2010/7/30---------------------

■@GAKUTOMO NO.055
小学校の担任の先生が授業で見せてくれたのをきっかけに、チャップリンが大好きになりました。少し大きくなってからふと思い出してチャップリン映画を見直し、あぁ、こんなメッセージがあったんだ〜と驚いたものです。

同じ年(4日違い!)に生まれたヒトラーを正面から批判した「独裁者」。その時代まっただ中に、圧力にも屈せず作られた作品。迫りくるファシズムに対する闘いそのものです。また、資本主義社会の中で機械化が進み、労働者が機械を動かすのではなく労働者が機械に動かされる・・・そういう姿をイメージする時、私の頭の中は「モダンタイムス」です。チャップリン扮する労働者が歯車の中へ入っていくシーン、有名ですよね。

そして先日の哲学講座で、またまた驚きました。反戦平和論の歴史を見ていく中に、「墨子」の非攻篇というものが出てきました。それは、チャップリンが「殺人狂時代」で訴える言葉そのものでした。「一人殺せば殺人で、百万殺せば英雄か」。「墨子」は紀元前5世紀の思想家です。今の時代にもズシリとくる言葉です。

映画のために映画を作るんじゃなくて、映画を手段として何を伝えるか・・・!!命がけです。小学校の授業も、今の指導要領の下ではこんな授業してもらえなかったのだろうな〜と思います。さぁ、私は何を伝えるか・・・。@gakutomoもそういう姿勢で書いていきたいです。(蓮)2010/7/28


2010/7/29---------------------

■@GAKUTOMO NO.054
Bank band――(アーティストによる自然エネルギー促進プロジェクト<Artists' Power>の発起人である坂本龍一、そして小林武史、櫻井和寿の3人によって、環境保全などのプロジェクトへの融資を目的とした“市民のためのバンク”、ap bankが設立されたのは03年。ap bankの可能性 をさらに広げるために結成されたバンドがBank band)――の3枚目のアルバム「沿志奏逢3」を買いました。

今回のアルバムの特徴は、新しい世代のアーティストの楽曲が入っていることです。普段音楽をあまり聴かない私が唯一聴くMr.Childrenの櫻井ワールド。この人を通して、他のアーティストを知ることが多い。

その中で、「若者のすべて」という曲が気に入り、つくった元のバンドをインターネットで調べていたところ、そのボーカルが昨年12月に急逝していました。死因は不詳とのことで、自殺との噂もありました。

もうひとつ気に入った曲「有心論」という曲は、「自殺志願者が…」という歌詞がでてきます。若い世代から支持されるバンドは、若者の気持ちをグッとつかむものを持っていることに違いありませんが、やはり多くの若者が「生きづらさ」を感じており、そこに共感しているのでしょうか。若者の気持ちに寄り添えるように、若者が支持するものに関心を持つ必要もあります。

もうひとつ、今回櫻井さんが新しい世代のアーティストの曲を積極的に取り入れていることに感心しました。私も、現在労働学校を運営中の若い運営委員から積極的に学んでいく姿勢が必要だと思いました。(書)10/7/28


■@GAKUTOMO NO.053
前の職場は、保険の営業。競争、ノルマは当たり前。女性に対する言葉使いも配慮はなく、ひどいことも平気で言われた。次第に何の感情も持たなくなった。人間に関心を持たなくなった。それが当たり前に。でも、今の職場で、労働学校に来て、学ぶうちに、怒りとか悔しい気持ちとか、色々な感情が湧いてきた。まるで人間を取り戻してきた≠ンたい。労働学校に参加している職場の仲間の感想です。

福祉事務所のケースワーカの青年が、「生活保護なんてなくなったらいいんだ…」と話していたことに、その人が、怒りを爆発させていました。ただ単にその青年に怒りを感じたのか…、違いました。ケースワーカーという職種の青年がそう言わざるをえない職場の状況は一体何なのか。その青年が放った言葉の社会的な背景に怒りを感じていたことに気がついたのだと。

その人は、講義が聴く度、感想を話してくれます。搾取に怒り、真理に感動し、職場の仲間にも全力で関心を向けています。まさに、日々人間を取り戻している@l子…マルクスの言葉をかりるなら、「人間的解放」とも言うべきでしょうか。感動的です。
(光)10/7/28


2010/7/28---------------------

■@GAKUTOMO NO.052
NHK大河ドラマ『龍馬伝』にますますハマッています。(先人に対して失礼ながら…)龍馬が、成長(発展)していく姿がイキイキと描かれていて、観ている私たちがテレビの中の時代・世界に吸い込まれていく気さえします。

龍馬と西郷隆盛と長崎の商人、「今の仕組みのままでは、薩摩も長崎の商人も…全部がダメになってしまう…」とようなニュアンスの話を龍馬からきりだした一場面。脱藩をして藩にも幕府にもしがらみがない龍馬が、(藩や幕府といったしがらみの中にいる)西郷に問いかけ、商人も龍馬の言うことに、興味をしめしていく…。

『マルクスは生きている』(不破哲三著・平凡社新書・p53)には「社会の土台は人間の経済生活にある。」「…社会が、必要な物資やサービスの生産をどのようにしておこない、そのなかで人間がたがいにどのような関係をもつのか、そこに歴史的発展のそもそもの土台、社会の発展を左右する根源的な力がある…」と。

日本社会が、封建制社会から資本主義社会へと発展しようとしている江戸末期。『龍馬伝』を『マルクスは生きている』と重ねて観れば、ホントにおもしろい!

それに、マルクスと龍馬は、同時代を生きていました!ヨーロッパと日本、資本主義と封建制、違いはあれど、社会を前進させようと命をかけて生きぬいた二人の人生、スゴイ!

うぅ…自分の“書く力”のなさが悔しい。もっと『龍馬伝』の魅力を伝えたい…今日はココまでにします。(吉)10/7/26


2010/7/27---------------------


■@GAKUTOMO NO.051
数年前に労働学校の運営委員をしていた仲間からメールが来ました。「科学的社会主義を学び、それを踏まえて自分がどう生きるか・・・と考えるが、職場の困難な状況に対して、自分は要領がよくないからこんなことしかできない、あなたから見たら甘い考えかもしれんけど・・・」と、要約するとこんな風な愚痴をこぼしていました。

今は京都を離れて働いていますが、同じ志をもつ仲間って、日本中のどこにいたって良いもんだなぁ〜なんて思いながら、自分の未熟さを感じました。

未熟さというのは、仲間が「あなたから見たら・・・」なんて言うのはきっと「こうあるべき」という風に示していたのだろうなぁと思うからです。仲間は、「今の職場の現実の中で、自分のできることを一つ一つ積み上げるしかできない」というけれど、それ以上のことはないんじゃないかと思います。

「私たちの素質はさいわいに、・・・大変人間くさいものであった。まのぬけたところ、はみだしたところ、すべてこれ、人間くささのしるしなのだ。おんぼろ楽器、またよからずや。個性的な音色をたからかに奏でよう。」(高田求「新人生論ノート」78頁)考えが甘かろうが、厳しかろうが、肝要なのは実際に職場を、社会を、世界を変えること!そこに人間くさい人間が、どう生命を発揮し、個性を輝かせるか!!しかも独奏よりもオーケストラが良い.(蓮)2010/7/26

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◎未熟さというのは、仲間が「あなたから見たら・・・」なんて言うのはきっと「こうあるべき」という風に示していたのだろうなぁと思うからです。≠ノ一言。
この評価で間違いではないでしょうが、仲間から「目標」にされ、仲間の「励まし」になっている自分に誇りをもってもよいのではないか。その存在を何十年も継続することが出来れば「あなたから見たら・・・」の本当の重みがわかるのではないか。それは素晴らしいことなんです(む)
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■@GAKUTOMO NO.050
総合コースの魅力の一つは、いろいろな先生から学べる、ということです。どの先生も各分野の専門家であり受講生と一緒に学習することをおもしろいと感じておられる、とっても素敵な講師陣です。

第8課・第 10課では大企業や財界とアメリカ、この2つが今の日本に及ぼしている影響、今起こっている事実を櫻田先生に講義していただきました。櫻田先生の講義では、それまでの生活の中では知らなかった(知らされなかった?)事実がいっぱいで、毎回たくさんの驚きや発見があります。例えば、ほんの一部分の大企業が日本の企業の純利益のほとんどを占めていること、安保条約は日本が「条約を終了させる意思を通告」すれば一年後に廃棄できること。「まだまだ知らないことがあるんじゃないか」「たくさん人が事実を知れば社会は変わるのでは」「もっとちゃんと知らないと!」…そんな感想がたくさん出てくる講義や分散会はワクワクするものです。

「なぜ安保条約を廃棄できないの?」と論議になりみんなで考え込んでいると、「アメリカとの関係が変わったら、前の講義(8課)で出てきた日本の大企業も影響を受けて困るんじゃないかな」という仲間の意見。おぉ!と2つのつながりに納得の仲間たち。こんな発見も労働学校の魅力です!(和) 10/7/26


