学習通信031211
◎市場主義@……市場は人類がつくった最も複雑で、しかも精巧なシステムである
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市場主義の時代が来た
「市場主義」や「市場化」という用語は、あまり定着した日本語ではない。これは、経済学で「マーケット」や「市場(しじょう)」と言う用語で表現される概念から連想したものである。築地の「市場(いちば)」や外国為替「市場」のような具体的に存在する市場のことではない。
多少大げさな言い方をすれば、市場は人類がつくった最も複雑で、しかも精巧なシステムである。しかも、市場の形は時とともに進化を重ねていく。経済成長やその下で実現した生活の豊かさは、市場のメカニズムなしには考えられない。
「市場主義」は社会制度のいろいろなレベルにかかわっている。世界経済の枠組み、日米関係、アジアのダイナミックな動きといったグローバルなレベルの話から、教育・医療・住宅など私たちの日常生活に密着したレベルまでだ。ビジネスの世界でも、企業がこれから生き残りをかけて戦略を練り直すためには、「市場化」という視点で考えていくことが重要である。そして市場の活力を利用しながらいろいろな問題を解決していく姿勢、それが「市場主義」の立場である。
日本の社会は長いこと年功賃金制、終身雇用、メーンバンク制、下請け制度というような独特な仕組みをつくり上げてきた。一部の経済学者は、これを一九四〇年体制と呼ぶ。つまり、一九四〇年前後、日本が戦時体制に移行する過程でできた制度であり、それが戦後の高度経済成長の中でシステムとして確立してきたからだ。
しかし、そのシステムもいまや制度疲労を起こしている。この仕組みを見直すために、「市場」という原点に戻る必要がある。市場を活用して企業間関係、金融市場とのかかわり、労働市場への取り組みなどを一つひとつ見直していくことが、企業にとっていま重要な課題となっている。
企業の中で働いている一人ひとりの人間にとっても、「市場化」は重大な問題だ。
人の一生は経済社会の構造と密接な関わりがある。学校を出てから企業に勤め、いろいろなキャリア、技能を積みながら、仕事を通じて自分の人生を組み立てていく。こうした人生設計は、これまでは企業丸抱えであったと言われた。しかし今後は、自分の持っている能力を、市場の中でどのように生かすかが重要になる。企業のほうも、人を丸抱えするのではなく、市場を通して労働者との関係を築いていく方向に変わるだろう。この問題は第五章で扱うが、要するに市場化が企業の内外で、個人に対して大きな変革を迫ることになる。
政府の役割や政策についても、「市場主義」という考え方が持ち込まれなくてはならない。日本がいま国をあげて取り組んでいる規制緩和、行政改革、地方分権など、これからの日本の制度を考える上で鍵となる幾つかの改革は、「市場主義」という視点をいかに制度の中に取り入れていくかが重要なポイントになる。
第三章で述べるのでここでは詳しくは論じないが、規制緩和というのは、市場の力を使って、閉塞状態にあるいろいろな分野を公的な管理から切り離していぐことである。地方分権は、行政組織そのものの中に、競争メカニズム、選択の自由、試行錯誤、多様性など市場の持つ要素を入れていこうというものである。
こういう改革は、制度論で議論するだけではなく、市場メカニズムという観点からその基本的考え方を整理することが重要なのである。月並みな言い方だが、仏作って魂入れずでは周る。魂の部分を理解しながら、生活者は自分の生活を組み立て、企業は戦略を練り、政府は政策・制度の改革を実行していかなくてはならない。その鍵になるのが、市場というものを我々がどう理解するかということである。
市場のメカニズムの重要性は、市場メカニズムを阻害したために失敗した国々の例を考えれば理解しやすい。それは社会主義経済諸国である。ソ連の崩壊、東欧の改革、中国の変化など、いま世界は社会主義の失敗をはっきりと認めている。
経済学の歴史上、資本主義論争という有名な論争があった。ソ連が急激な経済成長を誇り、はじめて人間を宇宙に飛ばし、社会主義が素晴らしい仕組みに見えた時代があった。そして、社会主義は資本主義よりも望ましい経済の仕組みであるという議論さえ出てきたのである。
その一つに、経済は巨大なコンピュータのようなものだ、という議論があった。経済は、労働、資本設備、自然資源といった限られた資源を有効に配分していろいろな財やサービスを生産し、それを人々の間に分配する。これは資本主義でも社会主義でも同じだ。
