■□■TODAY
2011/2/28
138期が42名ですから、139期、140期と
2011年は40×3=120
2012年は50×3=150
と仮定してグラフにしました。規模で20年前の水準を確保。60名総合まであとちょっと。
■@GAKUTOMO NO.255
みんなで準備してきた138期労働学校が、ついに開校しました。開校オリエンテーション当日も申し込みがあるなど、今もまだ仲間が増えています。
私自身は受講生として参加した開校式(当時は呼び方が違いました)から数えると5回目になりましたが、毎回新しい出会いにワクワクする日です。
@GAKUTOMOのNo.254にもあるとおり、138期総合コースには今までにない規模の40名を超える仲間が集まってきています。そんなにたくさんの仲間が科学的社会主義を学んだらどんな風に思うんだろう、と考えると胸が躍ります。
オリエンテーションでは総合コースだけで自己紹介をしました。今回自己紹介として話してもらったのは、@名前、A職業、B住んでいるところ、C今興味のあることの4点。住んでいるところを聞くってどんな感じなんだろう…と思っていましたが、これが意外と良く、「○○さんの近くの□□に住んでます」、「△△さんと同じ阪急沿線です」と嬉しそうに話す姿や自分と同じ辺りに住んでいることが判明し、「わぁ!」と思わず声が出てしまったりする姿があり、受講生同士の距離が縮まっていくのを感じました。
初めて出会う仲間たちの自己紹介は、19名で30分以上かかりました。みんなちょっと緊張しているのですが笑顔で、話すことを楽しんでいたのが印象的でした。そして、仲間が話していることをうんうんとうなづきながら、顔を確認しつつ一生懸命メモを取りながら、真剣に聞く姿がとても素敵でした。
今回の総合コースには学生の仲間が多く参加しています。同じ大学だけど、労働学校で初めて出会った仲間も少なくありません。労働学校に来なければ、同じ大学でも出会うことはなかったのかもしれません。ここでのつながりをこれからも継続、発展させていってほしいと思います。
そして、講師の先生方もいつも以上に生き生きと話されていたことも印象的でした。若い仲間が多いことに驚きつつ、それがとても嬉しかったのだと思います。今までに聞いたことのない話もしてもらいました。先生も受講生とともに学んでいく姿勢だということが、よく伝わってきました。
1時間のオリエンテーションが終わった後も、受講生たちは、それぞれ今日初めて会った仲間と会話をしていて、すぐに帰ることはありませんでした。「また火曜日に」、「楽しみにしています」と声をかけあっていました。今日は参加できなかった仲間たちと出会ったときにも同じように繋がっていけるよう、意識的に働きかけたいと思います。
私たち運営委員にとっても新たな挑戦となる138期。2ヶ月間受講生と一緒に学び、深め、連帯を強めていきたいと思います。新たなことに不安もありますが、「課題はその解決の手段とともに現われる」。自分たちが2ヶ月で自分自身の大きな変化を感じたように、受講生も科学的社会主義を学ぶ中で大きく変化することに確信を持ち、受講生の「現われるままの姿」をとらえ、受講生を信頼して、積極的に働きかけていきたいと思います。
芦田先生もおっしゃっていましたが、「2ヶ月後が楽しみ」です。運営委員会みんなで頑張ります(螢)2011/2/27
-------------138期募集の感想
138期募集をはじめた最初の頃、友達に話すのがすごく勇気がいりました。労働学校の話しなんかしても、変な目で見られるんじゃないか、とか、これまでの関係が、うまくいかなくなるような気がして…。でも話してみると、「興味ない」って言った人も最後には真剣に聞いてくれて、なんだかんだいっても今の日本の社会に不満をもっていたり、おかしいと思っている人ばかりで、それをどうしたらいいのかわからないだけなんだなと思って、あらためて労働学校の大切さ、広げていくことの意味にも気づきました。138期に来てくれることになったのは話した人のうちで数人だけど、労働学校で、学んで広げてくれる可能性は無限大やと思います。138期、しっかり一緒に学んでいきたい。(YO)
2011/2/26
■@GAKUTOMO NO.254
138期労働学校の開校オリエンテーション当日です。
以下の文章は、労働学校募集で労働学校の歴史のなかで画期となる到達点をつくりだした運営委員会メンバーの募集活動感想です。最初のUKさんの感想の冒頭にある3班は26日の午後1時57分に目標を貫徹しました。バンザイ!!
