりも高い地位にあることになる。国王の位などは卑怯者でも悪人でもばか着でも、だれでもけっこう占めることができるのだが、かれはそこから人間の地位へ、ごくわずかの人しか占めることができない地位へ昇るのだ。そのときかれは、運命にうちかち、勇敢にたちむかう。かれのものはすべてかれひとりの力で得られたものだ。
 
そしてかれは、自分のほかに見せるものがなくなったときにも、無意味な存在ではない。かれは何者かだ。そうだ、わたしはコリントで学校の先生になったシラクサの王やローマで書記になったマケドニアの王のほうが、支配者でなくなればどうなるか知らなかったみじめなタルクィニウスや、その哀れな状態をあざわらおうとする人々のなぶりものになり、宮廷から宮廷へとさ迷いあるいて、いたるところに助けを乞いながらいたるところで辱しめにあい、もう自分の力ではできない職業のほかにはすることを知らなかったあの三つの王国の所有者の後継ぎより、百倍も好きだ。
 
 人間であり市民である者は、だれであろうと、自分自身のほかにはどんな財産も社会にあたえることはできない。ほかの財産はすべてかれがどう考えようと社会のものだ。
 
そこで、ある人が富んでいるなら、その人はその富を利用していないか、公衆もそれを利用していることになる。第一の場合にはその人は自分がつかわないでいるものを他人から盗みとっているのであり、第二の場合にもその人は他人になに一つあたえていないのだ。だからその人がその財産だけで支払いをしているかぎりは、かれの社会的な負債はすべてそのまま残ることになる。
 
しかし、わたしの父はその財産を得たときに、社会に貢献したのだ‥…・。そうかもしれない。あなたの父はその負債を払ったのだ。しかし、あなたの負債を払ったのではない。あなたは財産のない家に生まれたばあいよりもいっそう多くの負債を他の人々に負っている。あなたはめぐまれた身分に生まれたからだ。ある人が社会のためにしたことが別の人間の社会にたいする負債をまぬがれさせるというのは正当なことではない。
 
人はみな自分のもっているものをいっさい借りているのだから、自分のためにしか支払いをすることができないし、どんな父親にしろ、仲間にとって無用な人間でいられる権利を息子に護り渡すことはできないのだ。ところが、あなたの考えによれば、父親は息子にその富を、つまり労働の証拠と代償を、譲り渡すことによって、まさにそういうことをしているのだ。
 
自分でかせがないものをなにもしないで食っている者は、それを盗んでいるのだ。
 
だから、なにもしないのに国家から支払いをうけている年金生活者は、わたしの目から見れば、通りかかった人を犠牲にして生活している山賊とほとんど変わりない。社会の外にあって孤立している人間は、だれになに一つ借りているわけではないから、好きなように生活する権利をもっている。
 
しかし社会にあっては、人間は必然的に他人の犠牲によって生活しているのだから、かれはその生活費を労働によって返さなけれはならない。これには例外はない。だから、働くことは社会的人間の欠くことのできない義務だ。金持ちでも貧乏人でも、強い者でも弱い者でも、遊んで暮らしている市民はみんな悪者だ。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p345-348)
 
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解 説
 
 レーニンがこの本を書いたのは、いまからちょうど三五年まえ、大正九年のことである。大正九年といえば、ロシアではじめて社会主義革命が成功して、全世界に大きな影響をあたえていた最中で、日本でも、その影響をうけて、当時の日本人の四人に一人が参加した「米騒動」がおこってから二年目、日本が植民地としておさえていた朝鮮で約一〇〇万が民族の独立を要求してたちあがった「万歳事件」の翌年にあたる。
 
この本が出た年には、天皇制のひどい弾圧のなかで、八幡製鉄所の二万三〇〇〇人の労働者たちが、日本労働運動の歴史にのこっている大ストライキを決行している。すぐ二年あとには、日本に共産党がうまれた。
 
 こういうことは、けっして偶然におこったものではなかった。ロシア革命がおこるまでは、国民のだれもが、政治は金持ちがやるもので、貧乏人が天下をとるなどということは夢にも思っていなかった、といっても、言いすぎではない。だから、大十月ロシア社会主義革命がおこったときに、友愛会(のちの労働総同盟)の機関誌『労働と産業』の懸賞論文で、ある労働者はこう書いている。
 
