2010/11/30


■@GAKUTOMO NO.182
職場に学習仲間を増やそうと日々活動をすすめていると日々、資本のイデオロギーにぶつかります。それは労働者仲間の「忙しいし学習なんて無理」「その日は予定が・・・」という断りの一言であったり、自らの戦略や計画性のなさから「仕事で活動できません」という状況をつくりだしてしまうことであったり、冬の雨風であったり・・・数知れず。そういうときに「生き方の基本」が崩れてしまいがち。(GAKUTOMOの書ける書けないもそうです。)そういうときこそ“自覚的な生き方”が問われてくるでしょう。

不破さんのある言葉を思い出します。それは「生きた価値ある生き方をする」という一言。「時代の流れも見定めないで、目先のことだけに追われ、ただやみくもに日々を過ごしてしまう、そういう生き方でよいのだろうか。やはり時代の流れをつかみそのなかで自分の位置も見定め、どこに生きがいがあるかも探求しながら、生きた価値ある生き方をするのか。そういうことがマルクスを読むなかからわかってくるだろう・・・」(「マルクスは生きている」パンフp.7)と明確に書かれています。

夜中まで働いて日曜日はバタンキューの労働者、卒業後働きたくても雇用がない大学生、いつ首になるかわからない派遣労働者・・・。日々競争のなかで人間らしさを奪われていく労働者たちがあふれている今日。私たち自覚的に生きることを知った活動家が「生きた価値ある生き方」をするということはどういうことか。いま何をなすべきか。答えは明白です。「職場にどれだけ学ぶ仲間をつくるか、そして人間として自覚的に生きる仲間をどれだけ増やすか」ということ。あらためて胸に刻み職場へ足を踏みだします。(麦)10/11/29


2010/11/29


◎残念ながらUP出来る@GAKUTOMOはありません。……トホホ。(む)


2010/11/27


■@GAKUTOMO NO.181
「本当はこんな仕事がしたい!でも、できない・・・」それは自分の要領の悪さのせいだと感じている労働者は少なくないのでは・・・。保育士仲間を見ても、看護師さんの話を聞いても、思います。

「自分がこの仕事に向いてないんじゃないか」とか、「こういうことを求められるけど、それは自分は苦手・・・」とか。看護も保育も、専門職でありながら、即戦力(=成果・業績)が求められるから、ますますそういう姿が現れているような気がします。その基礎にあるのが、カツカツの人員配置。

民医連で働く仲間の話によると、要求討議をすると看護師さんから、看護の質とかなんとかよりも、「8時間で終われるところがいい」「夜勤のないところがいい」と、「よい看護がしたい」というのと違ったところに要求がでてくるそうです。

「よい看護」の前提になる環境を整えるという要求が強く出されている。働き方のつらさ故でしょうか。そのオオモトには……。

「診療報酬」。川島みどりさんも言っていましたが、看護独自の役割であるけど「診療」に関することでない看護(患者さんの生活のケアなど)が「金にならない」と軽視され、必要な人員も減らされる。カツカツの人員で仕事をまわすから、看護師さんが妊娠すると病棟を移さなアカンかったり(夜勤ができないから)、病棟間で「支え合い」をしているが、そのことで、病棟間の対立を生んでいる・・・。もっとも人間的であるはずの職場で、働く仲間同士の対立を生む。どうにもやりきれない。

これは「金」の力だ!と思いました。マルクスは「貨幣」についてこう言っています。「誠実を不誠実に、愛を憎に、憎を愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主人に、主人を奴隷に、愚鈍を理知に、理知を愚鈍に変ずる」「転倒をさせる力として現れる」と(岩波文庫「経済学・哲学草稿」186頁)。←第17回集中セミナー「疎外された労働」のテキストに載ってます゜゜*☆。+゜゜

労働条件のうちでもっとも青年の関心が高い「人間関係」も、各職場の中だけの問題ではなく、「金」が第一の社会が作りだす問題なのだ。(蓮)2010/11/26



2010/11/27


■@GAKUTOMO NO.180
23日(祝)に総合コースで交流会をしました。当日は3部構成。充実した1日を過ごしました。

第1部は動物園。1903年に開園した、全国で2番目に古い動物園である京都市動物園へ行ってきました。大人になってから動物園へ行くことなんてないですよね?十数年ぶりに行った人が多かったのですが、「また友達と来ようかな」、「もっと時間がほしかった」と、とても楽しんでいました。みんなの表情が子どもたちに負けないくらい生き生きとしていて素敵でした。

第2部は“働くこと”についての学習交流会。参加者14人それぞれが、どんな状況で働いているのか、どんな気持ちで働いているのか、交流しました。

今休職中の受講生が「仕事を休んでいて、改めて働く中で人とつながっていたんだと感じている」と話すと、バイトをしている受講生が「バイトの中で社会とつながっていると感じたことはないなぁ。どうしたら感じられるのかな?」と。

できれば働きたくない、働く中で人間らしさが失われる今、働くとはどういうことか、社会と自分との関わりとは、と考えることがとても大切です。

どんな気持ちで働いているかを話す中では、「もっとこんな気持ちで働きたい」、「うちの職場のここを変えてもっと良くしたい。そのためにも労働学校でしっかり学びたい」と、これからどうしていきたいか考え、実践していくためにも学習が必要だと感じている意見がたくさんありました。

自分の周りの人がどんな状況で働いているか、どんな気持ちで働いているかを交流できる場は、なかなかありません。受講生の話で共通するのは「労働学校で学び考え話すことは、自分の周りでは話せない」ということ。そこをどう変えていくか、それが学んだことを実践するということなのだと思います。

第3部は講義です。「知のESSCENCEU 真理とは」でした。今まで考えもしなかったことを学び、「分からない」という感想も多かったですが、繰り返し学ぶ中で、みんなで話す中で、少しずつ分かってくるのだと思います。みんなでさらに深めていきましょう。一度には到達できないものですが、少しずつ積み重ねる中で気づいていくのです。それにしても、「哲学はむずかしい」という労働者、青年の先入観には驚きです。どんな勉強をしてきたのでしょう。(蛍)1010/11/25


2010/11/25


■@GAKUTOMO NO.179
先日、科学的社会主義プラスター(計20枚)を作りました。私にとって、絵に描くことは対話することと同じで、学び直しの機会になります。

私の一押しは、「労働組合その過去A 労働組合がはたしうる歴史的役割」です。労働組合の歴史的役割をどう伝えようか・・・と考え、第16回集中セミナーでの学習を見直しました。その中に、「経済闘争は『一時おさえの薬』(賃金、価格、利潤)をもちいているようなもので、貧困が生みだされる資本主義制度はそのままです。『病根』をたちきるには、この『賃労働と資本支配との制度そのものを廃止する』必要がある」(戸木田嘉久「古典から学ぶ労働組合論」43頁 学習の友社)とありました。その廃止にあたって、労働組合が大きな歴史的役割をはたしうるのだ、と。