募集で一番多かったのは総合コースです。世界観コース、経済学コースの倍の人数の結集に成功しました。これは、1963年の創立以来無いことです。いまや日本全国どこを探しても存在しない、週2回18講義で科学的社会主義を学ぶ総合コースが2年〜3年と前進し、2011年に新しい段階を迎えました。
「エジプトの青年に学ぼう。キファーヤ!」
「青年が青年につながる運動を」
これは、募集活動の中心的合い言葉でした。
-------------138期募集の感想
3班の目標貫徹がやりあげられなかったことが残念。できたことなのに、それをやりきることができなかったのは、私の力不足。TUさんが1人で背負っていたのではないだろうか。Aさんのことももっと後押しできたと思う。私が自分の対象者あたりに精一杯で他の運営委員のことが見れていなかった。総合コースとしては30名を達成できたことは、ただただみんなの力だと思う。ただ、運営委員だけで30名を超えられたのだから、受講生の力が加わっていれば、総合だけで40名、50名を組織できた。受講生との連帯をもっと意識し、重視する必要があった。こうやって振り返えると、ずっと毎日ニュースや合同会議で提起・指摘されていたことが、できていなかったのだということがよく分かる。不十分な部分は多くありながらも、前進はできた。運営委員が成長し、受講生も前進した。それを138期でさらに大きくしたい。自分自身は言われたこと、提起してもらったことをすることで精一杯になってしまった募集期間だった。もっと主体的に動かないといけない。街宣でつながった人がギリギリまで受講を悩んでくれたことはすごく大きかった。またHORIMARUなどから来てもらいたい。街宣からの受講も作り出したい。今回の募集の総括でまとめた反省をきちんと138期で乗り越える!(YN)
138期は受講生の再受講が1名という形になった。他の班・コースよりも、周りへ話している回数が少ないと、自分自身も「次は…」という事にならないと改めて思った。自分の受講生に接する時も追求のような形になってしまった事が連絡がとれない関係になってしまったのかと思う。もっと受講生同士でつながれるように連絡をとり合ったりしてもらえばよかった。自分の周りへは、学生バイト2人一緒に話したのが、思っていたのと逆の方向へ流れていった。やはり個別でしっかりと話しをしていくべきだと思った。対話が魅力を伝えているつもりが、相手との話や、要求に応えてなかったと思う。学習の足りなさや日頃の感動がない、自身の弱さがまだのりこえられてない。運営委員の仲間の奮闘に刺激をうけた募集期間だった。(SM)
私自身のところでは、137期募集活動が138期募集へとつながった感じ。自分にとっても対象者にとっても積み重ねていくことでカタチになることがわかった。2班の受講生と一緒に周りへ広げることの難しさを痛感した。一人でやること以上に“みんなで”活動する、高め合うことって難しいし躊躇してしまう自分がいた。そんな中でも、Nくんの周りへの働きかけから学習の大切さを改めて感じ、再受講を決意したことや、Hくんの街宣参加や、人とのつながりを作っていこうとする姿は大きいと思う。今回の募集活動、運営委員の成功や失敗の経験に凄く励まされ奮闘することができたと思う。(MK)
・電話かけたり、知らない人といきなり話さなあかんかったり、苦手なことするのはしんどい時もあったけど、自分の知り合いが受講してくれたり、運営委員同士ではげましあったり、意識しあったりして、できたのが良かった。・連絡とれなくなってしまった友達ができてしまったのは、少し心ぐるしい。・広げる活動の中で、自分の力のなさを感じた。やりたいことと、自分のできることの差が大きくて辛くなった時もあったけど、でも、もっと学習したいなって、活動(実践)があって、ぶつかるからこそ強く思えたのかも。しんどいことから、目をそらさないのは、しんどいけど、ちょうせんしていける。(TU)
開校期間に続き、自分の弱点がはっきり出ていると感じます。一番は、目標への意識の弱さ、自分にできる範囲で精一杯、という意識から脱けだしきれなかったことです。自分に対してもだし、まわりの仲間に対しても、「目標達成する力を持っている」というふうに見れず、相手を信頼して働きかけることへの思い切りが弱かったです。その姿勢をなかなか変えることができず、当然成果にもつながらない時期が続いたのはしんどく、でもそれを打開してくれたのが受講生だったことは本当にうれしかったし、自分自身も励まされました。成果にはつながりませんでしたが、受講生からまわりへの動きがあったことはそれをもっと横に広げるべきだった反省面もふまえてしっかり教訓にしていきます。相手を信じて働きかけること(学習を土台に)、青年に働きかけること自身が労働学校の目標であること、と活動の上で大事な部分を学んだ募集でした。経験してきたことや気持ち(ふがいなさ)をしっかり受け止め、次へふみ切れるようがんばります。(SM)
今期の募集では、137期に比べ新しい対象者にあたることができ、今までになかったつながりもつくれた。ただ、相変わらず一方的な話しになってしまうことが多い。一方的でも今期のようなあたり方を136、137にできていれば、ひとりでも多くの仲間が受講に至ったのではないかと考える。思いを持って継続的にあたることの大切さは友人が受講に至ったことで実感できた。受講生のまわりを結局つくり出すことができず、学習の交流、私自身の学習不足、実感を持って自分の事としてとらえてもらう、高める活動ができていなかったのだと考える。今期新しくつながりを持てた人、138は来れなくても、139、140につながると思うと嬉しい。人を見る目も変わってきたと思う。これからも日常の中で話し、関係をつくっていきたい。これからの社会を一緒に変えていく動かしていく仲間をつくっていきたい。(AI)
第一に、経済でも目標貫徹ができなかったことはふがいない。十分にその可能性がありながら、できなかったといえる。137期では、HORIMARU、そして春集会と「外へ広げる」ということを重視した取り組みを中心にすすめてきた。その延長、重ねて、138期募集へと実質つなげることには成功したとはいえない。その中でも、運営委員の奮起によって、総合コースが新しい段階にはいることができた。ただ、すべての運営委員の成果実現、そして、すべての運営委員が成長するということでは、不十分さ、あいまいさがでている。運営委員長としての水準が問われている。運営委員にならなくても、より積極的にともに行動する仲間を増やしていくという課題も成功していない。ここはこれからも大きな課題。挑戦しなくては。今回が総合コース40名を実現して、だからそのまま次がその規模になることはない。不十分な点、あいまいにしている点、特に自らの自己変革を追求する点…そうしたことを真正面からとらえ挑戦していくことが求められている。自分の成長がまだ来ていない仲間へとつながると考えれば、そこを不十分にすることは許されない。挑戦あるのみ。まだまだ仲間の力に支えられている。もっと支え、方向をしめしていくようにならねばと思う。(TY)
2011/2/25
■@GAKUTOMO NO.253
日曜日、保育制度改悪反対の街頭署名&宣伝をしました。街ゆく人に声をかけ、ビラを渡し、署名協力を訴えます。
その中で立ち止まってくれた青年は、大学4回生。もう就職も決まっているとのことでした。「大変でしたか?」と聞いてみると、「そうでもなかったです」と・・・「そうなんですか〜、どれくらい採用試験受けはったんですか?」と聞き直すと、「40社くらい受けて、2〜3社受かったくらいで。でも、普通っていうか、僕の場合はそんなに大変じゃないです。」と応えてくれました。それが「普通」なんて言わせる社会・・・!!