 「私はいままで口ぐせのように子供たちにこう言ってきかせていた。おまえらは、おれのような貧乏職エの家にうまれたのが、取りかえしのつかぬ不運だとあきらめてくれ!と。ところが迅雷ヘキレキのごとくロシアに大革命がおこって、またたく問に天下は労働者の手に帰してしまった。……私はおどりあがった。そして家にかけこんで子供等をだきしめてこうさけんだ。『オィ小僧ども、心配するな、おまえたちでも天下をとれるんだ!』……いわばロシアの革命は、われわれに生きる希望をあたえてくれたのだ」
 
 これは、社会革命と総理大臣になることをいっしょにしたような言いぶんであるが、たとえ今日からみれば幼稚であるにしても、こんな形で社会の変革を実感したのである。これはわが国だけでなく世界のどこにもひとしくおこったことである。搾取と抑圧のあるところでは、どこでもロシア革命は解放の目標として眼にうつったのである。
 
フィンランド、オーストリア、ハンガリア、ドイツなどでは革命がおこった。そしてヨーロッパ全体にわたって労働運動が大きく発展しはじめた。トルコやインド、インドネシアその他では、アジアの数倍の民族が、帝国主義のくびきからのがれて、民族の独立をかちとろうとする運動にくわわった。──略──
 
 労働者階級を搾取と貧乏から解放し、あかるく、ゆたかな人類社会をきずきあげることをめざしている共産党のまえには、こういう矛盾を、科学的に正確に評価して、自分からたたかいはじめた大衆ばかりでなく、闘いに立つことのできるすべての大衆とかたく手をにぎりあって、広大な大衆の団結の力を発揮させるという、非常にたいせつな任務があたえられていた。
 
 そのためには、古い型の小さな社会主義政党ではなくて、広大な大衆から信頼され、これらの大衆とかたくむすびつくことのできる、新しい型の革命的大衆党をきずきあげることが、どうしても必要になったのである。(レーニン著「共産主義における「左翼」小児病」国民文庫 p151-152)
 
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 「この歴史的スケッチ」(イギリスにおけるいわゆる(資本の本源的蓄積)の発生についての)「は、マルクスのこの本〔『資本論』〕のなかでは、比較的にまだしも最良の部分であって、もしそれが、学者ぶりという松葉杖のほかにさらに弁証法という松葉杖にすがって歩くというのではなかったら、もっとよかったであろうに。
 
ここでは、つまり、ヘーゲルの(否定の否定)が、もっとよいもっと明確な手段がないために、過去の胎内から将来を分娩させる産婆の役をつとめなければならないのである。そこにざっと示されているような仕方で一六世紀以来行なわれてきた個人的所有の止揚が、第一の否定である。これに第二の否定が続く。
 
これは、(《否定の否定》であり、したがって『個人的所有』の再建ではあるが、しかし、土地と労働手段との共有にもとづく、それまでよりも高次の形での再建である)、と特徴づけられているのである。
 
この新しい『個人的所有』がマルクス氏のもとでは同時にまた『社会的所有』とも名づけられたのは、むろんここにヘーゲルの言う一段高次の統一が示されているわけであって、この統一では、矛盾が止揚されている──と言うのはつまりことばのしゃれで、それによると、矛盾が克服されると同時に保存されているのだという──のである。
 
……<収奪者の収奪>というのは、これで見ると、歴史的現実がその物質的な外的な諸関係のうちにいわば自動的に生み出した結果だ、ということになる。……分別のある人間ならば、<否定の否定>といったようなヘーゲルのぺてんを信用して、(土地と資本との共同所有制は、必ずやってくる)、と納得することは、まずないであろう。
 
とにかく、ヘーゲル弁証法を科学的基礎として、いったいどれほどつじつまの合ったものができるかを、と言うよりもむしろ、どれほどつじつまの合わないものが生まれてくるに違いないかを、知っている人なら、マルクスの諸観念のもうろうとした雑種形姿を見ても、けげんに思うことはないであろう。
 
こういう手管を知らない人のためにはっきり言っておかなければならないのは、<ヘーゲルの言う第一の否定とは、堕罪という教理問答書の概念であり、第二の否定とは、救済へ通じる一段高次の統一という教理問答書の概念である>、ということである。
 