そこをどう描いたらいいか・・・と悩み、学習仲間とも論議をしました。

@「賃金UP!」と要求する労働者。その要求は通っても「半分はクビね」と資本家。A労働者の背後には、「仕事をくれ!」と言っている失業者たち。同時に、過密労働の現場に残された労働者は「人員を増やせ!」と要求しています。その要求は通っても、資本家は「臨時でね」と応じます。B不安定雇用労働者は働いても働いても貧しい“ワーキングプア”、失業者とともに「生きさせろ!」と叫びます。同時にカローシするほどの働き方を強いられる労働者も「生きさせろ!」と。「人間らしい労働を!」という労働者の要求に対して、資本家は「雇用形態の多様化」だの「国際競争力」だの「自己責任」だのと言います。Cそして、とうとう労働者たちは「賃金制度の廃止しかない!」と立ち上がる!!こういう案ができました。

いざ、これを絵にしてみると、我ながらおもしろい!4コマ×4コマなんですが、みごとに虐げられる労働者の数が増えていき、さらに、その労働者たちの要求は一致していくのです。そして、最後のコマでは資本家の姿はありません。資本家はいらない!

たった一枚の紙、かつ、私(たち)の理解の水準という限界はありますが、いろんな人が見て、いろんな経験や学んだこと重なって、なにか発見するきっかけになったら・・・うれしいなぁ〜。(蓮)2010/11/24

◎失業者や不安定雇用の労働者の存在、生きていくために必要な資料を、労働力を商品として売る以外に手に入れることが出来ない現実……、ここから賃金は低く抑えられた奴隷労働が強制されざるを得ない。失業者(産業予備軍)それ自身は資本にとって不可欠な存在。この構造にもう一歩踏み込んでほしい。(む)


2010/11/24


■@GAKUTOMO NO.178
 たまたま立ち寄ったショッピングセンターの中のある看板がどうも気になり、違和感を覚えました。

 そこには“安全カメラ”と書かれていて、たしか「お客様の安全を守るために…」と説明がありました。“監視カメラ”と書くより“安全カメラ”にすることで、イメージが全然違うことが、違和感の原因でしょうか…。

 その“違和感”に似たことは、よく他でも感じることがあります。最近のことで思い出すとしたら…クリントン国務長官が日米外相会談で『「思いやり予算」を「東アジアの安定と安全保障を維持するための主要な貢献策」とのべた』ってニュース。なんか“違和感”を感じます。

 政権党が、法律をつくるとき、その名称にこういうやり方を使うこともよくあるようにも思います…10年くらい前のことでいえば、本質的には“盗聴法”なのに“通信傍受法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)”という名前にするなど…。

 “安全カメラ”は深く考えすぎかもしれませんが、こうした“違和感”の奥にはなにか意図的なものがあるかもしれないと思ったりしています…。(吉)10/11/22


■@GAKUTOMO NO.177
真理について、総合コースの仲間が話していました。

「『真理とは、これらの事実・現実・客観的実在などをわたしたちが認識しとらえた知識が、もとの事実・現実・客観的実在などと正確に一致していることが確認されたとき、この知識の内容のことをいいます。つまり、真理とは、知識と実在の一致のことです。』(「哲学のすすめ」鰺坂 真) ここを読んで、何となく、自分たちが今労働学校で学んでいることと、HORIMARUセミナーの街宣とかでまわりに広げる実践することと、両方が大事なんやってことかなって思った」

となりから聞こえてきた言葉でしたが、なるほど!と思わず一人でうなずいていました。

「真理とは、知識と実在の一致のこと」―知識だけではダメ。自分で事実を確かめてみることが必要なんだ―くり返し学んで話して少しずつ分かってきたつもりでしたが、それこそ私は“知識”としてだけだったんじゃないだろうか…。

そんなことを考えながら『フォイエルバッハ論』を読むと、マルクスのテーゼの中にずばり、書いてありました。

「人間の思考が対象的(客観的)真理にたっするかどうかという問題は、なんら観想(頭の中で考えるだけ)の問題ではなく、“実践”の問題である。」

実践が重要なんだ。やってみないと、成功も失敗もない。

まるで今の自分に向けて言われているようで、またも「ハイ…」とうなずくしかありませんでした。137期も折り返し。今、やらないでいつやるの!と、自分を奮い立たせてがんばります。(和)10/11/23


2010/11/24


■@GAKUTOMO NO.176
17回集中セミナーの募集をしていて、中味を話す前に、日程だけで「その日は・・・」と断られてしまう場合があります。それでも一応、中味も紹介はしますが、それ以上の話にはなりづらい。消化不良のまま、対話を終えてしまいます。

日程がどうであれ、「疎外された労働」についての対話(仲間への働きかけ)それ自体が、何か問題意識を芽生えさせるものであり、次へと導くものでないといけないのでは!と思うので、消化不良なのです。

署名を集めていても思います。数を集めればいいんだけど、単に数さえ集めればいいんじゃないのでは・・・!?署名は、わたしたちが直接声を届ける手段であると同時に、世論を広げる手段として取り組むことが大事なんじゃないかと。

そこで!!取り組む一人ひとりの“戦略眼”が問われてくるんですよね・・・。

とりあえず熱が下がりさえすればいいのなら解熱剤を飲めばいい。でも、ナイチンゲールは言っています。「すべての病気は、・・・程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって・・・毒されたり、衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれ」であると(金井一薫「ナイチンゲール看護論・入門」現代社 30頁)。そう思えば、対応の仕方も変わってくると思います。

とりあえずケンカを止めさえすればいいのなら引き離せばいい。でも、それ自身が子どもにどんな力をつける過程であるかを考えてみれば、これもまた対応が違ってきます。

とりあえず不払いの残業代を支払ってもらえさえすればいいのなら、裁判をすればいい。でも、その闘争がどういう過程の中にあるものとして捉えないといけないか・・・16セミで学びました。

すべてつながってきて面白いんです!とっても面白いんです!!それを語らなきゃいけないんですよね。反省・・・。反省するなら実践しろ〜!がんばります。(蓮)2010/11/19


2010/11/20


■@GAKUTOMO NO.175
学校の先生の労働組合で話をすると小、中、高どの学校の組合でも「若い先生は仕事に追われて組合活動どころじゃないんや、授業が終わっても次の日の準備、部活。日曜日も研修や部活の試合でほとんど休めないし・・・」と話されます。実際に学校の先生の自殺も後を絶たないということも聞きました。