2010/7/26---------------------


◎蛍さんからメッセージ
〓〓No.47を読んで
 公園で子どもたちが一緒にいるのに、それぞれがゲーム機をのぞき込んでいるという光景をよく見かけます。友達と遊ぶってそういうことではないと思います。ゲームを通して、携帯を通してしか繋がることのできない子どもたちや若者。人間とは…と考えてしまいます。
私もついつい友達にメールで用件を伝えてしまいますが、労働学校に来てから、せめて電話で話そうと心がけています。でも、やっぱり会って顔を見て話すのが1番です。


■@GAKUTOMO NO.049
とある女優さん…NHKの“サラリーマンNEO”などにも出演する若手実力派…がお昼のトーク番組で、自分の出身高校で講演をされた話をしていた。最近は、時代劇でもみていたので、トーク番組で話されているのが新鮮で、いきいきと話されるその姿に、くぎづけになった。

その夜、労働学校の仲間どうしが話をしていた。一人は福岡県、もう一人は佐賀県の出身だという話もしていた。けれど九州の言葉を使わずに会話をしているのが、妙におもしろかった。

その時、お昼のトーク番組を思い出した。その女優さんが佐賀の高校と言っていたので“県が同じだからと言って知っているわけないか…”と思いつつ、その仲間に知っているかをたずねてみると、これが意外な答えだった。“小・中の同級生ですよ!”、正直驚いた。お昼休みにたまたまテレビをみていて、くぎづけになった女優さんが、普段一緒に活動している仲間の同級生だなんて!しかも、そのトーク番組で高校の話がでなかったり、仲間どうしが九州の話をしていなかったら…この“つながり”に気づくことはなかった…。

もう私は、その女優さんと“友だち気分”!?…片思いですが…(吉)10/7/23


■@GAKUTOMO NO.048
何事も長く続かない私が唯一続いていることは「組合ニュース」の発行です。ニュースの中でも一押しは「みんなで発信」というコーナー。毎月職場のみんなに原稿用紙を配り、その月のなかで印象的だった出来事や、日々の悩み、子育てエピソードなどを書いてもらっています。最初は(こんなん書いてくれるんかな?途中で誰も書かなくなったらどうしよう・・・)と恐る恐るスタートしました。

1年間続けていくうちに、これまで定例の組合会議になかなか参加できていなかった子育て中の人たちが、率先して原稿を書いてくれているようになってきました。「子育てしにくい社会に対する怒りのコメント」や、「消費税の辛さ」「通勤途中の風景の変化」「我が子の心温まる一言」などなど。主婦の目線で社会を見つめ、矛盾や喜びを肌で感じたままに書いてくれる人が少しずつ増えてきました。自分のことだけでなく「社会」を見てのコメントになってきているところに大きな変化を感じています。

組合に入っていない非常勤の人たちも、積極的に原稿を書いてくれています。なんだかつながりが深まっていくような気がしてとても嬉しいし、これをきっかけに休憩中の話も弾んでいて、いずれ組合にも誘っていけたらなと思います。

これからも発行の担い手も増やしながら、「みんなで発信」のコーナーも含めて、どんどん中身を充実させ、どこに不満をもっていて、どういう要求ならみんなが団結できるか、どこがたたかいの力の要か、それをみつけたいと思います。
(麦)10/7/23


2010/7/24---------------------

■@GAKUTOMO NO.047
わが家の子どもたちが通う保育園で、懇談会に参加したときのこと。保護者の一人が「うちの子、お絵かきでマルが描けなかったけど、テレビゲームで色んなものが描けるようになってん。ゲームの内容も理解してるし、かしこいわ」と。

家庭用ゲームが生活の一部に入り込んでいる時代、子どもたちはゲームで自分の要求を解決させているように思います。親とのつながり≠竅A子どもの居場所≠ヘ…。

「ネトゲ廃人」という本では、青年を取り巻く閉塞感から、「つながり」や「居場所」という要求が、全世界とつながることを可能にしたオンラインゲームに依存され、やがて廃人となっていく姿が書かれています。もう一つ本の紹介…「ドキュメント高校中退」という本には、子どもや若者の状態の土台に貧困状態があり、それを取り巻く経済状況を指摘し、「子どもたちを消費者としてではなく、次の社会の担い手としての視点から、社会的に守っていくにはどうしたらいいのかを議論するとき」と。ゲームという商品が媒体手段となって、資本が子どもたちに向けられているようにみえます。

GKUTOMOのNo.3で、メンバーが書いていますが、子どもの「子ども期」を保障できる社会…。子どもを手段≠ノしてはダメ!「子ども期」を保障できる社会をつくるのは大人の仕事です。まずは懇談会で話しあってみよう…。(光)10/7/21


2010/7/23---------------------

■@GAKUTOMO NO.046
この連休に街角宣伝活動を開始しました。

実際に街角で、道行く人、信号待ちの人、待ち合わせの人、鴨川でくつろいでいる人…そうした人に声をかけるのは、本当に勇気がいります。自分たちが労働学校で“搾取”の仕組みを学んで驚いたこと、わかったこと、怒りに思ったこと、感動したことを、“新しい”仲間に知ってもらいたい…その“伝えたい”という思いで、“新しい”仲間に声をかけています。

実際に、働く中での不満や、やりがいなどを聞いてみると…

(少し驚きながらも…)「(不満は…)仕事量が多い」「給料が少ない」「今、派遣なのではやく落ち着きたい」といった具体的なことも。

「ありすぎて、考えたらしんどい」
「考えたところで、すぐに変わることじゃない」
「考えるヒマもない」
「ドライに、考えないようにしている…」
「深く考えたことない」
「やりがいは仕事で求めていない。サッカーをしていて、やいがいがある。」

といった“(不満を)考えない”といったニュアンスの人がたくさんいることに、(それぞれ具体的に不満の声がでてくると思っていたので)ビックリしました。声を聞かせてもらったのは、20代くらいの青年の方たち。“考えない”といった奥底には、“言ってもムダ”“どうせ変わらない”…といったあきらめや期待をもたないようにしている姿であったり、自分がぶつかっている困難を自分の内側に閉じこめてしまわないとやっていけないという姿なのかなと思う街角宣伝活動でした。

そういう“新しい”仲間たちにこそ、来てほしい!実際に講義を聞いて、みんなと語ってほしい!と強く強く想いました。

そうした、初めて会う“新しい可能性いっぱいの仲間”との対話ができる街角宣伝活動。土日は夕方、三条京阪付近に出没し、青年の言葉にならない声を聴く≠フです(^O^)。

HORIMARUセミナーvol.4『“目に見えない”搾取とはどういうことか』を8月8日(学習会館にて午後1時半より)開催します。(吉)10/7/21


■@GAKUTOMO NO.045
労働学校の受講生が「来てよかったです。ホントに!」「また金曜日に!」と帰っていきました。交替勤務もあって厳しい中、がんばって切り開いて参加してきている仲間です。労働学校の受講を決意したときも、「どれだけ参加できるかわからないけど・・・」と言っていた仲間です。

●同じ総合コースの仲間の話を聞いて、「みんなしんどいんや、みんな労働者なんやって思った」と。そして、「いろんな人と話せるし、自分の意見を人に伝えたり、感想を文字で書いたりすることも普段はしないし・・・。」「もっと早く来てたら考え方変わってたやろうな〜って思いました。」「休みの日はホントにぐったりしてるけど、よし行こうって思って来て、来て良かったって思う。」と、うれしい感想のオンパレードです。

●「もっと早く来てたら、考え方が変わってたかも。」というので、「今でも遅くない!」「今がこれからの人生で一番若い瞬間ですよ!」と話すと「そやね、だんだん死に向かって生きていくんやもんね!!」と笑いながら言っていました。さすが看護師さん。生命のとらえ方が科学的です。

●受講を決意したとき、「知らない人と話すのは苦手・・・」とも言っていました。その仲間が、いろんな人と話すことで「自分もみんなも労働者なんや!」と、人生観が広がる経験をして感動しています。いつもは“ぐったりしている”という休みの日に学びにきて、イキイキと帰っていきます。嬉しい(^^)/~~~(^^)/~~~ やりがいを感じます。(蓮)2010/7/21


2010/7/22---------------------

■@GAKUTOMO NO.044
総合コース第5課『資本主義の“推進力”とその“矛盾”』今の社会の土台である、日本の資本主義の経済構造を学ぶまとめの講義になりました。利潤第一主義がもたらした発展と大きな矛盾―「失業者」の存在も、資本主義社会では必然である、と。

『マルクスは生きている』(平凡新書)の中で不破哲三さんは『資本主義が現役の労働者の数をこえる「過剰な」労働者人口を必然的に生みだし、その「産業予備軍」は「資本にとってはたいへん都合のよい存在」であるとともに、「労働者階級を資本と貧困にしばりつける楔(くさび)である」(94頁)とあります。(94頁)また現代の日本では、失業者はもちろん、「派遣労働者」が現役労働者の「予備化」にほかならず、「楔」の最悪の現れだ、とも指摘されています。