ところで、宗教の領域から借りてきたばからしい類推にもとづいて事実の論理を立てることは、たぶんできないであろう。……マルクス氏は、その<個人的であると同時に社会的な所有>というもうろう世界に安んじてとどまっていて、この深遠な弁証法の謎を解くことは、自分の思想に精通した門弟たちが自分でやるのにまかせている」。
ここまでが、デューリング氏のことばである。
 
 つまり、マルクスには、社会革命の必然性を、土地と労働で生み出された生産手段との共同所有〔にもとづく社会制度〕が打ち立てられる必然性を、ヘーゲルの<否定の否定>を証拠として引き合いに出すほかには証明することができないし、マルクスは、自分の社会主義理論を宗教から借りてきたこういうばからしい類推にもとづいて築くことによって、<将来の社会では、ヘーゲルの言う矛盾を止揚した一段高次の統一として、個人的であると同時に社会的な所有が、根をおろすことになる>、という結論に達している、というのである。
 
 <否定の否定>はさしあたりそのままにしておいて、「個人的であると同時に社会的な所有」というものを調べてみよう。
 
デューリング氏は、これを一つの「もうろう世界」と名づけており、この点では、珍しいことに本当に正しい。しかし、このもうろう世界に住んでいるのは、残念ながらマルクスではなくて、またしてもデューリング氏ご本人なのである。
 
すなわち、すでに前のほうで、ヘーゲルの「うわごと」の方法に熟達しているおかげで、『資本論』のまだできあがっていない諸巻の内容がどんなものになるはずかを苦もなく確定することができたように、氏には、ここでも、マルクスがひとことも言ったことのない<所有の一段高次の統一>などというものをマルクスになすりつけることによって、たいして骨も折らずに、マルクスをヘーゲルによって訂正することができるのである。
 
 マルクスでは、こう言われている、
──「これは否定の否定である。この否定は、個人的所有を再建するが、しかし、資本主義時代の成果──すなわち、自由な労働者たちの協業と、土地の、ならびに労働そのものによって生産された生産手段の、彼らの共同所有と──を基礎として、そうするのである。
 
諸個人の自己労働にもとづく分散的な私的所有の資本主義的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産経営にもとづいている資本主義的な私的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならないほど長くかかる、苦しい、困難な過程である」
〔『資本論』第二版、七九三ページ。第二版の文言は現行版と異なっている。訳者注解、参照〕。
 
ただこれだけである。
<収奪者の収奪>によってつくりだされる状態は、つまり、<個人的所有の再建であるが、しかし、土地および労働そのものによって生産された生産手段の社会的所有を基礎としての再建である>、と言われているのである。
 
これは、ドイツ語のわかる人ならだれにとっても、<《社会的所有》というのは、土地とその他の生産手段とに拡がっており、《個人的所有》というのは、生産物〔初版では「それ以外の生産物」〕すなわち消費対象に及んでいる>、とういう意味である。
 
そして、事柄が六歳の子どもにもわかるように、マルクスは、〔『資本論』第二版の〕五六ページで、「共同的生産手段で労働し、自分たちの多数の個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する、自由な人びとの連合体」を、つまり、社会主義的に組織された連合体を、想定して、こう言う、──「この連合体の総生産物は一つの社会的生産物である。
 
この生産物の一部分は、ふたたび生産手段として用いられる。この部分は、依然として社会的なものである。
 
しかし、もう一つの部分は、生活手段として、連合体の成員によって消費される。
 
この部分は、だから、彼らのあいだで分配されなければならない」
〔Ta 一三三ページ、@、同ページ〕、と。そして、これは、なんと言ったって、デューリング氏のヘーゲル化した頭にとってさえ、十分に明瞭なことではないか。──略──
 
 これまでは、<デューリング氏がしっこくくりかえして間違った引用をするのは、少なくとも善意でやっていることで、氏にもともと理解能力がまったくないためか、それとも、記憶をもとに引用するという──壮大な文体による歴史記述に特有な、世間では《怠慢》と言われている──習慣によるものか、そのどちらかなのだ>、という前提に立って議論してきた。
 