そこで計画経済擁護者たちは考えた。中央に情報や管理を全部集中し、コンピュータで計算して分析し、その解に基づいて全体を統制すれば、効率的かつ公平な経済運営ができる、と。
例えば鉄の生産をもっと増やさなければいけないと思えば、中央からの指令で鉄の生産を増やすように、鉄の工場に資源を集中的に集める。食糧は国民にあまねく平等に配られる必要があるというのであれば、集中的にそういう配給計画を行う。
これが計画経済の考え方である。
計画経済、社会主義経済を擁護する人たちは、コンピュータの精度が上がるほど、優秀な官僚や政治家が中央でコントロールし、国民全員に平等で、しかも無駄のない、素晴らしい経済的な仕組みがつくれると考えた。
社会主義を擁護する人たちは、同時に、市場に対して否定的な見方をしていた。市場では、何十億という人間が、各自、利己意識をむき出しにして行動している。それを調整するものとして価格や市場があっても、これははなはだ当てにならない。投機で市場が大混乱することもあるし、弱肉強食の中で所得の不平等が発生する。そういうものに頼るよりは、技術的に高度になってくるコンピュータを使って、中央集権的に経済管理をすればいい、というのだ。
それに対して、オーストリアの経済学者ハイエクは、そうした考え方には幾つかの点で重要な間違いがあると主張した。彼の主張でとくに重要なのは、集権よりは分権のほうがはるかに優れた仕組みであるという点である。いかに立派なコンピュータがあり、能力的にも人格的にも優れた経済計画者が中央にいても、そこに正しい情報が集まることは絶対にあり得ないというのだ。
ソ連の計画経済の失敗の事例としてよく取り上げられるケースだが、ある時期、モスクワでテレビの爆発事故が多発した。テレビ工場が国営企業であることが原因だったと言われる。
国営企業の工場長にとって大切なことは、いかにたくさんテレビをつくるか、そのためにいかに多くの人を雇うか、そして計画期間内に目標の生産台数を達成するということだ。品質も利益も関係ない。もちろん、工場のコストや技術水準について、中央に正確な情報を出すことは絶対にしない。計画の締め切りが迫ってくると、寸法が合わなくて部品がうまくはまらなければ木槌でたたいて押し込んでしまったり、部品の配列を間違えたものを平気で出荷した。その結果、爆発するテレビが街にたくさん出回ったというわけだ。
このエピソードに象徴されるように、中央の計画当局に正しい情報は入ってこない。どういうテレビをつくって、費用や品質はどうなっているか。こういったことは、中央には一切分からない。
ハイエクの言葉を使うと、情報はほとんどが「場の情報」である。局地的なものなのだ。消費者が何を欲しがっているのか、企業がどういう費用条件に直面しているのか、どういう技術を持っているのかということは、当事者にはよく分かっている。しかし、そういった情報は決して中央にはあがってこない。いかに優れたコンピュータでも、正しい情報があがってこなければ、立派な経済計画を立案して実行することは不可能なのである。
これに比べれば、市場というのは実に巧妙な仕組みだ。一人ひとりは、利己的な利益を追求する。それなのに、市場を通すと全体的に調和するのである。市場は、バイタリティと柔軟性を持っている。闇雲(やみくも)に競争するだけではなく、価格調整がはかられ最適な資源配分が実現する。品質向上の意欲も高い。経済学者アダム・スミスの表現を借りれば、みんなが自分の利益を目指して行動すれば、「神の見えざる手」に導かれるように、経済は予定調和の世界に向かうのだ。
市場がほんとうにこんなにうまく機能するかどうかは、本文の中で議論していきた。
ただ、お断りしておきたいが、市場というのは巨大な仕組みなので、常にすべての人にとって心地よいものではない。ある意味で市場は非常に乱暴なものである。ほんの数年の間に土地や株の値段が何倍にも上昇し、そしてまたそれが暴落して、多くの人が傷ついた。これはまさに市場の暴力である。また、市場のおかげで世界経済は豊かになった一方で、人類の大半は依然として貧困である。市場経済で貧富の差が生まれるというのは、厳然たる事実でもある。
規制緩和に対しても、いろいろな批判がある。「規制緩和をすれば、労働強化につながる。弱者切り捨てにつながる。日本社会のよさが失われ、ぎすぎすした社会になる。規制緩和を積極的に議論する人たちは、非現実的なウルトラ自由主義者である」という批判である。
こういった議論は、市場の持っている怖さや恐ろしさを指摘している。確かに「市場化の時代」に向かっていくためには、市場の恐ろしさも知らなければいけない。市場は、人間の持っている強力な武器、道具であると同時に、非常に.危険なものでもある。