「資本主義や政治家が悪いから経済も悪くなったと思っていましたが、資本主義社会(のしくみ)が悪いのだときづきました。」という受講生の感想。

そう!まさにその通り!!でも、だからって現状で納得していてはいけない。「そんな不安定な生活はどう考えてもよくない」という人間としての当然の思いを持って学ぶことが大事なのかな、と思いました。(和) 10/7/21


■@GAKUTOMO NO.043
2人目の子どもができてもうすぐ1年になろうとしています。女房が仕事に復帰してからは、毎日の生活がめまぐるしくなりました。社会主義者をめざす私としては、何とか家事に育児に少しでも参加できればと思うのですが、なかなか難しい。私の家庭内の仕事は、夜に活動を終え、帰ってからの大量≠フ洗濯です。

それにしても、洗濯機は便利です。ボタンを押すだけできれいに洗ってくれるのですから。この間は、思わず洗濯機の動きを10分くらい見ていました。あまりにも複雑な動きをするのでつい…。

できあがった洗濯物は、そのまま夜中に部屋干しをします。部屋干をするときに非常に便利なのが、除湿機です。最近のものは、洗濯乾燥用にもできているので一晩かけておけばしっかり乾きます。

複雑な動きの洗濯機と、洗濯乾燥できる除湿機、生産力(?)がどんどん上がり、女性の家事労働からの解放はこうやって実現していくのでしょうか。

不破哲三さんは、著書「社会進歩と女性」のなかで、女性の地位という問題を考えようという時、基準とも指針ともなるのがエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』と紹介されています。そして、女性解放への道の先決条件として、「女性の公的産業への復帰」、それを実現する諸条件は、「私的家政」を「社会的産業に転化」させることと、エンゲルスの提起を解説されています。

便利な世の中になっていくなあと思いながら、それでも、毎日大量≠フ洗濯物を干すのはひと苦労で、うんざりしています。もっともっと便利になってくれ〜。「ドラえもん」がほしいなぁ。(書)10/7/21


2010/7/21---------------------


■@GAKUTOMO NO.042
@gakutomoを書く中で本を読み直していると、おもしろい文章を見つけました。

「ある日、近所の民生委員が私の家へ生活実態調査にやってきた。・・・職業の欄に『画家』と書いた後、彼は、その下の『仕事の内容』という欄に何と書いたであろうか。躊躇もなく『絵画製造販売』と書き込んだのであった。」(永井潔「芸術論ノート」新日本選書7頁)

すごい皮肉!と思わず笑ってしまいました。「おかしさの笑いは、ものごとの本質があざやかに露呈されるところに生じるものだ」と高田求さんが「新人生論ノート」で言っていましたが(152頁)、まさにそんな感じです。

「絵画製造販売」という表現は、絵を描くこと自体が目的だった「画家」が、売るための手段として絵を描く「画家」に変質している(ひっくり返ってる!)ことを表現しています。それは、その画家がそうだということではなく、“「画家」と言えばそういうものだろう”とみなしてしまう、そういう社会だということです。

永井さんは「労働者が自分自身を『製造販売』していることに対して、少しも疑いをはさまず、天然自然の自律性とみなすことと同じ」だと続けています。労働者が自分自身を「製造」し「販売」することは天然自然なことに見えているというのです。外観だけを捉えてるとそう見えるけど、本当のところはどうなのか・・・見えづらいんですね。見抜く力が必要です。(蓮)2010/7/16


2010/7/20---------------------

■@GAKUTOMO NO.041
136期労働学校の経済学コースでは、『資本論』の第8章を学習しています。第1節では、労働時間がどのようにして決まるのかが理論的に分析されていることがわかりました。仲間たちと、復習もかねて、改めて第1節をまとめる論議をすすめています。

まず集まった仲間たちにこの“@GAKUTOMO”を知ってもらうおうと、“NO.015”を一緒に読み論議をしました。「“意識化”するとは、言語化するということか?」という意見や、「“意識化”って例えば子どもが泣いていたとしたら、ただ泣きやますということでなく、“なんで”泣いているかを客観的に考えるということじゃないかな?」といった意見、そして「今では当たり前、常識と思ってすごしていることも、それをそのまま流すのではなく、その歴史性なんかもとらえるってことかな?」なんて意見も…。

第8章を改めて読み論議をすると、労働時間の延長、短縮の問題に関して、私たちが生きる資本主義社会において、ある意味“当たり前”のことが理論的にまとめられていることが、よく理解できました。

“当たり前”をそのままにしておくのではなく、その理論を科学的にとらえようとする努力、意識が、まさに“@GAKUTOMO・NO.015”の“意識化”“自覚的な”ということではないかな。理論を学ぶことのおもしろさが少しだけかもしれないけど、実感をしました。“自覚的な労働者”に成長しようとしないと、社会のことをとらえようとしても、表面的でしかなく、社会の仕組みや現時点での問題点などの把握はできないということじゃないかな…。(吉)10/7/15

■@GAKUTOMO NO.040
いまの学校現場では、夕方6時や7時に帰れることはないという話をよく聞きます。明日の授業準備、今日の総括、クラブ活動、職員会議などなど・・・昔もそういう仕事はあったと思うけど、昔と何が違うのでしょうか。

現在の資本主義という仕組みのなかでの教育はどんなものなのか。子どもたちは学力テストで能力を計られ、教師はその点数を上げるために必死。競争と自己責任と評価というシステムの中に置かれている現在。子どもにもおとなにも競争の原理が広がっているように感じます。

また教育すら「商品」になっている点も見過ごせません。良い教育を受けたい人は「商品」として、良い教育を買えばいという発想。お金がない家庭で育った子どもたちは教育を受ける権利すら奪われていく。教育評論家の尾木直樹さんがしんぶん赤旗で書かれていた内容が頭に浮かびます。「教育は子どもや保護者にとっては、人生前半期の社会保障であり、生きるセーフティネット。また国家にとっては未来へのライフラインだと位置づけ最重要視すべきだというのが世界の流れ」(7月9日)。学校で学べることは「基礎知識」だけでなく、いろんな行事の中で仲間同士でチャレンジしたり、失敗から学んだり、助け合ったりする「経験」ということもすごく大きいと思います。そこでつけた社会性が、大人になって働き出したときにも、他者との関わり方や生活のなかでの土台として生きていくものなんだなと思いました。

「わたしの手を離れるとき、かれは、たしかに、役人でも、軍人でも僧侶でもないだろう。かれはなによりもまず人間だろう」(エミールp.31)。そこの視点が、人間を育てる仕事を選んだ労働者には、いま必要なんだと思います。社会の仕組みを知ることや、「人間」として子どもを捉えるってどういうことなのかという視点。そこを見えにくくさせて、競争に駆り立てるものは何か、それがどういう人間を育てることになるのか。子どもの、未来を守るために、「人間とは」を学ぶこと・・・重要です。(麦)10/7/16


2010/7/17---------------------


◎眼さんからメッセージ

〓〓NO032を読んで
自分の好み、自分の個性だと思って買っているもの、やっていること。それを少し離れて見つめていると社会の時代のレールに乗っている?考えてみてもなかなか見えてこない…僕自身、音楽を作ったり演奏したりしているが最近の音楽はどれも似通ったり昔の音楽が流行していたりカバーされていたり。¨流行る¨というものには社会的な背景があるのか。考えさせられる。¨流行る¨為の音楽ではなく本当に個性が輝く音楽を作りたい。演奏したい。

■@GAKUTOMO NO.039
労働学校に行っている職場の仲間が、「搾取のしくみ」について感動した!と感想を語ってくれました。NO,28の人です。発見の喜びと同時にもやもやも。怒りや悲しみも湧いてきた…と。「人間をモノ扱いするな!」という要求。人間がモノではなく、人間の労働力がモノ(商品)、だから、働くことでこんなにも消耗するんだ…。「人間をモノ扱いするな」が、社会的な要求となり合意を得られたとき、社会変革の一つの条件になるのでは…。昼食を食べながらそんな論議をしました。

そのことについてgakutomoメンバーとも論議。過渡期についての話になりました。マルクスの過渡期の問題についての見方…新しい生産体制について、資本主義時代とは大きく違った、新しい組み立てが必要になる…「こういう再編成を生み出し、それが新しい社会にふさわしい気風もつくりだしながら定着してゆくには、少なくともこれまでの社会交代の場合と同じくらいの時間が必要になってくるだろう」(パンフ「マルクスは生きている」P57)「労働力商品」について彼女がもやもやしていたのは、このことからだろうと考えました。「革命論研究」には経済法則の「自然発生的な作用」という問題提起がされています(P297)。「一つの経済的社会構成体が本格的に成立したと言えるためには、その構成体の固有の経済的諸法則が「自然発生的な作用」を発揮するところまで進まなければならない…生産様式が…自分の足で立ち、経済法則そのものの力によって存立し、存続し、発展する地点にまで到達することが必要」とあります。

もう一人、友人の話。選挙の結果について「まだまだ熟していなかった。時間はかかるね」と、肩を落としていました。政治を変えたい!搾取はもうイヤだ!と自然な要求として、過渡的な情勢が熟していくまで、その条件をつくりだすことに力を尽くしたいです。(光)10/7/16


2010/7/16---------------------



■@GAKUTOMO NO.038
136期経済学コースでは、マルクスの原典から“じかに”学ぶとして、資本論を読んでいます。今期は、「第八章・労働日」からです。自分の資本論に、何色かの蛍光ペンや、ボールペン、鉛筆などなどで書き込みがあり(←これだけやってきてます!っていっているわではなく…)びっくりするくらい読んだ形跡がついている。けど、“ここがポイント!”みたいにはわからない…解説を受けながら読む時は別として、資本論の文章を“そうか、そうか”と読みすすめた記憶もない…(お恥ずかしい話)。

「われわれは、労働力がその価値通りに売買…」、あれ“労働力”“その価値通り”…なんとなく言わんとすることが感じとれる。読みすすめても、“日本語”として読むことができる。書いてあることが、“少し”はわかるところも…。これは“スルメをかじるように、資本論を読む”の一かじり目ってことですか?

