学習通信031201
◎平等≠ニはC……「結果の平等」という意味における平等を自由よりも強調する社会は、──平等も自由も達成することなしに終わってしまう。
 
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結果の平等
 
 今世紀に入って、「結果の平等」という異なった平等の概念が、人びとの支持を得るようになってきた。この概念は、最初イギリスやヨーロッパ大陸において、政府の政策に影響を与えた。過去半世紀にわたってほ、アメリカにおいてもこの概念が、政府の政策にますます大きな影響を与えるようになってきた。あるインテリたちのグループの間では、「結果の平等」が望ましいということは、ほとんど宗教的信仰の対象とさえなってきている。
 
そこでは、すべての人が決勝点で同一線上に並んでいなくてはならないと主張されている。『不思議な国のアリス』においてドドがいったように、「みんなが優勝したのよ。だからみんなが賞品をもらわなくちゃ」というのだ。
 
 この平等の概念は、他のふたつの異なった平等の概念のように、「平等」とは同じことを意味すると文字通りに理解してはならない。年齢や性別、その他の肉体上のいろいろな諸条件の違いにもかかわらず、食料や衣料やその他すべてのものを、すべての人が、まったく同じ分量で配給されなくてはならないなどとは、誰もほんとうには主張していない。
 
目標はむしろ「公平」という、はるかにもっと漠然とした考え方であり、実際のところ、この「公平」が正確に何を意味するのかを定義するのは、不可能ではないにしてもきわめて困難なことだ。「すべての人に公平な分け前を」というのは、いまやカール・マルクスの「すべての人の必要に応じて与え、すべての人の能力に応じて貢献させよ」という主張にとってかわった現代のスローガンだ。
 
 この「結果の平等」という概念は、先にみたふたつの平等の概念とはきわめて異なっている。「人格の平等」や「機会の平等」を促進する政府の政策は、人びとの自由も促進する。これに対して「すべての人に公平な分け前を」達成する政府の政策は、人びとの自由を削減していく。人びとが何を手に入れるべきかを「公平」という基準で決定しなければならないとすれば、何が「公平」かを、誰が決定するのか。
 
ドドに対して合唱が尋ねたように、「だけど、誰が賞品をあげるのさ」だ。何が「公平」かは、「完全な同一」という基準から離れるやいなや、客観的にはどうにも決定できない概念となってしまう。何が「公平」かは、何を本当に人が「必要」とするのかの問題と同様に、みる人の目によっていろいろと異なってくる。すべての分け前が「公平な分け前」でなければならないとすれば、どんな分け前が「公平」なのかを、誰かが、ないしなんらかのグループが決定しなければならない。
 
しかし、そうするためには、自分たちが「公平」な分け前と考えているよりもたくさんもっている人からはこれを取り上げ、より少なくもっている人に与えていくという行動にょって、自分たちの決定を人びとに押しつけていくことができるようにならなければならない。このような決定を行い、このような決定を他人に押しつける人たちは、そのような決定の対象となった人びとと平等だといえるだろうか。
 
われわれはここでも、例のジョージ・オーウェルの『動物農場』の世界に落ち込んだのではないか。「すべての動物は平等だ。ただ、ある動物は、他の動物よりももっと平等なだけだ」という、あの世界だ。
 
 そのうえ人が手に入れるものが、「公平」かどうかによって決定されなければならず、何を生産しているかによって決定されてはならないというのであれば、ドドがいった「賞品」は、いったいどこから出てくるのだろうか。このような状況下で、まだ人びとが働いたり、生産したりするとすれば、何が誘因となるのだろうか。
 
誰が医者になり、誰が弁護士になり、誰がゴミ収集員になり、誰が街路清掃人になるかを、どうやって決定するのか。とりわけ、それぞれの人にそれぞれの役割を割り当てたとしても、人びとがこれを受け入れ、自分の能力に従ってその役割を果たしてくれることを、いったい何が保証してくれるのか。この場合、唯一の答は明らかに、力を行使するか、力を行使するぞという脅迫以外に方法はない、ということだ。
 
 もっとも重要な点は、実際と理念とは違うという点ではない。もちろん、実際は理念と違ったものになるだろう。このことは、人格の平等や機会の平等の場合においても同じことだった。ほんとうに重要な点は、「公平な分け前」という理念やこの理念の先駆でもある「すべての人にその必要に応じて」という理念と、「人格的自由」の理念との問には、基本的な矛盾があるという点だ。
 
この矛盾ないし衝突こそが、「結果の平等」を社会を組織するにあたっての支配的な原則としようとしたすべての試みを悩ましてきた。そのあげくに最後に発生した結果といえは、例外なしに「恐怖の支配」だった。ソ連や中国、もっと最近ではカンボジアが、これに対する明白でなるほどそうかと人に思わせないではおかない証拠を提供している。
 
