学習通信031206
◎仲間をどうみるか……「ある種のニヒリズムに身を任せ、ついに自分たちの将来に夢も希望も描け」ない。
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喪失の系譜
◆親の世代
個人差はあるにしても、人間が社会的な自我を確立し、人格を形成する時期が一五歳前後であるとするならば、ある意味で、その年代ほど人生において生き生きとした時期はないのかもしれない。封建社会では、そのころ男子は元服し、女子は髪上の儀式を終え、大人の仲間入りを果たした。
現代では、義務教育を終えて初めて人生の大きな選択を迫られるのが、ちょうどこのころである。また、他者との交際範囲も、地理的な行動範囲も、意識のうえでの認識範囲も、あらゆる世界が一挙に広がるのが、この年代の人間に許された楽しみだといえる。自我を確立する時期の時代背景とは、その人間の人生に最も大きな影響を与える要素の一つであろう。
ここまで一九五〇年代後半生まれから八〇年代前半生まれまで、各時代の若者を六つの世代に分類して若者の価値観とライフスタイルの変遷をたどってきたのは、時代の流れを俯瞰(ふかん)的に眺めることによって、その変遷をよりリアリティをともなったかたちで明らかにするためであった。
実際、五〇年代後半生まれから八〇年代前半生まれまで、三〇年間でどれほど若者たちが変質してきたかということが、くつきりと浮かび上がってきたのではないだろうか。
ただ、時代背景に加えて、もう一点、若者たちが自我を確立する過程で大きな影響を与えている要素がある。彼らの親である。とくに、私は彼らの親が第二次世界大戦の戦前・戦中に物心つき、その時代の教育を受けた世代かそうでないか、という点に注目したい。いうまでもないが、わが国では人々の生き方は終戦時をターニングポイントとして、ほとんど別国のごとき観があるからである。
親の世代を年代として分類するのは難しいが、親になる年齢を二五〜三四歳と仮定すると、戦前・戦中の教育を受けた親をもつのは第0世代から第2世代までである。つまり、親に注目して見た場合、第0世代から第2世代までが戦前・戦中派、第3世代以降が戦後派ということになる。
この両者の間には、価値観にしても子供に対する接し方にしても、大きな溝が存在する。これは、いままで見てきたような時代背景により分類した場合の若者たちの世代間の溝と共通点をもつように思われるのである。とくに、その溝は意味や意義、世間や社会ということについての認識の差において深い。
いわゆる戦後教育と呼ばれるものは、戦前・戦中教育の反動もあって、「自由」「平等」「平和」といった面に偏重しすぎたきらいがあるのは否めない。従来から日本に存在した「生きざま」「しつけ」「道徳」「信義」といったものまでもが、戦前・戦中の象徴的現実と見なされ、戦後教育では戦前・戦中の体制に対する反動から、そうした重いものを必要以上に排除してしまった。
そのような教育のもとで育った子供たちの心にしつけや道徳といった要素が十分に刷り込まれることがなかったとしても、ある意味では仕方のないことだったのかもしれない。意味や意義、世間や社会といったことをうるさいほど刷り込まれた世代を親にもつ第2世代までの若者と、そうでない世代を親にもつ第3世代以降の若者との間には、附確な一線が引かれているように思える。
◆そして、彼らは希望まで失った
いずれにせよ、若者の変遷を俯瞰(ふかん)したとき、明らかに彼らの変容と変質が浮かび上がる。そして、そこに私は「喪失の系譜」を見る。
学生運動の挫折で、社会に対する理想主義的プロテストの機会を失ってしまった第0世代と、それに続くミーイズムの時代を過ごした第1世代は、徐々に「社会性」を喪失していったのだと思う。あらゆる方面で展望が挫折し、「日常」が「人生」を押し潰したとき、若者たちは社会化される機会を失ったのである。
さらに、八〇年代を生きた第2世代と第3世代の若者は、経済的な豊かさのぬるま湯に浸かって、現実社会と対峠し、自己研律する機会を得ることなく、「能力」を喪失した。七〇年代までは満たされることのなかった物質面での満足も得て、より刹那的になり、内省から遠ざかったことで意義的価値を失った彼らは、社会人として生きていくための力すら手にすることができなかったのだ。
そして、九〇年代に育った第4世代と第5世代の若者たちに至って、彼らは「希望」まで喪失してしまったのである。社会性も能力も喪失し、すでに真面目に働くことすらできなくなっていた若者たちは、このときある種のニヒリズムに身を任せ、ついに自分たちの将来に夢も希望も描けなくなったのであった。
「社会性」を失くし、「能力」を喪失し、「希望」までも失ってしまった若者たち……。
本来なら、モダニズムの限界を意味した高度経済成長の終焉の時期に、次代を担う若者たちは来るべき時代をにらみ、新たな時代の新たな哲学を探し求めねばならなかった。ところが、ついに彼らは探求の旅に出ることはなかった。そして八〇年代後半、バブル景気の喧噪にかき消されるようにして、モダニズムの限界そのものが忘れ去られてしまったのである。
(波頭亮著「若者のリアル」日本実業出版社 p66-70)
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若者の高失業率
やる気・能力のせい≠ニ首相