保育制度の問題と合わせて、社会が作り出してる生きづらさですよね・・と話をすると、「社会のせいにしてもどうにもならないですし。とにかく就職しないことにはね・・・。」と言ってました。
異常の中にいると、異常が見えなくなる・・・世界を見ると、日本の異常さがはっきりと見えてきます。「それが普通・・・」と思わされている(わざと、そう言っているようにも見えましたが・・・そう思うようにしている!?)青年の目に、エジプトの姿はどんな風に映っていたのでしょうか。聞けば良かった(ちゃんと、保育の署名はしてもらいました)。労働学校の案内を渡しそびれたことも悔やまれます・・・。
138期開校まであと少し。これ以上、悔いの残らないように、一瞬一瞬逃さない構えでいきたいと思います。(蓮)2011/02/ 20
◎労働学校募集でも同じ。低いレベルの活動をしていると、それがまともだと思い込む。指摘されてもなかなか、まともな活動は出来ない。そういう実際が周りにもある。おかしいと思わないのだ。科学的社会主義を学んだ活動家であるのに。(む)
2011/2/24
■@GAKUTOMO NO.252
今期の募集は「労働組合」にまともにぶつかっていってるような感じがします。それは自分が「労働組合活動」に希望とロマンを感じつつあるからでしょうか。しかし「労働組合の力づくりが、いま求められている!しかもやればやるほど前進する可能性がある!」と語っても、職場の労働者の関心を“資本の攻撃をはね返して学ぼう!”というところまで突き動かせていないのが現状で、自分の力量を高めることしかないことを痛感しています。
それでも今期の募集では、これまでになく職場の仲間と出会い、つながれていくことに喜びを感じています。職場の状況を語ってもらう関係ができてきてたり、青年が直接組合への思いを話してくれたりする、小さな小さな変化ですがそういうことに私自身がドキドキする、そんなことはこれまでありませんでした。最近では職場の仲間と話すときにはノートが手放せません。職場でじっくり聞いて、家でもう一度思い返す。そうすると、もっと聞きたいこと、話したいことが出てきます。
社会変革の担い手は労働者階級であり、その力(数の力)を発揮するのが労働組合。学習し自分の活動に誇りと自信を持てるようになってきたからこそ、こういう気持ちになってきたのかなと思います。本当に無自覚で組合会議ではいつも寝ていた私でもここまで変わることができる。学習って本当に社会変革にとっても自己変革にとっても重要です。それをもっとしっかり職場の仲間に伝えられるようにならないといけないと思います。(麦)11/2/23
2011/2/23
■@GAKUTOMO NO.251
「変化」が実感として感じられる世界の情勢・・・そこにいる人間の一日一日の行いが一歩一歩歴史を作っていくのだ、ということも実感として感動的に感じられます。
実際に、様々な職場の青年に話をする中でもそれを感じます。
作業所で働く青年は、「社会主義ソ連と資本主義アメリカが対立していた。結果的に生き残ったのは資本主義・・・でも、中国は共産主義を目指してるけど、生産性がすごく高まってきてる。でも格差もひどいんですよね。そこらへんをどう考えたらいいのか、って思うんです。」と話していました。もうそれだけで、先期の総合コースの受講生の感想が思い浮かべられてウキウキ!(受講したら面白いやろな〜!!)「社会がどう発展していくのか、社会主義ってどんな社会なのか、今の社会のどこが悪くて、どういう方向に向かったらいいのか、それも労働学校で学べるんです」と押し出し、「その社会発展の話が、今、エジプトの状況を見ることができるウチらには、実感として感じられて、ホントに面白いんです!」と付け加えると、「実感としてわかるんですね〜」と、うんうんうなずきながら言ってました。
また、児童養護施設で働く青年は、仕事上でも貧困問題をはじめとした社会の問題を切実に感じており、「そういう問題意識はあっても、自分が変えよう、闘おうなんて思ったことない。まわりの友だちもそんな感じではないし・・・。未来社会のところ、すごく聞きたいです」と話していて、「社会は変わるし、ウチらが変えていけるっていうことを学べる。エジプトも、青年が立ち上がって、動いて、あんな変化を作りだしてる。」と話すと、「そうですよね!」と力を込めて応えてくれました。
医療職場で働く青年も、エジプトは青年が動かしたんや!と強調すると、「あぁ、そうか・・!」とつぶやいていました。
未来社会が、「未来の話・・」ではなくて、今起こっていることの延長線上にあるのだと、身近に感じられる情勢なのだ、とひしひし感じます。そこに科学の目があれば・・・!!138期開校まであと少し。変化を実感している青年に科学の目を!がんばろう。(蓮)2011/02/18
2011/2/22
■@GAKUTOMO NO.250
2011年、この今、中東、北アフリカ一帯は、日々“激動”の情勢です!
チュニジア、エジプト、リビア、イエメン、バーレーン、イラク…まさに命をかけて、青年が、人々が、起ち上がっています!
ある番組で、女性タレントが「フランス革命のようなことが目の前で起こっている!」と言っていました。その言葉にハッとしました。今、私たちの目の前で起こっていることは、まさに“歴史的な出来事”、それがリアルタイムで伝わってきます!
何十年かして、「その時、あなたは何をしていたんですか?」と質問されて、私たちはどう答えることができんるだろうか。将来、自分の子どもたちに、孫たちに、次世代の人たちに、誇りをもって“今”どう生きたかを語れるだろうか。
エジプトの青年は、起ち上がり、組織をつくり、そして要求をまとめ、そしてそれを掲げてたたかっている!このたたかいの中で、きたえあげられている…!
私たちの“持ち場”の日本ではどうなのだろうか。階級的な労働組合、そして科学的社会主義を基礎理論とする政党も存在する。その日本で私たちは、こうした世界的な“激動”の情勢に、呼応した、連帯した、行動をしているのか。
エジプトでは、「キファーヤ」(もう十分だ)と、人々が起ち上がりました。イタリアの女性は、首相買春疑惑で「もうたくさんだ」と声をあげました。日本では、自民党政治にUターンしている民主党政権、その“自民党政治”に「キファーヤ!」と私たちが声をあげられるかどうかです!
私たち運営委員会が、今すべきことは、138期労働学校開校まで1週間で、“新しい仲間”に労働学校を広げ、50名の総合コースを実現することです!!