しかも「恐怖の支配」によってさえも、結果を平等化させることはできなかった。すべての場合において、どんな基準を使おうが不平等としかいいようのない状態が存続し続けた。すなわち、支配する者とされる者との間の権力や生活の物的水準における不平等が存続し続けた。
 
 西欧諸国においても、「結果の平等」という名のもとに、これらよりははるかに温和な政策ではあったが、同様なことが行われ、より少ない程度ではあったが、同様な運命に逢着することとなった。これらの国においても、このような政策の実施は、個人の自由を制限することとなった。そして当初の目的を達成するのに失敗した。
 
これらの西欧諸国においても、一般的に受け入れられる形で、何が「公平な分け前」なのかを定義するのが不可能であることがわかり、人びとに対してみんなが「公平」に取り扱われていると満足させることも不可能であることが判明してきた。それどころか、「結果の平等」を実現しょうと新しい試みをするたびに、人びとの不満は増大するばかりだった。
 
 「結果の平等」を推進しょうとする運動の背後にある道徳的な情熱の大半は、次のような広範に信奉されている信念から発生してきている。すなわち、ある子供がたまたま富裕な両親のもとに生を受けたからというだけのことで、他の子供よりも大きな利益を受けるのは不公平だ、という信念だ。このようなことが公平なことでないのはいうまでもない。
 
しかし同時に、不公平というのは、非常に多くの形をとって現われるものだ。債券、株券、住宅、工場といった財産に対する相続権という形で、この不公平さが現われるかもしれない。また、音楽的な才能や肉体的な能力、数学的天才ぶりといった才能の遺伝という形で、不公平さが出現することもある。
 
財産の相続に対してのはうが才能の相続に対してよりも、はるかに容易に政府の政策によって介入することができる。しかし、倫理的な観点からみて、これらのふたつの異なった種類の相続の間に、いったいほんとうの違いがあるのだろうか。ところが多くの人びとは、財産の相続には恨みを抱くのに、才能の遺伝に対してはそうではない。──略──
 
 人びとが主体的に自分自身で選択を行い、その選択によってもたらされる責任の結果の大半に対して、自分で責任をとるというのが、人類の歴史のほとんどを通じて支配的であった体制だ。この体制こそが、何人ものヘンリー・フォードやトーマス・アルヴァ・エジソンやジョージ・イーストマンやジョン・D・ロックフェラーやジェームス・キャッシュ・ペニーたちが出現してきて、過去二百年にわたってアメリカ社会を前進させようと努力してきた、あの誘因を与えてきたものだ。
 
この制度こそが、これらの野望に燃えた発明家や産業の先導者たちが着手した、危険に満ちた企業をまかなうための投下資本を拠出するように、他の人びとに誘因を与えてきた体制でもある。もちろんこの発展の過程で、多くの敗退者たちも輩出した。実際のところ、勝利者たちよりも、より多くの敗退者たちを生み出してきた。
 
それらの人の名前を、われわれは覚えてはいない。それにしても大半の場合、敗退した人たちも危険をちゃんと承知のうえで、それらの事業に参加していった。彼らは運にまかせていることを十分に知っていた。
 
 こうして勝利を占めた人も失敗した人も出てきたが、これらの人びとが運にまかせる意欲をもっていたからこそ、社会は全体として大きな利益を得ることとなった。
 
 この体制が生み出した経済的繁栄は、新しい製品やサービスが開発されたことや、そのように新しい製品やサービスを生産するための新しい方法が生み出されたり、こうして生産された製品やサービスを広範に流通させるための新しい方法が出てくることによって、社会のすみずみまで行きわたることになった。
 
その結果、社会共同体全体の富の増大が発生し、一般大衆の福祉が上昇したが、これらの大きさは技術革新者たちが蓄積した富の全体よりも、はるかに大きなものとなった。たしかにヘンリー・フォードは大きな財産を手に入れた。しかし、国は全体として、安く頼りになる交通機関や、大量生産の技術を手に入れた。その上多くの場合において、個人的な財産は、究極的には社会の利益のために大きく貢献することになったのだ。
 
すなわち、ロックフェラー財団やフォード財団、カーネギー財団等は、「機会の平等」とか「自由」とかが、つい最近まで理解されていた意味あいで機能してきた体制のおかげで生み出されたすばらしい成果であり、無数といっていいほどの数にのぼる個人的な慈善活動の中で、もっとも有名なものだというだけのことでしかない。──略──
 
資本主義と平等
 
 世界のあらゆるところで、所得と富との大変な不平等が存在している。われわれの大半はこの事実によって気持ちを傷つけられる。数少ない人によって楽しまれているあの賛沢と、他の多くの人が苦しんでいる骨身を削るような貧困との極端な対照によって、気持ちを動かされない者はほとんどいない。
 
