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過去の@GAKUTOMO



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●2014/01/31 @GAKUTMO
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2014年1月の@GAKUTOMOは13号にとどまりました。


※イズミヤの前から

▲2014.1.30 HU
牧野先生の知のエッセンスを使って職場の仲間と学習会をしました。仲間の保育士の青年は「自分は保育にやりがいを感じている。保育が楽しいんです」と言います。確かに自分の保育実践をイキイキと語ってくれます。「子どもの姿を知ってもらおうと思って、保護者向けに出している「おたより」は、本来は一枚でいいところを数枚出して、壁新聞もつくって、職場に貼り出して、保護者や他のクラスの先生からも取り組みがよくわかるねと言ってもらえた」と。本当にがんばっていると感じます。でも一方で、それは長時間労働とサービス残業で頭痛薬などを服用しながらがんばっている。その仲間は「知のエッセンスを読んで「労働の疎外」が起こるっていうのは残念に思う」と話していました。

学習協の会議で見たNHKクローズアップ現代で放送された「居酒屋甲子園」でポエムを叫ぶ青年の姿と重なりました。「熱く死ね」「すべてはお客様のために」ポエムで自身の働きがいを語ります。16時間働いていても「やりがいを感じる」と。人間を相手にした保育、福祉労働者の仕事の社会的な意義はあると思います。しかし「何のために、誰のために働いているのか」と叫びたい。

◎∞∞「燃え尽き症候群」は、人間と関わる献身的な職場の労働者がかかる「症候群」だ。「雇われて働くということを考えない」ように働き続けるとあぶない。中央労働学校の本科で学ばなければあぶない=Bそれを助言することの出来る友達をもっていない労働者はあぶない。資本主義社会は、あらゆる手段を行使して「働け、働くのだ。そこに君の幸せがある。不幸におちいるのは君のせいなのだ」と教育し洗脳するのだ。


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●2014/01/29 @GAKUTMO
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※北大路烏丸一筋東下がる の民家

▲20140129 RK
最近、春セミや労働学校の募集のため訪問した医療職場の先々で「いま仕事中なんで」「いまは本当に勘弁してください」と、話を遮られ、気落ちして会館に戻るということが続きました。

後になって自分の行動を振り返り、その場の状況をよく見れていなかったと反省し、改めて対象者との話を思い出して感じたのは、職場でのものが言えなくなっている労働者の姿でした。

話をした対象者のひとりが「仕事終わりにきてもらったのにすいませんでした。夜は人手も少ないし上司の目もあるので」とメールを返してくれたことで、自分の行動を振り返ることができましたが、医療労働者の職場がいかに過密になっているか、自分自身の経験も含めて想像することが必要ではないかと思いました。

労働学校の活動を、単に受講生を募集するというだけで見るのでなく、労働者の苦難を自分の感覚で感じとり、労働者のための科学と結びつけて考える。

そういう生きた実感と学習が結び付いてこそ、労働者に労働学校を広げることの大きな意味を自分自身が改めて実感できるのではないかと思いました。

◎∞∞民主的な職場と言われるところで「支配と管理」によってつくりだされた「仕事中毒」がまん延している。社会変革と協同組合についてのマルクスの見解──「個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示」の5項──を全職員が深く学ぶ必要性があります。

また、「日本・ベトナム理論交流での不破団長の報告」でも次のような発言があります。
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1、「生産者が主役」という原則
生産現場での新しい人間関係の確立

 過渡期についてマルクスがなぜそれが長期の過程になると見たのか。

 マルクスは、それを一世紀を超える期間になるだろうと推定していました。 

 社会主義への変革のためには、経済面では、生産手段を資本家の手から社会の手に移すこと、あるいは国家の手に移すことが必要になります。これは、革命政権が生まれ、そしてしっかりした政治体制がつくられたら、あまり時間がかからないでできるはずのことです。

 ではなぜマルクスは、その過渡期として、発達した資本主義国でも長期の時間が必要になると考えたのか。マルクスは、社会主義的変革は、生産手段を社会の手に移しただけでは完了しないとし、生産現場で社会主義にふさわしい人間関係を確立する問題をなによりも重視したのです。

 資本主義のもとでは、多数の労働者が資本家あるいはその代理人の指揮・命令のもとで作業しています。政権が変わって、今度は、資本家に代わって国家の官僚が命令し監督する体制ができた、これが社会主義だといえるかというと、マルクスはそうではないというのです。彼は、その状態を「奴隷制の枷(かせ)」が残ったままだと、強い言葉で批判しました。資本主義の社会で資本家がやっているのと同じことを社会あるいは国家の代表がやったのでは、生産現場が本当に社会主義の現場にならない、ということです。