「「死なない程度に何とかやっている」ともらす小学校教師。「何でも書類が必要なのでパソコンに黙々と向かっている」と職員事情を語る中学校教師。そんな毎日では周囲を思いやることも、目の前の子どもから出発することも難しいのです。取材をすすめる中で大がかりな仕掛けー教師を評価にさらしてバラバラにし、教育を数値目標でしばる制度の数々に突き当たりました。その一つが人事考課制度。(略)人を蹴落とす「強さ」で支配されるような学校ではなく、失敗や弱さを包み込むようなやわらかな学校であったなら・・・。そんなことを願いつつ、思いを聞き続けたいと思います。一人ぼっちはつらいから」としんぶん赤旗の取材した記者は書いています。教師は他者との評価のなかで「ひとりぼっち」にさせられています。

そして「赤旗」はその記事に前後して群馬県の小6女児自殺事件の取材記事も(上)(下)の連載で載せていました。10月23日に群馬県で小6の女の子が首を吊って自殺をした事件。市教委は「いじめがあった」と認めたが、自殺との因果関係は認めませんでした。亡くなった女の子の父親は記事の最後でこう語っています。「ひとりぼっちが一番つらい。担任の先生は、アキをなぜひとりぼっちにしたんですか。『一緒に(給食を)食べよう』と声をかけてほしかった。どんなにアキが苦しんでいたか・・・」

そう、教師たちが「ひとりぼっち」にされているなかで子どもたちも「ひとりぼっち」にされているのです。記事を見比べてみて「一人ぼっち」の共通点が。泣きそうになりました。

(下)の記事には「人事考課などで教職員集団がバラバラにされている現状がある。子どもたちの間のコミュニケーションの未熟さから起きる問題をコーディネートする役割を教職員集団が果たせなかったのでは」と指摘しています。

“子どものため”に必死でやろうとしていることがいつのまにか“評価のため”になり、いかに評価ランクを上げるかが目的になり隣の教師がライバルになっていく。そんななかで子どもたちのSOSが発見できない状況や発見しても自分だけで抱えてしまうようなことが起こり最悪の結果を招いてしまう・・・。まさに「労働の疎外」が子ども(未来)にまで被害を与えている・・・。

社会で起こっていることの根本原因を見つめないとしわ寄せは未来(子ども)にいくのだと思います。(麦)10/11/18


2010/11/19


■@GAKUTOMO NO.174
総合コースが面白い!

総合コースの講義を学び初めて1年。全てつながっていることなのだということを、学習が深まるにつれて実感しています。このHPでも総合コースの感想を見ることができますが、今までの講義とその日の講義がつながり、どんどん学びが深まってきているのがよく分かります。分散会も回を重ねるごとに充実しています。

11月16日(火)は第7課 『知のESSCENCET 人間とは』の講義がありました。この講義では、人間とはそもそもどういうものか、人間の本質とは、ということに加え、第17回集中セミナーのテーマにもなっている“労働の疎外”についても学びます。

分散会の感想交流では、感想が“労働の疎外”の部分に集中しました。「原始社会では、労働は生命活動であり、人間性の発揮であり、みなの喜びでしたが、今日では労働は苦痛であり、苦役であり、出来ればやりたくないものとなっています。」(総合コースレジュメより)ということに、それぞれが「そうやなぁ。」「やりたくないことをやっているわけではないけど、喜びはないなぁ…。」「(原始社会と今日での“労働”というものが)逆転するのはおかしい!」と話していました。

その中で、「資本主義社会の中で団結が強まる条件ができてきたけれど、それが“人間の人間からの疎外”によって阻まれているのかな。」と、前の講義で学んだことと重ねて考えた感想も出てきます。労働が疎外されているのか…と嘆くのではなく、どうすれば変えられるのか、という変革の視点で考えることが大切です。そして、変えていくためには、まず多くの人に知ってもらわなければなりません。学んだことを実践するHORIMARUセミナーに総合コースみんなで取り組むことが大切です。みんなで実践していきましょう。(蛍)10/11/17

■@GAKUTOMO NO.173
いつも「学習の友」をもっていくある病院。先日、その病院に娘が入院することになり、お世話になりました。今年に入って2回目です。担当病棟の看護師さんが、いつも学習を広げる窓口になってくれている人でしたので、「また、お世話になります。」とあいさつをしました。すると、大きな声で「やっべ〜!」と言われました。びっくりして思わず口に出たようです。いつも詰めるばかりで、激励をしてこなかったんだなあと思いつつ、そんなことではもう挫けない自分もいました。

後日、気にせず学習の案内とともに「お世話になりました。」と電話をかけました。その看護師さんは第16回集中セミナー「未組織労働者の組織化と労働組合強化」に来てくれ、労働組合強化の視点を深めてくれたのか、私の娘が入院し、人としてのつながりが広がり、深まったのか、ふたつ返事で第17回集中セミナー「『疎外された労働』を読む」を受講してくれました。(16セミはほぼ労働組合づくりのいろはであり、おそらく前者で間違いないでしょうが。)

これまで、勤務が出るまでは集中セミナーの受講の決意はされたことがありませんでした。しかし、今回は希望休をとって来てくれるとのことで、この大きな変化にうれしく思っていました。

今日さらにうれしいことがありました。当日使うテキストを渡すのに、「どうしましょう。」と電話したところ、「病棟にもってきてくれてもいいよ。」とのことでした。

これは、学習運動をする者にとっては大変大きな前進なんです。これ以降いつでも病棟に行けるということにはならないとは思いますが、信頼を深められた象徴的な出来事だと思います。あの病院の労働組合を何とか強めたいと思います。

しかし、たとえ娘の入院が関係づくりに影響を及ぼしたとしても、娘は1歳。つきっきりの入院生活はこりごりです。(書)10/11/17


2010/11/18


■@GAKUTOMO NO.172
 HORIMARUセミナーの準備を137期の仲間みんなですすめています。この週末には街宣をしました。

 「こんにちは。HORIMARUセミナーをやります!」「労働学校といいます。ぜひ、きて下さい!」

 などなど、初めて街宣に参加する仲間も緊張しながら、新京極で行き交う人、待ち合わせの人たちに、チラシを渡したり、話しかけたりしています。
 初めての仲間も、「どんな仕事しているんですか?」と声をかけ対話をすすめています。

 街宣をしてみての感想でも、「自分は搾取について学んでビックリしたし、いろんな人に知ってもらいたいと思って街宣に来たけど、実際に話そうとしても、何て話したらいいかまとまらず、チラシを渡すのが精一杯でした。もっと準備しないと伝わらないなぁ…」と。早くも、自らの課題を発見しています。