 過去一世紀において、自由市場資本主義(われわれはこの言葉を「機会の平等」と解釈する)は、このような不平等を増大させ、富裕な者が貧困者を搾取する体制だとする神話が広がってきた。
 
 これほど真理から遠い考え方はない。自由市場の運営を許されているところや、「機会の平等」へと近づいていくことが許されているところではどこでも、通常の人がかつては夢みることさえできなかったような生活水準を、次から次へと達成することができてきている。自由市場の運営を許されていない社会はどの社会でも、富裕な人と貧困な人との格差が増大していき、富裕な人はよりいっそう富裕となり、貧困な人はより貧困となってきている。
 
このことは、相続した社会的身分が社会的立場を決定していく中世紀のヨーロッパや独立以前のインド、現代の南アメリカにおける諸国家のように、封建社会において真実だ。政府にとり入ることができるかどうかが社会的立場を決定する今日のソ連、中国、インドのような、中央集権的に計画されてきた社会においても、まさにこのことが発生している。これらの三国のように、平等の名において中央集権的計画が導入された国では、このような状態が必ず起きている。──略──
 
 工業の発展とか機械的技術の改善といった現代における偉大な奇跡のすべては、富裕な人にとっては相対的にあまり大きな意味をもっていなかった。たとえば古代ギリシャにおける富裕な人にとっては、現代の水道システムから利益を得ることはほとんど何もなかった。
 
水道システムのおかげで水が自由に出るようになったということは、そのために召使いを使う必要がなくなったというだけのことだ。テレビやラジオもそうだ。古代ローマの貴族は、一流の音楽家や俳優を自分のうちで観ることができた。いや、それどころか、一流の芸術家を自分の家臣として自宅に置いておくことさえできたのだ。
 
既製服とかスーパーマーケットとか、この種のすべてのことやその他現代の発展によってもたらされたことは、彼らの生活にほとんど何ものも加えなかった。古代ローマの貴族が、交通や医術における改善を歓迎しただろうことは間違いない。
 
これらを除けば、西欧の資本主義が達成した偉大な業績は、一般の人びとの利益のためにこそ主として寄与してきたのだ。これらの偉大な業績は、以前の時代には富裕な人や権力をもった人にとってだけの独占的な特権であった生活上のいろいろな便利や便宜を、一般大衆の手に入るようにさせてきたのだ。
 
 一八四八年にジョン・スチュアート・ミルは次のように書いた。「これまでのところ、機械的な発達が人間の毎日の労働の苦労を果たして軽減してくれたかどうか疑問に思われる。それらの発明は、人口の大半の人びとを依然として骨折り仕事や監禁同様の生活に留まるようにしかさせていない。ただ、製造業者やこれに似た人びとにますます多くの財産をこしらえるようにさせてきただけのことだ。
 
機械的ないろいろな発明が、中産階級の安楽を増大させたことはたしかだ。しかしそれらの発明が、その性質からいっても、それが将来達成できる可能性からいっても、もたらすことができるようなよい影響を、人類の運命における大きな変化という形で現わし始めているとは、これまでのところまだいえない」と。
 
 しかし今日では、誰もこのようなことを主張することはできない。工業化された今日の世界で、隅から隅まで旅行をしても、厳しい骨折り仕事に従事している人を発見することができるとすれは、大半の場合スポーツのためにやっている人でしかない。
 
それでもどうしても、毎日の勤労の苦労が機械的発明によって軽減化されていないような人をみつけたいというのであれば、非資本主義世界のソ連、中国、インド、バングラデシュ、ユーゴスラビアの特定の地域などへ行ってみなくてはならない。さもなければ、アフリカ、中近東、南米、またつい先ごろまでのスペインやイタリアといった、もっと後進的な資本主義諸国へ行かなくてはならない。
 
むすび
 
 「結果の平等」という意味における平等を自由よりも強調する社会は、最終的には平等も自由も達成することなしに終わってしまう。平等を達成するために強制力を使用することは、自由を破壊することになる。たとえよい目的のために導入されたものであっても、強制力の導入は、自分の利益を促進するために強制力を使用しようとする人びとの手に、その強制力をもたせてしまう結果となってしまう。
 
 他方、自由を第一にする社会は、その幸運な副産物として、より大きな自由とより大きな平等との両方を達成することとなるだろう。より大きな平等は、自由によってもたらされる副産物ではあるが、けっして偶然の産物ではない。自由な社会は、自分たちのいろいろな目的を達成しょうと追求する人びとのエネルギーや能力を解き放ってくれる。
 