 社会主義というのは自由で平等な人間が共同するところに特質がある、時間がかかっても、生産現場に社会主義にふさわしい新しい人間関係、自由で平等な生産者の共同という新しい関係をつくる努力がどうしても必要になる。ここに、マルクスが過渡期の研究でもっとも重視した問題がありました
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 RKくんは、こういうことを独習で身につけることを根底にすえなければ、役割ははたせない。甘えている情勢ではなにではないか。中央労働学校も運営委員会にまかせていたらつぶれそうだね。


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●2014/01/28 @GAKUTMO
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※北大路烏丸一筋東下がる の民家

▲20140127 KY
第48回定期総会、仲間の発言に感動、感動でした。

私が労働学校で学び始めたのは10数年前。今一緒に活動をしている仲間たちが初めて学び始めた5年前。彼女らが受講を決意したその時も、運営委員をやろうと決意したその瞬間も、いろいろ葛藤しながらきたその姿も、見てきました。

昨年、学習運動に携わっていこうと決意した彼女は、「ウジウジ言いながらもやるから!」と、実際ウジウジ言いながら決意していました。

昨年、50周年を迎えた京都学習協。その最後の5年、10年は、自分たちがつくってきたという自覚を持てという事務局長の言葉にも、感動しました。

日々の、毎日毎日のあれこれが、1年、5年、10年となるとそれが歴史になる。

時代は、新しい段階に入っていると言われます。労働学校も、それを反映して新しい段階に進んでいます。それを動かす私たち自身が、“新しい段階”に追いついていかなければ。

◎∞∞100年学習・教育運動の実現。科学的社会主義を労働者・市民が学び、社会主義意識をひろげるという運動の1世紀にわたる実践は、日本の社会主義探究の歴史に書き込まれることになるだろう。


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●2014/01/27 @GAKUTMO
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※元田中の民家の庭で

▲20140125TK
N病院では、これまで情勢セミナーには労働組合から交代で参加をしてもらっていました。組合活動も、過去には“病院内に労働組合の掲示板をいくつも設置させたたたかい”などを聞いて勇気をもらったりしていました。しかし、この間様子が変わってきました。情勢セミナーも執行委員の一人に返事を聞くと「最近は執行委員会のメンバーも同じ人ばかりで、年配の者ばっかりやろ、元気がなくて“行こう!”っていう雰囲気になってないねん」と申し訳なさそうに話されます。たしかに以前は青年の執行委員さんも会議で見かけていましたが、最近の会議では見かけない。中心的な活動家の退職もありました。

私はどう働きかけていけばいいか・・・その職場を変えるためにはその職場で働く仲間が立ち上がることでしか実現出来ないと思いますが、その職場の仲間の元気がない。10年ほどの付き合いになってきた職場、私自身の話の中身や働きかけ方も新鮮みがなくなってることもあると思います。まずは改めて職場の現状を聞きながら探っていきたいと思います。

▲20140125.TY
 NHKの朝ドラ『ごちそうさん』でこんな一コマがありました。鉱山技師であった主人公夫婦の父親。昔その鉱山で銅を採掘をしていて、そこでおこった鉱毒による公害があったことで、その父親も(加害の側として)苦しめている。その父親の主人公(大阪の地下鉄建設にかかわる技師)への言葉。

 「開発やら技術なんちゅうもんのうらには、良心がはりついていてほしい…」
 「技術ってなもんは、技術でしかすくえんもんやろう…」

 公害をも引き起こす科学がいけないのか、それとも科学を利潤第一にしか考えない資本主義のしくみに問題があるのか…本科でも学ぶ“科学的精神と「ヒューマニズム」”の問題と重なるように思います。そして原発事故にしても、それを解決の方向にむかうには、その“技術”が総動員されるべきであって、新しい原発の建設や再稼動をする時間も労力も、けっしてないはずだとも思います。
 (考えすぎかもしれませんが)ドラマ制作者のメッセージ性を感じます。

◎∞∞昨日のフォーラムで牧野先生はどんな報告をされたのでしょうか。深めることができると思います。


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●2014/01/22 @GAKUTMO
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※元田中の民家の庭で

▲20140121KY
福祉職場で働く青年との話。学生の頃のことを話してくれました。「今は社会に出ちゃいけないんだって思う時期があって、引きこもりみたいになったんです」「環境保護の論文とか書いてて、何か制度ができたとしても、それを支える人がそうなってないと結局それは機能しないんじゃないか、なんて、エラそうなこととか書いてたんです」「でも実際、何もできてない、自分は何ができたんだって思うと、しんどくて、そういうのを考えるの、やめたんです」と。今の仕事も、いろいろ理想はあるけれど、なかなか思うようにはならないし・・あんまりそういうことを考えないようにしてますね〜・・と、話してくれました。

一生懸命自分で考えた結果、あまり考えないようにするという方法を選ぶ・・そうしないと自分が保てないような青年の状況を思うと、この社会はなんて非生産的なのかと思いました。

彼女も、「知のエッセンス」を読んでいます。以前、「Yさんと話していると、なんか・・出来る気がするんです」と言われて、どういう意味かなぁ・・と気になっていたんですが、今回の話を聞いて、少しわかった気がしました。