 そもそもなんで“搾取”を学ぶのか?って考えてみました。

 「働いても働いても余裕がない…」「休みの日には何もする気しないー」「“しんどいなっ”って言いにくい」「自分の思いを話すのってにがて…」「学校の勉強って何のためにするんやろ…」「友だち=競争相手?」「社会はどうせ変わらへん…」「うまくいかないのは自分のせい…」etc……こうしたことの根源にあるのが、まさしく“搾取”!その搾取のしくみを学び、そうした現状はどうしたら変えることができるのか、そうしたところまで考える、これって大事なことだと思います。

 “搾取”って、働く中で搾りとられる、ただ働きさせられる…そうした直接的なことだけでなく、私たちのものの見方、考え方のところにまで、その影響がでてくる…例えば、“自己責任論”とか典型…というところまで深めることも大事だと思います。

 “搾取”のしくみをとらえることを出発点にして、さらに資本主義とは、資本とは、労働者(階級)とは、といったところから、さらに人間とは、働くとは、そして未来社会って…などなど、「科学の目」で社会をとらえることにつながってくると思います。

 労働学校で学ぶ私たちが、自分たちだけの知識にとどめるのではなく、まわりの仲間や街ゆく人たちにまで広げて、一緒に学んで考えようというHORIMARUセミナーって、一人ではできない、みんなでやるからこそ実現する、とても意義深いセミナーだと思います。

 12月12日、日曜日の午後です。待ってます!ぜひ来てみて下さい!労働学校の取り組みに初めての方、大歓迎です!(吉)101115


2010/11/17


■@GAKUTOMO NO.171
生活の中で、活動の中で、周りの人間との関係や、人生における困難にぶつかって、どうしていいかわからず、しんどくなったとき、私はとにかく何か本を読むことにしています。

これまでも、たくさん本に助けられました。もちろん、信頼のおける本たちです。私の場合、宮本百合子さんや高田求さんの本によく助けられたように思います。マルクス・エンゲルスの古典にも助けられました。先日も、小説「タケ子」に助けられました。

普段はさらりと読み流してしまいそうな文章でも、その時その時の問題意識でひっかかってくる文章があります。読む度に発見する思いです。そうして発見したものは、たびたび思い起こし、また私を励ましてくれます。

それは、科学的社会主義の立場で書かれているからこそ、そうなのだと思います。「変革の立場」だから、そうなのだと。「開拓者には、規制のテーゼはない」・・・そういうことを、直接そうは言わずとも、感じさせてくれるのだと思います。「新しい現象にぶつかったら、それを解明する道は、自分たちが鍛え上げてきた方法論をもって、その新しい現象を考察する以外にないのです。」(不破哲三著「革命論研究 上」189頁)そういう生き方を、そういう開拓者の姿勢を、私たちは学ぶのだと思います。

自分の人生の中で起こってくる現象は、似たようなことはあるにしても、すべて“新しい現象”です。しかし、私たちには科学的社会主義があります。マルクスがいる。不破さんも。たくさんの先人たちに学ぶことができます。“新しい現象”を考察する「方法論」を鍛え上げないと。

実践の中で生まれてくる問題意識でもって精一杯学び、「開拓者」としてあらゆる機会をチャンスにしていく、そうして社会を一歩でも二歩でも前へ進めるいち分子になることが、自分らしさの発揮につながる。一生かかってたたかうのだ〜。「革命論研究」、深めたいと思います。(蓮)2010/11/15

◎右の講義に対する感想……読んでください。@GAKUTOMOと連帯する感受性、労働者魂をもった労働学校受講生の思いをうけとめてください。(む)


2010/11/16


■@GAKUTOMO NO.170
 労働学校の総合コースでは、90分の講義後、少人数のグループに分かれて分散会討論をします。限られた時間内で一人ひとりが意見をだすので、“感想用紙”にもとづいた全員発言をします。

 この“感想用紙”というのが、現在の総合コースの大きな特徴の一つになっています。講義を受けてすぐに感想を書くので、率直な意見が整理して出されます。労働学校は常に同じものではなく、受講生がどうしたら学習を深めることができるかという点でさまざまな改善・工夫をしています。現在の“感想用紙”になったのも135期からです。

 『第3課 “搾取” そのしくみと強める方法』の講義を受講した仲間たちの感想には、“搾取”を学んでの率直な意見が綴られています。この1年間(135〜137期)の感想をみてもいろんな特徴がでています。

★135期では…

 『労働力を商品として考えることに少し驚きましたが、たしかに資本家からすれば原料や機械などの生産手段と同じようにものだと思います。…労働者はいくらまじめに働いても搾取されることに気づきました。』

 『搾取のしくみを学んで今も昔も労働者はモノとしてみられているのだなぁと思いました。』

 『労働者を使って資本家は利益をあげている。それは当たり前だと思っていたけど、私たちも知らない利益をさらに資本家は得ている…労働力を商品という言葉で表現されると本当にモノ扱いされているんだなと感じました。労働者も人間なんだけど、きちんと人間扱いされないのが資本主義社会なんだと思いました。』

 『商品の売買過程ではあまり利益は生まれず、労働力という商品によって生まれるという考え方が新鮮だった。』

 …と、“労働力は商品?!”“労働者はモノ(扱い)?!”というところを“驚き”“気づき”“新鮮”にうけとめる感想が特徴的にでています。

★136期では…

 『搾取と聞いて思ったのがトヨタ自動車だった。講義の中でも出て来たので、搾取のイメージとしては間違っていなかったので良かった。搾取を強める方法に、正規労働者を非正規労働者に置き換えるのも含まれるのかな?』

 『労働の価値通りに賃金が支払われていることは少ないと知ってショックです。バイトを始めたので、今日の搾取の講義は、うなずきながら聞いていました。作業服に着替えたりする準備時間は労働時間に含まれないというのは、あたりまえだと思っていたけど、違うとは!思いませんでした。』

 『最低賃金以下で働かされたり、労働時間の延長など、不都合な部分が目に見えて来ていることが問題だと感じた。自分の仕事は本当の正しい価値分の賃金が支払われているのだろうか不安です。』

 『まずは自分達が搾取をよく知ることが必要だと思います。』

 『物を売り買いすることで利益がうまれると思っていた。…働くことで産み出されるものが商品だと思っていたが、働く力も商品ととらえることで一段違った見方ができた。』

 『労働力が商品というように思わず働いてきましたが、これをふまえ、今の自分の賃金を考えると、更に不安に感じます。』

 『安く買って高く売るから、資本家はもうかると思ってたけど、そうじゃなかった。労働力は商品という事と、その価値をもうけに利用するというのに驚いた。』

 『労資間の力関係によって賃金も決定されるのだから、労働者は団結して“力”を持たないといけない!!』

 …自分の働き方や生活、具体的な事象と結びつけた感想が多いように思います。

★137期では…

 『消費することが創造になる労働力ってすごい。』

 『労働は価値を産むが、その産みだされた価値は労働力の価値とは無関係である、ということに眼からウロコ状態でした。』

 『労働力は商品っていう考えはとってもインパクト大でした。労働力はスーパーにならんでるリンゴ(商品)と同じ…。…リンゴが主人公として生きる…なんて変だから、この資本主義社会で労働者が主人公として生きるってとっても難しいことなのだろうと思います。』