完全失業率が10%近くになるなど若年層の深刻な雇用が大きな問題になっています。大学や高校を卒業しても就職先のない人たちが増えています。正社員になりたくてもなれないフリーターもたくさんいます。
ところが、小泉首相が議長を務める経済財政諮問会議で次のようなやりとりが交わされていたことが、同会議(十一月二十六日)の議事要旨でわかりました。
小泉議長「これからどんどん高齢者が増えて、退職者も増える。そうすると、若者が少ないのだから、雇用は足りなくなるはず。それなのになぜ失業率が高いのか。やる気がないのか、能力がないのか、両方あるかもしれないけれども…」
坂口臨時議員(厚生労働相)「今の若者の仕事については、何でもいいと言えば必ずある」
小泉議長「求人側はあるけれども求職がないということは、そこに行かないんだろう」
坂口臨時議員「行かない」
奥田議員(トヨタ自動車会長=日本経団連会長)「特に3Kのところには行かない」牛尾議員(ウシオ電機会長)「リスクのある職場にも来ない。安全なところにみんな来る。安全できれいなところ」
これで、「自立して生活したい」「正規労働につきたい」といった若者の思いに応えることができるでしょうか。(浦)
(しんぶん赤旗 031205)
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B生き方への問いの芽生え
しかし、子どもたちの発言の記録を丁寧に読んでいくと、「いらだち」や「むかつき」や「不安」が飽和状態にまで膨らんでいると同時に、彼らのあいだに、このまま成長していけるのか、どう生きていったらよいのかという根源的な問いが芽生えていることがわかる。子どもたちはそれをさまざまな仕方で表現しているが、ここでは、比較的はっきりした言葉で語っている二人の子どもの場合を見ておこう。
「詩を書いているときがいちばん楽しい」というL君は、次のように語っている。
「『人は何のために生きるのか』というような哲学的問題を話し合う場とか人が、大人にも友だちにもいなくて……。……だいたい、学校の友だちも今は高校進学のことで頭がいっぱいで、人生の悩みを話し合う心のゆとりはない感じですね。……親も先生も、ぼくたちが言うことにちゃんと耳を傾けずに、命令だけする。そしてその命令は、ぼくの考えといつもズレている。
ぼくの人生なのに、すべて決められているという感じがあります。……自分の意見が尊重されないのはちょっと悲しいですね。……ぼくが学校や社会に言いたいのは、みんな少しは自分の生きる意味というのを考えてほしい。ぼくが一生懸命に考えていることをもっと聞いてほしい。でも、社会一般の常識の範囲というのが、もうぼくらの声に耳を傾けなくなっていて、言ってもむだだという限界みたいなものを感じるのです。」
このL君は、「自分の人生なのにすべてが決められている」ような毎日の生活にやりきれなさを感じている。そして「何のために生きるのか」を考えようとし、自分が一生懸命考えていることに耳を傾けてくれるおとなや友だちを、この社会に求めても「むだ」ではないかという疑いにとらわれながらも、なお求めている。
その言葉は、あたかも、かつての古典的な「哲学青年」「文学青年」のものであるかのようである。が、これは間違いなく今の日本の一四歳の子どもが発している問いなのである。
もう一人、パソコン通信とゲームの開発に熱中するM君は、そのなかで考えていることを、次のように語っている。
パソコン通信について。「……昔はちょっとひっこみ思案で、人づきあいの少ないほうでした。……今は、パソコンを通じていろいろなコミュニケーションをとれるのがうれしい。……実際に人と面と向かって話すときは相手の表情とか見て、言いよどむことも多いけど、パソコンは文字だけで自分の顔も相手も見えないし、声も聞こえないから、かえって気軽に話せるんです。
‥…・パソコン通信を始めてから、……自分で言うのも変だけど、前よりずっと人と接するのが上手になった。パソコン通信だって、言葉のやりとりだから、口を開かなければ永久に話はできない。相手の真意をつかみ、即相応しなければならない。こういうことで訓練されているのだと思う。」
次に、ゲームの魅力と意味について。「ゲームの開発もおもしろい。……今考えているのは、主人公たちがさまざまな冒険をしながら、人間の一番大切な『心』を発見するというもの。現代人って『心』を失っているでしょ。そうした人たちが『心』を取り戻すというストーリーを作りたいんです。」
そして、人間の本来の感情を大切にし、自分が本当にやりたいことをじっくり考えながら生きていきたいと言い、そのために欲しいのが「自分の時間」であるとして、次のように語っている。
「人間って本来いっぱいの感情を持っている。嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか。でも現代人って、そういう感情を表に出さない。生活が忙しすぎて、大切な『心』を忘れている。疲れすぎて、他人のことを思いやれないでいる。
……ぼくだって、学校から帰ったらすぐに塾だし、遊ぶ暇も話す暇もない。本当にやりたいことを押えつけられている感じで、じっくりものを考えている時間がないのです。今いちばん欲しいのは、自分の時間です。自分で自由に使えて、誰にも干渉されない時間。」