◎∞∞「この社会はなんて非生産的なのか」この意見をどう考えるのか、青年の思いはすべて進歩の方向なのか、どうなのか、生活革命をやらないと。見えないのではないか。「妥協的生活は媚薬」と指摘してました。ある人には、彼女の進歩に対する妥協的態度を無批判に受け入れる姿勢に「堕落」とも指摘したことがあります。「妥協的生活」には想定内≠ニいう働きかけを弱める姿勢もあります。「1844年経済学・哲学手稿」のマルクスの見地とはかなりのギャップがある。


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●2014/01/20 @GAKUTMO
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※市バスのフロント窓から上終町 19日

▲20140118TK
M病院の受付事務の労働者に会いに行きました。いつも夜診の時間帯で、9時前が話しやすい時間なので、今日もその時間帯に行くとまだ2〜3人の患者さんが会計を待っていました。

受付のイスに座って待っていると、患者さんが帰られても次々仕事が入ってきています。残った会計処理をしている途中で薬局の職員らしき人がカルテを取りに来たり、38度を超えて頭に冷却シートを貼った青年がフラリと入ってきたり、老人が「鼻かみたいからティッシュちょうだい」と言いに来たり・・・結局9時15分を回って、病院の電気が消されても何かしら受付での仕事をされていました。「ごめんやで」と終わって小走りで私の元へやってきてくれましたが、1日の疲れが出ている顔で組合事務所で会う顔とは別人のようでした。それでも労働学校の対象者の話や最近の組合の状況など少しの時間でしたが話してくれました。実際に労働者が働いている職場に行って見聞きすると、その職場の空気感を感じることができる気がします。

労働者の「忙しい」の一言のなかにもいろいろな意味や、具体的な中身がある。それは一人ひとり、一つ一つの職場で違うものだからやっぱり出向いて行ってその空気感を感じることで対話が膨らむと思いました。

◎∞∞労働者の実際の姿を知ることは、他の労働者と話す時の勢いも、怒りも違います。感性を研ぎ澄まそう。感性と理性の結合です。『知のエッセンス』40頁〜46頁 知性の働かせ方の前まで。必読です。


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●2014/01/15 @GAKUTMO
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※叡電元田中は積雪です。2014/1/10午前6時

▲20140114 RK
1月12日から連休を使って、職場として名護市長選挙の支援に行ってきました。現地では、自分達と同じように支援にかけつけた、さまざまな民主団体の方と一緒に選挙活動を行いました。

その中で、以前勤めていた法人の仲間と朝の宣伝行動を共にしました。その人は「あなたの職場の人たちはこうした選挙活動に進んで参加するの?それとも言われたから仕方なく参加してるの?」と、率直な質問を投げかけてきました。その場では「みんな言われればやります。だけど日常、自ら進んで(政治に関わる・政治を学ぶ)労働組合や、青年同盟の活動には参加していないと思います」と答えました。

そんなやり取りをした後、京都に帰ると学習協の事務局長から「なぜ間近に迫っている京都府知事選のための学習活動を放り出して、名護支援にいくのか」という指摘を受けました。
「職場として、選挙支援にいく」その事自体は大切なことですが、「今なぜ自分がそれに参加するのか」と問われたときに、自分自身が「言われたから」やっていたのではないか。

今日(1/14)付けの京都新聞の社説に、新成人へ向けて「友人関係や身近な出来事だけでなく、社会や政治に関心を持ってほしい」と広い社会に目を向けることをうながすメッセージがありました。

学習活動においても、仲間が主体的に政治に参加するため「主体性を高める根本にある」学習を意識的に広げていく。それを促すためには、自分自身が普段の生活や労働が政治と直結しているという感覚を磨き、政治的な判断力を持ってこそ広げられるのではないかと思いました。

●∞∞自覚した青年が自らの歴史的使命を発揮する場所を間違えてはならない。日本全国、いや世界中で社会主義にむけた重大な闘いが繰り広げられている。それらに支援にいくことの是非の問題ではなくて、自ら責務を自覚しそれを成し遂げる場所の問題なのだ。たとえば公務職場の労働者が、民間の労働者に連帯し支援することは評価できるでしょうが、自らの職場の変革をお留守にして……などは最悪。

京都府知事選は、京都民医連の医師が立候補し2ヶ月あまりの期間の中で、「どれだけの働き手をつくるのか」が自覚した労働者には問われている。一刻を惜しんで闘いに望むのが積極的な立場であろう。ましてや労働者を科学的社会主義によって成長させ、闘いへ向き合わせることを任務としている運動に参加し、中心を担わなければならない活動家が、どういう態度をとるべきだったか。11日〜13日は、まったく積み上げがなかった事実も加えて検討すべきでしょう。


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●2014/01/14 @GAKUTMO
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※北大路橋から