(間違った理解との不安も持ちながら書きますが…)第一節の最後の下り「…労働日の標準化は、労働日の諸制限をめぐる闘争ーー総資本家すなわち資本家階級と、総労働者すなわち労働者階級とのあいだの一闘争ーーとして現れる。」を読んで、ここって、労働者運動の基本的(?)本質的(?)闘いが、“時短闘争”であることの根拠ということではないのかっ!!(“飛躍”しすぎた理解でしょうか?)

労働学校に来て、10年。“それだけして、それだけしか理解してないの”状態ですが、一つひとつを学習してきたけど、バラバラだったのが、重なりあうというか、つながってみえてきはじめている…っていう感覚が今する。それが、よくいわれる“目からウロコ”ならその言葉だし、どう表現したらいいかわからないですが、“おぅそういうことかっ”みたいな発見って感じがして、ドキドキしてます。

受講生のみなさん、欠席したら、ほんまにもったいないですよー。(吉)10/7/12

■@GAKUTOMO NO.037
「どんな睡眠薬使ってるの」「『リスミー』をごく少量。でも、最近だんだん眠れなくなってきました。量を増やさないと...先輩は?」「『マイスリー』」「それ副作用がありませんか?」「『健忘症状』がでるらしいね」・・・そして実際記憶が飛んだという経験が語られる・・・これは、患者ではなく看護師さんの会話です。この事実はあまりに衝撃的でした。実際に医療の現場で働く仲間に聞いてみても、「そうそう。『マイスリー』でしょ。」と医療関係者なら誰もが知っているかのような口ぶりです。苛酷な夜勤を乗り切るために、効率的に睡眠をとる・・・そのために服用するそうです。

“睡眠薬”で思い出すのは、3年ほど前の学習通信。四つも仕事をかけもちしているシングルマザーが、子どもに睡眠薬をのまして夜の仕事にでかけるというものです。それは、資本論にも書かれていました・・・19世紀の労働者は子どもにアヘン剤を投与していたという事実です。機械が筋力を不要にしたことで、資本が婦人労働を求めるようになった、その影響だといいます。働くために、子どもを眠らせるのです。

これは、個人個人の看護師さんや母親の問題ではなく社会の問題です。命を守る現場で働く看護師さんが、将来の健康や命を削るリスクを冒してまで働く・・・命を育むはずの母親が、子どもの健康や命よりも仕事を・・・。

「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。」(新日本新書「資本論」464頁)というマルクスの言葉そのもの!資本主義社会の中で作り出されてきた働き方、生き方です。保育園の歴史的な役割を感じるとともに、社会的力で人間らしさを取り戻したいという思いが
強まります。(蓮)2010/7/14


2010/7/15---------------------

■@GAKUTOMO NO.036
新車(ロードバイク)を購入しました。さっそく試乗。身も心も軽快です。自己満足の世界に浸っている感はいなめないものの、環境、健康、趣味のため、改めてツーキニストを決意。自転車は乗れば乗るほど深い…。

京都市はただいま環境モデル都市をかがけて、様々なエコ事業を展開中。エコ通勤、エコ・コンビニなんてものも(現在はかげもかたちもありませんが)、なんでもエコエコ…。「歩くまち京都を目指します!」と。

京都八条口に、イオンモールオープン。さっそく愛車で視察(?)に…でかい!京都初上陸の店舗やパソコンに特化した電気店に、本好きにはたまらない京都最大規模の書店、さらには映画館まで。西洞院通りは、かつてない人通りとか。人を呼ぶと同時に車も呼んでいます。プレオープンの日には、名神高速道路近くから「駐車場満車」の看板。

それにしても、京都駅近郊は大型ショッピングセンターが立ち並んでいます。どれもこれも聞いたことのあるような大企業ばかり。地元産業の看板がかすんでいます。

ところでオリックスの儲けに貢献したい京都市、水族館建設を着々とすすめようとしています。ますます車を呼び込むことになるのでは。「歩くまち京都」は、どこを指しているのでしょうか。エコ事業というならば、自転車道路を設置してほしいと思うのはエコではなくエゴでしょうか?(光)10/7/15

■@GAKUTOMO NO.035
1歳児の子どもたちと毎日を過ごしていますが、おもしろい。「イヤ!」との遭遇です。「おしっこ行こう」「イヤ!」「ごはん食べよう」「イヤ!」「おはよう」「イヤ!」...(笑)。大人が誘いにいくと喜んで逃げます。@gakutomoメンバーとNO.007をめぐって話になりました。

NO.007をなぞるようですが...小森陽一さんは言っています。「『イヤ!』という声は、子どもの側からの、周囲の大人から自分を分離する宣言なのです。『イヤ!』という声を契機にして、独立した一個の人格の形成がはじまる・・・『個人の尊厳』の担い手としての『個人』の誕生です」「周囲の大人の言うことを無条件で
聞き入れてきた子どもの側の、大きな変化...決定的な成長の証です」と言っています。(小森陽一「心脳コントロール社会」108頁)

さらに小森さんは、「イヤ!と言えるようになったのね〜」と褒めてやった後、「それで、どうしてイヤなの?」と問うことが大切だと。「何気ない問いかけではありますが、ここから、子どもと周囲の大人の関係は『問答無用』の関係から『問答有用』の関係に決定的に変わる」と言っています。(同110頁)

自立していく第一歩であり、民主主義の第一歩だと思います。子どもを一人の人間として見るならば、当然の人間関係です。沖縄県民(国民)も、労働者も、「イヤ!」と声をあげることが、支配と従属の関係ではなく、人間的な関係を取り戻す第一歩だと言えるのではないでしょうか。人間が成長するプロセスなんですね。つぶ
しちゃいけない。(蓮)2010/7/12


2010/7/14---------------------

◎眼さんからメッセージ

〓〓NO028を読んで
労働学校で学習するということの意義を考えさせられた。初めて聞く言葉、講義中に書く文字…でもそれは自分が生活している社会に直接結び付くもの。実際に自分と関係があるのに知らないこと。知らされていないこと。それに気付くことで自分の世界観が変わる。変わることでさらなる発見がある。学習の発見に大小はない。
労働学校で学習した人がどれだけ自分の生活と繋げて驚いたか、そのドキドキを知らない人に伝えたい!ものとなることで新しい仲間へ。胸があつくなりました。

■@GAKUTOMO NO.34
私の保育園に双子を預けているお母さん。仕事が終わって6時ギリギリに二人を迎えに来る毎日です。ときには、近所のおばさんにお迎えを頼んでいることも。「仕事から帰って二人にご飯を食べさせて、お風呂に入れて寝かせるのが大変!お父さんも帰りが遅いし」と切実な声。そんなある日、お母さんが明るい声で「これからは、4時半に仕事が終わるので早くお迎えに来れるんです!」と報告してくれました。

「改正育児・介護休業法」の施行。(「残業の免除」「1日6時間勤務」)お母さんはそれによって9時半から4時半までの勤務になったのです。しんぶん赤旗には「企業に『短時間勤務制度』義務付け」と大きな見出し。(7月10日付)お母さんは制度が始まって以来「夕方、ちょっと公園によって子どもと遊んで帰れるのが嬉しいし、ゆっくり夕飯も食べられるんです。」と生き生きと話してくれました。女性が働きながら(自分の能力を発揮しながら)子どもを産んで、育てていく、それができて当たり前の社会への新たな一歩だなと思いました。

また、不破さんが「マルクスは生きている」で書いていた「(マルクスは)利潤第一主義の横暴から労働者や国民の利益を守る社会的な強制、すなわち『社会的なルール』づくりの重要な意義を理論づけた最初の社会主義者」(p.103)というところも思い出しました。お母さんの笑顔を見ながら、資本主義の中でたたかって一つづつルールをつくっていくことの重要性を、肌で感るなあと思いました。(麦)10/7/12