しかしながら、我々は「市場化」の動きから目をそむけることはできない。「市場化」の動きを押さえ込むことも不可能だ。「市場化」を押さえ込むために規制を強化し、貿易を制限し、管理体制を強めることは、結局はかつてソ連や中国が犯した失敗をもう一度繰り返すことになる。重要なことは、市場のメカニズムをきちんと理解しながら、それを人間にとって役に立つような形で使いこなすことであり、それが「市場主義」の基本的な姿勢である。
本文では、こうした「市場化」の動きを、グローバルな世界の話から個々人の生活の変化、企業の経営から政府の規制、日本の経済システムの変化から産業構造の変化など、様々な視点から見ていきたい。そして、その分析を通じて、我々がどのような姿勢で「市場化」の時代に向かい合ったらいいのか「市場主義」の立場から考えていきたい。
(伊藤元重著「市場主義」日経ビジネス人文庫 p16-24)
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教育を転換する
個人と社会の潜在力を引き出し、先駆性を育て、伸ばす教育を重視するには、教育の均質性と画一性を打破しなければならない。
そのためには広義の教育、つまり人材育成のあり方を根本から問い直すことが不可避である。明治以降の近代化のためにつくられた今の制度の骨格をそのままにし、それに手を加えるといった発想では事足りない。
広義の教育における国の役割は二つある。一つは、主権者や社会の構成員として生活していく上で必要な知識や能力を身につけることを義務づけるものであり、もう一つは、自由な個人が自己実現の手段を身につけることへのサービスである。つまり、「義務として強制する教育」と「サービスとして行う教育」である。
現在の日本の教育では、この二つの教育が混同され、授業内容についていけない子どもには過大な負担を与えながら、それを消化してより広く好奇心を満たしたい子どもには足踏みを強いる結果を招いている。
そこで、21世紀にあっては、これまで混同されてきた二つの教育を峻別し、「義務としての教育」は最小限のものとして厳正かつ強力に行う一方、「サービスとしての教育」は市場の役割にゆだね、国はあくまでも間接的な支援を行うことにすべきである。
たとえば、初等中等教育では、教育の内容を精選して現在の五分の三程度まで圧縮し、週三日を「義務としての教育」にあて、残りの二日は、「義務としての教育」の修得が十分でない子どもには補習をし、修得した子どもには、学術、芸術、スポーツなどの教養、専門的な職業教育などを自由に選ばせ、国が給付するクーポンで、学校でもそれ以外の民間の機関でも履修できるようにすることが考えられる。
教育は、家庭、地域、学校の三者の共同作業である。しかし、近年、家庭と地域の教育機能が目立って低下してきた。家庭におけるしつけや訓練の重要性を改めて共通認識として持つことが必要である。子どもの教育、行動についての第一義的な責任は保護者にあることを明確にすべきである。(河合隼雄監修「日本のフロンティアは日本の中にある」21世紀日本の構想」懇談会 講談社 p41-43)
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答申・提言に馴らされた日本人
機会不平等の時代は、ある日突然やってきたのではなかった。政府主導の改革≠フ過程で、政府審議会や財界団体、経済学者らによって、そのような社会の到来は不可避であり、むしろ望ましいのだと正当化する答申、提言が繰り返されているうち、一方的に不平等の扱いを受ける側がいつの問にか馴らされてしまった面が否めない。
特に影響力が大きかったと見られるものを、いくつか概観してみる。
まず、細川護熙(もりひろ)首相(当時)の私的諮問機関「経済改革研究会」(座長=平岩外四・経団連会長=当時)が九三年十一月にまとめた、規制緩和に関する中間報告書(いわゆる平岩レポート)である。それまでの行財政改革論や、アメリカからの構造改善要求が強硬だった時期と異なり、国内の指導層がアメリカ型の経済社会システムをはっきり志向したという意味で、この報告書は今日に至る改革≠フ起点として特筆されるべきだろう。
<公的規制は、これまで産業の発展と国民生活の安定にそれなりの寄与をしてきた。しかし、いまでは、かえって経済社会の硬直性を強め、今後の経済社会構造の変革を妨げている面が強まっている。したがって、これら公的規制は従来の経緯にとらわれず、廃止を含め抜本的に見直されるべきである。>