▲20140114TK
介護職の労働者と対話。その人は年末年始のヘルパーの仕事で腰を痛め、まっすぐ立つこともできないのにお茶を入れて話をしてくれました。「そんな腰で仕事できますか?」と聞くと、「代わりはいいひんもん。でも買い物に着いていくときはさすがに痛かったな」と痛そうに話されていました。

 「介護のやりがいってなんだと思いますか?」と聞いてみると「やりがいはわからんけど、おもしろさは自分なりに感じてる。私にとっておもしろいと思うのは、その人(老人)の家に行って、家の物で調理したり、そうじしたりすること。鍋とか調味料とか、掃除道具とかも全部借りてやるんやけど、そこで自分なりに考える。“その人の生活を見て自分なりに考える”ことにおもしろさを感じる。それと経験が積まれてくると対象者の要求が見えてくる。“この人は家事を手伝って欲しいんじゃなくて話し相手が必要なんやな”とか。その見極めは経験で得られたものやな」と話されていました。そのときは、介護の専門性とのつながりがいまいち見えませんでした。

 後日、日本介護福祉士会副会長の内田さんが「ヘルパーでこその役割あるのに」というタイトルの新聞記事(「赤旗日曜版」2014/1/12)でそのことについて書かれていました。「情報収集とアセスメント(利用者が何を求めているか、それがどんな生活から生じているのかを知ること)が大切・・・ボランティアや無資格の方にはアセスメントはできない」とありました。そこを国は市区町村に丸投げし、地域支援事業にしようとしている。それでは責任の所在がみえなくなり、いま以上に要介護度が高くなったり、余計お金がかかるのではないかと危惧しているいう記事でした。
 各家庭の生活のなかで、そこに住む人が安心して“生きる”ということを支える「介護」の仕事の専門性と重要性を感じました。話してくれたその人のおもしろさとも結びついたような気がします。そこを軽視してはいけないということも。

∞∞大鍋会の時に哲平君が言いました。「人間の尊厳に関わる」ことが介護職……。人間の生き様は、言葉ではありません。生活そのもです。人生の思春期に関わるのが学習・教育運動です。生半可な気持ちでは関われないのです。一つひとつが私たちの人生をかけた勝負≠ナす。



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●2014/01/10 @GAKUTMO
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※叡電元田中は積雪です。午前6時

▲20140110TK
ある労働組合で春の情勢セミナーの訴えをしました。書記長にも前日に「これまで以上に重要な中身です。京都での変化は日本全体の情勢も動かすことになります」と念を押して当日訴えをしました。まだ数人しか集まっていない始まったばかりの会議でしたが訴えた後、書記長が「候補者もいま猛勉強して政策をつくっているとのことです。この選挙での勝利は今後の国政にも大きく影響していく非常に重要なものです。これまで以上に労働組合として“知事選挙をなぜたたかうのか”を学習して運動につなげていきたいです。いままでは“参加できる人だけが参加する”というスタンスでしたが、今回は一覧表にして誰がどの講義に参加するかをきちんと決めて取り組もうと思います」と付け足してくれました。初めて組合役員になるメンバーにも書記長が丁寧に声をかけておられました。

組合での論議の結果、これまでの2名の参加から3名の参加に増えました。これまでにない位置づけです。すごく激励になりました。ここで止めていてはいけません。当日しっかり学習してもらえるように、今後さらにこちらからの働きかけも強めていこうと思います。

▲20140109 KY
K病院の労働組合の専従の方と話していました。執行委員の仲間の思いをどうしたら聞き出せるか、その上でどういう話をしていったらいいか・・・と悩んでおられました。休憩時間に休憩室へ行って労働者と対話するようにされているそうですが、「みんなスマホ見てるから、声もかけづらくて」「みんっなスマホよ」と強調しておられました。「みんな何に興味あるんやろうね〜」と。春の情勢セミナーを勧める中で、自分自身、今回の知事選はいつもと感じ方が違うなぁという感じがするのですが(国政との関係で“自治体”が問題だということ、悪政に対し私たちの思いを代弁してくれる知事を実現することが国政への府民・国民の意思表示になるのだということをつくづく感じています)そのことを話し、ぜひ!と話していると「私ももっと新鮮に受け止めなあかんねぇ」と苦笑しておられました。

また別の民医連の病院でも、組合役員の方が今回の知事選こそがんばらねばと話される中で、「末端の労働者のところに、もっと入っていきたいですね」と話すと、「いつもと同じことをしていたのではアカンとは思ってるんですけどね〜・・・」と労働者への接近にこちらも悩んでおられました。

先輩たちも悩みながら、論議しながら、なかなかうまくいかないけれど仲間に働きかけることを通じて自身がどう変化するべきかというところで悩んでおられるのが、そしてそんな思いを聞けたことがなんだかうれしかったです。学習運動で応援したいと思います。

∞∞自分も十分先輩だ。後輩をちゃんと育てられているのだろうか。自分の日程と狭い問題意識で手足に使っていないだろうか。「手足」とは自分の都合の良い時に言ったりやったりすることだ。相手の成長を考えて自分の生活革命をしなければならない。