本当に、“今やらんでいつやるのっ!”(吉)11/2/19
2011/2/21
■@GAKUTOMO NO.249
労働組合で初めて執行委員をやることになったという労働者。話を聞いていると、どうやら立候補ではなさそうです。
こちらが労働学校の話をしていても最初は顔も向けず組合で取り組む企画の出欠状況をパソコンに入力していました。それでも私が労働組合に入り、学びたたかうことの重要性を押し続けていると、「労働組合ってほんまに必要やと思いますか?」と突然聞いてこられました。「みんなが“労働組合って必要”って思うにはどうすればいいんですか?労働学校で“組合会議をうまくすすめるには”っていう講義があれば受講しますね。」と、そこでやっとこちらを向いてくれました。
その話を聞いて、最初は労働組合に対して否定的な意見かと思いましたが、よく聞いているとまったく逆なのではないかと思えてきました。彼は先輩執行委員に愚痴るように「職場集会開いても誰も発言しない。でも休憩時間には、タバコ吸いながらみんな文句とか愚痴とかはいっぱい言うくせに。結局会議では俺一人しゃべってる。みんなもっと会議で発言したらいいのに」と。
「“組合会議の成功は準備で決まる”とJMIUの生熊さんは言われてましたよ」と口をはさみながら(ああ・・・この人は本当はどうしたらみんなの意見が引き出せるかという前向きな思いで会議にのぞんでいるんだな。)ということが見えてきました。
帰り際その人に「あなたはみんなが“労働組合って必要”って思うにはどうしたらいいと思ってはるんですか?」と逆に聞いてみました。すると「みんなが自分たちのこととしてこのままではワーキングプアになっていくという危機感を持つことかな」と目を見て話してくれました。
きっとこの人は労働組合の大事さを感じている、そして前向きにともに悩み、考える仲間を求めてるんじゃないかと思いました。そういう仲間がもっとまわりにいたらすごいアイデアや行動力が生まれるんじゃないかと思います。
いろんな職場に行くたびに職場にはそういう力を持った労働者がいっぱいるんやなと改めて感じます。でも本人たちは自覚していない。その人たちが自分の力に気づき仲間を組織し動き始めたら社会なんてあっというまに変化するんだろうと思います。エジプトのように。(麦)11/2/16
2011/2/19
■@GAKUTOMO NO.248
ある職場に手紙を書きました。その職場で働くみなさんへ、という宛名です。青年がたくさん働き、理想とする専門性と現実とのギャップに悩んでいる職場です。大先輩からの提案で、そこで働くすべての青年に、科学的社会主義のものの見方・考え方の魅力を知らせよう!と、労働学校の案内とともに筋入り封筒に入れて200 通用意しました。
さてこれを、どう職場のすべての青年へ届けるか・・・まずは、これまでにも対話を重ねてきた職場の民青の仲間へ、協力を得られるようお願いをしに行きました。
ちょうどその時、それぞれの同盟員が一年間の活動を振り返って、順番に発言をしているところ。その中でも、仲間を増やしていく経験の交流をしていました。
交流が終わって話がまとまったその時に、時間をいただいて話をさせてもらいました。そこでは、意外な反応がありました。封筒から取り出す前から「“○○(職場の名前)で働くみなさんへ”やって!!」と、中味が透けて見えた手紙に複数の仲間が驚いていました。おっと、そこで感動してくれるのか!と私もびっくり。
手書きで、しかも一般的に作られたものでない、ということへの驚きでしょうか。自分の手と頭で「書く」ということと、自分の足で「届ける」ということが、人と人とを結びつける力になるんだ、と感じました。私が帰った後にも「手紙っていいね」と話していたと聞きました。
顔も知らない、その職場で働く青年が、この封筒を手にしてくれるだろうか。手紙を取り出して見てくれるだろうか。どんな思いで読んでくれるだろうか・・・不安混じりの期待はあるものの、正直、手紙そのものの影響力はそれほど期待できないだろうとは思います(でも、わずかな可能性に期待してます!)。見るべきは、その活動を通じて職場の中で協力関係を深めること、担い手を作りだすことだと思っています。変化に向かう一歩にしたいと思います。(蓮)2011/02/14
2011/2/18
■@GAKUTOMO NO.247
エジプトで起こっている動き、スゴイな〜とは思っていましたが、正直、どこか遠い国の出来事・・・という感覚があって、なかなか感動するには至っていませんでした。
それが今日、「革命論研究」の学習をする中で、やっとやっと、初めてエジプトの青年の思いが重なり、感動しました(いかに自分で読めていないか・・・ということなんですが)。
それは、「革命論研究」と合わせて読んだ「『科学の目』で見る日本と世界」(不破哲三著 新日本出版社)で、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々について書かれているところ。「資本主義の侵略で数世紀にわたって歴史の中断を余儀なくされ、国際政治の外におかれてきた」「その諸国民が、自分の国の主人公という地位、自国の歴史を自分で切り開くという本来の地位をとりもどし、その立場で世界の政治と経済に加わってきた、そのことの世界的意義・・・」(118頁)!!!