2010/7/13---------------------


◎蛍さんからメッセージ

〓〓No.22を読んで
私が労働学校で学ぶようになって変わったこと。それは保育園の保護者を自分と同じ労働者として見るようになったことです。
労働学校で学ぶまでは保護者も働いているということを漠然ととらえていました。
ある日、コンビニのパートで働く保護者が申請時間ギリギリにお迎えに飛び込んできました。普段なら20分前にはお迎えに来ています。どうしたのだろうと思って聞いてみると、「勤務時間は4時までなのだが、4時直前になってレジに入るよう言われた」「お客さんがどんどん並ぶし、4時を過ぎてもレジを離れられずにいたら4時14分(15分単位で時給がつくから)にタイムカードを切ってきてと言われた」「タイムカードを切った後も自分が担当しているところの仕事をしていたらギリギリになった」と言います。
“搾取”“サービス残業”“労働者と資本家は労働力を売り買いする対等な関係”。講義で聞いたことが次々と頭に浮かびました。
きっと同じ資本主義社会で働く労働者だという視点がなければ、そんな風にはとらえられなかったと思います。
その世界観を身に付けること。保育士が労働学校で学ぶ意義の1つだと思います。

〓〓No.19を読んで
自転車通勤を始めました。自転車で走っているとコンビニが多いこと、24時間スーパーが増えていることに気が付きます。
どうして24時間営業のお店が増えるのだろう?普通のお店が開いているような時間には利用できない人が増えているのではないでしょうか?遅くまで仕事をする人が多いのでしょう。
平日の22時を過ぎた電車の中にスーツ姿のサラリーマンがたくさんいます。遅い時間に帰宅して、次の日も仕事…。家族と関わる時間はあるのでしょうか?学ぶ時間、好きなことをする時間はあるのでしょうか?ゆっくり体を休められるのでしょうか?そんな日々が続いて、ずっと働き続けていけるのでしょうか?
人間の発達が目的になる社会へ。毎日一歩ずつでも近づいていけるように、今日も学び、実践します。


■@GAKUTOMO NO.033
先日、子どもの通う保育園で保育情勢の学習会がありました。国の保育制度が大きく変えられようとしているなか、京都では先立ち、民間給与格差を是正するための「プール制」の大改悪がすすんでいます。大人≠竓w者先生は、「国の保育制度が変わればプール制なんて吹き飛んでしまう」と言っておられます。

高齢福祉で働く私としては、介護保険制度が導入され、自治体の公的責任が大きく後退したことは承知しており、よく分かる気がします。そして、大人≠竓w者先生は、事情をよく分かっているだけに、プール制を守るたたかに展望をしめせないでいるもと感じます。労働組合も、「保護者が声を出してください」と言うだけで、具体的な運動を提起できていません。

運動を組織する側として、大きく抜けている視点はないでしょうか。要は、このプール制を守るたたかいにおいて何を勝ち取るかということです。それは、運動にかかわる人々の階級的な自覚が前進するかどうかではないでしょうか。

社会科学研究所所長の不破哲三さんは、著書「革命論研究」のなかで科学的社会主義の学説の構成を哲学、経済学、社会主義論、革命論の4つあげておられます。そして、その核心の表現として、「哲学者たちは、世界をいろいろに解釈しただけである。肝要なのは、それを変えることである」というマルクスの言葉を引いておられます。

言いたいことは、解釈だけにとどまっていないか?そこから成長するであろう芽を見逃していないか?ということです。子どもをもつ父親として、最大限の問題提起をしていきたいと思います。(書)10/7/9

■@GAKUTOMO NO.032
バーゲンの季節です。流行だ、便利だ、新製品だ...と駆り立ててきたものが、安い、お得、今のうち!とさらに買い物へと駆り立てる季節です。決して裕福ではないわたし(たち)は、少しでも安く良いものをと思い、チャンス!とばかりに買い物をしてしまいます。が、「良いもの」の判断基準はどこにあるのでしょうか。

マルクスは「多くの人間は金モールで飾られた上着の中ではその外でよりも多くの意味をもつ」と「資本論」(新日本新書 88頁)の中で言っています。例えば弁護士バッジ、制服、スーツにネクタイ...。着るもので相手に与える印象は違います。逆に着ているもので相手がどういう人間かと推測しています。(だから「モテ
服」なんて発想が出てくる!)

「○○しない生き方」「○○的生き方」...と「生き方」という題名のついた本が多く、売れているそうです。学校へ通う、友だちをつくる、テストを受ける、進学する、就職する...青年が生きてきたこの道のりは、全体として「生き残り競争の空間」(佐貫浩さんの言葉)だったと...わたし自身も実感としてあります
。“生きづらい”とはっきりした自覚はなくても、そのなかで生き残るために「良いもの」を選ばなければならない...仲間から浮かないために流行を追い、厳しい就職難の中を生き残るためにきちんと見られる格好をしなければいけないのです。

「トレッドミルをまわすためだけに走り続けるハツカネズミのように、ただ居心地のいい場所に留まるためにモードを消費し続ける...」(集英社新書「モードとエロスと資本」108頁)というイメージ、共感してしまいます。なんとなく「こんなもんでしょう〜」と思っている意識や、選択の基準がどこから出てきているのか.
..自由に選んでいるつもりでも何かに規定されているんじゃない!?...と、立ち止まって考えてみたい季節です。(蓮)2010/7/9


2010/7/12---------------------

■@GAKUTOMO NO.031
11日が参院選投票日。変えないとっ!もっと変える力を広げないとっ!

「変える」のフレーズは、少し前、心に刺さった。

アジア・太平洋戦争末期の1945年6月23日。3月26日に始まり、6月23日に組織的な戦闘が終了した沖縄戦。国内で唯一、市民を巻き込んで凄惨な地上戦となった沖縄。今では「慰霊の日」となっている。2010年6月23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園を会場にした戦没者の追悼式典では、普天間高校3年の名嘉司央里さん(17)が「変えてゆく」と題した平和の詩を朗読した。

「(略)…一見「平和」に思えるこの小さな島 /そこにいつの間にか当たり前ではない/当たり前であってはならないものが/入り込んでしまっていた/普通なら受け入れられない現実を/当たり前に受け入れてしまっていた/これで本当にいいのだろうか/平凡な幸せを感じながら/ただただ「平和」を望む今/簡単にこの違和感を/無視していいのだろうか…(略)」ラジオから聞こえるアナウンサーの代読に身震いした。

1960年6月23日。新日米安全保障条約の批准書が交換され発効した日。それから50年。安保条約に基づく普天間の米軍基地の辺野古「移設」に、沖縄県民の8割を超える人が反対している。

同じ6月23日。沖縄戦と安保条約。沖縄にとって、日本にとって、今なお悲しみと苦しみが続く…。今生きる私たちが“変えてゆこう!”(吉)10/07/09

■@GAKUTOMO NO.030
私が、「学習の友」を配布している職場のなかに1つだけ製造現場があります。そこは、いかにも「工場」という感じで夕方勤務の終わり時間に行くと、作業服を着た男性労働者たちがタバコを吸いながら残業までの15分を談笑して過ごしています。

その人たちを見て、最近読み返し始めた「資本論」の8章「労働日」を思い出しました。「詐欺的な工場主は、朝の六時十五分前に仕事を始め、六時十五分すぎに仕事を終える。彼は名目上朝食時間として決められた三〇分の始めと終わりから五分ずつを奪い取り、また昼食時間として決められた一時間の始めと終わりから一〇分ずつを取り上げる。土曜日には午後二時以後一五分間仕事をする。」(p.409)

そこで働く人たちは就業何分前に機械の前に立つのだろう?作業着に着替え、工場内を歩き自分の担当する機械の前に立つ。その時間は労働時間に入っているのか?資本論を再読し始めて、もっともっと職場の実態を聞き、そこで働く労働者と話さないといけないと思いました。就業時間前に機械につき仕事を始めていたら、それは資本の労働者に対する「こそどろ」であり「数分間のちょろまかし」であり「数分間のひったくり」なのだということも話してみよう。(麦)10/7/9


2010/7/9---------------------

■@GAKUTOMO NO.029
今日は七夕。“宇宙”に思いをめぐらせました。宇宙については、考えれば考えるほど不思議で、途中で考えることをやめるのがいつものパターンです。人類の探求はそんなものじゃない。粘り強いです。0.01ミリの微粒子をとらえる写真が物語っています。

小惑星探査機「はやぶさ」。興味をもったきっかけは2010年6月16日の新聞記事。「波瀾万丈の宇宙の旅...イトカワ着陸に失敗したかと思えばちゃんと着いていた!帰り道に燃料がもれ、一時は行方不明に。さあ地球へ帰るという段になり、エンジンの寿命がつき...(略)流れ星と化して燃えつきながらカプセルを届けきっ
た、けなげな「はやぶさ」です。」その「はやぶさ」が7年もかけて持ち帰ったカプセルの中に、太陽系の誕生の謎ときに役立つ素材が入っているかも...!?気になります〜。

7月6日には、カプセルの中に微粒子が見つかったと書かれていました。その大きさは0.01ミリ...小さすぎて実感はしづらいですが、科学技術のすごさは感じます。その微粒子が小惑星イトカワのものかどうかはまだわからないものの、研究を続けるのは、その0.01ミリから太陽系の誕生の秘密がわかるかもしれない!という期待があるから...。