 『「労働力」という商品を資本家が買い、労働者は労働する。ということを初めて知った。そして労働をすることによって産まれる新しい価値と、労働力として支払われる価値が違うというのはどうなのかなと思った。とても身近な所で“搾取”という事が行われているんだなと思った。』

 『タダ働き(=搾取)になってたし』

 『お店側に労働力を売って、価値を作り出しているのがよく分かりました。』

 『労働力が商品になっていることを初めて知り驚いた。今まで考えもしなかった。日本で非正規労働者、ワーキングプアーが広がっているにも関わらず企業の利益は下がっているわけではなく逆に上がっているグラフを見た。剰余価値を生み出す仕組みを今日知りつながったような気がした。』
 『資本主義社会において、どのように利潤を資本家が生みだしていくかが分かった。』

 『労働力にでしか新たな価値を生みだせない、というのは、とてもビックリした。労働力は新たな価値を生みだす特別な商品である、ということ、労働者全体、国民全体が理解できれば、今の社会とは違った社会になる気がしました。』

 『がんばって仕事をする分だけ、資本家の利益が増えるだけで新しい価値を生み出している労働者は恩恵を受けられない、自分達はいったい何の為に働いているのだろうか?これからもしっかり学んでいきたい。』

 …“眼からウロコ状態”“インパクト大”など初めて知って驚いている仲間の感想が多くでています。“労働力”“価値”という言葉がたくさん出されているというのも特徴的で、“搾取”のしくみについて深く理解がすすんでいるように思える感想が多くでています。

 そして137期では、第5課までの経済学の分野のところで、“ここで皆で学んでいることは直接自分の生活に関わってくると思うし、たくさんの人が知っていかないといけないことだと思います。でも私の身の回りに知らない人がたくさんいるし、知る機会もないように思います。”といったまわりの人にも伝えたいという声が一人だけじゃなく複数だされているのも、137期での特徴となっています。

 その時々の情勢や、受講している仲間の働き方など、いろんな条件は違うわけで、同じ講義を聞いていてもいろんな反応がだされます。特に総合コースは、はじめて科学的社会主義を学ぶ仲間がほとんどですから、その率直な感想に正直“ドキドキ”して注目しています。

 私たちは、『自分たちが生きている世界にたいして、あれこれと「解釈」するだけの立場でのぞむのでなく、これを「変える」立場でのそむ』(不破著「マルクス、エンゲルス革命論研究・上」p7)、その立場で学習をしています。

 その意味でも、今、新たにHORIMARUセミナーの準備を始めています。このセミナーは、私たちをとりまくひどい現実の根源にある“搾取”について学んだ仲間が、まだ“搾取”の仕組みについて知らない“新しい仲間”に、「一緒に学ぼう、考えよう、そして…」と学び広げる第一歩となる取り組みです。

 学習会館2階にかけられた柳田謙十郎先生の書の言葉学而闘 闘而学(学びつつ闘い 闘いつつ学ぶ)=Aの意味が、ようやくわかりはじめたように思います。(吉)10/11/13


2010/11/15


■@GAKUTOMO NO.169
@GAKUTOMOの写真↑を見ていると、こんな時期にもこんなにいろんな花が咲いているんだ〜と驚きます。・・・なんて考えていると、思い出しました。

1月に3歳児クラスの子どもたちと羽根つきをした時のこと。羽根つきって何?という子が何人かいたので、羽子板と羽を見せ“こうやってやるんやで〜”と一回ついて見せました。するとすぐさま「なにでできてるん?」と、羽を見に来くる子がいました。

それは私にとって意外な反応だったので、なんでそんな疑問が出てきたのかな〜と考えました。フワフワの羽をついた音が意外な音だったから?それとも、羽をついた後の飛び方がフワ〜っとではなく意外な飛び方だったから?・・・いずれにせよ、たった1回羽をついたその瞬間に五感で感じたことから、その物の素材はなに!?という疑問にむすびついていることに、感動しました。

何かの木の実だと聞いたことはあったので、確かめました。そして私も初めて、園庭にもあるムクロジの実だと認識したのです(聞いたことあるんだろうけど忘れてました)。しかも、この実、外側の黄色いカラはお湯にいれて混ぜると洗剤のようにブクブクと泡立つのです(実際これで洗濯していたらしい)。毒性もあるから口には入れないように!という注意付きですが。こんなに面白い、特徴のある植物だなんて!背の高い木なので、実がついていることすら知りませんでした。

その日以来、しばらくその子を中心に、子どもたちはムクロジの実探しに夢中でした。“ムクロジ”という名前は「なんやったっけ〜!?」とすぐに忘れてしまいます。でも、名前を覚えることよりも何よりも、その五感の力と探求心が発揮されているということが嬉しく、感動しました。

保育日誌みたいになってしまいましたが、学習とは、そういうものだ!と思います。(蓮)2010/11/12


■@GAKUTOMO NO.168
学習の友を届けに行っている大学でも「クスノキ」「イロハモミジ」「キタヤマダイスギ」「メタセコイヤ」などなど、大きな木が色づき、地面は落ち葉のじゅうたんのようになっています。校内を歩くとまさに森林浴をしているようで気持ちがいい。こんななかで4年間学べたらいいなあ・・・なんてちょっぴりうらやましくなって歩いています。

子どもたちの散歩コースや、園庭に唯一あるカリンの木も色づき始め、子どもたちのごっこ遊びでは、黄色や赤い葉っぱ、どんぐりを材料にごはんをつくる「お家ごっこ」がさかんです。

3歳児の男の子が「なんで葉っぱ黄色いの?」と“なんで?”の時期に入ってきました。「寒くなったからかな」と答えると「何で寒くなったら黄色くなるの?」と返してきます。「寒くなったら黄色くなって、地面に落ちてくるんだよ。そしてまた春になったら新しい葉っぱが出てきて木が大きくなるの」と説明をすると「春になったら新しくなるんか・・・」と納得したのか、再びごっこ遊びに戻っていますした。

年度の後半になり自分の世界がぐ〜んと広がってきていることを感じます。自然に対しての興味でも、新しい知識をいっぱい吸収しよう、吸収したいという思いを感じます。そんなとき私たちのかかわり方が問われてるなと実感します。いかに子どもたちが成長したいという内面の思いを日々のなかで見つけ出すか、それをどう育てていくか。小さな出来事のなかでこそ保育士の人間観が問われてるなと感じる秋です。(麦)10/11/13