このような書き出しで始まる報告書は、経済的規制の原則自由と、安全の確保や環境保全などの社会的規制も自己責任原則を適用し最小限に抑えるべきとの主張を展開。そうすることで企業にビジネスチャンスが与えられ、雇用が拡大し、消費者には多様な商品・サービスの選択の幅を拡げるメリットをもたらすと強調したが、デメリットには一切言及せず、ほとんど顧みる必要も認めない意思を伝えていた。
<これまでも規制緩和が言われてきたが、民間の行政への依存体質が残るなか、既得権益にとらわれたり、確たる緩和の必要性が十分理解されないために、十分実行に移されてこなかった。抜本的な見直しは、短期的には経済社会の一部に苦痛を与えるが、中長期的には自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設のために不可避なものである。強力に実行すべきである。>
<公的規制の抜本的見直しに当たっては、各分野を均しく検討し、聖域≠ェあってはならず、福祉、教育、労働、金融といった分野でも上述の考えをもって当たるべきである。>
この研究会で中心的な役割を果たしたのは、一橋大学商学部の中谷巌教授(五十八歳、後に多摩大学教授、三和総合研究所理事長)だったと言われる。財界人と官界出身者を中心に構成されていた平岩研究会に法律家や社会学者、独占禁止法の専門家は招かれておらず、アカデミズムに籍を置く経済学の研究者は中谷教授と、彼とほぼ同じ主張をしていた大田弘子・大阪大学客員助教授(現、政策研究大学院大学助教授)の二人だけだった。
平岩研究会が決壊させた堤防を、財界は一気に崩しにかかる。九五年五月に発表された日経連報告『新時代の「日本的経営」』の内容は、とりわけ衝撃的だった。
すでに何度も取り上げてきたので多くは触れないが、報告書の基調は総額人件費抑制の考え方であり、その後、日本の企業社会を襲ったリストラ旋風の格好の理論的支柱になっていく。派遣労働者や契約社員の活用などを含めた雇用・就業形態の多様化。成果主義に基づく賃金体系の導入。福利厚生システムの再編・合理化……。今日の企業社会が直面している労働問題のほとんどすべては、この報告書が予定していた通りだったと言える。
日本的経営の運営面は、今後、変化させていかなければならないが、その基本理念である 人間尊重∞長期的視野に立った経営≠ヘ普遍的であるから深化を図りつつ堅持する必要があると、報告書は述べている。そのことと、アメリカに範を求めた、終身雇用を前提としない人事・労務管理との両立が、全体を貫くテーマであった。
言い換えれば、これからは企業側の都合次第で労働者をいつ馘首(かくしゅ)するかもわからない。けれども、労働者の忠誠心だけは従来通りに維持したいという、きわめて虫のいい話である。
九八年八月には、小渕恵三首相(当時)の諮問機関として「経済戦略会議」(議長=樋口廉太郎・アサヒビール名誉会長)が設置されている。いわゆる私的諮問機関ではなく、証券取引等監視委員会などと同じ、国家行政組織法第八条に基づく公的な機関で、したがって同会議の提言を、内閣は最大限に尊重しなければならない義務を負った。
平岩研究会に続いて、ここでも一橋大学の中谷教授が中核的な役割を果たした。慶応大学総合政策学部の竹中平蔵教授、東京大学経済学部の伊藤元重教授ら、個人的にも思想的にも中谷教授に近い経済学者も参加。彼らが翌九九年二月にまとめた最終答申は、前記「平岩研究会」で打ち出されたのと同様の思想を強化し、より広範囲な分野に適用させる内容となっていた。
目標は<健全で創造的な競争社会>の実現である。<規制・保護や横並び体質・護送船団方式に象徴される過度に平等・公平を重んじる日本型社会システムが公的部門の肥大化・非効率化や資源配分の歪みをもたらしている>とする現状認識の下、<小さな政府><努力した人が報われる税制改革><創造的な人材を育成する教育改革>などの方策を数多く提案した。
注目すべきは、アメリカ合衆国を改革のモデルとして明示したことである。答申は最後の結論部分で、次のように解説していた。
<一九八〇年代の米国経済も双子の赤字と貯蓄率の低下、企業の国際競争力の喪失等、様々な問題を抱えていた。しかし、小さな政府の実現と抜本的な規制緩和・撤廃、大幅な所得・法人減税等を柱とするレーガノミックスに加えて、ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システムをバックに、米国経済は九〇年央(ママ)には見事な蘇生を成し遂げた。
最近でこそ、アングロ・アメリカン流の経済システムの影の部分も目立ってきているが、日本も従来の過度に公平や平等を重視する社会風土を「効率と公正」を基軸とした透明で納得性の高い社会に変革して行かねばならない。>
(斉藤貴男著「機会不平等」文藝春秋 p198-201)