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 人間を人間として、また世の中にたいする彼のあり方を人間的なあり方として前提するならば、きみは愛をただ愛とのみ、信頼をただ信頼とのみ、等々、交換することができる。

きみが芸術を楽しみたいならば、きみは芸術的な教養のある人間でなければならない。

きみが他の人々に影響力を及ぼしたいならば、きみは実際に他の人々を活気づけ鼓舞するようなはたらきをもつ人間でなければならない。

きみの人間にたいする──および自然にたいする──どんなあり方でも、それはきみの現実的個人的な生き方のある特定の、きみの意志の対象に見合った表現でなければならない。

きみが愛することがあっても、それにこたえる愛をよび起こすことがないならば、換言すればきみの愛が愛として、それにこたえる愛を生み出すことがないならば、きみが愛する人間としてのきみの生活表現によって、きみ自身を、愛された人間たらしめることがないならば、きみの愛は無力であり、一つの不幸なのである。
(マルクス「経済学・哲学手稿」マルクス・エンゲルス8巻選書 大月書店 p88)

▲20140109RK
職場の労働組合の旗上げがあり、労働学校の受講を訴えにいきました。私自身、組合での活動経験がないため、何を押し出すかをあれこれ思案しましたが、やはり本科の内容に即して話をしようと思い、労働組合の役割や、そもそもなぜ労働組合が必要なのか、資本主義経済のしくみを根本から学ぶことで考えてほしいというような話をしました。

春セミの内容とも重ねて「なぜ府知事選で特定の候補を組合が応援するのか」という話をすると、それまで話し半分で聞いていた相手も、少し考える様子を見せました。「そこまで考えてやってない」という相手に「取り組みの意味を知らなくても活動はできる。でも、それを何故するのかを学ばないと、自分達の取り組みを周りに広げられない。だから学んでほしい」と、自分自身の率直な思いとして言葉を紡ぐことができました。

結局、その人は「青年部をするのも大変ですね。だったらもう(やらなくて)いいかな」と言葉をにごしていましたが、「なぜ学ぶのか」という問いに対して、「学習(知る、考える)ということが主体性を高めることの根本にある」ということの意味を実践的に考えられたような気がします。同時に、「学ぶのが大変。だったらあれもこれもやらなくていい」という後退の発想を、自分自身がどれだけ自覚し、主体性を発揮するために学び続けるかが問われていると思いました。


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●2014/01/09 @GAKUTMO
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※学習会館で

▲140108 SM
自分の職場の労働組合で『春の情勢セミナー』の受講を呼びかけました。主体的に選挙に取り組んでいくために、しっかり学ぼう、との言葉にうなづく青年の仲間がいることが心強い。どれだけ一人ひとりが自分のこととして引き寄せてとらえられるかが、府知事選に向かう姿勢につながり、「自分たち労働者が主権者で、自分たちの声や運動、意識が社会をつくっていくんだ」という自覚を高めることにもつながる。

今回の知事選の意義・重要性は、昨日付けのGAKUTOMOでもありました。(まだまだ語れてませんが…しっかり深めてつかまないと)選挙そのものに対して、いろいろな考え・見方の仲間がいる中で、丁寧に対話しながら、職場のたたかいとのつながりや国政とのつながり、共通しているもの、を大胆に話していきたい。

この間の労働組合と法人とのやりとりの中で、労働組合活動に対して消極的だった仲間から「どんなことでも、まず"知る"ことから始まるんやな。そういう場である組合の意味を感じる。」と、聞きながらワクワクしました。春セミへの参加を勧めてみようと思います!

∞∞「民主的な園やから」という絶対枠≠とりはらい、民主的な園にしてゆく大きな要素は、そこで働く保育士の意識と行動、労働組合の活動。絶対枠≠ヨの信仰は、○○園の神話なのだ。腹の底から要求を語り合える労働組合とそれを真正面から受け止める園……そこにこそ。だかこそ労働者の学習運動がある。


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●2014/01/08 @GAKUTMO
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※学習会館で

▲20140107TU
年のはじめに、今年はどんな1年になるのか?と思いをめぐらせつつ、たまたまこれまでの活動を振り返る機会があったので、いろいろなことを思い出していると、今回学習協がとりあげる春の情勢セミナーの重要性が鮮明になってきました。

私は、2001年にはじめて労働学校に参加しその後、運営委員をし今日に至るのですが、はじめてたたかった選挙が2002年春に行われた京都府知事選挙だったのです。その時も、府知事選挙をたたかうために学習を積んでいたのを思い出し、そのころの資料を引っ張り出しました。当時、日本共産党の委員長であった不破さんが1997年に講演した文書が掲載されたものです。少し長いですが、紹介します。