エジプトの動きは、資本主義によって「中断させられた歴史」を取り戻し、自分たちのものとして回復していく、その動きなんだ!と、結びつきました。遅いですね。すみません。
そして今、青年が置かれている状態が、「中断させられた歴史」と重なって感じられました。資本主義によって、青年が「強制的に」置かれている状態が、さまざまな生きづらさとしてあらわれてきています。
21世紀を担う青年自身が自分の国の主人公だという地位、自分の人生を、 21世紀の日本の歴史を自分で切り開くという本来の地位を取り戻す・・・その自覚を獲得していく活動。それが、エジプトの青年と連帯するということか!と思いました。
一歩踏み出すことが、実際の変化をつくりだしている。感激します。(蓮)2011/02/13
◎もっともっと接近してエジプト青年の社会変革の事業を共有できなければ……。
以下は今日の「赤旗」記事です。涙がこみ上げ体が震えました。(む)
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エジプト 青年組織 新憲法訴え
議会による共和制要求
報道の自由も
【カイロ=伴安弘】エジプトのムバラク大統領を辞任に追い込んだ反政府青年の連合体「革命の青年」は14日、声明を発表し、エジプト軍最高評議会に対し、大統領の権限の縮小と議会制度に基づく共和制に道を開く新憲法の制定などを呼びかけました。中東の衛星テレビ・アルジャジーラが15日伝えました。
声明は、憲法改正の他、▽最大1カ月を任期とするテクノクラート(専門行政官)からなる暫定内閣の樹立▽非常事態令と特別法廷、戒厳令の撤廃▽民間団体や労働組合の創設の権利▽新聞その他のメディアによる制限なしの報道の権利▽「革命」以前、以後を問わない政治囚の釈放▽与党・国民民主党の解体とその本部・資金の国家への返還▽秘密警察「国家治安調査局」の廃止▽(現行)政党法の10日以内の撤廃と新法の1カ月以内の制定▽過去に出された裁判所の判決の履行▽イスラエルへの天然ガス輸出の停止―を要求しています。
「革命の青年」のメンバー、アブドル・サミール氏は、シャフィク内閣に代わる暫定内閣の首相候補として、元閣僚のアハメド・ゴワイリ、ハゼム・バブラウィ両氏を軍最高評議会に提起することで、運動内で合意ができていると述べました。
2011/2/17
■@GAKUTOMO NO.246
絵本「おおきなかぶ」の絵を描いた、佐藤忠良さんの言葉が面白い。「しんけんに、絵をかき、ものを作り続けていると、じょうずになるだけでなく、人としての感じ方も、育ちます。このくり返しのなかで、自然の大きさがわかり、どんな人にならなければならないかが、わかってきます。」(「しんぶん赤旗」11/2/8)
私は絵を描くのも、ものを作るのも好きですが、漠然とこのことを感じていたと思います。以前にも@GAKUTOMOで、私にとって描くことは学び直しのチャンスだと書きましたが、それには二つの側面があるんだ、と佐藤さんの言葉を読んで思いました。
一つは、描こうと思うとよく学ばないと描けない・・・だから本などを読んで学び直すということ。もう一つは、「描く」というプロセスそのもののなかで新たに発見し、学ぶことがあるということです。文章を書くのも同じです。
@GAKUTOMOにも紹介されていた谷崎潤一郎さんの「文章読本」の言葉・・・「されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、と云う働きを持っております。」(中公文庫 18頁)続いてそれは、「思想を一定の型に入れてしまうと云う欠点があります」(19頁)とも書かれています。だから、より正確に・・・と努力をする、う〜んと考えるわけです。その過程が学びそのもの!!でも、実際労働学校を勧めるパンフなど描いていると、いつも妥協していきます。妥協しないと実際描けない。それが、今の自分の精一杯のところだというところの「一定の型」です。きっと、妥協なしにすべてできた!ということは、あり得ないんだろうと思います。だから、人間は発達することができるのかな〜。
人間の可能性は無限大です。だから、労働時間短縮!・・・と、もっと書きたいことがあるんですが、字数と論点を考えて・・・妥協します。(蓮)2011/02/11
◎「一定の型」の理解が浅いのでは。妥協しておしこむ「一定の型」。「一定の型」とは、それを全面的に表現するための。という理解から深めてみることが必要です。俳句、短歌、などは言うまでもありません。子どもの行動などを理解することのなかにも「一定の型」があるのではありませんか。一面的なものから全面的なもの、今という瞬間・静止とだけでなく運動・発展へと……。欠点とはなにかなにかを考察しなければならない。いわれている妥協とはレーニンのいう妥協なのだろうか。妥協できる力量はすでに獲得されているのか。その「時の」その「事」についての限界はあるのだろうが。それを妥協というのだろうか……(む)
2011/2/16
■@GAKUTOMO NO.245
教育学部に通う大学生が、総合コースの受講を決意してくれました!今日は他にも申し込みがあり、138期の総合コースで学ぶ仲間が30名になりました。いろんな人からつながって集まってくる仲間たち。今からワクワクします。
今日申し込んでくれた大学生の子は、ふとしたことからつながった子で、ちゃんと話すのは今日が初めてでした。最初はちょっと緊張しながら会話していましたが、教師を目指している彼女と保育士の私なので、子どもの話から一気に距離が縮まりました。
2人とも最近の子どもの遊び方が気になっていました。公園で1人1台のゲームを持って集まる子どもたち。同じ場所にいても、それぞれがゲーム機の画面を見つめているのは異様です。鬼ごっこをしたり、けいどろをしたりしないのかな?みんなで集まれば何もなくても楽しく遊べる、みんなで考えられる、そんな子どもたちを育てたいね、と共感しました。
また、大学生ということから進路のことや学費の話に。友達で親から「大学進学は無理だよ」と言われて、就職した子が何人かいることを話してくれました。浪人しても、塾代や受験費用を稼ぐためにバイトをして、結局勉強をする時間がなくなってしまった友達もいると。春セミの第1講義で見た高校の授業料を滞納している家庭の話と重なりました。学びたい、大学へ行きたいという思いがあっても、経済的な事情で諦めなければならない。彼女は大学に通えていますが、奨学金を将来返していかなければならないことに不安を感じていました。
そんな風になってしまうのはなぜなのか。そこを労働学校で学び、仲間と考えていけることが大事だし、必要だと感じてくれ、受講決意になりました。これから一緒に学び、深めていけることが楽しみです。