2010/11/13


■@GAKUTOMO NO.167
11月11日は、「介護の日」でした。

厚生労働省によると、『高齢化などにより介護が必要な方々が増加している一方、介護にまつわる課題は多様化しています。こうした中、多くの方々に介護を身近なものとしてとらえていただくとともに、それぞれの立場で介護を考え、関わっていただくことが必要となっています。介護についての理解と認識を深め、介護サービス利用者及びその家族、介護従事者等を支援するとともに、これらの人たちを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関し、国民への啓発を重点的に実施する日を設定することとしました。』(厚生労働省の広報より)ということです。「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」ということらしい。

厚労省の自助、共助、互助を強調する思惑が透けてみえる気がします。

介護問題が深刻な国民的課題となったのは、介護保険が創設され、「保険あって介護なし」の状態がつくられてきたからです。高い保険料を払っている割に、サービス制限されたあげく、重い自己負担が発生するしくみ。選べるはずのサービスは、入りたくても入れない特養が物語るように、大ウソでした。また、度重なる介護給付の改定で、ただでさえ低い水準にあった介護労働者の処遇は、さらに悪化し、介護労働者の人材不足がいっきに現れました。

これだけのほころびをみせている介護保険制度を、厚労省は成功例とし、介護保険をモデルに障害者自立支援法や、後期高齢者医療制度を創設し、さらには新育児制度を創設しようとしています。

介護保険問題でいつも思い浮かぶのは、「年寄りが動けたら、若者が知っていたら」というフランスのことわざです。

「介護の日」にあらためて、公的社会保障のあり方を思いめぐらしました。(書)10/11/13

◎久しぶりの 書-@GAKUTOMOだったのでUPしました。福祉職場でいまどんなことが起こっているのか、そういう問題意識が弱い。マルクスは、社会の地べたで働き生きる、19世紀の労働者をまるごとルポしました。単なるリアルに≠ナはありません。革命の、未来社会建設の担い手としてのプロレタリアートという問題意識で……『資本論』にあります。マルクスの古典文献を急いで読み飛ばして身につけてほしいものです。時間は無限ではありません。(む)



2010/11/12


■@GAKUTOMO NO.166
製造業の労働組合に17セミナーの対話に行くと「もうどこの企業もコスト削減を考えてより安い賃金で労働者を働かせられる海外での生産になっている。いまでは日本の精密な製造技術なんて何も関係ない・・・。最近では製造業だけでなく農業もめちゃくちゃ。これからの10年、すごい勢いで日本の社会状況は変わっていくと思う。」と深刻そうに話してはりました。

人間が暮らしていく上で必要不可欠な「衣・食・住」のすべてにおいて「人間が人間として生きていくために」ということがなくなっています。とくに「働くこと」そのものが「人間らしさ」を奪っている状況が深刻です。

さきほどの労働組合で話がすすむなかで「いまの社会はもしかしたら『蟹工船』のときよりひどいかも知れない。『蟹工船』は“働くことが過酷”ということだったけど、いまは“働くこと自体ができない”という状況になっている。そのなかで青年がすぐ自殺したり、人を殺したりするんだから。」と言われていました。

ほんまに・・・。資本主義のなかで働き、生みだされる人間の孤立・分断、……貧困、差別、

「どんな個人も、自分自身のなかに多くの能力を潜在させています。(略)マルクスは、未来社会を展望するさい、人間の物質的生活を向上させ豊かにすることと同時に、その社会が、すべての人間にその能力と活動の全面的な発達を保証する社会となることを、何よりも重視しました。」(「マルクスは生きている」p.163)と不破さんは書いています。

社会に生きる人間一人ひとりが自分の能力を発揮することは今日的に容易なことではありません。労働そのものの本来の意味をしっかりとらえ、そのことと関連させながら「人間らしさをとりもどす闘い」をすすめないと、と。17セミナーで学ぶ重要な意味の押し出し、もっともっとしていかないと!(麦)10/11/10


2010/11/11


■@GAKUTOMO NO.165
総合コースの講義は第5課が終わり、金曜日には3分の1を迎えます。第2課〜第5課は経済学を学びました。資本主義とは何か、社会の仕組みはどうなっているのかということを学ぶ中で、それらが自分とどう関わっているのかを考えています。

その中でも第3課「“搾取”そのしくみと強める方法」は、とても盛り上がりました。それまでは、ちょっと緊張ぎみで進んでいた分散会でしたが、このときはどの班も活発に意見が出ていて、普段あまり話さない人も積極的に分散会に臨んでいる姿が印象的でした。自分も搾取されている、搾取が労働のしんどさの原因だったのだ、といつもより大きな声で語り合い、各班の声が重なり、教室中が熱気にあふれていました。分散会の時間が終わっても話し足りず、残って話す受講生もいたほどでした。

今度は、みんながそれだけ身近に感じ、考え、話した“搾取”について知ることのできるセミナーを作ることに取り組みます。それも広く開放されたセミナーです。HORIMARUセミナー≠P2月12日です。

どうして搾取を知ることが大切なのか、私たちの周りにいる青年たちに参加してもらうにはどう呼びかけたらよいのか、参上三条大橋のたもとでも宣伝と参加者を直接募集します。最初はなかなか声がかけられないと思いますが、だんだんと声が出てきます。私もそうでしたから。

そんな実践の中で学んだことがより深まっていきます。みんなで挑戦します!(蛍)10/11/9

◎労働者(人間)は、実践(経験)と理論(認識)が重なり結合され、……成長してゆく。労働学校で学んでいるだけでは、成長しない。実際に経験があってこそ、深い確信がつちかわれることになる。いま(21世紀前半)どっちも重視できる労働学校の運営委員の存在が仲間にとって決定的なのだ。(む)


2010/11/10


■@GAKUTOMO NO.164
労働学校へ誘った仲間が運営委員をし、日々挑戦しながら少しずつ成長していることに喜びを感じるとともに自分の位置への責任の重さも感じる今日この頃。

今日も学習会館のなかでは「革命論第二講を2回は読むつもりなんです」とか「合同会議で出された資料や文献は必ずすぐに読んでます。」とか「早く来た受講生に今日の講義と『マルクスは生きている』(平凡社新書)のつながってるポイントを伝えててん。」など成長を感じさせる発言が飛び交っています。

誘ったときは「自分のための学習」だったのがいまでは「受講生をどう高めるか」という目的に変わってきています。その意識は労働者階級にとって必要不可欠なもの。自分1人だけがわかっていればいい、力を付ければいいでは、労働者の唯一の力(数の力)は発揮できません。1人でも多くの受講生(労働者)が学んで行動するだけの力を付け、実践に足を出せば社会は変えることができる。そのことの実践がいま運営委員会でされてるんだなあと思います。