L君とはかなり違うが、M君も、いかにも今風のやり方で、自己の生き方を問うており、その問いの根源性と思考の深さには圧倒されるほどである。
C生活感情の特徴
「いらだち」「むかつき」「不安」を語ったI君、J君、K君の三人と、生き方への問いを語ったL君、M君の二人を紹介した。しかし、これは、一九人の子どもたちのなかに、いらだちむかついている子どもたちと、生き方を問うている子どもたちという、明確に区別される二種類のタイプがあるということではない。
先に紹介したK君は、強い調子で「いらだち」「むかつき」について語った後に、父親との関係にふれて次のように言っている。「オヤジとはあんまり話さない。だって朝から仕事に行っちゃうし、夜はどっかに飲みに行って顔を合わす機会もない。共通の話題もないから、日曜など顔が合ってもバツが悪いよ。
……オヤジのような生き方って、オレは嫌だ。尊敬なんかしていない。……将来は、洋服屋みたいのをやって、のんびり生きていくのが夢です。オヤジみたいなサラリーマンはごめんです。働いて、遊んで、毎日同じことのくりかえしじゃないか。……オレはもっとのんびり生きたい。」
たとえばこのK君の場合には、父親に村する「いらだち」や「むかつき」のなかに、「オレはもっとのんびり生きたい」「将来は、洋服屋みたいのをやって、のんびり生きていくのが夢」といった、自分はどう生きるのかという問いが含まれているのが見て取れる。
そして一九人の子どもたちの声をさらに丁寧に読んでいくと、K君に限らず、彼ら一人ひとりの内部に、「いらだち」「むかつき」「不安」と「生き方への問い」が、表裏の関係をなして同居していることがわかってくる。
以上のような子どもたちの言動を目の当たりにして、私は、日本の子どもたちの間には、確かに人間形成の「危機」が深く進行しているが、同時に、生命と生き方への問いが新たに芽生え広がっていると言えるのではないかと思うようになったのである。
(田中孝彦著「生き方を問う子どもたち」岩波書店 p23-27)
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いま私も、こしょうより塩の多い頭になって──あの時のコーノさんより十歳は年長なのではないでしょうか──、こういうことを考えます。子供のころ、それもいろんな時期にそうねがったとして、あのような人になりたい、と心にきざんだモデルが、誰にも、幾人かはあるはずです。
そして私は自分の生きてきた日々を検討してみて、まず、あの人のようになりたいとねがった誰についても、完全にその人のままにはなれなかった、と思います。しかしそれに続けて、あの人のようになりたいと思った、その人のように、少しずつなってはいるようだ、とも考えるのです。
そこで私は、子供の時に、その人の振る舞い方、態度について探く印象づけられるまま、あの人のようになりたい、と決心するのは、良いことだと思います。
人格、人となり、というふうにいってもいいのです。子供は子供なりに、人の内部にあるものについてかぎつけるものです。そして私は、自分の子僕の時の人間の見方には、正しいところがあった、と感じます。あれは間違っていた、と思うことも確かにありますが、それは、あの人はダメだ、という大人の言い方に影響されて、そう考えていたのを、いまになって恥ずかしさとともに取り消すのです。
大人たちが、あの人はエライ、というのに引きずられてじゃなく、自分で心からそう思っていた場合、つねにそれは正しかった、ということができます。
(大江健三郎著「「自分の木」の下で」朝日文庫 p50-51)
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◎「このまま成長していけるのか、どう生きていったらよいのかという根源的な問いが芽生えている」「あのような人になりたい、と心にきざんだモデルが、誰にも、幾人かはあるはず」……。
青年……「人間に対する信頼」の深さが問われています。
以下の文章は再録です。
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自然とは習性にほかならない、という人がある。これはなにを意味するか。強制によってでなければ得られない習性で、自然を圧し殺すことにならない習性があるではないか。
たとえば、鉛直方向に伸びようとする傾向をさまたげられている植物の習性がそれだ。その植物は、自由にされても強制された方向に伸びつづける。しかし、樹液はそのために本来の方向を変えるようなことはしない。そこで、植物がさらに伸びていくと、その伸びかたはふたたび鉛直になる。人間の傾向も同じことだ。
同じ状態にあるかぎり、習性から生じた傾向をもちつづける。しかもわたしたちにとってこのうえなく不自然な傾向をもちつづけることもある。しかし、状況が変わるとすぐに、そういう習性はやみ、ふたたび自然の傾向があらわれる。教育はたしかにひとつの習慣にほかならない。
ところで、教育されたことを忘れたり、失ったりする人があり、またそれをもちつづけている人もあるのではないか。このちがいはどこから生じるのか。自然という名称を自然にふさわしい習性にかぎらなければならないというなら、右のようなわけのわからないことを言わなくてもいい。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p25-26)