総合コースで学ぶ仲間が増えれば増えるほど、もっと多くの仲間と共に学びたいという思いが高まります。
138期開校まであと10日。最後まで挑戦していきます!(螢)2011/2/15
2011/2/15
■@GAKUTOMO NO.244
保育士をしている友人と話をしました。その保育園はオモチャも充実、0歳児クラスには“サンルーム”なるガラス張りの一角があり、子どもひとりひとりの生活リズムに応じて担当制の保育もしているとのこと。保育士の保育資質向上のための泊まり込み研修も毎年1回夏に行われ、子どものためならどんな意見も園長は聞いて論議してくれると話していました。なんだか話を聞いていると理想的な保育園です。しかし話を聞いていくなかで、ほとんどの保育士が結婚すると辞めていくのが現状だというのです。「子育てしながら続けて行くには会議や研修などの残業が多すぎて無理。私も結婚したら辞めるつもり。」とその友だちも話していました。
その保育園は労働組合がありません。園長と保育についての意見は出し合える関係ですが同僚の解雇問題が出たときには、口を出せなかったそうです。労働組合の役割を話してみましたが「大事だと思うけどいまの仕事量と園長との力関係を考えると、つくれそうにない。どうにかして結婚をしても働き続けられる職場にしたいと話はしてるけどなかなかね・・・。」と厳しそうです。
労働学校で学んでほしい。労働者の数の力がどれだけ強いか、保育園の役割、これからますますきつくなるであろう子どもをとりまく貧困と格差、女性の公的産業への復帰がいかに重要か・・・。知ったら立ち上がらざるを得ないと思います。(麦)11/2/11
2011/2/14
■@GAKUTOMO NO.243
特定疾患病棟で働く看護師1年生。「うちの職場は特殊だから、思い描いていた“看護師”っていうイメージと違う」と言っていました。「それでも、やりがいは・・?」と、「ある」という応えを少し期待しつつ聞くと、「う〜ん(苦笑)」と返答に困っていました。電話でのやりとりなので、表情は見えず。気持ちもどんな風に動いていたのかはわかりませんが・・・。
でも、「思い描いていた“看護師”」とギャップがあるというのは、他の病院でも聞く話。特殊な職場という実際の問題もあるかもしれませんが、本質的には共通する悩みなんじゃないかと思いました。だから、彼には“人間とは何か”“人間らしく生きるってどういうことか”を学ぶことが看護師さんには必要やと思う、患者さんを見る目線が変わるよと話をしました。
また別の病院の看護師仲間は、最近、「人間が怖い」と悩みを打ち明ける仲間がいたんや!と話してくれました。それも、たまたま相談を受けて、たまたま一緒に話していた人も「私もそういう時期あった」と・・・4人中2人も「人間が怖い」っていう仲間がいたんや!!と。
それは、主任・副主任という役職についたことで、中堅の看護士仲間との関係がギクシャクすることがでてきたということが直接的な原因だそうです。しかし、それも根本にあるのは、過密な労働だと言います。
労働の疎外が人間の人間からの疎外をも生みだす現実です。看護師さんが「人間が怖い」だなんて・・!!!そんな仲間をこれ以上出したくないね、そのためにも、個人の問題の背景には社会の構造の問題があるっていうことを見る仲間を増やさないとあかんよね、と話しました。
ウチの保育園にも、その疎外感はある・・・!と。(蓮)2011/02/09
2011/2/12
■@GAKUTOMO NO.242
南区にある病院の看護師さんが総合コースの受講を決意されました!
労働学校の紹介をさせてもらうため、とある会議におじゃましました。その彼女とは、そこで初めて会いました。でも労働学校の存在は知っているようで、実は以前に担当していた受講生の方の妹さんで、看護学校に通っている頃にお姉さんから誘ってもらっていたことも思い出し、驚きました。
“今日を逃すと直接会って話すことはできない”と思い、勇気をだして「今日の会議が終わってから、労働学校の詳しい説明がしたので時間をつくってもらえませんか?」と言ってみると、「いいですよ!」と即答してくれました。
この2〜3週間の中で、運営委員会で対話状況の交流をしていて、総合コースの決意につながった対話で特徴的な一つに、「興味ある。少し考えさせて…。」といった人に、返事を後日きくと断られることがよくありました。そうではなく、その場でさらに深く話し、相手の受講しようという気持ちが高まり、それを申し込みという“決意”にしてもらうことが大切だということを意見交換していました。
“今日、必ず総合コースを受講決意してもらおう!”その思いで再度彼女に会いに行きました。
彼女も興味を持って案内チラシをみてくれていたみたいで、話はいろんなところに広がりました。
案内チラシと一緒に渡した『労働学校通信・看護師版その4』に書いてある『医師の指示に〈知性的に〉従うこと!』(ナイチンゲール)、そして『“盲目的ではなく知性的に”』というところに彼女も実感を込めて「うん、うん」と納得。
職場では、どうしても看護の専門的なことや技術、スキルが求められるというようなことも…。
『看護師自身の感覚、判断力…人間性が問われます。』と重ねて、「労働学校では、この“人間性”が学べます。」と押し出し、「それは労働学校で全部学べるということではないけれど、“人間性”を高める出発点になるのは間違いないし、今までもそうした努力をする受講生の仲間をたくさんいるし、私も実感してます!」と強調しました。
「そうですよね!」と深く共感してくれています。
そして、いろんな職種の仲間たち…看護師さんも含めて…が講義を聞き、感想交流をすることで、さらに講義をいろんな角度から深められる、自分たちの仕事や生活のことともつなげて考えられる、総合コースでの学習の様子を伝えました。
そして、彼女が一番反応が強かったのが、エジプトの話をした時でした。
「今、エジプトの青年が立ち上がっているよね!」「そうですよね!すごいですよね!」と。
「エジプトの青年や労働者が組織をつくってたちあがっている!」「20年30年前では、考えられない地域…南米やアフリカ、アラブの世界など…で、今、世界がダイナミックに動いている、歴史が動き出している。その時に、私たちがそれを直視することができるかどうか。そして私たち自身も、その歴史を動かす担い手になれるかどうかやでっ!」と、思わずウワ〜っと話し続けてしまいました。彼女も重ねて、エジプトの青年の動きに感動していました。