自分も地域での学習運動をやり始めて数年たちますが運営委員会をしていた頃の“週一回は学習デート”(受講生に週に1回は会って話す)の実践はいまも職場を回るときに生きています。(会って何を話すか、次の講義に来たくなるような対話の中身ってどんなんか・・・。)そういうことを考え、相手に話していくことはこれから活動家として自覚的に生きていく人には欠かせない視点です。(麦)10/11/9


2010/11/09


■@GAKUTOMO NO.163
日曜日は、2010年の経済学ゼミナール最終講義。「世界の構造変化をとらえる」という視点で学ぶ、3年目のゼミナールでした。

労働学校の運営委員になったばかりの頃(8〜9年ほど前!?)、「アメリカ」をテーマに取り上げた企画がありました。それまで、こういう活動とは無縁だった私。「“アメリカ”ってどんなイメージ?」と聞かれ、「世界一」と即答したことを覚えています。確かにそう思っていました。

今、「世界の構造変化」が面白く見えます。

そして、世界が大きく変化している中で、マルクスの「未来社会」論が注目されているということも面白い。バクっとした認識ですが(紹介されていた「経済学批判要綱」を読め!っちゅう話です)、そもそも人間は連帯していた、ところが資本と労働の関係の中で人間はバラバラにされている(疎外、個人の自立化)、そして未来社会では自立した人間が資本をコントロールしていく、その過程で人間は連帯を取り戻していくというお話でした。

資本そのものが害悪を作り出すと同時に、次の社会への条件を作っていくのです。世界を見るときに、そのことが問題にされてくる、そういう情勢なのだ!と思うと、面白い時代に生きている!!と思えます。

しかし、様々な歴史や文化、伝統がある「世界」を、自分の目で科学的に捉えるということはなかなか難しい・・・「しんぶん赤旗」の国際面を見ていても、書かれている記事の背景がわからなかったらその記事の本当の意味もわからないナ〜と思うことがよくあります。努力不足ですね。すみません(誰にあやまってんだ)。

芦田先生は、努力の方法も教えてくださいました。過去の講義資料もきちんとファイルし、「歴史的に蓄積して分析すると大変おもしろい勉強ができる」と。ホントに学習協の先生方は魅力的です☆☆☆(蓮)2010/11/8

◎学ぶこと 対話すること 闘うこと 労働者(プロレタリアート)がどんな風に生活を改善しなければ、そういったことが出来ないか。だから自己変革ということ。続けることの本質は小林多喜二の「プロレタリアートの修身」。学習通信を思い起こせば、芦田先生の「努力の方法」もわかっていて確かめられたでしょう。しかし、実行は容易ではない。意識は保守的、事実(現実・実践)の方が先んじている。「わかっているけど……」は、事実(現実・実践)に遅れた意識。大概の「わかっているけど……」は現実を反映したものではない。緊迫感をもった「やれない」というものではないのだ。赤旗の記事も字面だけでなく、背景を推測して読む、という努力が必要だ。不破さんのマルクス・エンゲルス本には、推測して読み取るところがあります。19世紀の現実なのですから。(む)


2010/11/8


◎残念ながらUP出来る@GAKUTOMOはありません。続けるということは大変な努力がいることです。労働学校は50年つづいてる。募集や運営活動の基本はまったく当初からかわりません。自分以外の者がつづけているのは簡単(または冷やかし半分で立派……)なことですが、半年も堅持できないとは……トホホ。(む)


2010/11/6


■@GAKUTOMO NO.162
最近、なんだか焦ってしまってるんだな〜と思い、ふと思い出して小説「タケ子」(稲光宏子著 新日本出版社)を読み直しました。もう号泣です。

政権交代以降、保育制度を変える動きが急速に進んでいる中で、みんな危機感や不安感を持ちながらも、止めたい、でもどうすれば・・・と、もどかしい思いを抱えています。一人の保育士として、一人の労働者として、一人の人間として、わいてくる問題意識と自分の未熟さに、あるいは大局的に見るべきだと思うところと目の前の現実に表れてくる問題に・・・日々、様々な矛盾を感じています。

「タケ子」(265頁)の「『たたかいがこのままではいけない』 議論はいつもそこへ行くのだ。糸口の見えない焦燥感にとらわれる。」という思い、すごく共感できます。「もっと多くの人にたたかいを知らせる方法はないものか、世論に訴え、共感の広がりを作れないものかという思い」や「乗り切れないなんとなく歯切れの悪い思い、まとまらない雰囲気」を感じながらも、「閉塞感を何とか吹き飛ばしたいとの思いから『電車の中での訴え』もやってみる価値がある」と言って行動を起こしていく・・・というのも、すごくよくわかります。

でも、そうして必死に走ってきた「タケ子」に、先輩活動家が「引くべきときは引かなければならない」と説得をするのです。「大きなたたかいをきちんと見据え、当面するたたかいの戦略を考える。」(254頁)「たたかいは一生かかってやるんだ。仲間に、いま、そう提起する必要があるんだよ。」(260頁)と。

「タケ子」のようなスゴイたたかいができているわけでもない。むしろ、たたかえなくて悶々としているような感じですが、焦っちゃいけないんだ、と改めて学び直した思いです。

「労働者階級は権力を手に入れるまで・・・たたかい続けるのですから」(256頁)「なによりも、たたかいを通じてみんな大きく成長した。自分も成長が実感できる。」(264頁)そういうたたかいをつくっていく。それが労働組合づくり、活動家づくりなのだ、と思いました。(蓮)2010/11/5

◎不破著「マルクス・エンゲルス 革命論研究」でも、上巻でマルクス・エンゲルスが具体的な闘いを通じて理論も実践も成長していくさまが紹介されている。机上の、頭の中だけのものでは何事もなさない。実践・経験だけでも、狭い(特殊な)自覚にとどまってしまう。労働者が階級的に成長するのは、理論と実践・経験を通じてなのだ。これは人間一般にもいえるだろうが……。だから、労働学校で机の上で学ぶだけではだめなのだ。頭の中でこね回していてもだめ。労働者運動の経験が、職場への働きかけ、労働者への働きかけ、共に闘うことが、不可欠なのだ。労働学校でも自治会という仲間に働きかける「実践」を重視する。受講生の周りの仲間への働きかけも一つの実践・経験だ。そこから理論を検証する姿が生まれ成長していゆく……。理念、戦略、戦術、……日常における戦略眼……「政策と計画」(む)


2010/11/5


■@GAKUTOMO NO.161
 日曜日、ふと“京都学習情報”のアクセスのカウントをみると“009998”になっていました。思わず…ホームページを閉じて、開いて、“009999”、もう一度閉じて、開いて、“010000"、ヤッター"!!ってしている自分がいました…ぞろ目や、ピッタリの数字になぜか喜ぶとはお恥ずかしい…。

 でも、よく考えると、のべにしても、10000回も“京都学習情報”にアクセスしている人がいることは、スゴイ!…どれくらいの期間で10000回を達成したのか…。

 インターネットの発達ってすごいことですよね…つくづく思います。こんな一個人の意見や主張が、日本中そして世界中に発信できるのですから。人類史上、こんな瞬時に大多数の人にたくさんのメッセージができることって、すごい進歩だと思うのですが…。まして、今まで本や、口コミや、はたまた街宣や…といった手段でしか、なかなか伝えることができなかった、私たちの“主張”が、こうして発言できることって、重ねますが、スゴイことです!