「人間が外の世界を捉えるというのは、まず、感覚することから始まりますが...目の前にある何かを感覚するといっても、その全体像がいっぺんに脳に反映するわけではありません」(不破哲三「マルクスは生きている」23頁)0.01ミリのかけらとその他の様々な事実とを総合して、宇宙を捉えなおすと新しい姿が見えてくる..かもしれない!!ワクワクします。

アクシデント続きの「はやぶさ」を地球帰還に導いたのは、『やるべきことをやり尽くす』意地と、チーム一丸の創意工夫。科学って、人間らしさの最大の発揮なんですね。(蓮)2010/7/7

■@GAKUTOMO NO.028
136期労働学校に隣の職場の新人さんを誘った青年(労働学校は卒業している)が学習会館に駆けつけ、「総合コースを受講している○○さんが、職場に興奮して感想を言いに来てくれましたよ。『“搾取”の講義を聞いて、なんで今働くものがひどい状況になっているのか、貧困と格差は広がっているのかってことの原因がハッキリわかりました!ビックリです!驚きです!発見です!』」と。

第3課は「“搾取”そのしくみと強める方法」。感想には…「安く買って高く売るから、資本家はもうかると思ってたけど、そうじゃなかった」…そうそう、もうけは“安く買って高く売る…”って思い込んでた。この話を聞いたとき、さっぱり理解できなかったことを思い出した…これが理解できた時は確かに、驚いた!

「“労働力”という商品があるという考え方…よく分かった。」「コスト減らす為に、私達労働者は、商品として見られているのか…」「『労働力』を商品と考えると全てにおいて納得…労資間の力関係によって賃金も決定されるのだから、労働者は団結して“力”を持たないといけない!!」…これまたそうそう、“労働力”っていう商品なんだよね…。

「作業服に着替えたりする準備時間は労働時間に含まれないというのは、あたりまえだと思っていたけど、違うとは!」「まずは自分達が搾取をよく知ることが必要」「資本主義となって、労働者が人間として扱われるようになったが、実はこうみょうに目に見えない形で搾取され、労働していたのかと思うと…今までそんな事を考えずに働いていたのでふくざつな気持ち」「資本主義の搾取というのは労働者には分かにくく、見えないところで行われているということを知った。」…今まで“あたりまえ”って思っていたことが、科学的に社会をとらえると、全然違ってみえてくる、まず“知る”ことが大事!

最後に…「搾取という漢字をはじめて書いた。」…たしかに、普段書かないね。みんなの感想に、ドキドキした。もっともっと、多くの働く仲間に、この資本主義社会の実態を知らせないとっ!(吉)10/7/7

■@GAKUTOMO NO.027
GAKUTOMOメンバーのなかで、NHKで放送された井上ひさしさんのドキュメンタリーが話題になっています。メンバーにビデオを借りて見ました。井上さんの生前最後の作品となった『組曲虐殺』。小林多喜二を描いた作品で、それについての井上さんの談話が紹介されていました。井上さんは、多喜二の死は今の時代とは無縁なものでないと考えていたそうで、「当時と今を重ねてはいけないおっしゃる人もいる。それはそのとおりですが、世の中の見えないしくみは同じです。」と言われています。

ドキッとしました。ついさっきまで、「小林多喜二の描いた『党生活者』みたいにはなれない。時代が違う。」とぼやいていた私。「見えないしくみは同じ」それを必死に暴きだそうとペンの力でたたかった小林多喜二。「当時と無縁でない」と、多喜二の生き様、精神を伝える井上ひさしさん。

娘の麻矢さんは、お父さんが多喜二と同化していくような感じを覚えたそうです。今はもっと巧みにイデオロギーが刷り込まれ、見えないしくみはさらに見えなくされています。もっと必死さが必要でした。「あとにつづくものを信じて走れ」変革をめざす者にとっては、背中を押される強烈な言葉です。(書)10/7/7


2010/7/8---------------------

■@GAKUTOMO NO.026
携帯電話にしらない番号からかかってきたり、しらない番号の着信履歴があったりしたとき、あなたはどうしますか?…。私はかならず出るし、かけなおすようにしています。それには苦い経験があるからです。

労働組合の役員をやりだして2〜3年の頃、仕事が休みのときでした。職場に私あてに電話があり、次の日上司が「昨日、○○さんから電話があったよ」と教えてくれました。何の用かと思いつつ、用事があったらまたかけてくるだろうと、そのままにしておきました。しばらくして、その人が鬱で職場を辞めたことを聞かされました。「困ったことがあったらあの人に…」ということが浸透しだしていた頃で、「もしかしたら、あのときの電話は助けをもとめる声であったのかもしれない」という思いが離れずにいます。

それ以来、しらない番号からかかってくるたび、「労働者からの助けをもとめる声かもしれない」という思いが浮かび、かけなおさずにはおれません。社会性ってこうやって鍛えられていくのでしょうか。先日、番号のしらない活動家に電話することがありました。しらない番号なのに出てくれたアイツは、やはり活動家。しかし、私と分かったそれ以降でてくれないアイツは、もう一歩苦い経験がいるのかもしれません。自分とかかわるすべての労働者から信頼される活動家に成長したいと思います。(書)10/7/7

■@GAKUTOMO NO.025
「美術は、『革命』なしにはありえない。美術に限らず、現実を認識し、変革すること、少し先のビジョンを提示するものが芸術であるはず」(宮田徹也)。2010年1月26日付の記事をおもしろいな〜と思い、切り抜いていました。

ケーテ・コルビッツは「芸術家というものは、多かれ少なかれその時代の子なのです」と言って、その時代の底辺に生きる人々...労働者の姿を描き、戦争反対を描きました。そして今「私たちの生きている今現在の社会に直結する現代性がある」と評価されています。

「美術家は、絵を描いてだけいればいいのではないと思う」(増山麗奈)...その時代に生きる一人の人間として現実をどう認識し、何を感じ、何を表現するか。そうして見ると、「どんな人間も芸術家として行動しうる」(ヨーゼフ・ボイス)というのもうなずけます。

社会の動き全体の土台にあるのは経済です。また、社会の仕組みは変化していくものです。「経済的な社会関係のこの変化に応じて、政治や文化、宗教なども時代的な変化をとげ、その時代にふさわしい性格・特徴をおびてきました。」(平凡社新書「マルクスは生きている」54頁)21世紀という歴史的な時代の中、「芸術家とし
て行動」することの意味を考えます。

例えば保育士、公務員、看護師...。増山さんの言葉を借りるなら、どんな職業につくにしても、仕事だけしていればいいのではないと思います。一人の人間として、どうその仕事に取り組むか。「現実を認識し、変革すること、少し先のビジョンを提示する」私たちはみんな「多かれ少なかれその時代の子なのです」。マルクス、多喜二、井上ひさし、コルビッツ...生き様が作品を作り出しています。(蓮)2010/7/5

■@GAKUTOMO NO.024
 家庭訪問へ行った。家に入って目にとまったのは、手作りのダンボールキッチンと冷蔵庫。お母さんは恥ずかしそうに「買えば何でもそろうけど、きりないし、お金もないし・・・。何でも作れるものは作ろうと思って・・・」と話されていた。

子どものために何でも買い与えることができる物にあふれた社会。一方、虐待事件が日常で驚かれなくなるほど多くなってきている現実。子どもが置かれている社会はどうなっているのか。

新聞の囲み欄にこんな一文があった、「買わずに工夫して作るシンプル生活。その考え方の原点は祖母の一言。『石器というは昔々の人が、まわりにある物で工夫して、よく考えて作ってきたもの。何でも、同じ人間の頭が考えて作るんだよ』」と。

子どものために考えて考えて、作られたキッチンと冷蔵庫。お母さんの子どもへの愛情が伝わってきた。昔の人々も、そうやって考えに考えて人間の生命の営みにとって必要な物を作りだしてきたんだろう。いまの社会はどうか…物を作る人も大事にされない、作った物も流行が廃れば次の新しい物に取って代わっていく…子どもの発達より会社が儲かることのみを考えて大量に作られたオモチャ…そういう社会の中で育つ子ども、そういう中で子どもを育てる親…。保育士の社会的な役割はますます大きくなっていると感じる。(麦)10/07/06


2010/7/7---------------------

 上の写真はギンナン。下からパシャッ。今日は七夕
■@GAKUTOMO NO.023
五月の初旬、介護保険の改善を求める街頭署名を行いました。まさに五月晴れという爽やかな天気。交差点で署名版を持ち、道行く人に声をかけていると、細身の中年女性が、お年寄りの手を静かに引き、それでいて足早にやってきました。その中年女性は、帽子を深くかぶり、わき目も振らず、私の前を通り過ぎようとします。

私は、静かに「介護保険改善の署名を集めています。」と声をかけると、女性はすばやく角度を変え、お年寄りの手を離し、沈黙のまま目も合わさずに筆をとり、署名に応じてくれました。隣に立つお年寄りを見ると、きれいな格好をされており、上品そうに穏やかな笑顔をされています。署名を書いている間、お互いに一言も会話をしませんでした。