自由な社会は、一部の人が他の人を恣意的に抑圧するのを阻止してくれる。たしかに自由な社会は、ある人が特権ある社会的立場に立つのを阻止してはくれない。しかし自由が堅持される限り、このような特権的な立場が社会制度化されてしまうのを、自由な社会は阻止してくれる。特権的な立場に立った人は、他の有能な野心あふれた人の攻撃につねにさらされている。自由とは、多様性だけではなくて、社会的移動性をも意味するのだ。
 
自由は、今日では不利益な立場に立っている人が明日には特権をもった人となれるための、機会を保持してくれるのだ。しかも、その過程で自由はほとんどすべての人が、すなわち上から下までのほとんどあらゆる人が、もっと充実した、そしてもっと豊かな生活を楽しむことができるようにしてくれる。
(M&r・フリードマン著「選択の自由」日本経済新聞社 p215-238)
 
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 しかし、ブルジョアジーは、よく知られているように、封建的な市民階級のさなぎから抜け出るその瞬間から、この中世的身分が一つの近代的階級へ移っていくその瞬間から、絶えずまた避けようもなく、自分の影法師であるプロレタリアートにつきまとわれる。
 
また、同様に、ブルジョア的な平等の要求は、プロレタリア的な平等につきまとわれる。(階級的特権を廃止せよ)というブルジョア的要求が提出されるその瞬間から、それと並んで、(階級そのものを廃止せよ)というプロレタリア的要求が現われる、──はじめは原始キリスト教をよりどころとした宗教的形態で、のちにはブルジョア的平等理論そのものに立脚して。
 
プロレタリアは、ブルジョアジーのことばを楯に取って言う、──<平等をただ外見上で・ただ国家の領域で実行するだけではなく、また現実にも、社会的・経済的領域でも実行しょう>、と。
 
そして、とくにフランスのブルジョアジーが大革命以来ブルジョア的平等を前面に押し出してからというもの、フランスのプロレタリアートは、たて続けに社会的・経済的平等を要求してこれに応答しており、平等はとくにフランスのプロレタリアートの鬨(とき)の声となった。
 
 こうして、プロレタリアートが口にする平等の要求は、二重の意味をもっている。
 
一方では ──とくにごく初期にたとえば〔ドイツの〕農民戦争のさいに見られたことであるが──とんでもない社会的不平等にたいする、富んだ人と貧しい人との・領主と奴僕との・飽食する人と飢えた人との対照にたいする、自然発生的な反動である。そういうものとして、それは革命的本能の表現にほかならず、その点で、また、ただその点でだけ、正当である。
 
しかし、他方では、ブルジョア的な平等の要求にたいする反動から生まれたものであって、このブルジョア的な平等から、多かれ少なかれ、正しいもっと進んだ諸要求を引き出しており、資本家自身の主張を用いて労働者を資本家に反対して立ち上がらせるための扇動手段として役だつ。そして、この場合には、ブルジョア的平等そのものとその生死をともにする。
 
以上の双方のどちらの場合にも、プロレタリア的な平等の要求の本当の内容は、<階級を廃止せよ>という要求である。これを乗り越える平等の要求は、すべてどうしても不条理なものになってしまう。われわれは右にそういう事例をいろいろ挙げた。デューリング氏の未来空想のところまでいけば、こうした事例はもっとたっぷり見つかるであろう。
 
 こういうわけで、平等という観念は、そのブルジョア的形態でもプロレタリア的形態でも、それ自体ひとつの歴史的産物であって、これを生み出すためには一定の歴史的諸関係が必要であったし、この歴史的諸関係そのものは、これまた一つの長い前史を前提しているのである。
 
だから、平等という観念は、ほかのなにものであろうと、<永遠の真理>でないことだけは間違いない。そして、この観念がこんにち多数の公衆にとって──右に挙げたどちらかの意味で──自明の事柄になっており、マルクスが言っているように「すでに民衆の先入見として定着している」のは、これは、その公理的な真理性の結果ではなくて、一八世紀の諸観念が広く普及しており、また、引き続き時代に適合している、ということの結果なのである。
 
だから、デューリング氏が自分の名高い二人の男たちを無造作に平等の基盤の上で働かせることができるのも、このことが<民衆の先入見>にとってまったく自然なものに思えることによるわけである。
 
そして、実際、デューリング氏が自分の哲学を<自然的哲学>と名づけているのは、この哲学が氏にとってまったく自然だと思える事柄だけから出発しているからなのである。しかし、こうした事柄が自分にとって自然に思えるのはなぜか、──それは、もちろん、氏の問うところではない。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p152-154)
 
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◎「平等という観念は、そのブルジョア的形態でもプロレタリア的形態でも、それ自体ひとつの歴史的産物であって、これを生み出すためには一定の歴史的諸関係が必要であった」と。
 
◎私たちの持っている「平等」論、自然に思えるものとは……。