しかし、ここで、デューリング氏においても量が質に急転する点に到達したように思われる。
 
と言うのも、第一に、マルクスの本のこの箇所が、それ自体として完全に明瞭であるうえに、同じ本の絶対に誤解の余地のない別の箇所で補足されている、ということ、
 
第二に、デューリング氏が、前に挙げた『補遺』誌上での『資本論』評でも、『批判的歴史』の初版に含まれる批評のなかでも、「個人的であると同時に社会的な所有」という化け物を発見しておらず、はじめて第二版において、つまり、『資本論』を三度目に読んだときにこれを発見した、ということ、
 
この社会主義的に書き換えられた第二版で、デューリング氏が、マルクスに将来の社会組織についてできるだけひどいばかげたことを言わせ、これと対比して、「私が自分の『〔国民=社会経済学の〕課程』のなかで経済学的および法学的にスケッチしておいた経済コミューン」をそれだけいっそう意気揚々と提出する必要があった──そして、実際にもそうした──、ということ、
 
──すべてこうしたことをよく考えてみると、つぎのような結論がいやおうなしにわれわれの心に浮かんでくるからである、──<デューリング氏はここでマルクスの思想を故意に「有益に拡張している」──デューリング氏にとって有益に──のだ、と推定することをわれわれはほとんど余儀なくされる>、と。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p185-189)
 
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 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
(日本共産党綱領案 第5章)
 
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 第一五節(その三)――「生産手段の社会化」と生活手段の分野での私有財産の保障
 
 この節では、つづく文章で、社会主義的変革の内容が、生産手段の社会化にあることを、明確にしています。
 「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」(第一五節の二つ目の段落)
 この問題は、二段階論を未来社会の中心においていた時には、あまり前面に出なかったことですが、改定案では、これを社会主義的変革と未来社会論の正面にすえました。
 
 社会主義的変革の内容を、マルクス、エンゲルスが「生産手段の社会化」という形で定式化するようになった転機は、実は、一八六七年の『資本論』第一部の完成にありました。マルクスは、『資本論』で資本主義社会のしくみを徹底的に研究し、そこから、共産主義社会への移行の必然性が、どのようにして生まれるのかを分析しました。
 
なかでも、マルクスが注目した一つの点は、工場の現場では、すでに現実に、集団としての労働者が、巨大な生産手段を自分たちの手で動かしている、この労働者の集団が、資本家の指揮のもとにではなく、自分たちで生産手段をにぎり、自分たちの管理のもとに動かすようになることが、社会主義・共産主義への前進となるのだ、ということでした。
 
そこから、マルクスは、社会主義的変革の目標についての「生産手段の社会化」という定式化を生み出したのです。
 
 この定式化は、もう一つの重大な成果を生み出しました。それは、いわゆる私有財産の問題に、きちんとした解決を与えることができるようになったことです。
 
 すなわち、社会化と私有財産の関係について、
 ――この変革によって社会化されるのは、生産手段だけで、生活手段を社会化する必要はない、
 ――逆に、生活手段については、私有財産として生産者自身のものになる権利が保障される、
 こういう形で、問題が理論的に整理されるようになりました。
 
 『資本論』の刊行から間もない時期に、こういう事件がありました。当時、インタナショナル(国際労働者協会)という国際組織ができて、マルクスがその指導的なメンバーとなっていましたが、この組織に、いろいろな方面から、激しい反共攻撃がくわえられました。その一つに、インタナショナルは「労働者から財産を奪う」という非難があったのですが、インタナショナルの会議で、エンゲルスがただちに反撃をくわえました。その立場は明確です。
 
 「インタナショナルは、個々人に彼自身の労働の果実を保障する個人的な財産を廃止する意図はなく、反対にそれ〔個人的財産〕を確立しようと意図しているのである」(全集(17)六一五ページ)
 反撃はきわめて明りょうです。「生産手段の社会化」という定式を確立したことが、私有財産の問題でも、反共攻撃を許さない明確な足場をきずくことに結びついたのです。
 
 この立場は、私有財産の問題での原則的なものとして、改定案に明記されています。
 「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」(第一五節の二つ目の段落)
(綱領改定案についての提案報告 不破議長)
 
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◎私たちが一度も経験したことのない「社会主義・共産主義」とはどういう社会でしょうか。03年から04年の境目……現実の世界と私たちの学習を根拠におもいやる≠フもよいのではないでしょうか。新しい年にむけて……。