学習通信031104
◎感覚について@……「私は触って得た知識を応用し始めた」
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というのは、周りの友だちは早くから盲児として必要な初歩の生活訓練を受けていたからだ。たとえば、まっすぐ歩くには、建物の壁や室内の机を手で触ること。ほかにも、音を聞いて周囲の状況を判断することや、物を落としたら手で地面を触って捜すことなどなど。
言われてみれば当たり前だが、ついこの間まで星空や虹を見上げていた私にとって、そんなことは未知の世界だった。見える時期を経験できた分、盲児としては相当に遅れたスタートを切ったわけである。
物を上手に触ることは、私のいちばんの苦手だった。どこの学校でもやる朝顔の観察日記でも、双葉が出たとか、茎が伸びたとか、教えられてようやく納得する程度で、たいして楽しいとも思わなかった。ましてや自分の感じたことを書いてみましょう、などと言われると、たいへん困ったものだ。触るのが下手だったのだから、当然、事物の因果関係を把握するのも大の苦手となった。
なかでもひどかったのが、スイカの一件だ。私は大きな丸いスイカを触らせられた。そのときはたしかに、これがスイカだと理解できたのだが、いざ、ひと口に切られた甘いスイカを出されてみると、それがさっきの大玉だとはどうしても考えられず、そのうちに口に入る切り身のほうだけを、スイカだと思い込んでしまったらしいのである。
ある日、学校で大玉を見せられたとき、私は「生のスイカは生まれてはじめて」と言ったそうだ。折しも授業参観日のことで、それまでに何回も実物を触らせていた母はずいぶんがっかりしたという。
けれど、子どものほうから言わせてもらえば、私は大玉を切る、というプロセスを経ていない。この部分なくして、生のスイカと切り身が同じものだと悟れと言うほうが無理なのだ。もちろん親から見れば、それほど触るのが下手な子どもに、庖丁で切るなどさせられるものではなかっただろう。
まだ、ある。
母が縁日で買った金魚を私に触らせながら夕食の料理をしていたところ、どうも私が妙におとなしくなったという。どうしたのかと見に来てみると、金魚のうろこをすべて剥ぎ取り、大事に握っていたという。「何してるの」と聞かれて、私は「ヌルヌルしていたから、きれいに洗ってあげて、これからお風呂に入れてくるの」と嬉しそうに答えたそうである。ぬめりと、うろこの区別もつかなかったわけだ。金魚にはつくづく申し訳ないことをしたと思っている。
触るのが下手という悲しい特技は、理科や家庭科、社会科の地図や技術、図工と、いつも私を苦しめた。さらにこのことは、注意深く歩いたり振る舞ったりするという意識の欠如にもつながったらしい。私は見えたころと同じ勢いで駆け回ったり飛び跳ねたりしては、しょっちゅう怪我をしていた。
そんなふうだから、晴眼の友だちと手をつないで走っていても、見えないことを忘れられてしまう。あるときは自分の前にある柱を避けてもらえずにまともに衝突し、顔じゅう血だらけで帰ってくる。かと思うと、室内ではふすまに突っ込んで見事にぶち抜いては「スーパーマン」と冷やかされたりもした。学校では牛乳瓶や花瓶を割るし、ブランコから落ちて髪の毛まで鼻血を飛ばすし、とにかく生傷の絶えない子どもだった。
それでも私は別に困らなかったし、触らねばならないという束縛のために、自分の元気を奪われたくもなかった。どこかで触ることを拒否していたのかもしれない。
だがその一方で、一つだけ育ち始めた感覚があった。それが音を聞くこと、聞き分けることだった。失明直後から、私は家にあったピアノを叩いて遊び始め、それを見ていた母は、すぐにピアノのレッスンに連れて行ってくれた。私は他の遊びにはさして夢中にならなかったが、どういうわけかピアノだけは真剣に練習したらしい。
この小さな一歩から、後にはフランス文学に導かれ、会社員として働く現在まで、細々ながらもピアノを弾き続けることとなったのである。
こうして私は、とくにある規則や旋律をもった音に敏感になっていった。そして小学校低学年のころには、音感の芽生え始めた耳をスズメの鳴き声にも適用し、彼らの鳴き方で時間の見当をつけていた。
不思議なもので、さまざまな音を聞き分けながら事物とつき合ううちに、いつしか音のメカニズムを理解し始めた。そしてさらに、そのメカニズムを、触って確かめるという楽しさに変えていった。
小学校高学年のころには、さすがの私も触るための基本的なこつを身につけていた。
「植物を触るときは、両手で下から上へ静かに触る」とか、「化学反応の後には、固体や液体などの物質の状態だけでなく、冷たいか暖かいかにも注意を払う」といった教えだ。
やがて、私は触って得た知識を応用し始めた。人に説明してもらった山や谷の景色を、見えたころのおぼろげな記憶と重ね合わせて頭のなかで再現できるようになったのだ。音で立体的に景色をつかんだ第一歩である。
それから二十数年、二十七、八歳になったとき、私は長野県の野尻湖で五感が劇的な合体を遂げるという経験をした。
(三宮麻由子著「鳥が教えてくれた空」NHK出版 p49-52)
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触覚はすべての感官のなかでわたしたちがいちばんひんぱんにもちいているものだとしても、その判断は、すでに述べたように、ほかのどの感覚よりも不完全で粗雑なものとなっている。わたしたちはそれをもちいるにあたって同時に視覚をもちいるので、目は手よりもはやく対象をとらえ、精神はたいていのばあい手をまたずに判断を行なうからだ。