女性の顔は少し疲れているようにも見えました。署名を書き終えると、再びお年寄りの手をしっかりにぎり、何も言わず去っていきました。女性が去ったあと、熱いものが込み上げてきました。切実な思いを肌で感じるとはこのことでしょう。その思いは深い・・・。

今、「認知症の人と家族の会」は「死なないで、殺さないで」というメッセージを発信されています。介護保険の問題は、当事者運動になりにくい弱さがあるとも言われます。多くの現場労働者に体験してもらいたい1分間の出来事でした。(書)10/7/6

■@GAKUTOMO NO.022
職場の支部の取り組みで、保護者の生活や仕事の話を聞く機会があった。改めて、誰もが労働者階級で、子どもを育てながら普通に生活していくことに困難さや不安を抱えているのだと感じる。

「パートナーの働き方も不安定だが、子どものことを思うと無理できないし収入は増えない」「子どもが3人、これからかかるお金が心配」「正規に戻るためには夜勤が絶対条件。でも子どもはどうすればいい?」…一人ひとり、みんな必死でその日を生きている。まさに今の社会では、日々生きていくことがたたかいなのだ。ここで「消費税増税」が持つ意味とは…。

不当な解雇に対して訴訟を起こしてたたかっておられる方もいた。「泣き寝入りしている仲間がたくさんいるし、応援もしてくれている。自分たちががんばらないと」日ごろの子どもを介しての関係とは少し違う、同じ労働者としての保護者の声から、今の社会の現実をよりリアルに見ることができた。

ニュースでは見えない、社会の本当の姿を見ぬく目を磨く日々。当たり前だけど、現実の厳しさはそこら中に転がっている。一つひとつ、一人ひとりをどれだけリアルに切実に捉えて寄りそうことができるか、どれだけ迫力を持って一緒に真実を知ろう、そして変えていこうと訴えられるか。参院選にむけて『目』の力が試される。(和) 10/7/5

■@GAKUTOMO NO.021
ある新聞の記事が目に入りました。「名古屋市役所本庁の保険年金課長に、訪れた男性が灯油とみられる液体をかけた…国民健保支払いに不満があったと供述…」。

名古屋市といえば、河村たかし市長。「税金を払う方は地獄。税金で食っている方は極楽」と繰り返し、市民税減税で旗を振っては、人件費削減ごり押し。議会と対立とならば、議会リコールを自ら主導してみたり、大衆迎合もいいところ。自分の都合の良い議会にしようとでも?まるでファシズムのように…。男性の行為は決して正当化できるものじゃない、でも…ショッキングでした。自治体職員と市民との分断を謀っては、批判はすべて市職員に集中させ、自分は改革者と叫び、自治体の構造破壊をすすめているようです。

さてさて京都市はどんな状況?「財政危機」を大義名分に、市立病院独法化、市看廃止、芸大独法化、保健所統廃合、中央保護所に指定管理者制度の導入。矛先は公立施設だけじゃない。保育サービス切捨てのプール制見直し…そして市立保育所民営化も浮上。オリックスの儲けに貢献(!?)の水族館建設。厳しい国保料徴収も社会問題。

市民の生活条件はどんどん狭められる。そんなとき、労働組合はどんな地点に立てばいいのでしょう…自治体労働組合の運動がどれだけ市民生活に寄与するか、「住民の幸福なくして、自治体労働者の幸せはない」の自治体労働者論の原点にもどることが重要なのでは。階級的労働組合の真価のみせどころです!(光)10/7/5

2010/7/6---------------------

■@GAKUTOMO NO.020
総合コース第一課『マルクスは何を発見し変革したか』

「18Cと今の労働者の状況がつながっていることに驚いた。社会は変わったように見えるけど、根本的には変わってないのかな」「どんな職業も(有名なものじゃなくても)社会にとっては必要で、それぞれの仕事や一人ひとりが集まって社会ができているのは感じる。でも労働者(階級)が社会を動かしているという実感はない」

第一課はこの二か月がギュッと凝縮された内容。印象に残ったことや率直に思ったことを聞いてみると上のような感想が出た。今回もやはり、自分の現状に照らして講義を受け止めている。講義の内容などの変化もあるが、それだけ自分たちの仕事や働き方に関心が高いことの表れでもあるのか、これから学ぶ中でどう発展していくかが楽しみだ。

136期から総合コースでは新しい挑戦をしている。書記係をつくって分散会での内容を記録していく。初日は運営委員がやってみた。緊張とバタバタの中でぐったりしつつも、仲間の言いたいことを読み取る意識や力がものすごく鍛えられると確信。これからどんどん受講生に学習を深めてもらうとても大事な機会になりそうだ。どう変化していくか、運営委員も楽しみにしつつ、負けていられない。(和)10/7/2

■@GAKUTOMO NO.019
今日のは、ホントに“つぶやき”。

夜中0時をまわっての帰り道、上京の住宅街のお寺とお寺に挟まれた道を自転車で進む。お寺の壁にそって走っているので、電灯もあまりなく、お月さまもでてないせいか、あたりは真っ暗。四つ角を曲がると…!!髪の毛の長い女の人が、顔だけ青白く光って下をむいて、目だけをギョロッとこちらを見てる。お寺のお墓の横あたりだから、幽霊がでるなんて…そんなことはまったく考えていないけど、突然そんな人があらわれたらビックリ!

携帯電話の画面を見ながら、メールか何かをして歩いている女性でした…。子どものころ、地蔵盆のころに、近くの神社の裏道で、“きもだめし”をして、懐中電灯で顔を下から照らして驚かせてた、そんなことを思い出した。

でも、こんな夜中に、ぶらぶら歩くって、歩けるって、“いい”世の中なのかな…?街にでれば、24時間のコンビニがあって、24時間でやっているお店もある。自動販売機がそこらじゅうにあって、夜中なのに、明るくなっているところも…。自分もその中で生活していて、いろんな恩恵を享受してはいるしなぁ…。でもなんか、それでいいのかな、“納得”いかない…。ちょっとみんなが考えて、意識をもって、何かしたら…それが“理性”ってことかはわからないけど…。

そんなことを考えた帰り道でした。こっちもちゃんと電気をつけて走らないと…。(吉)10/7/5

■@GAKUTOMO NO.018
社会科学研究所事務局長の小野秀明さんのお話を聞く機会がありました。「マルクスは未来社会を考える場合に、共同体の役割を考えた…自治体の役割と共同体の役割は共通している。未来の共同体は、警察や軍隊といった強制力のない社会で、生産の現場でも地域のなかでも、共同体をつくってお互いの生活を前進させていく。自治体は、その住民の生活、教育やまちづくり、福祉を図っていく役割がある。」と。

共同体は英語でコミュニティー。類義語にはコミューン。コミューンとは小規模な共同社会、地方自治体の最小単位の意味。

パリ・コミューン!労働者階級がはじめて、国家機構を使っての統治を経験したことから、たくさんの教訓を導き出しています。軍事機構や警察などの強制力は必要か。政府という執行機関のあり方。公的機関を担う労働者の賃金制度論。「行政の機構の分野での注目すべき改革がコミューンの手でつぎつぎと実行されていった」のです(「マルクス、エンゲルス革命論研究下」P16〜)。マルクスはパリ・コミューン≠ゥら、さらに科学的社会主義の革命論の理論を展開していきました。

「マルクスは、財政と経済政策の理論のなかで、労働者の福祉の向上も展開していた…地方自治体の役割そのもの。資本主義社会のなかで共同体の役割を前進させることが重要で、地方自治体の役割は、未来社会にとって要」と小野さん。自治体労働者が革命論≠学ぶ意味は深い!(光)10/7/2

2010/7/3---------------------

■@GAKUTOMO NO.017
 南アフリカで行われていたサッカーのワールドカップ。サッカーにうとい私は、試合も、結果もあまり興味がなかった。

仕事柄「子ども」に関する新聞記事や文章にばかり目がいくなかで、ふと気づくことがあった。南アフリカでワールドカップが開催されていることが、世界で生きる子どもたちに大きな希望をもたらしているのだ。

1週間の国際面を並べてみた。「子ども兵士禁止宣言 アフリカ中部6カ国が採択」の記事。地域の子どもすべてに貴重な子ども時代を保障する確かな一歩になっているとあった。また別の日には「子どもを性的搾取からまもれ 南アフリカで行動規範調印」ワールドカップが開催されるに当たって南アフリカの観光・ホテル業界が子どもをセックス環境から守るための「観光子ども保護行動規範」に調印したとある。

子どもが兵士にされたり、性的搾取を受けてたり、労働力として使われていたり・・・そんな現実は世界的に見ても異常なんだ。この世界が注目するチャンスに動こうとする南アフリカにすごく興味がわいた。