 ただ、間違った情報を発信したり、逆にわざと書かれた“インチキ”な情報も受け取る側の“アンテナ”の水準で、惑わされたりしてしまうこともあると思うと、発信する側も、受け取る側も、その“力”を常に磨いていないとゆがんだものになってしまうのかもしれません…。いい加減な@GAKUTOMOを書くわけにはいきません…身の引き締まる思いです。

 と、そんなことを思いつつ、帰り道買い物をしていたらレジで、「667円です」と言われいつもなら、千円札と2円か7円を足しておつりをもらうのに、千円札一枚で、“333円”のおつりをもらって、うれしがる私がおりました…。(吉)10/11/1


2010/11/4


■@GAKUTOMO NO.160
第17回集中セミナー「疎外された労働」。医療職場で青年4人(しかも看護師さん!)が「みんなでいこうか」と呼びかけあい、受講を決意しました。

案内を渡し、「労働の疎外」という言葉を見ても、あんまりピンときてない様子・・・けど、「働くことに喜びが感じられない」というと「うん・・・」、「仕事以外のところに喜びや幸せを感じる」というと「うんうん!」と、仲間の反応はそんな感じでした。「労働の疎外」は医療職場(に限りませんが)で働く仲間の共感を得る(問題意識とかみ合う)のに充分なテーマだな〜と実感しました。

今の労働者の状態や気分が、個人的なものではなくて、社会のしくみによってつくられているのだということがわかる。なんでそうなっているのかがわかれば、解決の方向がわかる。だから学ぼう。「変える」ために学ぼう!というと、「私、今こういう学習が必要やと思うわ〜」という声が出てきました。うれしい!!

私が初めて学んだ総合コースの講義だったかな〜・・・資本主義社会は「作ったもの(生産物)が作った人(労働者)のものにならない仕組み」だと学びました。「作ったものが作った人のものにならない」ということは「普通に」考えたらおかしいことだと思うのに、「生産物が労働者のものにならない」ということには違和感を感じず、むしろ「そりゃそうでしょう」と思っている、自分の中の矛盾に気づいたことを思いだしました。

「支配階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想である。」(新日本出版社「ドイツ・イデオロギー」59頁)“その中で育ってきた自分”を実感したのです。「普通に」考えるためには、科学的な視点で見ることが必要だと。それは学ばないと得られない視点であって、同時に本来労働者が持っている視点なんだな〜と思います。矛盾してるようですが、そうなんですね〜。(蓮)2010/11/1

◎落ち着いて、学んだことを見渡してまとめてください。以下の文章を引用しておきます。(む)
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 これが、資本主義の搾取の仕組みです。
 普通の商品交換では、生産者が生産物の所有者として市場に出てきますが、いま見たように、資本主義社会での労働力の売買では、資本が生産物の所有者になります。ここでは生産物か誰のものになるか、という点で、市場経済の法則が逆転するのです。
 なぜ、そういう逆転が起こるのか。その原因は、一方では、生産者が生産手段を失って労働力の売り手になり、他方では、資本家が生産手段をもって、労働力の買い手になったという社会的変化のなかにありました。ここから、貧困と格差をなくす社会変革の方向がおのずから出てきます。それは、生産手段を、資本家の手から社会の手に移す、という方向です。
(不破哲三著「マルクスは生きている」平凡新書 p82)


2010/11/2

■@GAKUTOMO NO.159
国立大学の職員さんに第17回集中セミナーをすすめているなかで「正規も非正規も働くことで人間性を奪われてますよね。」と話すと、返ってきた答えにびっくり。「非正規の職員は大学の経費のなかでも『物品』の部類で処理されてるんですよ。学生が減ったりなどで仕事がなくなって、大学が必要ないと決めたら簡単に切れるんです。『物品』だから」と苦笑いしながら話してはりました。

教授や講師は直接学生の学び、研究にたずさわります。職員はどうでしょう。大学で学生が学ぶ環境を整えるために事務処理や環境整備などをする仕事。決して「学生の学び」と切り離された仕事ではありません。物を買い捨てるように大学の都合よく雇いそして解雇する。そんな働き方のなかで「学生のよりよい学びのために」と考え働く人がどれだけいるでしょうか。

資本主義という社会の仕組みのなかで、人間の労働の本来の意味を考えることはそういう(物と同じ扱いとしての)働かせ方が人間性を奪っているということを明らかにすることでもあると思います。それに気づいた労働者はどうなるか・・・16セミナーに引き続き労働組合運動強化にもつながっていく課題であると思います。(麦)10/10/30


2010/11/1


■@GAKUTOMO NO.158
季節が進み、一挙に寒くなりました。園庭であそんでいると、子どもたちもなんだかいつもと違うな〜という感じで、「ちゅぢゅちい(涼しい)なぁ」なんて言っています。「寒い」という方がきっと大人の感覚ではピッタリくる表現なのですが・・・「涼しい」は、夏の名残でしょうか。「さむしい」なんて言っている子もいます。様々な影響を受けながら言葉も獲得していくのでしょう。

強く吹く風を感じて、空を見上げます。木の葉がザワザワと揺れているのを見つけしばらく見つめた後、「さむ〜っ!」、雲がグングン流れていくのを見つけて「でんでらでんでら〜!」と指さしています。クラスで読んでいる絵本の「ノンタン おねしょでしょん」で黒雲が「でんでら でんでら あめあめ ふらせ〜」とやってくるのですが、その雲と重なったようです。

また地面には色づいた落ち葉がたくさん落ちています。これはあまり気にせず素通り・・・でも、わたしが「キレイな葉っぱ」と見せると「ちょうだい、ちょうだい」・・・自分でも探して「あった!」と拾っています。

同じ環境の下にあっても、その子自身がそれまで学んできた経験の中味や量の豊かさ、周りからの働きかけの豊かさによって、子ども自身の視点も違ってくるなぁと思います。大人も同じですね。

この間、学習協で取り組むセミナーなどに継続して学んできている青年が言っていました。「前はわからなかったことが、今は普通に理解できるし、その時わからなくても、あとからわかってくることもあるんですよね。それが面白いです。」と。人間は社会的な存在であり、教育によってつくられる。教育者が問われる!背筋が伸びる思いです。(蓮)2010/10/27