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自由と競争
「経済界のおごりを感じる。教育の本質って何だろうと考えてしまう。高度成長のころは勤勉で従順、高学歴の人材。不況が長期化し世界競争の時代になったとたんに、考え、発想できる人材。「教育に競争を」はまさに経済界の理論。経済にとってその時々に都合の良い人間がほしいというのは、あまりにも勝手な理論ではないか。勉強は自分のためで、人に勝つためのものではないと思う」(千崎秀雄氏、『朝日新聞』二〇〇二年八月八日)
スポーツの競争が、一定のルールの管理下におかれた競争であるように、競争は限られた枠組みの中で行なわれる。「効率的に経済利益を生み出す人」という基準で選別された人が、人間にとっての善き社会をつくりあげられるのだろうか。
自由競争という言葉から私達は、ともすれば競争と自由を同義語だと思ってしまう。
たしかに、国王の権力や教会の権威が絶対のものとして経済に対しても支配権をもっていた時代、自由競争はそれらの権威をくずし経済を発展させ、封建的な身分に関係なく、能力のある人間に道を拓いた。
しかし、第五章で述べるように、経済の自由、営利の自由はそのまま人間の自由を意味するものではなかった。
産業廃棄物による環境破壊、不当表示や情報隠しによる人命の軽視、独占や寡占による市場や政治の支配、企業内部での人権抑圧……。考えてみれば、自由競争が結果的にもたらした反人権、反福祉の数々は、経済の自由と人間の自由がかならずしも相容れなかった事実を物語る。
財界が営利に有能な人材を求めることは当然としても、人間は競争や営利のためだけに生きているのではない。競争の目的はたえざる競争をさせることにある。それをそのまま教育にあてはめるのはまちがいである。
なぜなら教育は、経済活動のためだけにあるのではなく、その経済活動が福祉社会を実現し、経済や科学の発展を地球上のすべての人間が共有できるようにすることを実現する人間を育てなければならないからである。
教育には理想が必要だ、という教師の実感は、子ども達の心の満足が、競争以外のもっと人間的なものを求めていることを語っている。
無限の競争の果て
外国人に不思議がられるのが、学習塾での勉強である。
PISAの結果を見ると、他の国では学習塾で一度も指導を受けたことのない子ども達が最高点をとり、定期的に学習塾に行っていた子どもに比べて七〇点も高い。ところが日本では逆転して、学習塾で定期的に指導を受けていた者の方が高い点をとっている。
「日本では、できる子がなぜ学習塾に行かなければならないんですか」と聞かれ、不思議がられる。
「日本には無限の競争があるのです。いわゆる有名校、有名大学の入学試験の合格圏内にはいって合格するには、自分ができていても、他の子どもがもっといい点をとれば、試験に落ちる。だから、他人よりさらにいい点をめざして競争する。どこまでも無限の受験競争なのです」と、答えるほかはない。
「そんな勉強のために貴重な青春の時間を費やすよりも、青少年時代にはもっとしなければならない大事なことがあるのではありませんか」
たしかにそうである。それはわかっているのだ。でも……。
教育課程審議会前会長の三浦朱門氏は率直に言う。
「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。……それがゆとり教育≠フ本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」(斎藤貴男『機会不平等』文聾春秋、40〜41頁)
日本ではゆとり教育への転換に対して学力低下を心配する声があがり、あわてた文科大臣は「学びのすすめ」で宿題を多くとか、登校時間を早めて計算問題や漢字の練習を推奨している。
しかし、日本のように専門家の異論も多い指導要領で拘束すると、先生は子どもの状況に対応した、子ども本位の教育をすることができない。さきにみたドイツの教育とは何とかけはなれていることか。
最近の一年生が授業中も立ったり歩き回ったり、学級崩壊を起こすことが問題になっているが、学校の外の社会はとっくに多様化した個人主義社会の文化になっている。学校だけが画一的な団体教育をしてうまくいくわけがない。少人数クラスで個人個人のあり方を認め、子ども本位の教育をする以外に選択肢はないのだ。
(暉峻淑子著「豊かさの条件」岩波新書 p89-92)
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◎市場主義ということ。すべての領域に市場主義の原理が貫徹しようとしているのです。