『まず最初にlつの思い出を語りたいのです。私が国会議員となったのは、一九六九年の十二月、京都の寺前厳さんと同じ時でした。翌一九七〇年四月には、京都の知事選挙がありました。相手は自民党の陣営に公明党、民社党もくわわり、ほんとうに大激戦の選挙戦でした。この選挙戦をめぐって、天下分け目の戦い≠ニいう言葉がずいぶんはやりましたが、この言葉が本当に実感をもって広く受け取られたぐらい、蜷川府政の時代には、京都の知事選挙は、いつも日本の政治の最大の焦点の一つとみられていたのです。

 その年、七〇年の一月に始まった国会で、私は、初めて佐藤栄作首相を相手に質問戦をおこないましたが、予算が衆院を通過した夜、佐藤首相が日本共産党の控え室に挨拶に来ました。これは国会の慣例です。六〇年代までは、議員数が少ないということで、日本共産党のとこうまでは来ないで帰るのが普通でしたが、十四議席に躍進した総選挙後の国会でしたから、自民党政府としては初めて、日本共産党の控え室に挨拶に来たのです。その時、私は控え室にいましたが、首相の挨拶の言葉は、「不破さん、今度は京都で会いましょう」でした。そういう言葉がごく自然に出る、それくらい、京都の知事選挙は、国会での予算論戦に続く日本の政治の最大の焦点でした。

 それは、重要な地方の知事選挙で自民党と革新がぶつかりあう、というだけの問題ではありませんでした。京都では、この会場にもかかげられている「住民が主人公」の政治、「国民が主人公」の政治が多年にわたって実現されていました。これは、自民党を中心とした勢力が、国政のうえで、また多くの地方ですすめていた政治とまったく逆方向の政治であって、これをいかにしてくつがえすかが、自民党勢力の年来の強烈な願望となっていました。京都の知事選挙が天下分け目の戦い≠ニ言われたのは、なによりも、そういう対決の現れだったのです。』

いつの何の話でしょう。どれだけ重なることが多いことか。今は、「自共対決」の時代と言われ、あの当時よりも自民党と共産党の間の政党がなくなってきています。今年の京都府知事選挙がいかに天下分け目の戦い≠ノなるのか、いかに政治対決の焦点になるのか、春セミで集中的にとりあげる重要性も見えてきたのではないでしょうか。京都府知事選勝利のための春セミなのです。本気でとりかかる必要があります。

∞∞重要な問題提起です。春セミのカリキュラムは、たんなる知事選の情勢にとどまらず、地方自治と労働者の関係を学ぶことが出来る講義をたてています。たとえば、京都の保育士の労働条件を決める上で重要な役割を果たすのは、自治体です。だから対市交渉≠ノは力が入ります。

そもそもを学ぶことは、選挙闘争にとどめず要求闘争の基本的なあり方を学ぶことになるのです。そもそも論を重視するのは科学的社会主義をひろげる京都学習協の特別の役割です。


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●2014/01/06 @GAKUTMO
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※雪化粧の比叡山

▲20140101TK
新年の新聞(赤旗)の「対談」ではいつも何か自分へのメッセージが書かれている箇所があっておもしろいです。今年は「ショスタコーヴィチと秘密保護法と」と題してバイオリニストの荒井英治さんと志位さんの対談でした。対談の最後に書かれてた「音楽とは」。荒井さんは「音楽とは、音楽家が自分の中に持っている叫びなんですね。愛する気持ちや怒りだったり、自分の中の叫びが音楽なんですね・・・その気持ちなしに音楽はなりたたないんですね」と言われています。GAKUTOMOは「労働者としての魂の叫び」。労働者としての感動したこと、怒り、喜び、悲しみ、悩み・・・日々感じていることを文字にして発信していくことの重要性を思いました。いまはそういう感情を押し殺して、とにかく生活するために、賃金を得るために働くという労働者がほとんどの社会。労働者としておかしい!と叫ぶ人を一人でも多くつくっていかないと。

∞∞「労働者としての魂の叫び」、これをつかまなければ多数者になれない。


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●2014/01/01 @GAKUTMO
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∞∞幾人かのGAKUTMOに2014年のモットーを提起しました。TKさんには対話=AKYさんにはイメージ=ARFくんには解放=AHUくんには本気=A加えてTYくんに決断=A重大任務についたTUくんには進取≠提起します。新しい年の抱負には現れていません。残念です。私の時間も有限です。GAKUMOTOがさらに前進する2014年になりますように。


▲2014.1.1 HI
新しい年をむかえて
12月16日付けのニューヨークタイムズの記事で、秘密保護法の強行採決のことが書かれていました。安倍首相と自民党の狙い、自民党の古手の議員や国民の反応、日本の批評家がどのように警告しているか、などが取り上げられていましたが、標題に記事のスタンスが現れていました。日本の危険な時代錯誤、と。

安倍政権は時代錯誤なことをしている、というメッセージですが、私たち自身も時代を錯誤してはいけないと思いました。幅広い国民が反対の声をあげている時代だということをきちんととらえないといけないと。