同時に「資本主義社会は子どもも、女性も労働者として使う仕組み」という上瀧先生の資本論の紹介を思い出した。仕組みそのものを変えないと。(麦)10/07/02

■@GAKUTOMO NO.016
沖縄出身の歌手cocco。彼女は沖縄をすごく愛している。でも「片思いの人とだってずっと一緒にいたらしんどくなるさ」と言って、音楽には沖縄色を出さないできた。一転して新曲「ニライカナイ」は出だしから「イーヤーハイーヤー」と沖縄色満載。何故か。

「片思い」という表現は、沖縄への強い思いとそれに比例する絶望・無力感..その間で揺れていたcoccoの思いが表れていると思う。それが一転して沖縄に正面から向き合うようになった。その経過を「こんなに県民が一つの思いになったこと今までなかったんじゃないか」「沖縄に自分がなにかできるものがある!」とイキイキと語っている。

絶望・無力感から変化している。政治的な体験の中で認識が深まり、閉塞した中から「自分がなにかできるものがある!」と成長してきている。これはcoccoに限らない、沖縄の今の気風だろう。

絶望から希望へ、しかしその希望をまた打ち砕かれる..「ニュースを見ていつも涙が出る。おじぃとおばぁに、また『なんくるないさぁ』って..しょうがないよ、大丈夫だよって、また言わせるんだなぁって」と肩を落とすcocco。

「なんくるないさぁ」っていうしかない現実。しかしそこに、「なんくるないさぁ!」といえる県民の強さがあった。柳のようなしなやかさ、強さ。絶望ではなく、希望を見いだそうとする言葉。

目先のことだけを見ると紆余曲折があってイヤになるかもしれないけど、一歩下がって全体を大きく見ると見えてくる発展の方向。いろいろある現実の中に、時代の流れを見定め、その中でどう生きるか。その生きる力の総体が社会を動かしている。社会を丸ごとつかむことは、生きがいをみつけることと直結してる。(蓮)10/7/2

2010/7/2---------------------

■@GAKUTOMO NO.015
先日、福岡であった全国保育問題研究集会で、ある保育の研究者が笑いながら言っていた。「現場の保育士さんは、スゴイことを無意識にしてはるんですよね」「それを意識化することが大事。そうすることで個人の名人芸からみんなのものになっていくんですよね」と。

ノーベル賞を受賞した益川さんを思い出した。「唯物論と弁証法を科学の方法論として、意識的に自然認識に適用した」(平凡社新書「マルクスは生きている」50頁)。そうして得られた成果だったと。科学的なものの見方・考え方(唯物論と弁証法)を意識的に活用することで成功している。

保育士が認識しようとする対象は、子ども(あるいは保護者、職場の仲間、社会も含まれるか
...)つまり人間。人間を意識的に科学の目で見ることが求められる。

マルクスは言っている。「地球が太陽のまわりをまわっていることも、また、水が非常に燃えやすい気体からなりたっていることも、やはり逆説である。科学上の真理は、もしそれを事物のまぎらわしい外観だけをとらえる日常の経験から判断するならば、つねに逆説である」(新日本出版社「賃金、価格および利潤」140頁)と。

子どもの姿を、「外観だけをとらえる日常の経験から判断するならば」どうなるか...。人間とは何か、真理とは、科学とは、個性が輝くとは...意識的に科学的に見ないと、「本当のこと」はわからない。

「自覚的な保育士になれ」ということだろうか。しかもそれは集団的なものになっていくんだ〜。(蓮)10/6/30


■@GAKUTOMO NO.014
自治体で働く友人からの相談でした。異常超勤です。

一ヶ月の残業95時間、残業代を申請できたのは59時間、上司からは「来月は、申請30時間までにしてね」と。友人は「自分の責任でもあるから」と言います。

自治体職員の超勤は、住民サービスの時間延長なのか、住民への公権力の行使の時間延長なのか。資本主義社会からの閉塞感と自己管理・自己責任型の人事管理システムの問題も重なり、青年の働き方を疎外しています。

「新しい労働社会」(岩波新書)という本では、労働時間規制の問題に、EUの事例を挙げ、日本の労働組合運動は労働者保護の安全衛生の観点が欠けていると指摘します。EUでは、最低11時間連続休息期間規制と週労働時間規制の2重の労働時間規制で労働者保護に務めているそうです。労働者のたたかいの積み重ねが資本の社会的規制の具体化としてあるのだと思いました。

マルクスは、労働者が労働時間短縮をめざすたたかいでの成果を、労働者が奴隷状態におちいることを阻止する「社会的バリケード」と意義づけました。さらに、たたかいを通じて、最初に生産過程に入ったときとは「違うものになって、そこから出てきた」として、労働者の階級的成長に注目しました。(「マルクスは生きている」平凡社・P99)

異常超勤をなくす運動から、友人が成長していく姿を想像します。(光)10/6/30


■@GAKUTOMO NO.013
 最近「人間らしく」とか「人間中心の」とか「目的としての人間」とか「人間」という言葉をよく使って話をする。

今さらながら「人間」とは・・・他の動物でなくて「人間」とはを考える。辞書で「人間」を引いてみると「“他の人間と共に 何らかの関わりを持ちながら社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが期待されるものとしての”人」とあった。そうそう。人間が人間になるには、他の人がいないと。そしてその他の人と他の人の生活の場が「社会」。人間は他の人とつながってこそ「人間」となることを再確認。

そんなことを再確認した日の新聞に大きな白抜き。「マツダ工場 くるまで暴走 11人はね1人死亡」。ああ・・・またしても。人間が人間を殺してまで、会社に訴えたかったことは・・・。「人間」としてのつながりを奪われた人間は、「社会」の中で自分も他者も、生きているということを実感できないのか。殺された人のまわりにはどんなつながりがあるかの想像も。

誰もが社会のなかで自分の役割や存在意義を持ちながら生きる、その人が社会の中で何らかの“あて”にされる。そういうことって人間が生きていくうえですごく重要なんだ。「採用試験にことごとく落ちて自分の存在価値がないような気がする」「“アルバイトさん”と呼ぶのが当たり前の職場で、数年経ったら入れ替わり」。自分のまわりでも、実際にそういう場面は当たり前にある。

事件の詳細はわからない。しかし、いま、自分が生きているこの社会で「人間とは」と語ることってすごく重要で、早急にやらないとあかんことだと改めて強く感じた。(麦) 10/06/24

2010/7/1---------------------

■@GAKUTOMO NO.012
“文化審議会、29年ぶり、常用漢字改定へ”(少し前の新聞記事より)。現行表では手書きを前提に1945字が採用されていたのが、普及したパソコンや携帯電話漢字変換機能の使用で、日常的に使われる漢字が増加したことから、改定では「すべての漢字を手書きできる必要はない」とし、約1割の大幅増を決めた、と。一方、「手書きは文化や漢字習得の手段として重要」との見解も示された。“常用漢字”?えっ“当用漢字”と思っていた。調べるとそこに“歴史”があった。1923年に“常用漢字”として文部省が発表。実施は同年9月1日予定が、その日発生した関東大震災によって頓挫することに(後日実施)。その後、戦後の46年、GHQの占領政策で“当用漢字”が策定。なんと“当用”とは漢字の全廃を目的として、全廃まで「当面使用できる」という意味だったと…“占領意識”丸出しやで…(66年に漢字全廃ではなく「漢字仮名交じり文が前提」に)。そして、81年に、当用漢字を基にしつつも、緩やかな「目安」である常用漢字表が内閣から告示され、当用漢字は廃止に。

“常用漢字”にこんな“歴史”があったとは、驚いた。しかも、大正デモクラシーの時期に始まり、戦後直後に改定され、それが今につながり、機械の発達によって変化しているとは…。

普段、パソコンや携帯電話を使うか、手書きでも走り書きばかりで、ていねいに書くことがすごく少なくなっている。字を大切にすることは、言葉を大切にすることにつながるように思う。たまには硯と筆でもだしてみようかな。(吉)10/6/30


■@GAKUTOMO NO.011
136期労働学校が始まった。私が初めて労働学校に来たのが131期、運営委員としては132期からなので4回目の募集期間を経ての、6月26日開校。

開校オリエンテーションではコースごとの交流を大事にしている。一巡目は自己紹介。講師の先生からも激励をいただき、二巡目は『なぜ受講しようと思ったか、2か月間で特に学びたいこと』を聞いてみる。一巡目よりグンと一人ひとりの色が出ておもしろい。

その中で共通しているのは、「学ばなければいけない」思いが強いこと。前はもっと「学びたい、興味がある」という声が多かったように思うが、自分にとっての必要性を強く意識している姿が見えた。仕事の悩みの解決策が得られるのでは、現状を脱する機会に、という切実な要求もあった。「でも、働きながらでは時間がつくれないし…」というのも共通している。多忙の中でその原因を知ることが、今の社会で生きていく上で欠かせないという思いを多かれ少なかれ持っておられることが感じられ、労働学校の意義を改めて確認する。

原因を知り、「じゃあ自分たちは何をすべきか」と立ち上がる新しい仲間の姿を想像してワクワクした。忙しい中、どれだけ主体的に学ぶ姿勢を引き出すことができるか、運営委員も気持ち新たに、136期スタート! (和) 10/6/30