「ぜひ、今、労働学校で、いろんな仲間と一緒に学びましょう!」と申込書とペンを渡すと、「開校オリエンテーションは準夜勤務で欠席になりますけど、3月4月はできるだけ、勤務希望をだしますので、はい、受講します!」と、総合コースの受講を決意されました!「総合コースのみなさんと会えるのが、楽しみです!」と言ってくれました。
彼女の受講決意に、勇気が湧いてきました。
開校まであと2週間。もっともっと多くの青年・労働者に労働学校・総合コースを知らせ、そしてたくさんの仲間に受講してもらいたい。そして、その受講を決意した仲間たちが、総合コースで学びあい影響しあい成長する…。
今こそ、“友よ起ち上がろう!”(吉)11/02/11
2011/2/10
■@GAKUTOMO NO.241
地域でボランティアをしている青年と話をしました。ボランティアの内容は「介護保険制度」を利用できない高齢者の自宅へ行き買い物を一緒にしたり、掃除をしたりするのだそうで、若い人が来るととても喜ばれるとのことでした。「そういう点では自分のやっていることにやりがいを感じる。けれど本当は国や行政が財政面でも支援していかなければいけない分野をボランティアでまかなっていることに矛盾を感じている。担当は左京区だけなんだけど、月に100件くらいは回っています。国がちゃんと制度を整える必要はあるけど、それを待ってる間にも目の前の地域の高齢者は生活はすすんでいくわけでやらざるを得ないんですよね。悪循環をどう断ち切るかですね。」と話されました。
そんなに公的な介護を受けられない人がいる、そしてたたかう間にも高齢者は人間としての当たり前の生活ができなくなっているとは驚きです。
介護士の労働条件の厳しさが担い手を少なくしていることは知っていましたが、それと同時に利用する側も厳しい状態におかれているんだと改めて介護の社会的位置の低さに危機感を感じました。
いまの時点ではボランティアをされている方の力は必要不可欠だと思いますが、やはり高齢者が人間として当たり前の生活を送ることを国が保障していく社会づくりをしていかないといけないと思いました。(麦)11/2/8
2011/2/9
■@GAKUTOMO NO.240
私の所属する福保労の地域支部では、この間の保育制度をめぐる動きのなかで、「分野を超えた連帯」ということに少し意識が向いています。保育園、介護施設、障害者施設、学童と、各分野の仲間がいるという特徴もあって、そういう論議ができます。
最近の会議では、もっぱら「子ども・子育て新システム」の問題で、どう闘っていくかということが議題になりますが、その中で障害者施設で働く仲間から、ある利用者さんの話を聞きました。
視覚障害を持つその方が、白杖が折れてしまったので、新しい物が欲しいと申請をされた時のこと。それまでは無料でもらえましたが、自立支援法になって1割負担になったことを伝えたところ、ものすごく怒られたそうです。当事者への説明も行き届いていなかったのだろうな〜と話していました。結局職員が、制度がそうなったんですよ〜と説明しないといけないのが、納得いかない・・と。
その話を聞いて思い出したのが、数年前の北九州市での餓死事件です。この「豊か」な日本で餓死者が出るなんて!と衝撃だったことを覚えていますが、なにより「働く」ということを改めて考えさせられた事件でした。
というのは、自分ではもうどうすることもできなくなって生活保護の申請をしに行くのに、いろいろ理由をつけて申請をさせてくれない「水際作戦」。これを実際にやるのは、窓口の労働者だということです。
(「水際作戦」は制度ではないですが)どんなに悪質な制度でも、制度がそうであれば、労働者自身が納得いってても、いってなくても、制度にのっとって仕事をせざるをえません。私たちは一体誰のために、何のために働いているのか。労働者が納得いかない制度を作るおおもとの資本主義社会の仕組みを変えていくことなしに、私たちは自分らしく働き、生きることはできません。(蓮)2011/02/07
◎「子ども・子育て新システム」は「水際作戦」だ。保育園に入れるかどうかは「生きるか死ぬか!」「子どもたちが殺されている」 不本意な女性労働者極貧の時代。──福祉労働者の労働学校受講の広がりが止まっている。(む)
2011/2/8
■@GAKUTOMO NO.239
職場の有能な青年、彼は若くして主任という役責に就いています。しかし、まだ労働組合に入っていません。ともに職場の研修企画の係りとなり、彼に近づくチャンスが巡ってきました。その帰り、彼の車に乗せてもらい早速話を始めます。
「君は労働組合に入らないの?」
「自分は、労働組合と少し考えが違うと思います。人事考課についてどう思いますか?能力給もありなんじゃないかと…。職場の働く環境改善や、業務改善に一所懸命に取り組む人もあれば、経験年数はあり、そこそこの給料をもらっているのに業務を流したように働いてる人もいる。そこそこ給料をもらっている人には、それなりに求められるものも高くなってくる。けれども家庭の事情もあって今は求められるものに応えられない。そうなら、別に自動的に上がっていく給与システムでなくてもいいのでは?という危険思想です。」
う〜ん。若い彼がそういう考えになっていくのも普通でしょう。自ら「危険思想」というからには、堕ちない≠ニいう思いも持ち合わせているのでしょう。
この考えを解きほぐしていくには、まずは事実から出発しないといけません。「革命論研究」(不破哲三著)によると、インタナショナルでのマルクスの活動は、雑多なメンバーを説得させるためには事実から出発していくのを常としていたようです。
この場合の事実とは、能力が高い人みんながみんな高い給料をもらえるわけではないということ、能力給は総額人件費を抑えるために導入されるのが常ということです。
それから理論的な展開へと…。「そもそも賃金は何によって決まるのか。それは…」と、言いかけて時間切れとなりました。また次回に話することを約束し、別れました。研修企画の準備期間中に何とか労働組合に入ってもらいたいものです。(書)11/2/5
◎そして革命的精神・熱情……、加えて「革命論研究下」p120 権威について学び、毅然とした対話姿勢と日常生活を確立しよう。(む)
2011/2/7
■@GAKUTOMO NO.238
2月1日付“しんぶん赤旗”3面の“ひと”欄…『コピーと同じように本などを読み取り機の上に置き、ボタンを押すだけで機械が活字を音読するー。視覚障害者の読書の助けになる機械を開発した会社、アイディアの社長』を紹介する記事に、“ハッと”させられました。
普段、本が本屋に売られていて、それを購入して本を読むこと自身が、“あたりまえ”になっていたと思います。『本が読めること』を自分は大切にしているのか、そして本が、“宝の持ち腐れ”にならないように、しっかりと読み、そしてそれを活用することができているのか…そんなことも考えました。