年末に本科の話をした今年度の新規採用の青年が何気なく他の青年と話をしていました。最近仕事で関わりをもつ市民に大して自業自得だと思ってしまう、と。年数を重ねていくにつれ、そういう感じ方をする青年は増えていくものだと思っていました。しかし、彼女は、そんな自分をすさんでいると表現していました。彼女にとって今こそ本科の学習が生きた意味を持つと思います。

自己責任論に巻き取られてしまう青年も人間らしさを求めている。人間らしさを大事にする側面に信頼を置いて、うってでる、青年の中に矛盾を起こしていく、そういう学習運動を一年頑張りたいと思います。

▲20140101 KY
あけましておめでとうございます。
昨年末に復活した@GAKUTOMO。2011年以来と聞いて驚きました。2年前に@GAKUTOMOを書いていた日々は、今思い返しても、何かワクワクするものがあります。その後の丸々2年の間に、そういうものがどれほどあっただろうか・・・。

絵を描くことと同じように、文章を書くことが、自分が学び深めるひとつの方法であり、過程であることを感じていました。日々の生活の中で、感じたことを書こうと思うと、日々の生活を捉える視点も意識していました。その中で手ごたえも少なからず感じていました。2013年の終わりを迎えようというとき、その積み重ねを、どこかへ置き忘れてきていたような実感がありました。

他方で、合宿ゼミを契機に、特に32セミや大なべ会などを通じて、以前にも増して人間の可能性を軸に見ることにワクワクするものを感じていました。

2014年、新たな年。世界が確実に前進しつつある今、「戦争する国」をつくろうとする力が強まる今、人間の力、理性の力を発揮させる活動として、自身の生活を営んでいきたいです。

▲2014.1.1 MK
科学的な物の見方、考え方をみんなで深め、実践しながら、誰もが体も心も健康的になれるような1年にしたい!

▲2014.1.1 AI
新しい年を迎えて
私はとある労働組合のとある支部の青年部長をやっています。
最近考えるのは、私は何のために組合活動をしているのだろうと。

ある人は次に活動してくれる人を育てるのが目的と言いました。ある人は仕事で自己実現をできない分、それを組合でしていると言いました。ある人は組合なんだから職場のことだけやればいいと言いました。

こんな言葉を聞いて酷く矛盾を感じています。
何のために…それは労働組合役員ですら見失うこと、気付かないうちにただその組織(認めてくれる場所)を守ろうと必死になっている人ももしかしたらいるかもしれません。
主体は労働組合員、労働者。なぜその力を、主体性を高めることを第一の目的にしないのか。

漠然と感じ出したのは、労働学校を通じてものの見方、考え方を学んだことだと思います。これまで私に働きかけてくれた多くの人々の想いと実践を思い起こすとなおさらです。

何のためにという問いに対して明確な答えはなく永遠に求め続ける命題かもしれません。でも、学習(知る、考える)ということが主体性を高めることの根本にあるということは
実践を通じて何となく分かってきました。
なので、今はあれこれ考えずに信じた道を仲間と共に突っ走ろうと思います!今年のテーマは「学習」と「実践」です。

▲20140101TK
「新しい年を迎えて」
 この間の情勢を見ても、大きく変わりつつあることを感じます。2013年末に秘密保護法の制定をはじめ安倍自民党政権の右傾化の動きが急速になったのが印象的ですが、一方で日本共産党の躍進も私たちに大きな展望を開かせたと思います。いま学習運動を担う私たちの活動、各職場での力づくりを大きく前進させなければいけないと思います。2014年、一つひとつの課題を社会変革のための力づくりとして捉え、いままで積み上げてきた対話や各職場でのつながりを土台にして活動をすすめていきたいと思います。複数の仲間の結集がどんな結果をもたらすか、仲間の活動から大いに学び自分らしく自覚的に活動をすすめていきたいと思います。

▲20140101 SM
新しい年をむかえて
自分の組合支部で学習運動を軸に活動をすすめてきて1年がたちました。この1年で地域の仲間が受講した数は15人。1年間を振り返ると自分自身の学習不足と目標を実現するための戦略性、相手を切り開く戦闘性が弱いと感じました。2014年はそんな自分自身と向き合う意味をこめて、“相手の話を聞き、相手の成長を見据えた援助をしていく”としていきたい。周りの仲間の労働学校への参加は作り出せているが、セミナーなどの講座には受講を作りきれていない。自分自身が積極的に周りに働きかけること。話す事が苦手などとは言ってられません。組合報告には“学習をする人は元気がある”とありました。科学的に社会を捉え見通しを持つ事で解決を探していき共に学ぶ仲間を作っていきたいと思います。

20140101 SM
新しい年をむかえて
2013年は情勢の変化とともに、仲間の変化が大きくまぶしく見えた1年でした。職場や社会で矛盾が深まる中で、青年の、これからの担い手は自分たちなんだ、という意識がおもてにあらわれてきているようです。

2014年は、矛盾も仲間の変化ももっと顕著になっていくと思います。人間らしく働き生きる職場や社会への変革を目指して、一緒に学ぶ仲間を広げて実践につなげていきたいです。自分自身も、情勢や仲間の変化に見合った成長ができるように。
本年もよろしくお願いします!