そのかわり、触覚による判断はもっとも確実である。それはもっとも限られた判断であるからにほかならない。わたしたちの手が届くところより先には及ばないその判断は、ほかの感官がうっかりしていたことを訂正する。ほかの感覚はやっとみとめられるような対象のうえにまで遠くのびていくのだが、触覚がみとめるものはすべて十分によくみとめられるからだ。
さらにまた、わたしたちは、その気になれば、筋肉の力と神経の作用をあわせもちい、同時に起こる感覚によって、温度、大きさ、形などの判断に重さと固さの判断を結びつけることになる。そこで触覚は、すべての感覚のなかで、外部の物体がわたしたちの体にあたえる印象をもっともよく教えてくれるものとして、もっともひんぱんに使用され、わたしたちの自己保存に必要な知識をもっとも直接的にあたえてくれるものとなっている。
触覚をもちいることが視覚をおぎなうことになるように、それはある桂皮まで聴覚をおぎなうことにもならないわけはあるまい。音は、音を発する物体に触覚に感じられる振動をひきおこすからだ。
チェロのうえに手をおけば、目や耳の助けをかりなくても、胴体の振動のしかただけで、それが発する音が鈍い音であるか鋭い音であるか、第一絃から出ているのか低音の絃から出ているのか区別することができる。そのちがいがわかるように感官を訓練すれは、しだいにそういうことに敏感になって、やがてはある曲のぜんたいを指で聴くことができるようになるのは疑いないと思う。
そうなれば、つんぼに音楽で話をすることが容易にできるようになるのは明らかだ。調と拍子とは、音節と声と同じように規則ただしいやりかたで組み合わせることができるのだから、同じように話の要素にすることができるからだ。
触覚を弱めにぶくするようなつかいかたがある。はんたいに、それを鋭くし繊細にするつかいかたもある。前者は固い物体のたえまない印象に多くの運動と力を結びつけることによって、皮膚を荒れさせ固くして、自然の感じをなくさせる。
後者は軽くひんぱんに触れることによって、その感じに変化をあたえ、たえずくりかえされる印象に注意している精神がそのあらゆる変化を判断する能力を獲得するようにさせる。こういうちがいは楽器の使用にはっきりとあらわれる。
チェロ、コントラバス、さらにヴァイオリンの、固い傷つけるような感触は、指をしなやかにし、指先を固くする。クラヴサンのなめらかな感触は、やはり指をしなやかにするが、同時にいっそう敏感にする。だからこの点ではクラゲサンのほうがすぐれている。
皮膚は空気の影響にたいして強くなり、その変化に耐えられるようになる必要がある。ほかのすべてをまもってやるのは皮膚なのだから。それを別にすれば、手があまり同じような仕事にしばられていて、固くなってしまうようなことは望ましいことではないと思うし、手の皮膚がほとんど骨みたいになって、それが触れる物体がどういうものかを知らせ、それが触れるものの種類によって、ときに暗闇のなかで、いろんなふうにわたしたちの身をおののかせる、あの快い感じを失うことになるのも望ましいことではないと思う。
なぜわたしの生徒はいつも足の下に牛の革をつけているように強制されなければならないのか。必要に応じてかれ自身の足の皮がじかに土を踏むことにどんな苦があるというのか。この部分の皮膚が柔らかいことはけっしてなんの役にたつこともないし、しばしばひじょうに有害なことになるのは明らかだ。
敵に町をおそわれ、冬のさなか、真夜中に目をさまされたジュネーヴの人たちは、靴よりもさきに銃をとりあげた。もしかれらのうちのだれ一人としてはだしで歩くことができなかったとしたら、そのときジュネーヴは占領されずにすんだかどうだか、しれたものではない。
思いがけない事件にそなえて、いつも人間を武装させておくことにしよう。どんな季節にも、エミールが毎朝はだしで部屋のなかを、階段を、庭のなかを駆けまわっても、かれをしかるどころか、わたしもかれのまねをするつもりだ。ただ、ガラスのかけらだけはそこらに散らばしておかないことにしよう。
手をもちいてする仕事や遊びについては、いずれあとで語ることにしよう。そのほか、体の発育を助けるあらゆる行動をすることを、あらゆる姿勢でらくにしっかりと身をたもつことをかれは学ばなければならない。遠く、高く、跳びはねたり、木によじのぼったり、塀を跳び越えたりすることができなければならない。いつでも均衡をたもてなければいけない。あらゆる運動、動作は、力学が釣り合いの法則をかれに説明することになるずっとまえから、その法則にしたがってなされなければならない。
どんなふうに足が地上におかれれば、体が足のうえにあれば、自分は快適な状態にあるか、不快な状態にあるかを知らなければならない。落ち着いた身のこなしはいつも優美なものであるし、このうえなくしっかりした姿勢はこのうえなくエレガントなものでもある。わたしがダンスの先生だとしたら、マルセルふうの猿まねは全然しないだろう。
かれがそういうことをやっている国でこそ、それはけっこうなことなのだ。そんなことはしないで、わたしの生徒にいつまでもひっきりなしに雀おどりをさせるかわりに、わたしはかれを岩山のふもとに連れて行く。
そこでわたしは、切り立った、でこぼこだらけの歩きにくい小道を身も軽く歩いていくには、岩の頂きから頂きへと跳び移り、登ったり降りたりするには、どういう姿勢をとらなければならないか、体と頭をどんなふうにしなければならないか、どんな動きをしなければならないか、あるときは足を、あるときは手を、どんなぐあいにおかなけれはならないか、そういうことをかれに教えてやる。わたしはかれをオペラ座の踊り手ではなく、むしろリスの好敵手にするつもりだ。
(ルソー著「エミール-上-」岩波文庫 p229-232)
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◎客観的事物を認識するために重要な役割を果たすのが感覚≠サの一つ一つの役割と総合化……ルソーに学んでください。