自分自身、労働学校に参加して、運営委員になり、先輩たちからいろいろな本を紹介され、時には“押し売り”され、本を買ってきました。その時は、正直、「こんなたくさん読めへんわぁ」とか「本代がかかるなぁ」と思っていた頃があったかもしれません。
ですが、今にして思えば、自分の人生の中で、“営業目的でなく”本を紹介してもらったり、“押し売り”されたりすることって、まずないことです。それは、私自身にそうした本を読む必要があるからこそ、勧めてもらえるということであり、私の成長をみこして働きかけをしてもらっている…そんな機会って、人生においてなかなかないことです。
今、運営委員委員会でも、その時々に応じて、さまざまな本を取り寄せ、運営委員一人ひとりに買ってもらっています。でも、いまだに、本を“押し売り”することに躊躇してしまう瞬間もあります。でも、それは仲間の成長を考えない、もしくは「買わないかも…」「興味ないかも…」と仲間を成長する存在としてとらえられていないという自分自身の観点に問題があるのだと思います。
実際、運営委員会には、今から“学ぼう”そしていろんな“活動をしよう”という意欲あふれる仲間がたくさんいます。その仲間が、今学習して高まれば、今後その仲間のまわりへとそれはつながっている…私が働きかえようとする仲間には、その先の仲間がいることも想像して働きかけることが、大切なんではないか、そんなことも考えさせられました。
本を読むこと、労働学校に参加すること、仲間と論議すること、街宣で街ゆく青年と対話すること、労働学校を“新しい仲間”に紹介するために話をすること、労働組合活動でいろんなことを経験すること…さまざまな機会、チャンスを通じて、それらが重なりあって、私たちは成長するのだと思います。
でも、その機会、チャンスは“瞬間”なんだと思います。その“瞬間”のチャンスをいかせるか、いかせないかは、自分自身の観点を高めるかどうかなんだろうな、と痛感しています。
この@GAKUTOMOで、発信することも、私にとって大きなチャンスなんだと思います。全力でぶつからないと…。(吉)11/02/06
2011/2/5
■@GAKUTOMO NO.237
2011/2/4
■@GAKUTOMO NO.236
2011/2/3
◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。
2011/2/2
◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。
エジプトではメールが大活躍しているそうです。
青年マルクスは、新聞を武器に闘いました。
「革命論研究」では、マルクス・エンゲルスの手紙が読み込まれています。生きた姿で科学的社会主義を研究し深めるためには、不可欠なもの。
私たちは、文章から学び、文章を使って闘いをひろげます。
「されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、と云う働きを持っております。」(谷崎潤一郎著「文章読本」中公文庫 p18)
「──すなわち、いま、よい文章を綴る作業は、過去と未来をしっかりと結び合わせる仕事にほかならない。もっといえば文章を綴ることで、わたしたちは歴史に参加するのである、と。
──略──
わたしたちの読書行為の底には「過去とつながりたい」という願いがある。そして文章を綴ろうとするときには「未来へつながりたい」という想いがあるのである。」
(井上ひさし著「文章読本」新潮文庫 p14-13)
自らの不足≠ヘ努力によってしか勝ち取ることは出来ない。(む)
2011/2/1
■@GAKUTOMO NO.235
2011春の情勢セミナーの第1講義は、「『貧困大国』日本の現実」でした。講義は、NHKのドキュメンタリー「子どもの貧困」と「無縁社会」の録画を使い、視覚的に学べるものでした。
思いだしたのは私の職場で数年前に起きた非正規労働者が懲戒処分となった事件です。その非正規労働者は、生活保護を受けている母子家庭の労働者でありました。まじめに働くその母親は、日々のストレスからか、その月少したくさんの買い物をしてしまったようです。たったそれだけです。たったそれだけのことで、生活費がまわらなくなり、職場の金庫に手をつけてしまったのです。
そのことが発覚し、私たちも寛大な処分を願っていましたが、どうすることもできませんでした。労働組合としても一人ひとりの労働者に日々心を配れておれず、守れなかった悔しさに涙しました。
憎むべきは「貧困」。講義では、「子どもの貧困」は待ったなし≠ニいうことが強調されていました。労働組合が「貧困」にどう立ち向かうかが待ったなしで問われています。今日的に「貧困」は一見見えづらい…。気付いていますか。職場に潜む「貧困の現実」に。(書)11/1/30
■@GAKUTOMO NO.234
自分の職場の人が労働組合加入を決意してくれました。そして労働学校も受講。二重の喜びです。その人は現場で働きながら保育士の資格取得に向けて勉強されています。いろいろな職種を経験されてきたその人に、まずはじっくり話を聞いてみることから始まりました。「いま、子どもと毎日接していていろいろなことができるようになってくる姿とかを間近で見られるのがおもしろい。これまでいろんな仕事を経験してきたけど保育は一生の仕事にしていきたいと思いました」とのこと。保育士仲間として嬉しいです。
一方で時給の低さも「いまは実家暮らしでなんとかやっていけてますが、この賃金では生活できないです。1月は1ケタ台でした・・・」と深刻に話されました。「人間を育てる仕事に就く保育士が自身の生活に不安を感じている現状。それは当たり前ではないし、社会の仕組みがそうさせている。社会が変われば変わるんだよ。それを変えるためには労働組合でみんなで力を合わせないとあかん。だからひとりでも多くの仲間に入ってほしい」と強く話しました。すると「私も労働組合に参加してみたいです」と力強く返事をしてくれました。
その後も、保育士が労働組合に加入することの意味や、いま労働組合として正規、非正規の枠を超え運動を大きくすることが子どもの未来を大きく変えていくということを伝え、保育という仕事は人間の成長に携わる仕事であり保育士の保育観を深めることは不可欠。そして今日的に「保育」が社会のなかでどういう位置に置かれているか。誰もが平等に成長や発達を保障された保育が受けられなくなっていくという流れが、なぜ起こってくるのか、根源には何があるのかをしっかり学んで一緒にたたかう力をつけようということを話すなかで労働学校も受講になりました。(麦)11/1/31