▲2014.1.1HU
新しい年を迎えて
先日、花園大学の吉永先生と話す機会がありました。社会保障の分野で攻撃が増すなか、そこに国民、住民の変革主体の高まりをつくりだせる可能性はあるのか。生活保護の利用が215万件に達し、一見、暗い数字に見えますが、それだけの人が命を救われてきた。生活保護基準引き下げの審査請求は二ヶ月で1万件を超えて、当事者同士励ましあい、支援者の運動も強まっている。そのなかで自治体労働者の役割も増していると話されました。

芦田先生の第32回集中セミナー。公務の二重性で、階級支配としての国家機構と、住民共同が階級が誕生したと同時に生まれたということが言われていました。マルクスは後者のほうを軸にした公共性の役割期待を持ったと言います。

沖縄は新基地建設をめぐって重要な局面に。東京は参議院選挙の前に行われた都議選において風をつくりだした経験を踏まえての、都知事選挙。そして私たちの暮らしに直結する京都府知事選挙。

住民自治の担い手は住民だ。その結節点に位置する公務労働者の民主的、階級的な自覚をつくりだすことが今ほど重要なときはない!芦田先生の講義を理論的な根拠にして、学習運動をがんばります。今年は仲間を増やすぞぉ!!

▲20140101RK
新しい年を迎えて
年が変わり、新たな一年の幕開けに何を誓うか考えていましたが、まだ「これをする」という具体的な目標は決まっていません。ただ、昨年と同じ活動・生活のあり方でいてはいけないということを念頭に置いて目標を立てるつもりにしています。

昨年末に職場の上司と「運動とはなにか」という話をしていましたが、自分の中では「変化を作り出すこと」だと思っています。社会情勢を見れば、古い自民党型政治が矛盾と破綻をきたし、国民の中でも政治の真の対決軸がはっきりと見えてきている中で。
職場では職責者の異動を2月に控えるなかで。また家族が年末に怪我をして年明けに手術を控えるなかで。今までと同じ活動・生活を踏襲していて は、新たな変化を作り出すどころか周囲の変化の波に呑まれることになってしまいます。周囲の変化を敏感にとらえ、日々の過ごし方の一つひとつを見直し改善しつつ、対象に働きかけること。自らが変化し、変化を生み出す、そんな一年にしたいと思います。

▲20140101.TY
「新しい年をむかえて」
2014年・新しい年。本年もよろしくお願いします。2013年の後半は、将来ふりかえれば、日本社会の大きな転機となる出来事が立て続けにあったのではないでしょうか…秘密保護法の成立、首相の靖国参拝、原発推進の政権、沖縄・米軍基地問題、消費税などなど…。その中で、それらに対する労働者・国民のたたかいも大きく広がっています。自民党型政治の“終わりの始まり”を強く感じます。歴史を逆流させるのか、前へすすめるのか…歴史の転換点の今、社会(歴史)をつくる私たちへの2014年の大きな課題です。

 そんな2014年の年始に数年前に年賀状に書いた二つの言葉が思い出されます。“今やらんでいつやるの”“敵をまちがえるな”私自身の課題もここにあります。

▲20140101TU
新しい年を迎えて
昨年は、京都学習協50年の年として年間総受講者数も、講義内容も大きな前進をつくりだしました。合宿ゼミナール、文庫の出版と新たな課題にも挑戦いたしました。そして今年、半世紀にわたる学習運動の成果を受け継ぎ、次の半世紀に向けて動き出す年です。人間が目的とされる社会へと変革するための学びは、人間本来が欲するところの学びへとつながっていくものです。私たちの課題、これからつくりだす未来の学習運動は、その運動を主体的に支える人を増やしていくことです。未来型の学習運動は私たちの手でつくっていくということです。気が引き締まるその1年目です。

▲20140101 RH
毎年、新年をむかえると、何か新しい事を始めたい、目標をたてようという気持ちになります。今までやったことない事をしたいという感じで、全く新しいものを生みだしていく…という思いでした。しかし、今年は少し感じ方が違うなと考えていく中で思いはじめました。
私が今年考えた目標は
『人と対話をする事』。
人としゃべるのが苦手なわけでもなく、無口なわけでもない。しかし、話す時はいつも誰かの評価を気にしている。自分自身を勝手に評価している、これは話そう、これは話さないで良いかと全て決めている…
ーありのままの自分で相手に話すこと、相手の思いを聞くこと。。。これは毎年の目標とは違い、2013年から、いや、もっと前からの課題を自分に提起している気持ちです。今の自分そのものが出発点。そして、この目標を2014年で達成する…という短いスパンでは考えていません。新しい年をむかえて、新しい挑戦です。